民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

移動と定住もしくは自由と同調圧力

2018-10-29 10:58:53 | 民俗学

先日別所温泉から山中に入った、野倉という集落で民俗の会の例会があり、行ってきました。
「野倉」は温泉地別所から車で10分か15分の所にあります。山の中の村でありながら33戸中10戸が外から移住した人々というムラです。そこの、新住民の集会所を兼ねた民俗資料館に、新住民の方5人ほどに来ていただき、ここに移住する契機とか地元の人たちとの人間関係について、話を聞かせていただきました。

移住してきた人々は、それぞれライフヒストリーを聞かせてもらえば半日は少なくともかかるような方々です。最初に移住されてきた方は、30年以上前に来られたといいます。他所では30年もたてば新住民とはいいませんが、ここではその方は強く移住者でという意識を持っておられます。焼き物をしたり、エコな生き方を実践したりしながら、喫茶店をこの場所でやられていました。エーこんな山の中で喫茶店?と思いましたが、午後になると次々と車でお客が訪れ、10台くらいが駐車場に並びました。

コロラド州で生れたというアメリカ人の女性の美術家、インドにも住んでいたという薬屋さん、建築士、それぞれ自然の中でゆったりと暮らすことを求めて移住したみたいです。自営業の自由人がほとんどみたいです。自分のコンセプトに合う場所ならどこに住んでもいいという、自由な考えをもった人々です。月に1回は飲み会を兼ねた情報交換会を開いているようですが、土着の方たちにも公開し自由に参加を呼び掛けているが、土着の方々はみな勤め人かリタイアした人は長く歩けないこともあって、ほとんど参加はないそうです。移住してきた方々と話していると、なにか価値観が違って楽しく幸せそうな感じです。土着するって何なのでしょう。

いろいろ話をきいていて、こんな質問をした仲間がいました。「土着の人がいなくて、移住者だけの集落だったら、もって自由にできるとか思いませんか」。確かに移住者も集落の自治会に入り、道普請に参加したりムラの祭りに参加したり半ば義務としてでしょうが、参加しているといいます。それで、そんな質問になったのです。この質問にたいして、移住して30年以上になるという方から、こんな答えが返ってきました。

いや、そんなことはできな。目にする山も畑も、何百年もムラの人々が守ってきてくれたから現在があるのであって、移住者が何の規制もなく好き勝手なことをしたら、それこそムラは崩壊してしまいます。だから、先人に敬意を払わなくてはなりません。

こうした意識で移住者が土着の人とお付き合いをしていけば、野倉という集落はこれから先も続いていくのだろうなと思わされました。


上高地晩秋

2018-10-24 11:03:52 | その他
前回訪れた上高地は天気が悪く、大正池方面は歩けなかったので、紅葉の盛で天気の良い日を見計らい、日帰りでまた上高地へ行って来ました。7時過ぎに家を出て、午後4時頃帰って来ました。もちろん公共交通機関でです。
先週は天気予報が良くなかったので、今週にしたのですが、上高地は紅葉の盛は過ぎてしまい、カラ松が色付いていました。紅葉は稲核から上で、上高地より下ったあたりが真っ盛りでした。

これから紅葉は下へ下へと下って来るでしょう。

『民俗学断章』読了

2018-10-02 10:08:10 | 民俗学

最近図書館で、篠原徹さんの『民俗学断章』(社会評論社)をみつけて読みました。

見過ぎ世過ぎとして民俗学を標榜して生きてきたが、我が親友であった人類学者・掛谷誠は「人類学者は詩を書かない詩人なんや」と言っていた。その顰みに倣って「民俗学者は詩を書かない詩人なんや」と居直ることにしたい。詩は人びとの心に響くが、一銭のお金にもならず経世済民など何の関係もない。ただ、一編の詩がいつかどこかで世の中を変えていくことがあるかもしれないことを信じるしかないであろう。

