民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

中山間地のゆくえ

2006-10-31 08:42:40 | 民俗学
人口減少社会を迎え、くしの歯が欠けるように都市で地域で人間の数が減っていく。その減り方が例えば均一だとして、母体となる集団の人数が多い都市ならば、人の配置がまばらになるのだが、もともと粗い分布の中山間地では、全く人のいない空間が広がることになる。まばらに住民が点在する地域に行政サービスを行うとなると、効率の悪さといったらない。例えばゴミの収集にしても、移動時間の方が収集にかかる時間よりも長いことになる。よって、人がまばらな地域へのサービスは停止ないし軽くして、人の多い地域へ手厚くサービスをほどこすことで、人々の再集住をはかる、というのが最近の政策のコンセプトだろうか。バス路線をなくし、郵便局をなくし、過疎地・中山間地から人々を追い立てていくのが政治の役割だというなら、何もしないほうがましではないか。
 弱者は切り捨てられて仕方がないという世の中になっている。人権などという言葉は、20年も前に比べればほとんど語られなくなったし、語られたとしてもかなり限定的に使われることが暗黙の了解となった。一部の豊かな暮らしを守るために、多くの貧しい人々を切り捨てる風潮は認めることができないが、人口減少とサービスが低下せざるを得ないことは事実であり、私たちの側から新しい理念と生き方を見つけていかなくてはならないだろう。

室井信次にみる上司観

2006-10-28 23:27:31 | その他
 先日、容疑者室井信次(これで正しいかな)なる映画を、テレビで最後まで見てしまった。踊る大捜査線から派生したものだといい、作り手は同じだから、設定がやたらと大げさで劇画調であるが、であるが故に個々の人物のキャラがしっかり立っている。
 さて、上司としての室井のキャラである。踊るは、現場と管理部門との対立そして現場の優位と無知な管理職という筋が物語の底流としてずっと流れている。その対立をつなぐ者として、つまり現場を知る管理職として室井は位置づけられている。これを、ひょうきんなキャラをもたせれば煮詰まらないが、謹厳実直な室井というキャラでは行き詰まってしまうだろう。主人公のキャラとダブッテしまうから仕方ないことか。室井はキャリア組であるが、東大でも慶応でもなく東北大である。北であることが本流からはずれていることを暗示している。そして、キャリア組なのに上層部の言いなりになって、出世のエスカレーターには乗らない。そして無口で余計なことは言わない。時にかなりきついことをいう。
 これが理想の上司像かはわからんが、上司らしい上司として広く受け入れられているだろう。自分と引き比べてどうだろう。まず、学歴が追いつかない、おしゃべりである、きついことは言えない。これじゃ逆、逆へときてる。そして、上層部とは対立もしなければへつらいもしない、この辺りだけ少し室井的。しかし、現場を本当に把握しているかといわれれば、リアルタイムには自信がない。室井みたいな上司に、みんな拍手喝采するのかな。

中国民俗学

2006-10-19 10:10:14 | 民俗学
 昨日見知らぬ方から封書が届いた。開けてみると、中国で民俗学の研究方法に関する叢書を編むが、過去に書いた私の小論を転載させてほしいというものであった。細々と、かろうじて研究を続ける在野の民俗学者ともいえない学徒のつたない研究を、これから民俗学の沃野に分け入ろうとする異国の方が参考としてくれるなら、こんな名誉なことはありません。雲南の少数民族の神話で、本当に拙い卒論を認めてもらった者としては、感慨深いものがありました。早速、承諾の返事をした次第です。
 ところで、中国での民俗学と対象とする「民俗」の状況はいかなるものでしょうか。文化大革命の影響は都市ばかりで、地方にまでは及ばなかったものでしょうか。おそらく、タブーかもしれませんが、政治と習俗の関係は大きなテーマになろうと思います。また、民俗学の研究者は研究対象に思い入れがありますから、どうしても習俗に対する愛着を語ることにもなるのですが、そうしたスタンスにたいして、中国共産党はどのような対応をするのでしょうか。人民共和国における民俗学は成立しえないものと思われるのですが、今回叢書を編むほどに研究者がでてきたということを、どのように捉えたらよいのか。どなたか事情がわかったら、教えていただければと思います。

