民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

今年のしめくくりか?

2013-12-31 16:09:36 | Weblog

本年も残すところ数えるほどの時間となりました。いつものことながら、ゆったりとした年末とはいかず、妻は実家で介護の年とり、私は母を施設から帰宅させて介護の年末である。とはいえ、母も足腰が衰え、酔っぱらった私だけでのおつきあいでは心もとなかったので、妻がこちらにいれる30日に帰宅させ一緒にみてもらうこととして、1日早い年とりをし今日施設に帰ってもらった。そこで昨夜ブリを食べ、今朝は元旦の朝のようにイモジルを作って食べた。妙なもので、そうすると今朝が元旦のように自分にも思えてくる。母は帰宅して親戚に電話すると、今日帰ってきて年をとったらまた戻ると話していた。1泊して31日に帰るのだが、事情を知らないで聞いている人は、1日に戻るのだと思うだろうなと話を聞いていた。よその家と年始の挨拶をするとか、年末で紅白を見るとかいったことがないと、1日早く行事食を食べれば、もうその日がきたように感じてしまうなと思った次第です。それで、母に30日に1日早く年をとって施設に帰ることを納得してもらえた時は、珍しく31日に世話をしなくて少しゆっくりできるかと考えていました。ところが、物事は予定通りにはいかないものです。5日ほど前から何だか脇腹が痛く、どこかにぶつけたものかと思っていました。ところが、一昨日になるとプツンとした吹き出物みたいなのができています。こいつは何だろうか、と思いましたが、脇腹の違和感は続いています。そして昨日、へその脇にいくつもの赤い発疹ができているのを発見。痛さと発疹から、帯状疱疹ではないかと判断し、休日医を探して受診したところ、間違いなく帯状疱疹でした。抗ウィルス薬を1週間処方され塗り薬と、痛くて我慢できない時は使いなさいと座薬まで出されました。この1年の締めくくりがこれかよ?そんなに罰当たりの1年だったのだろうかと、考えてしまったのです。今のところ痛くて眠れないほどではありませんが、完治までは1ヶ月ほどかかるし、発疹は治っても神経痛の痛みが残る人はいます。痛みは予防のしようがありませんから、我慢するしかありません……などと、看護師さんに脅されて医者から帰ってきました。はてさて、どんな正月になることやら。


人と時と

2013-12-29 15:58:42 | その他

2014年も残りわずかとなりました。とはいえ、毎日が日曜日となって迎える年末年始は、そんなにあわただしいものではありませんし、そんなに貴重なものにも思われません。勤務していた時は、休みの間が本当に貴重に思われたものです。逆にいえば、意識的にメリハリをつけないと、時の区切りがないままに新しい年に突入してしまいます。そんな時間の切れ目が何となく感じられなくなってしまった年の瀬に、ああ年末だと感じられたのは、多くの方から贈呈された著書が届いたことでした。区切りのよいこの年の内にと皆さん考えられたのでしょうか。いただいた本を開くと、わが身の非力さに打ちのめされます。皆さん全てが書下ろしではなく、計画的に論考を発表されたうえで、足りないところは補って1冊の著書として発表されています。その時その時で興味のあること、面白そうなテーマをかじってはまた別のテーマで書くようなことをしている私には、なかなか1冊の本はできません。もっとテーマを絞って研究を深化させないといけないかと思ったり、いやいやそんな蛸壺に落ちるようなことはしたくない。もっと広く民俗学全般を見ていきたいとも思ったりします。そんなことをしていると、あっという間に時間はたってしまうことはわかっているのですが、どうしたものでしょう。また巡ってくる時を前にして、考えてしまいます。


