民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

今年できたことできなかったこと

2016-12-31 09:50:30 | 民俗学

 いよいよ2016年も本日限り。妻は今日から実家へ戻って、介護の年取り。自分の母親は、昨日日帰りで帰宅させ、1日自宅で過ごしました。息子は、今夜友達と飲むというので、一人静かな年取りになりそうです。

 さて、今年何ができたかできなかったか、まとめておこうと思います。3月に嘱託公務員をやめて4月からは年金生活となりました。そんな中でできたのは、民俗の会『会報』と『信濃』1月号の編集です。民俗の会『通信』は原稿集めまでして、編集担当にお任せした号がいくつもありました。それから、出版社からの依頼原稿で、「祝祭日と年中行事」を書きました。来年には刊行になるでしょう。それから、『信濃』で原稿が不足しているというので、前年度に芳川公民館で話した内容を整理して、「現代社会と民俗学」を書きました。民俗の会の仕事としては、道祖神一覧の中信地方の一部分と東信地方をまとめました。先輩を訪ねてという企画で、上田の田口先生を訪問してお話をうかがいました。会議では塩尻市の文化財審議会に参加したり、釡井庵で講演を依頼され桔梗が原の狐について話をしました。大町市の文化財審議会はあったのかどうか思い出せません。それから、神奈川大学の大学院生の松本合宿で話をするように依頼され、三九郎を中心にした話をしました。

 できなかったことでは、小学校2校に依頼して、小正月と三九郎のアンケートをとったのですが、院生への話に取り込んだだけで、まだ論文としてはまとめられていません。きちんとした論文にまとめられず、来年の早いうちに書き上げたいと思います。民俗の会の『通信』のデジタル化は途中でやりっぱなしです。道祖神一覧ができたら、やってしまいたいです。道祖神一覧は、自分の分担部分がわずか残ってしまい、佐久の図書館にもう一回だけ行かなければなりません。

 ここでは民俗学にかかわる部分だけを振り返ってみました。来年なにをするのか。正月に、たぶん新聞の正月特集のネタに使うのでしょうが、地元の新聞記者のインタビューを受けます。以前にその新聞社に書いた子どもに関する本の文章を読んで、という記者の依頼でしたが、正直何を書いたのか随分以前のことで忘れてしまっています。また、早々に天龍村向方の「お潔め祭り」の見学があります。その後、何をテーマとしていくか。今年は依頼原稿がありましたので、小正月の変容が結果としてテーマとなりました。さて、来年は。都市の民俗を考えてみたいなと思いますし、一方では友人の購入した山中の家を訪ねて山の民俗を考え直してみたいという思いもあります。


アジールと現代社会

2016-12-27 09:20:40 | Weblog

網野善彦が発見したと思っていた日本のアジールは、実は戦前にあの平泉澄が見つけていたということが、『僕の叔父さん網野善彦』を読んでわかりました。平泉といえば、東大の研究室に神棚を作って神を祀っていたという軍国主義の権化のような学者です。その平泉が若いころ、対馬の土着宗教(山岳修験のようなものか)の聖地に、世俗の支配が全く及ばないアジールを見出します。着眼点は斬新だったのですが、その論文は全くつまらない結論で締めくくられます。

けだしアジールなるものは、専断苛酷の刑罰、または違法の暴力の跋扈する乱世においてのみ存在の意義を有するところの、一種変態の風習なるが故に、確固たる政府ありて、正当なる保護と刑罰とを当局の手に掌握するときには、アジールは存在の意義を有せず、しいて存在せしむれば百害あって一利なきこと明らかである。この故に厳明なる政府が完全なる統治を実現せんとするときは、かくのごとき治外法権を否定するは当然のことである。

網野は、戦後の歴史学が軍国主義のレッテルを貼って戦前の研究を一切認めなかったことを批判しつつも、この結論のつまらなさに言及したという。中沢もこの結論には幻滅しているし、もちろん私も幻滅です。で、幻滅しつつこの結論は安部の政治スタンスに通ずるものではないかと思ったのです。民は自由にして置いたら規範の及ばない場所に行ってしまう。そうした民を許すのは国の完全なる統治が及んでいないからである。よって、憲法を改定する必要があるのだという論理です。ここには人間が本来的に持っている「自由」への渇望という視点は全くありません。民は統治すべきものとしてあるわけです。自由を全く認めないのを「国家主義」というならば、現代に国家主義がよみがえっていると私は思います。