竹取物語

2006-10-16 17:07:55 | 教育
 竹取とは不思議な話である。異類婚姻譚と難題婿が合体した話なのだろうか。最古の物語にしては、皮肉っぽい話である。中学生が古典を学ぶまっぱつにあるのがこの話である。教科書は、くらもちの皇子をクローズアップさせた部分を取り上げているが、蓬莱の玉の枝といつわり、職人に作らせた枝を姫や翁に見せる皇子をどう思うか。中学生の受け止めが様々で本当に面白い。
○くらもちの皇子は、かぐや姫に「蓬莱の玉の枝」をとってくるようにいわれたけども、初めからその気がなく、行くふりと帰ってくるふりだけをしていて、私はそういう人はいやだなあと思いました。それだったらまだ、本当に探しに行き、ダメだったほうが全然いいと私は思います。(君は何としてもかぐや姫と結婚したいという男の思いがまだわからないのだ。きっとこれから、何人もの男性が君を思ってなくだろう)
○初めのうちはバレなくていいかもしれないけど、必ず嘘はバレるものだから、初めっから「なかった」と正直にいえばいい。(君は正直ないい人です。でもそれで結婚してくれますか)
○本当に結婚したいなら、あんなズルイことはしないで、「探したけどありませんでした」と、正直にいえば、かぐや姫は正直者と感じて、ちょっとは仲良くしたんじゃないかと思う。かぐや姫は、どうせ自分は月に帰ってしまうから、結婚してラブラブになったら別れがとてもつらくて、くらもちの皇子(他の皇子たちも)がかわいそうという、姫のやさしさだと思う。(そうじゃないよ、そう思えるあなたがやさしい女の子なのです。将来あなたと結婚する男性は幸せです)
 と、多くの生徒がかぐや姫の肩をもち、皇子の嘘をなじる中で、次のようなあっぱれな男子生徒もいる。
○正直いって(皇子が)悪いことをしたとは思わない。もともとかぐや姫が難題を押し付けてきたわけだから、別にその人その人が知恵や富で難題を押しのければいいと思う。だから結局は、男たちはつめが甘かったと思う。もっと頭を使えばよかったと僕は思った。(そうだ。ありもしない物を要求する姫こそひどい人だ。難題にもほどがあるぞ。)
 君たちはまっとうな中学生だ。今もこんな中学生がいることを、世間の人々に知ってもらいたいよ。



近所付き合い

2006-10-12 12:40:52 | 民俗学
 自分の小学生のころ、昭和30年代の話。夜というか遅い夕方というか、そんな時間に近所の人が尋ねてくることが多かった。夕飯を食べたか食べないかくらいの時間に、「いたかい」などといって、近所のおじさんが、今日取れた農産物、例えば大根とか、白菜とか何か少し手土産に持ってやってきた。こっちはいそいで食事して、「まあ、寄っとくり」などといって、お茶の用意をして出す。きたおじさんは、別に用事があるわけではなく、ただ話を楽しみにやってくるのである。一週間に一度くらいは来る人、たまに来る人、いろいろだった。それは我が家だけのことでなく、どこの家でもそんなふうだったと思う。だが、良く考えてみると、瓦職人だった父が、夕食後に他所の家にお茶のみに行くということは、ほとんどなかった気がする。我が家は、近隣との血縁関係のない職人の家だったから、利害関係が生じず、裕福ではなかったが訪問しやすい家だったかもしれない。近所の人が話しにきたとき、子どもの自分は別の部屋などないからそこに同席するしかなかったが、大人の話をきくことも楽しみだった。ラジオしかない時代には、生の人の声も情報源や娯楽の一つだったのである。時には、夜遅く、ほとんど寝ているようなときに酔っ払いの大人がくることもあった。これは本当にいやだったが、父はいやだと断ったことはなく、布団をたたんでもおつきあいをした。だから人がきたのだろうが、自分にはとてもできないことである。この性格は、私の長男に受け継がれ、外国人であるがだれとでもすぐ仲良くなっている。
 近所の人を何と呼ぶか。今とは大きく違うと思う。既婚の年寄りでない女性は、だいたいネーサンといわれた。男性ならニーサンである。少し改まったいいかたなら、女性はアネサマといわれた。男性はアニサマだろうが、アニサマと会話に使われているのはあまりきいたことがない。ただネーサンでは、直接呼びかける以外は区別がつかないので、屋号をつけて、~のネーサンなどといった。年少者がいうには、~のオジチャン、オバチャンである。地縁関係であっても血縁関係の呼称を用いることで、擬制的関係を結ぼうとしたのだろうか。