NHK次期会長人事から考える

2013-12-26 16:58:31 | 政治

籾井勝人という方が次期NHK会長となる。さまざまな報道を見るにつけ、NHKとのこれまでの付き合い方を変えていかなければいけないかと思う。
若いころはNHKの受信料を徴収に来た人に、自分はNHKと直接契約を結んだ覚えはなく、自動的に受信料を徴収するのは不当だなどと、本多勝一に感化されてたてつき、困らせたこともありました。ところが、ここ10年20年くらいでしょうか、民放の番組が やたらと安直なバラエティーに偏り、芸人が受け狙いの質問をして受け狙いの答えをし、おかしくもないのに笑ったり、人を貶めたりする番組ばかりとなって、反対にNHKは長期取材に基づく鋭い切込みで見せてくれるようになり、これはNHKしかないと思うようになりました。毎年ある8月の戦争を記憶しようとする番組、格差社会、貧困化に関する番組、3.11、反原発に関する番組。よくやってくれると思います。もったいないから、できるかぎり録画しています。これに対して、偏向している、会長が悪いといって特定の政党が横やりをいれるなら、自動的に受信料をとるようなシステムは、おかしい。政権政党のPR放送がNHKだとしたら、どうしてお金を払わなければいけないのですか。ナチスにならえばいいと思わず出た言葉のように、ナチスの宣伝相ゲッペルスを用いなければいけないと考えてでもいるのでしょう。ウィキペディアによれば、ゲッベルスは「宣伝は精神的認識を伝える必要もなければ、おだやかだったり上品だったりする必要もない。成功に導くのがよい宣伝で、望んだ成功を外してしまうのが悪い宣伝である」「重要なのは宣伝水準ではなく、それが目的を達することである」とし、その目的は「大衆の獲得」であり、「その目的に役立つなら、どんな手段でもよいのだ」と語っているという。都合の悪いことは隠し、目的を達するための宣伝は手段を選ばないという、恥も外聞もない政治手法がまかり通る世の中となるのでしょうか。知らないうちに限られた情報だけが刷り込まれて、正しい判断ができなくなることは、先の大戦で実証済みです。

何もかもが戦前回帰へと向かっていると思っていたら、靖国参拝です。北朝鮮の外交を、だだっこだとか、あえて緊張をあおる瀬戸際外交だとかいいますが、この国の首相のやっていることも全く同じではありませんか。あえて相手の嫌がることをして、対外緊張をあおり軍備を強化しようとする。そのうち、「将軍様」と呼びなさい、ということにでもなりはしませんかね。


中森明菜

2013-12-24 19:49:32 | その他

芸能ネタにはほとんど関心がなく、今売れている芸能人、AKBの構成員の区別もつかない者が、中森明菜というのも恥ずかしい。そんな私が、最近中森明菜という歌手が気になって仕方がないのです。自分が30代のころ、10代でデビューした媚びない歌手が中森明菜です。いつのころからか、テレビなどで目にしなくなって、どうしたのだろうとは思っていましたが、最近の週刊誌の見出しを見ると、対人恐怖症?で闘病生活を続け、復帰をめざしているといいます。確か近藤正彦とのつきあいがどうのこうので、うまくいかなくなってとかいったようなことがありましたね。心の病で闘っているいるというので、何だか思い入れが深くなりました。中でも、「難破船」という曲。加藤登紀子の曲ですが、中森明菜の歌が印象深く残っているのです。多分あの曲を歌っている頃は、彼女にも琴線に触れるものがあったのではないだろうか、そんな気がするのです。ユーチューブで中森の歌っている曲を集めてみると、カバー曲がたくさんあって、彼女の歌唱力の高さを物語っているのですが、それぞれがオリジナルよりも味わい深く中森らしさを表しています。ウーンこれはすごいと、今になって思います。対人恐怖症だか躁鬱病とか復帰を目指して頑張っているといいますが、コンサートしなくてCDだけ発売すればいいんじゃないの。歌声だけで充分に売れる。何も無理してコンサートしなくても、スタジオでの勝負だけで生きていけると思います。ユーチューブからダウンロードしていくつもの曲を聴いて思いました。無理してまわりに合わせなくていいんだよ、あなたの歌声を待っている人々はたくさんいるんだから、復帰の方法はいくつもある、そういってあげたい。


上村程野の霜月祭

2013-12-16 16:32:36 | 民俗学

12月14日~15日にかけて、旧上村程野の正八幡神社でおこなわれた霜月祭を見に行ってきました。国指定の無形民俗文化財に指定されている霜月祭は、霜月(現在は12月)に長野県南部の遠山谷各地の集落でおこなわれる、湯立神楽のことです。前日から夜を徹して祭りが行われ、中世以来の祭りの姿を今に伝えるものといわれます。
程野の霜月祭は12月14日の昼から次のような手順で進行します。式礼・座揃い・七五三引き・神帳・申上・窯祓い神楽・両大神の湯・両八幡の湯・正八幡の湯・四つ舞・願湯・湯の華・子ども四つ舞・一倉玉善権現の湯・鹿島大神の湯・天照大神の湯・小野之明神・境之明神の湯・四つ舞・舞台祓い・御一門のゆ・襷の舞・羽揃えの舞・寄り湯・鎮めの湯・日月の舞・御座の神・面神・神返し。自分が見始めたのが夕方の6時ころで、終わったのは朝の6時半ころでした。延々と神々に湯を献じて舞を舞い、最後に朝の4時頃、面をつけた神自身が現れて荒々しくエネルギーをまき散らしてクライマックスを迎えて終わるのです。本当に神の出現を待つ間は長く、イライラして待ちきれない群衆は、時々神にだけかける掛け声「ヨーセ、ヨーセ」を舞手にかけてしまったりしますが、「いけね、いけね。こんなこといったら、怒られる」と口をつぐみました。

