私の母は昨年の2月に食事をしなくなり、体力も気力も衰えて危ないかもしれないといわれました。そこで、近くの葬儀場を下見したりどんな葬式にするか考えました。ところが何とか今年3月まで1年間持ちこたえてくれました。結構時間があったので、いろいろと考えることができました。できれば家族葬にしたいと思いました。しかし、葬式に出られなかったからと後から弔問にこられても実家は普段留守ですから、来た人には失礼してしまいます。狭い地域社会で生きて来た母ですから、施設に入ってから隣組は抜けたといっても近隣の方との付き合いは長いものがあります。また、葬式組である庚申講の方たちとの付き合いは私の代になってからも続けています。そこで当初は、隣組の方々の葬式のお手伝い(受付)は辞退して葬式への参加も断り、今もつきあいが続く庚申講の方たちに受付をお願いしようと思っていました。また、通夜をどこでやるか悩みました。自宅でやって近隣や親族にきてもらったら、接待などで大変です。かといって隣近所の方々は、最後の別れもしたいだろうし亡くなった母も会いたいだろうし。そこで、いったん実家に帰して安置し、近隣の皆さんとのお別れをして葬儀会場に移送して通夜をしようと考えました。施設から直接葬儀会場に行くよりも、いったん家に帰った方が母も喜ぶだろうし。
そんなことを思っていたら、新型コロナウィルスの流行が重なりました。葬式してもいいかと悩む人がいるとも業者には聞きました。そこで急きょ決断し、親族葬として新聞にものせないこととしました。近隣の方と庚申講の皆さんには、コロナを理由にして葬式への参加を見合わせていただくようにお願いしました。結局、庚申講の皆さんは精進落としには参加されなかったのですが、葬儀には参列させてくれということで参加されました。それで、親族と庚申講の方たちだけで小さな葬式をすることができました。顔見知りだけでしたので、温かな葬式ができたと思います。長く考えたことにコロナが重なった結果の葬儀の形態でした。