民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

経済格差と教育

2006-07-31 21:40:28 | 教育
 朝日で偽請負社員のことを大きく取り上げてあったが、派遣社員の方がまだましなのだろうか。派遣で働く親たちの実態を書いてみたい。
 I君の保護者は東北地方から、派遣されてきた。なぜこの地を選んだかはわからないが、仕事のある所ならどこでも行くのだろう。学校へは参観など1度も来たことがない。休みなどとると、首になってしまうといっているが、あながちそれは嘘ではないように思う。次にいつどこへいくのかもわからない。障害のあるI君にとって、将来を見据えられないことは、今の教育の方針もはっきりとは定まらず、流れていかざるをえない。
 もっとひどいのは、外国籍の子どもたちだ。ブラジル籍の保護者のほとんどが、人材派遣会社の世話でやってくる。そして、会社の意向で、突然今日言われて明日にでも全く見ず知らずの土地の会社に派遣されていく。学校では子どもと別れを惜しむ間もなく、気がついたら居なくなっていたことがけっこうある。当事者の子どもにすれば、学校はほんの腰掛にすぎなくなってしまうのは当然だし、生徒指導上の問題が起こっても仕方ない。
 こうした労働形態がますます広がり、日本人も住みなれた地、故郷のない大人が育っていくとすれば、今学校が地域との連携などといっていることは、全く意味を成さない目くらましだということになる。政策の負の部分を学校に押し付けながら、うまくいかないことを教員の力量のなさにする国会議員の見識のなさにあきれてしまう。教員免許の更新を云々する以前に、議員自身の馬鹿さ加減をなぜ恥じないのだ。将来を見通した政策のなさに言葉も出ない。

川田順造「人類学的認識論のために」を読む

2006-07-30 17:09:45 | 民俗学
 ようやくにして夏休みに突入した。せめて夏休みくらいは学校のことを離れ、自分自身に肥料をあげないと、枯れてしまうかうつ病になってしまう。ということで、書かねばならない原稿をさておいて読み始めたのは日本文化人類学会賞をとった、川田順造の標記の著書である。川田先生は『広野から』を読んでその叙情性にうたれたものである。学会の年会で時々拝見し、懇親会でお話したこともある。そのときの印象は、大変理知的であり、この人があんな文章を書くのかと、人と文章が一致しないというものだった。
 読み始めたのは終章から。「第10章 旅人の目がとらえるものー柳田国男「清館哀史」を問い直すー」である。柳田の清光館哀史は教科書にあり、哀愁を帯びた文章が強く印象に残った。それを、「広野から」を書いた川田が論ずるのであるから、期待もふくらもうというものであるし、終章においた以上は、この著書の結論めいたものがまず読み取れるだろうと思ったのである。期待は外れなかったが、詩人が詩人を語るという筋ではなく、民俗学者(人類学者)は、フィールド(見られる者)に対して、自らの叙情を押し付けた記述をしたのでは対象の真実を見誤るという警鐘であった。
 見る者と見られる者、調査者と調査される者との関係は昔から随分論議されてきた。川田はこの関係は一方的なものでなく、あくまで相互作用だといいたいようである。調査する中で、意味のわからないこと、または行為に対して自分自身の下した解釈をなぜ調査される側に問わなかったのか、もっと具体的にいえば、柳田は勝手に清光館の人々に対して悲しみの念を持ったり、地元の盆踊りに自分の解釈を押し付けたりしたが、疑問とすることをなぜ率直に調査される側にきかなかったのかと何度も問うのである。とはいえ、当事者にもわからないで、旅人の目によって発見される心性がある、という目配りも忘れない。
 ここで見出される調査する側の態度は、フィールドの人々を記述するのではなく、あくまで生身の人間としてのAさんBさんとの関係に足場をおいた具体的な姿を記述し、記述したことをAさんBさんに対して責任をもつことのように思われるのである。深く深く考えさせられる1冊であり、1934年生まれの著者が、こんなにも若々しい感性で居続けていることに驚くのである。