小布施の北斎館へ富嶽36景展を見に行きました。北斎は、36では描きたりず100景を描いて3冊の本にして出版していることも、展示で知りました。初めて36景全てを見ましたが、その構図たるや日本画、浮世絵の範疇ではなく、今の絵画に通ずるように思われました。また、観察が細かく、36景に描かれた江戸時代の庶民の暮らしとのテーマで、民俗の論文が書けそうな気がしました。モースの「日本その日その日」を今読んでますが、そこにでてくる暮らしぶりが絵でわかる気がしました。みんな重いものを軽々と背負ったり、褌だけで働いたり、野山に弁当持って出かけて景色を楽しんだりしています。
北斎は80過ぎて小布施に来て、多くの作品を残しています。小布施の豪商、高井鴻山がパトロンとなって創作活動を支えたのです。80になって江戸と行き来をした北斎はただものではありません。90歳ころ江戸で亡くなったのですが、死ぬまで創作意欲が絶えることはなく、絵は進化し続け、あと10年か20年あれば自分の画業も大成できるのにといったそうですから、これもすごい。江戸末期の平均寿命はおそらく60歳程度だったでしょうから、80で小布施出での画業は超高齢者のなせる技なのに、作品は龍や鳳凰ほとばしる波などエネルギーに満ちています。 自分もこれから一仕事どころか二も三もやらねばならないと、エネルギーをもらいました。
それ以上に気になったのは、高井鴻山という人です。学問芸術に通じた豪商にして北斎のパトロン。写真は彼の書斎と北斎のために作ったアトリエです。
彼の所へは幕末の志士も多く訪れたため、もしもの時のために抜け穴も用意してあったといいます。真中の縁側の隅にありました。もう一つ、屋内の押入れと見せかけたところにも二階から一階床下に通ずる抜け穴がありました。お上にたてつくことを、豪商としてはどう考えていたのでしょうか。正しいことをしていると思わなければ、とてもこんな細工はできません。武士に庶民はペコペコして頭が上がらなかったのではないようなのです。そして、どういうことなのか理解に苦しむのは、北斎に師事して後の高井鴻山は、妖怪の絵を得意と
したというのです。ゲゲゲの鬼太郎を思わせる左の絵は、知り合いの子どもの誕生祝いにあげたものだそうです。これをもらった側は、どうおもったのでしょうか。解説では、彼は老荘思想に通じ、全ての自然に命があると感じてそれを妖怪の形で表現したとありますが、納得できる説明ではないように思います。商売にはからきし不熱心で、学問と放蕩につぎ込み、破産してしまう高井鴻山という人物にも興味をひかれます。誰か北斎と高井鴻山とを小説にしたら面白いだろうと思います。