さて、私は2つのいや3つになるか、とりあげて報告します。まず、以前に書いた学校と祭との関係を、実際の祭りの中で見て考え、自分の考えが浅はかだったかと反省しました。
  

左の写真は、子どもの舞を舞う中学生と高校生です。赤い袴の女子生徒が、祭りを華やいだものにしてくれます。何だかこのときは、観客や拝殿にいるおじいさんたちが、いそいそしているように見えました。このときだけは、前半のクライマックスなので応援してほしいというアナウンスもありました。女子が舞うようになったのは20年ほど前からで、学校でのが後継者育成にやっている学習の発表の場として、そして現実問題として男の子だけで4人を確保できないという事情もあってのことだといいます。なかなかいいことで、時代の風潮にもあっていますから、本舞にも女性をいれたらどうですかと、受付をしている地元の方に話すと、とんでもない、本来は裏方になるのも女人禁制だったのだから、今は組長なんかを女性がしているので炊事場に女性にもはいってもらっているが、女が舞うなんてことはできない、という回答でした。子どもの舞に1回ばかり舞っても、思い出作りに過ぎないと思っていたのですが、真ん中の写真で大人に交じって舞っているのは中学生でした。まだ間違えることも多く、隣で舞う大人の所作を見て指導されながらでしたが、ともかく励まされて舞いきりました。右の写真、大人に交じって笛を吹いているのは高校生です。この子は、かなり長い間笛を吹いたり太鼓を叩いたりして、祭りの本当の構成員として役割を果たしていました。この子たちが、じきに祭りを主体となって支えるようになるのでしょう。また、笛は吹きたければ誰がふいてもよく、中学校にAETとしてきたイギリス人の先生が過去に上手に吹いていたともききました。学校でやっている学びは、実際の祭りで生き続けていました。
次は長老の役割です。神前の畳を敷いてある部屋に、二人の長老とおぼしきおじいさんがストーブを前にして座っていました。禰宜とおぼしき人が、そのおじいさんに「何か見ていて間違ってるとこがあったら、教えてください」と声をかけていました。そして実際に、神に唱えごとをする重要な場面では、じっと座って見ていられなくなったのでしょう、 舞殿におりてきて、後ろから直接指導した。また、境内社(三峰神社・金比羅、秋葉神社・庚申・天伯社)に湯を捧げる儀礼でも、しんしんと冷え込む外をついて回って唱えごとを指導し、自分でも唱えられました。年をとるということが、本当に意味がある、また年寄りはなくてはならないものだと実感させられたのです。
 

 最後に祭の演者と観客の問題です。神楽は、それぞれの神にまず厳粛に湯を捧げた後、湯ごろなのでさあどうぞお湯をお使いくださいと神に勧める。ここでは、舞手ばかりでなく観客も中にはいって、鈴を持ったりして唱和し、神様を喜ばせる。ここの祭は見て楽しむじゃなくて、参加してもらうものだから、さあさあ中に入って」などと誘われました。おそらく、観客といっても村人やその縁者だけだったころは、本当にみんなが湯釜の周りを囲んだことでしょう。
  

以下の写真はクライマックスで現れる、面をつけた神々です。中でも、水王・土王・木王・火王は煮えたぎる湯を釜からはじきとばした後、舞殿をかけて観客にうけとめてもらうというパフォーマンスをくりかえして盛り上がります。地元のひとびとは、このために朝方になるとお宮に集まってきます。昔は舞殿にぎっしり人々が集まったので、子どもは藤弦で編んだ輪を柱の高い場所に結びつけ、それに自分の体を結わえて上にのぼってみたものだといいます。

  


