民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

改訂版長野県道祖神一覧

2016-02-29 11:53:34 | 民俗学

 『長野県中・南部の石造物』の付録につけた道祖神一覧が誤りがたくさんありましたので、原資料にあたって確認し改訂版をだすことになりました。今は分担して確認作業をしているのですが、じっくり確認していると思わぬ発見があります。先日は旧梓川村の確認をしたのですが、まずその数が多いことに驚きました。小さなムラに必ず1体はありそうです。文字碑が多いのですが、その文字が見事な書です。誰が字を書いたのか、「〇〇謹書」と書家の名前まで刻んであるものがいくつもあります。

一番驚いたのは、「道祖」の文字を刻んだ下に、双体像のレリーフを刻んだものが2体あったことです。今回は、文字碑・双体像・奇石・陽石くらいの種別にしてありますが、文字+双体像というものがあったのです。ここには書としての文字への思い入れのようなものが感じられるのです。文字のお師匠さんのような人がいたのでしょうか。もう一つは、道陸神と彫ったものが1体ありました。石工が北信からやってきたのでしょうか。1体だけあるというのが、不思議なきがしました。

というように、つぶさに点検していけば、まだまだ面白いことが発見されるような気がします。


ニュースの選択

2016-02-26 06:33:37 | 政治

かなり前から、ネットニュースをみるからと、新聞をとらない人が増えているようです。それに対応するために新聞社はネットでの配信に力を入れつつあります。娘そんな部署で仕事をしているようです。

そのネットニュースですが、いったいどうしたものでしょう。W10のエッジやら、ニュースのサイトには、形よく並べられた関連しそうなニュースの見出しが並んで、さも情報収集に便利に見えます。ではそのソースは何なのでしょうか。新聞名を書いてあればまだしも、誰が書いたかわからないようなニュースがたくさんありますし、どういう基準で選ばれたのかさっぱりわかりません。意図的にネット上で世論を形成しようとすれば、簡単にできるような塩梅です。新聞が偏向していると政府がつっつくなどちゃんちゃらおかしいほど、ネットでのニュースの選び方って偏向していませんかね。見ている側は、ほとんどそれに注意を払っていません。こいつは学校で教えるべきです。


原武史 『「昭和原武天皇実録」を読む』を読む

2016-02-24 19:17:47 | 政治

 原武史の前著『昭和天皇』の続編のようなもので、著者が強く主張するものはありません。『昭和天皇』で取り上げたことの、裏付けを実録からとるような筆致でした。主要論点として感じたことをまとめますと、以下のとおりです。

1 貞明皇后(大正天皇の皇后)と昭和天皇との確執と政治への関与

2 昭和天皇の退位問題

3 敗戦時における昭和天皇の退位問題

4 天皇家とキリスト教

 これらは前著でも問題にされていたことです。新しく指摘されているのは、現天皇妃、美智子との結婚に際して昭和天皇の后が示した難色、公的編纂になる『実録』の記述の限界、とりわけ現天皇に関する事項についての未記入があることなどです。 昭和天皇の退位問題について、次のように述べます。

 序論で触れたように、「実録」の最大の問題の一つは、占領期における天皇の退位の可能性についてまったく触れていないことです。「実録」だけを読んでいると、天皇は退位について考えたことなどないかのような印象を受けてしまいます。

 正田美智子との結婚については、「つまり、(昭和)天皇と皇后の態度がまったく違うわけです。香淳皇后がこの結婚にどうも難色を示していることが入江の日記にはくわしく記されていますが、「実録」からはまったく見えてきません。」と述べます。

 原武史は昭和天皇と実母の貞明皇后との不和にこだわりがあり、このことをどうしても強く主張したいようです。終戦が遅れたのも、昭和天皇が神祀りに取りつかれている母に気を使ったがゆえに、延ばし延ばしとなってしまったのだとしたら、どうしようもない話です。それこそ天皇制など廃止すべきです。

 


確定申告

2016-02-23 17:14:24 | その他

3回目ですから、待ち時間は長いにしても、何の問題もなくスムーズにいくだろうと確定申告にでかけました。案の定混んでいました。40分以上列に並んで、ようやく自分の番になりました。事前準備で名前を書いたりして、用意してきた書類を係りの人に見せると、銀行から来た特定口座なんちゃらという書類に目を留め、特定口座の書類がないと申告できないといいます。そいつだけ除いて、せっかく来たからほかのものだけでとりあえず申告させてくれというも、一度申告したら修正できないからダメだという。こんな書類持って来たくないし、昨年は出した覚えがなかったのに、妻の持って行ってみて相談したらいいという口車にのったのがいけませんでした。長く待ったのくそ、と腹を立てて急いで家に帰り、銀行に確認してみると、そいつは確定申告には必要ないとのこと。おまけに、一緒に行った妻は同じ書類があったにもかかわらず、これは必要ないと省いてくれて、申告ができたとのこと。なんたるちや。不必要な書類を持って行った自分が馬鹿だけど、不必要と判断してくれなかった税務署員もひどいじゃありませんか。腹立たしいから、家でパソで自力入力しようと試みましたが、昨年の申告書を見ても、結果しか印字されていませんから、申告の数字をどこに記入したら、最終書類に印字されるのかわかりません。よって、こいつもギブアップです。てなことで、無駄に腹立たしく半日を費やしてしまったのです。それにしても、あの税務署の込み具合とパソの申告書類のわかりにくさは、何とかならないものでしょうか。税務署の事だから皆文句も言わずに我慢して並んで待ちますが、他の役所だったら文句タラタラだと思います。