アジールを認めない政治信条は、沖縄を認めることもありません。国の統治に従わない人間を、国民とは認めないのです。ここから学問を尊ぶという気風は生まれてきません。なんという国に成り下がってしまったのでしょうか。


生前退位

2016-12-26 15:11:56 | 民俗学

 生前退位について有識者会議なるものの意見が出そろい、特別立法でという方向になりそうである。有識者会議という「有識者」を誰にするかは現政権(行政)が任命するものであるから、これが政権の考える方向なのだろう。最近は第3者委員会なるものを恣意的に組織して、あたかも客観的な結論であるかのごとき体裁をとって、都合の良い結論を導くのが行政の常とう手段である。退位を認めることを現天皇の思いに応える特別なもので、恒久的には退位は認めないというのが、保守論者の共通見解のようである。その理由は、天皇制が不安定なものになる・天皇は国事行為と宮中祭祀が仕事であるから、自分で勝手に仕事を拡大しておいてそれができなくなったから退位するんどというのはおかしい・天皇は何もしなくて在るだけで尊い存在なのだから・宮中祭祀がその仕事、国事行為はできなければ他の皇族がかわればいい、等である。

 確かに現天皇が国民と共にあろうとし象徴天皇のあるべき姿を模索するうち、自らの仕事を拡大してきたのは事実である。だから、できないなら、それをやめて最小限度の仕事に限ればいい、天皇は存在するだけで絶対的な存在だというのは、天皇制の本質を理解しない発言である。天皇とは本来神の声を民に伝える器としてあった。神の声を聴くという職能にふさわしい者がなるべき役割である。そうした適性がないならば、そうした修練を積まなければならないのだ。だから、血筋で天皇となり在るだけで尊いなどとはいえない。そのことを一番わかっているのは現天皇だと思われる。神がかりする力は誰にもあるわけではない。熱心に祭祀に取り組むのとは、また別次元の話である。そこで、ナカツスメラミコトとしてではなく象徴としての天皇になろうと努めたのである。それが、膝をついての被災者などとの対話となった。誠心誠意、象徴となろうと努めて今の天皇がある。自分が神ではなく、存在するだけで尊いなどとはいえないことはご自身が一番承知されているいるだろう。にもかかわらず、保守論者は戦前の天皇に戻して神の声も聞けない者を神にしようとしている。

 もう十分に頑張りました。天皇さんにはゆっくり休んでいただきたい。


網野善彦に寄せて

2016-12-26 13:58:52 | 読書

『無縁・公界・楽』という本を準備していた頃に網野さんがいだいていた基本的なモチーフを、私は自分のやり方で、おおよそつぎのように理解している。人間の本質をつくっているのは自由な意志であり、それが人間と動物を分けている(この点は平泉澄の出発点と同じである)。自由であるということは、言語や法の体系を自然とはまったく違うやり方で、自ら構成できるという意味をもっている。すると構造主義が言うように、言語も法も恣意的な体系としてつくられ、それが今度は人間を拘束する力をもつようになる。自然が決定しているものから自由でいられる能力が、逆に自由な人間の本質を否定するようになるわけだ。
 そのとき人間の中に、さらに根源的な自由を求める欲望が発生するのである(このことは平泉澄のような人がまったく思いもつかなかったことである)。人間は自然の決定するものから自由であることによって、言語や法や社会的規則の体系をつくりあげ、その体系の高速にしたがって生きるようになった。そのとき同時に、人間の中にはそうした規則の体系を乗り越え、否定していこうとする新しい欲望が生まれる。 中沢新一『僕の叔父さん網野善彦』

 久しぶりに本の世界に引きずり込まれ、読み通してしまいました。中沢新一が書いた網野善彦評伝といえば、それだけで面白そうだと思えるのですが、そこにオジ‐オイという血縁関係の思い入れが入ってきますので、勢いペンは走り話は具体をおびてきます。この本をよみつつ思ったのは、小熊英二が父について書いた本を読んだ時にも感じたのですが、頭のいい人はどうしてこんなにも小さい時からの記憶が確かなのだろうということです。5歳で初めて叔父となる人に会った中沢少年の記憶が、風景にいたるまで鮮やかなのです。こんな叔父がいたら、こんな甥がいたら話ははずんだことだろうと私にも想像できます。また、中沢少年の知性を育んだ中沢家の知の系譜にも驚きました。さもありなんといわせる環境で、強靭な知性は磨かれるのだと思わされたのです。