大江健三郎『水死』再読

2013-12-11 17:31:11 | Weblog

蔵書整理のなかで、大江の『水死』がでてきました。買ったきり読んでないのかと思い、少し読むと、アレ読んだような?多分途中でいやになって、中断したままになったと思います。高校生のころから大江を読み始め、読み継いできました。そしていつも、読み始めはいやになるのです。なかなか物語世界にはいっていけず、退屈になります。それを我慢して、中ほどまで読んでいくと段々様子がわかってきて、最後は物語に引き込まれるように読んでしまいます。若い時は、暑い季節のどうしようもない時に、どうしようもない文体の大江をウンウン唸りながら読むのが常でした。CDがでたり、英語の教科書にのったり、ノーベル賞もらったり、沖縄の虐殺に関して訴訟を起こされたり、いろんなことがありましたね。読者である私も著者と一緒に年をとってきました。この歳になって、これほどひどい世の中がやってくるとはと、作家も思っていることでしょう。ノーベル賞もらった時には、以後小説は書かないようなことをいっていて、それでも書いた『水死』で本当に最後かと思いましたら、これが本当に最後と最近また本が出ましたね。ラストコンサートといっては、何度も客を集める手法があるみたいですが、まさか本を売るために大江がこれで最後といい続けているわけではないでしょうが。
『水死』の最後をどう解釈すればいいのでしょう。森と創造力から、女と救いの物語に転じ、最後は森と女で締めくくられたのか。今を生きる人の生と、森(土地)の記憶とが重なって、本歌とりのように 物語が重層的に進行するのは、現実の私たちの暮らしにもあります。安倍さんのように、壮大な勘違いの重層性を生きている人もいます。


うっとうしい世の中

2013-12-11 15:00:42 | 政治

奥歯をかみしめながら「君が代」斉唱を聞いているような思いを、随所でしなければいけない世の中になるのだろうか。
秘密保護法にばかり注目していたら、教育委員会の権限を行政に移譲するだの、国定教科書をつくる、道徳を教科化する、国家安全保障戦略に「愛国心」をうたう、武器輸出禁止3原則の緩和、NHKの会長に息のかかった者をすえる、いつのまにか知らないところで改憲が進んでいるみたいで、いつか麻生のいったように見事にやってのけてくれています。このままでは、行政ばかりが肥大した軍事国家となってしまうでしょう。 次は、国会議員を半数くらいにして野党は排除してしまうのではないでしょうか。中国も韓国も、国内の矛盾を対外的に強く出ることでまぎらわそうとしているのに、それに輪をかけてのっていこうとする時代錯誤な首相がいます。極めて危険なことです。司令官と呼ばれることが好みのようですので、安倍さんには前線に行って勤務してもらえばどうでしょうか。


モース『日本 その日その日』読了

2013-12-06 08:27:05 | その他

ようやくにして、『日本 その日その日』を読み終えました。自分にとってこの本は記念すべきものです。というのは、初めて電子書籍としてお金を出して購入し、まじめに読み終えたということです。そこで、内容もですが電子書籍というものについて書いてみたいと思います。途中でほとんど整理することなくため込んでしまった蔵書を整理していると、電子書籍の場所をとらない保存の方法はすばらしいと思ったのが、購入時のねらいでした。蔵書の整理をしていると、同じ本が数冊でてきてガックリなんてことは、誰しもあるみたいです。買い込んだ本がどこにあるのかわからなくなってしまうことはよくあります。本棚のスペースがなくなって、奥と手前の2段にするようになるとどうしようもありません。その点、電子書籍はすぐ探せる(?)のかな。ちなみに、自分はキンドルで読んでいます。さて、読んでみてどうかといえば、これがいまいちです。確かに、厚さを気にせずどこにでも持って行けるし、活字の拡大もできます。ところが、一気に読み終えれば別でしょうが、何日もかけて読んでいると今自分はこの本のどの辺りを読んでいるのか、視覚触覚で実感できず、何だか不安定ないつも最初から読み進めているような、おかしな気分になってしまうのです。読んだ最終ページに栞の印をつけることはできるのですが、本当にここからだったかと懐疑的になってしまいます。やはり、本の重み、読み終えた部分の厚みなどといったものが、知らず知らず読書を続ける行為には含まれているのだと感じます。何より、厚い本を1冊読み終えたという達成感のようなものは感じられません。結論を書きましょう。1度に読み終える短編や、漫画などなら電子書籍でもよいが、まともな単行本つまり読み応えのあるような本は、電子書籍として読むにはふさわしくないと思います。