ああ、また並んでの申告に行ってこなければなりません。


小熊英二『生きて帰ってきた男ーある日本兵の戦争と戦後』(岩波新書)読了

2016-02-14 21:30:52 | Weblog

記憶とは、聞き手と語り手の相互作用によって作られるものだ。歴史というものも、そうした相互作用の一形態である。声を聞き、それに意味を与えようとする努力そのものを「歴史」とよぶのだ、といってもいい。
過去の事実や経験は、聞く側が働きかけ、意味を与えていってこそ、永らえることができる。それをせずにいれば、事実や経験は滅び、その声に耳を傾けなかった者たちも足場を失う。その二つのうち、どちらを選ぶかは、今を生きている者たちの選択にまかされている。

  「あとがき」から引用しました。大部なオーラルヒストリーです。民俗学の手法は聞き書きですから民俗学をする者にとっては、珍しいものではありません。しかし本書は歴史家がまとめた聞き書きですから、文書史料を扱っている歴史家にとっては珍しいものだといえるでしょう。私たちはライフヒストリーといってきましたが、民俗学の分野に偏った質問をしなければ、話者は自分の人生経験の印象的な部分を語りたがります。それは、自分の幼いころの話だったり、仕事で苦労したことであったり、姑との確執であったりします。丁寧にききとったライフヒストリーだけで一冊を編んだ、野本寛一先生の著書もあります。しかし、ライフヒストリーが学問的に利用されることは少ないと思います。それは、ライフヒストリーという資料は、あくまで個人の経験の範囲内にとどまるもので、普遍化されるものではないと考えられているからです。

 では、民俗学でする聞き書きとライフヒストリーはどこが異なるかといえば、民俗学でする聞き書きは個人的な体験ではなく、同じ伝承なり習俗を行う多くの人々の中の一人として、質問し答えを得るわけです。ですから、質問の内容は個人的経験ではなく、話者の生活している地域で広く伝承されてきたと考えられる事項に限られるのです。

 話者が一番話したいことを聞き記録すべきだと私も思ってきました、しかしそれを学問の俎上に乗せることができるのか、わからないままできました。個人的経験をいくつ積み重ねたところで、個人的な経験にすぎないからです。民俗学全体で見ても、オーラルヒストリーをどうやって位置づけるかは方法的に定まってはいません。
 ところが、本書は聞き書きを歴史の中に位置づけたのです。「同時代の経済、政策、法制などに留意しながら、当時の階層移動・学歴取得・職業選択・産業構造などにの状況を、一人の人物を通して描い」たのです。しかも、主人公は著者の父親です。これはなかなかできることではありません。

 さて、では民俗学として本書から何を学ぶかです。ウーン難しい。後日を期します。


啄木の短歌

2016-02-14 21:05:03 | その他

 啄木生誕130年だといいます。今年牧水の企画展をやるのに調べたら、赤貧の啄木の最後を看取ったのは牧水だったというのです。むろん牧水だってどん底生活でした。

 啄木の短歌に、「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ」というものがあります。この短歌には忘れられない苦い思い出があります。

 君はまさか新婚旅行にいくなどといって休みをとったりしないだろうね。あんな恥ずかしいことはないからな。

とその校長はいいました。私の婚礼に、礼儀と思って仲人を依頼しましたが、もっと適任者がいるだろうといってあっさり断られました。断ってもらったのを幸いに、依頼したという形は残りましたから、私も妻も知っている先輩に依頼しました。幾日かして婚礼の招待状を差し上げたところ、その日は都合が悪いと断られました。教頭にも教務主任にも都合が悪いと断られました。そこまでいくと、こいつは何かあるなと鈍感な私にもわかりました。当時は妻と半同棲のような暮らしをしていました。今なら当たり前ですが、当時は眉をひそめられるような出来事だったと思います。そんな噂を誰かから聞いて、日ごろから従順でなかったこともあって、校長は私に腹を立ていやがらせをしたのだと思いました。先の休みなどとらないだろうなというのは、婚礼の招待状を渡したときの言葉でした。宛名に先生と書いてあるだけで「校長先生」となかったこと、平服で会費制でお願いしますとあったのも、気に入らなかったようです。婚礼のすぐ後に休みを取るのは忙しい時期に不可能と始めっから思っていたので、休みをとるなといわれてもダメージは感じませんでした。しかし、よく考えてみれば、ひどいパワハラですね。その人は、いうことを聞かない職員に「そんなこというなら○○(山間地の学校)へ飛ばすぞ」とおどしたという話を、後日聞きました。