「あとがき」に、篠原さんは来し方を振り返ってこんなことを書いています。これと同じようなことを新聞記者の前で語って、随分たたかれた思いが、若い頃の思い出としてあります。学問はすぐにでも役に立たなければならないという風潮は益々高まっていますね。若手の民俗学研究者は、どんなふうに読むのでしょうかね。

 この本はたまたま図書館で見つけて読みましたが、最近この手の本ーつまり自分の人生や研究誌を振り返るといったーを送っていただいたり買ったりして読む機会が多いです。福田アジオ『民俗に学んで六〇年 純粋培養民俗学徒の悪戦苦闘』松崎憲三『民俗学がめざすもの』田中宣一『柳田国男・伝承の発見』などです。名前を知っていたり交流させてもらっている研究者が、引退の時を迎えているということでしょうか。それに触発されてということもあり、自分でも前回出版した『民俗と地域社会』出版以後に書き散らしたものを、まとめて一冊にしようという気になり、現在編集中です。とはいえ、民俗学者ではありませんから、議論は錯綜し1冊の中で深まるような研究書とはなりません。あと2か月ほど先でしょうか。


ナルとは何か

2018-10-01 09:44:13 | Weblog

先月はほとんど毎週末に、安曇野市穂高矢原神明宮の秋祭りに曳かれるコドモブネと山車の調査にでかけていました。

安曇野では、祭で曳く山車・屋台をフネと呼ぶ地域が多く、実際に船形に作ります。作りますというのは、フネは骨組だけは毎年同じ物を保存しておいて使いますが、それを中に入れて外側は毎年新しく作るのです。週末ごとに年番の地域住民が公民館に集まって、フネを制作します。写真を見てください。

ダイシャに骨組みを縛り付け、人形を飾り幕を張るといった工程がわかると思います。時間がかかるのは、ハラと呼ぶフネの前後のふくらんで幕をかけてある部分の制作です。ハラは前を「オトコバラ」後ろを「オンナバラ」といい、オンナバラを大きく(妊娠を表しているのでしょう)作ります。この時使うのは、曲げて縛り付けても折れてしまわない、山から切ってきたナルと呼ぶ、真っ直ぐな木です。最初の写真に示しました。ナルは樹種ではエゴノキとウリハダカエデだそうです。

地元の調査員の方から、ナルとは元々の意味はなんでしょうかと聞かれました。何か標準語が本になって作られた地方名かと。松本近辺で通常の会話で使われる、いや使われたといった方がいいでしょうか、「ナル」とは、つるになる畑の作物の支柱ーこれをテといいますがーをいいます。今はホームセンターで買ってきますが、以前は真っ直ぐな細い棒を山から切ってきて使いました。畑に使うナルよりも太いものをとってきて、フネのハラの部分を作るのです。

おフネを作っている地区では、ほとんどナルを使います。ただ、毎年切ってきて作るのは大変だと、竹を割って作って何年も使いまわしている地区もあるようですが、そこでも以前はナルで作っていました。この「ナル」です。普通名詞が先にあって後から地方名がそれに倣ってできたとは考えない方がいいですと私がいうと、作物のテに使うのだから「実が成る」のナルかねといわれました。

どうもすっきりとしないで、『総合日本民俗語彙』で調べてみました。すると、「ナル」には「ナルイ所を意味していると推測できる」とあり、どうもピッタリしません。ナルの次に「ナルキ」とあり、それがふさわしい気がします。次のように説明しています。

ナルキ 長野県ではハザの横に渡す棒や竿をナルという。静岡県磐田郡でもナル・ナロは稲架である。和歌山県でも淡路でもともにナルであって、ナルイは同時に平坦なるを意味する形容詞であるが、それが一転してそのナルに用いられるような細丸田をナルキまたはナルンボウという土地も多い。云々

稲に注目して説明しようとするあたりは、柳田におもねているような気がしないでもないです。ハゼギとナルとは意識として一緒にはなりません。稲架木の方が太いものですから。さて、ナルとは何なのでしょうか。