民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

中山間地に思う

2006-05-30 08:06:02 | 民俗学
 久しく書き込みができませんでした。転勤などがあり生活環境・職場環境が大きく変わったため、書き込む時間と精神的余裕がありませんでした。ようやく年度当初の事務も一段落し、気持ち的に楽になって今書いている次第です。
 この間義父が脳梗塞で倒れ、伯父が亡くなりました。世話になった人々が次々に去っていく年代になってしまいました。むろん、若い頃に話者となっていただいた人々のほとんどは、もはやこの世にいらっしゃらないでしょう。
 最近考えることは、中山間地の生活です。今の勤務地がそんな場所にあることが大きく影響しているのですが、自分の生まれた場所もそんな所に位置しているからです。これまで、生業面から、中山間地から人々がいなくなることを問題にしてきたようなきがします。仕事さえあれば、そしてスローライフといった価値観が一般化すれば、もっと何とかなるのではと考えていました。たまに調査に入れば、そうしたことが思われるのも当然です。ところが、中山間地の日常に向き合っていると、人がいなくなるのは仕事がないからではないと思われてきます。では、問題は何かといえば「家」ではないかと思います。明治時代ではあるまいし、今の世の中にイエとは何だと言われるかもしれませんが、だからこそ、現代社会との乖離が大きく闇は深いのです。
 そこで、これから何回かグローバル化の時代における「家」について考えてみたいと思います。といっても、家を媒介にしてグローバル化を超えよう、などといった家を評価しようとする視点は私には一切ありません。依然として、家は個人にとって桎梏でしかないものだと思っています。あえていうなら、否定的媒介といいましょう。花田清輝ではありませんが。