 婚礼の次の日、校長のところへ挨拶にいきました。そのとき、君の為にこの短冊を書いたといって渡されたのが、啄木のこの短歌でした。どういう意味なのかその場ではよくわからず、祝いにくれたものですから、お礼を述べていただきました。

 よく考えてその短冊は廃棄しました。その後、「友がみな我よりえらくみえる」こともなく退職を迎えることができました。というより、友がえらく見えるような水準で競い合うことはなかったのです。自分には民俗学がありましたから。


自民党のおごり

2016-02-13 05:03:41 | 政治

 最近、自民党議員の行いに歯止めが効かなくなってきていると感じます。自分たちあるいは自分の発言に反対など野党はできない、野党を少し挑発したり馬鹿にしたりした物言いの方が、有権者に受ける、とでも思っているかのようです。公平でないマスコミは電波法で罰するとかエコなどと唱えていても始まらないとか、金をもらっておいて自分の生き方に反するから大臣をやめるなどと泣いてみせる等。世の中の人々皆が、あなたは正しい、反対する方が変なのだ、と自分の味方をしてくれるものと信じ切っている。いったいこれってどういうことでしょう。

世の中は多様な意見や多様な生き方で満ち溢れているはずです。こんな横柄な物のいいように人を跪かせるとしたら、民主主義国家ではありません。こんなにの品性のない人たちをのさばらせていいものでしょうか。


新しい物語の形

2016-02-10 20:28:37 | 文学

 かつての吟遊詩人の物語の定番は、未熟な若者が様々な苦難を経て一人前の大人、あるいは王へと成長するという物語でした。若くて未熟というのがポイントで、聞き手をハラハラドキドキさせるのです。アーサー王物語、日本では甲賀三郎伝説などがありますね。

ところが、最近のテレビドラマや小説には、年寄りを主人公として冒険をさせるという物語がでてきました。朝日新聞に連載されている、沢木耕太郎の「春に散る」という新聞小説があります。沢木耕太郎の作品は、やはり新聞小説の「一瞬の夏」を読んだだけでした。あれは、晩年の ボクサーが最後の復活を願って努力する物語でした。今度は、老ボクサー仲間が主人公の物語です。テレビでは三屋清左衛門残日録を北大路欣也が演じています。爺さんにしてはカッコよすぎるのですが、年寄りが主人公で若者にごして活躍する物語がいくつもでてきました。

物語の受け手に老人が多くなりましたから、主人公も老人にしたほうが共感を得られるのでしょう。当然です。しかし、老人を主人公にしたら結末をどうするのでしょうか。成長物語とはいきません。かといって、この物語の主人公たちは年をとってさとっているわけでも、翁さびているわけでもありません。これらの主人公、これからでてくる老人の主人公たちがどのような結末を迎えるのか。小説家の想像力が楽しみです。


学芸員という仕事

2016-02-09 17:45:31 | その他

 嘱託ではあるが博物館に勤めてもうすぐ2年となります。学芸員の資格はありませんが、学芸員のような仕事をしてきました。民俗をしている仲間には学芸員も多数いますから、今までもわかったようなつもりでいましたが、実際に組織の中に身を置いてみてわかったことがたくさんありました。

 博物館の仕事には、資料を展示するほかに調査研究、資料収集、教育普及などといった仕事があります。これらの仕事のうち、ほとんど手が付けられていないのは、調査研究・資料収集だと思います。まず、人手が不足しています。少ない人員でやりくりするとなったら、まず新しい資料の収集だとか研究活動が削られてしまいます。この二つはなくても外部からはわかりませんので、学芸員自身がそうした活動をしないことに、慣れてしまいます。時間があってもやらなくなってしまいます。もっとも、時間はあってもお金のかかることは前年度の9月頃に細かな計画を立てて費用を算出し、予算を計上しておかないことにはお金はありません。今の仕事をやりつつ来年度の計画をたてるのは、かなり難しいと感じました。公務員なら当たり前のコトかもしれませんが、お金の自由は本当にききません。

では、学芸員の実際の仕事は何かといえば、メインは企画展示でありそれ以外は各種講座の開催だと思います。企画展というやつがくせものです。学芸員は必ずしも自分の専門として勉強してきた分野やテーマでなくとも担当しなければなりません。そこで、関連書籍を読み泥縄とでもいっていいあわただしさで、企画展の準備をし解説をかきます。解説はじつは専門書のリライトです。難しい内容を、市民向けにわかりやすく翻訳するのだといってもよいでしょう。つまり、学芸員とは翻訳家だともいえるのです。ところが、学芸員はここで勘違いしてしまいます。自分があたかも専門家であると、研究者のはしくれであると。研究をしない、論文を書かない、解説しか書いていないにもかかわらずです。もちろん、自分の研究分野を持ち仕事は仕事として地道に研究を続ける学芸員もいないことはありません。しかし、それは少数に過ぎないとわかりました。にもかかわらず、勘違いしてしまう人が多いのです。

自分が学芸員に幻想を抱いていたのです。学校の先生なら何でも知っていると思われるのと同じことです。学芸員も公務員なのです。そして専門職としてではなく、公務員として任用されているのです。