妻の呼び方

2006-10-10 09:47:39 | 民俗学
 最近芸能人や投書などで、夫が妻を特定する時の呼称として、「嫁」といっているのが多く、気になります。
 始めに説明しないといけないのは、親族名称と親族呼称の違いです。夫・妻・祖母・祖父・兄・姉・弟・妹などは、関係性を示すための客観的な名称です。地方によって名称が違うことはなく、少なくとも日本語を使う範囲内では、同じ関係性の人をさします。一方、親族呼称は日常生活などで対象とするひとを何と呼ぶか、厳密にいえば相手との関係性を呼ぶ場合と、相手に話し掛ける場合があろうが、ともかく会話の中でさす場合です。
 そこで、先に述べた気になる言い回しを丁寧にいうなら、妻のことを他の人に話す場合に何と呼ぶかということです。戦前生まれくらいの男性なら、「うちの母ちゃんが」と、自分を子どもの立場において言うことが多い、これは自分の子どもが生まれると、父母をおじいちゃん、おばあちゃんと呼ぶのと同じであるが、妻からは「私はあなたの母親ではありません」と、はねつけられたりします。自分を1つ下の世代に位置付けることで、相手を上位として関係性を円滑にしようとしたのかな?などと考えます。
 ところが、最近の既婚の若者が「うちの嫁が」というのを、何度か耳にします。これは、父母など自分より上の世代が嫁入した女性をさした名称です。なぜこんな言い方をするようになったのか気になります。つまり、呼び名の変化は関係性の変化をあらわしているからです。嫁とは、家から家へ女が移るという考えを下敷きにしている、かなり保守的なというより守旧的な呼び名です。ここにも、伝統回帰という風潮が現れているのでしょうか。あるいは、夫が妻を1世代上にたった呼称で呼ぶことで、妻が自分の支配化にあることを他者に対して表明しようとしているのでしょうか。
 いずれにしても、若い女性にとってあまり喜ばしくない傾向だと私には思われますが、いかがでしょうか。

教育改革とは何か

2006-10-07 21:14:48 | 教育
 教育改革とは何だ。改革とは、そもそも現状がいけないから作り直すというものだろう。現政権は、そもそも今の教育の何に問題があり、改革しなければいけないというのだろう。初めに改革ありきで、問題が後からこじつけされていないだろうか。そもそも、社会現象としてある問題点を、これまでもそうであるが、教育という狭い土俵の中に囲いこみ、その中だけの責任と問題として処理しようとしていることが、教育現場に携わる者としては我慢がならんのである。定職につかない若者の増加を教育の責任と言う前に、魅力ある正規就業と企業に正規就業を促す努力を政治がしてきたかを問いたい。目先に都合のよい政策を執行しておきながら、そこから生じた矛盾を教育の責任に帰するのは、あまりのご都合主義ではないでしょうか。勝つ見込みのない戦争を始めながら、「欲しがりません勝つまでは」というスローガンを国民に押し付けた輩となんら変わりない姿を、政治家はさらしている。
 教員を能力給にして学校間で競わせるという発想は、都市の似たような条件の学校間では成立するかもしれないが、山間僻地を多くかかえる地域ではどうなるだろう。好んで通勤に時間のかかる山間地へは教員は行かなくなるのが当然である。さらに、教育困難な生徒を多数かかえる学校へも、教員は好んで移動するだろうか。そうすると、自然淘汰されるのは、山間地及びいわゆる荒れやすい地域の学校となる。(もう少し説明すれば、能力給にするための地ならしとして、今は、山間地手当てなど一律に与えられていた手当ては、廃止ないしは大幅に減少されている。しからば、能力給で高い給料をもらったからといって、山間地へ行かなければならないことはないから、誰も行きたがらない。そうすると、言い方は悪いが、欲しがり手のない教員がそうした学校へいきおい集まることとなる。そうすると、保護者も満足しなくなって、ゆとりのある家庭は他地域に学校を求めるだろう。この悪循環のスパイラルが、学校を淘汰する。それがねらいというなら、返す言葉もない)そうした地域に住む保護者は、多くの通学時間をかけて遠くの学校へ子どもたちを通学させざるをえなくなる。義務教育がこれでよいのか。教育の機会均等は、税金を支払う代価として保障しなくてよいのか。
 多くの政治家はとうの昔に義務教育は見限り、自らの子弟は私立学校へ通わせているという。残念なことに安倍さんにはお子さんがなく、どこまで本当の庶民の親の気持ちがわかっているのか、私には疑問である。

芋煮会

2006-10-02 21:04:24 | 民俗学
 秋になると、東北地方の芋煮会の話題がたびたび報道される。岩手と宮城で味噌味だとか醤油味だとか、はたまた豚肉だとか牛肉だとか。所変わればで鍋の様子が異なり、どちらが本流だとかいって争いになったりする。芋煮会が習俗ではない地域の者としては、少し不思議な感じがするし、何より芋煮会の「芋」が里芋だということで了解されていることが、何とも変である。マスコミも特別里芋だといわないが、芋煮会ときいて、例えば鹿児島の人は、里芋と思うのだろうか。
 単に「イモ」といったときに、何を連想するか、つまり、里芋かジャガイモかサツマイモかは、多分地方によって異なると思う。これはまだ誰もまとめてないと思うから、誰か「イモ」の文化史を研究すればいい。イモから、その地域の文化が見えてくるはずだ。
 芋煮会は多分、外釜といって野外で調理して共同飲食する習俗に連なるものと思う。そのルーツについては諸説あるようだが、煮るのに時間のかかる里芋をどうして選んだのか不思議に思う。きっとこの件にはこだわりを持っている人がいるはずなので、教えていただきたい。