天皇の住まい

2013-12-03 16:58:49 | 民俗学

それはかなわなかったのですが、江戸東京博物館で行われていたモース展を見たいと思っていました。モースだけ見てもつまらんし時間もあるから、東京で何を見るかと考えた時、江戸城と皇居というものを今まで見たことがないことに気づきました。江戸城は明治維新の後、天皇家のものとなり天皇家の住まいとなってしまいましたので、一般人が見ることはできない、つまり近寄れないし、天皇フェチの人以外は、つまりあらかじめ申し出るような面倒をいとわない人でなければ中に入れないものと思っていました。ところが、調べてみると、多分そんなことは知ってる人には当たり前なのかもしれませんが、自由に入れる部分もあるんですね。もっとも、江戸城のどこまでを皇居といって天皇家の財産で、どこの部分は単なる国有地なのか知りませんが、国有地の部分に入れるという事でしょうか。このことを考えてみますと、徳川家の末裔の人たちは皇居についてどう思っているんでしょうかね。イスラエルは紀元前の所有にもとづいて、約束の地だといってパレスチナ人を追い出したのですから、皇居などといって一般人を締め出して占有していることに対して、何か特別な感情があるかもしれません。それで、天皇家の皆さんはどこに住んでいるのか、もう少し調べてみると、今更ながら面白いことがわかりました。それは、写真などで3世代同居する大家族の象徴みたいに思っていた天皇家は、全くの核家族であったということです。夫婦と結婚しない子どもで1つ屋根の下に暮らし、結婚すると新しい建物を建てるか、過去に皇族が使っていた建物に引き移る。天皇以外は、赤坂に住んでいるんですね。しかも、敷地が広大だからか家々の交流、飯を食べに行ったりお茶を飲みに行ったり、物を借りに行ったりなんてことはもちろんないですが、一般に考えられるようなおつきあいというものがない(?)みたいですね。これは、面白いことです。象徴天皇制は、家族のモデルを国民に示すという意味もあると思うのですが、天皇家が核家族でありながら、国民には家庭での介護をおしつけ、あたかもそれがこの国の美風であるかのようにいう自民党の皆さんは、天皇家に対して本当は快くは思えないはずですが。
ということで、思いついた問題意識ですが、土地に記憶があるとして、江戸城時代の土地利用の記憶が、宮城=皇居となってから、どのような痕跡となってあるいは底流となって生きているのか、象徴の住む場所を象徴的に分析してみるというのはどうでしょうか。 


編集業務

2013-12-02 13:58:17 | その他

私は30代のほとんどを、本の編集業務で過ごしました。何でもそうでしょうが、編集業務できついのは刊行期限です。行政の予算でする仕事でしたので、どうしても年度内、遅くとも予算執行年度内には何としても成果品として形を作らなければなりませんから、追い込み作業になるときついものがありました。体重が減り続け、癌ではないかと親族に疑われたりしました。その編集作業ですが、今年後半になって雑誌と単行本の編集作業をいくらかずれていましたが、同じような時期に始めました。隠居の暇つぶしといえば、否定はできないものですが。その編集、昔やっていた時は活字の時代でした。細かく原稿を割り付け、それにしたがって職人さんが活字を拾ってくれたのです。写真や図版も、大きさをきちっと計り何時何行で原寸の何パーセントと指示を与えなければ、仕事は進みませんでした。今は、パソコンの編集機です。しかも、原稿自体が電子ファイル化されて届きます。印刷所の仕事は軽減され、早くなったものです。おかげで、編集者の仕事もかなりルーズですみそうです。今や編集者の仕事は、雑誌ならいい執筆者を探すことと、図版のかっこいいレイアウトを支持すること(アバウトな指示でもすぐ修正が可能だからありがたい。昔みたいに組み直しなどということはない)、校正をきちんとすること等になりました。活字の印刷を見ていてオフセットの印刷を見た時は、何と角がきまらない見てくれの悪い文字かと思いましたが、今のように活字を見なくなればオフセットが当たり前で、そんな違和感もなくなりました。これだけ印刷に手がかからなくなると、印刷の値段は下がるわけですから、印刷所が生き残るのは大変だったと思います。もっとも、そうした生き残りの時代など、とうの昔に過ぎ去ってしまったのでしょうが。