 網野さんのアジール論の形成過程がよくわかります。そして、網野さんが「自由」についていかに深く考えていたかが、中沢新一との交流の中から浮かび上がります。そして考えました。最近、学校関係の話題で「いじめ」「教職員の不祥事」が毎日というほどとりあげられます。対応といえば、謝罪・研修と決まっています。同じことの繰り返し。私は「いじめ」「教職員の不祥事」に「不登校」を加えて、学校における「自由」の問題をからめて議論すべきだと思います。強く拘束すれば問題はなくなるのか。教職員を規律で縛れば問題はなくなるか、問題行動を規則で縛ればいじめはなくなるのか。人が根源的もっている「自由」を渇望する欲望を抑え込もうとするのが学校という近代以降のシステムでしょうが、それが疲弊しているのではないでしょうか。 当たりまえのように飼いならしたつもりの、「自由」とその前提となる見た目の「平和」がひっくり返されて、底にある根源的な無秩序、根源的な自由が表に姿を現してきているのが現代社会ではないでしょうか。だとすれば、中世以来の歴史の転換点に立って、私たちはもう少し世界の現実の深層をみつめなければなりません。


本屋で本を買う

2016-12-25 09:23:53 | その他

 蔵書の整理をしましたから、最近は安易に本を買わないようにしています。一方で本を処分しながら一方で購入するのは、何だか矛盾した感じがして、本当に買う必要があるかどうか考えるようにしています。そして、やっぱ買おうと思うと本屋に買いに行くのは面倒ですし、近所の本屋ではないことも多いので、ネットで、もっといえばアマゾンで買うことが多いのです。というより、いつもそうしています。とはいえ、年末ですので本屋で背表紙を見ながら、話題の本新刊の本などがあったら買いたいと思い、駅前の丸善にでかけました。本屋に行くのは本当に久しぶりです。一番見たかったのは、集英社新書にいくつか興味を引く書名があることが新聞広告で知りましたので、それを見たかったのです。新聞広告にあったいくつかの書名の本を手に取って見ましたが、読みやすくするために対談形式が多く、お金を出してまで買って書棚に置くのはもったいなく思われました。そんなことを思いつつ背表紙を見ていて予期せぬ本を見つけました。中沢新一の『僕の叔父さん網野善彦』です。書名は聞いたことがありましたが、集英社新書とは知りませんでした。そして、買うことにしました。

 さらに新書の棚を見ていきました。背表紙を見ていくのは本屋にきてこその楽しみです。若いころはこうしていると、2時間3時間はすぐに過ぎてしまいました。今は立っていると疲れたり、老眼鏡をかけないと背表紙だってはっきり見えません。それでも、並んでいる本を見ていくのは楽しい時間です。そして見つけたのは、青木理『日本会議の正体』(平凡社新書)です。日本会議はずっと気になっています。日本会議について書かれた本は他にもありましたが、これが一番かっちりしていそうだったので、こいつも買うことにしました。その隣に、「白川静入門: 真・狂・遊」がありました。白川先生がなくなって10年になるといいます。夏の東洋史・中国文学の共同研究室にステテコ姿でいた白川先生は強烈でした。中国文学概論の講義で聞いた、屈原の講義は講談のようでした。声がまた渋くて大学者の風格がありました。白川先生についての概説のようなものでしたか、これは買うのはやめました。白川先生の衣鉢を継ぐ研究者いないだろうと思います。柳田・折口の真似する者はいても、学問は継ぐ者がいなかったように。偉大すぎるのです。

 そして、民俗関係の棚に移動して背表紙を見て、どうしてもその真っ白な背表紙から目を離すことができなかったのは、ずっと気になりながら厚すぎて買うのをためらっていた、安藤礼二『折口信夫』。値段も気になる。今まで値段までみなかったが、裏返して値段を見ると、3,700円(税別)とあります。この厚さだと、7,000円位かなと思っていたら、意外に安い。ほんとかなと見直すも間違いありません。論文集ではありますが、売れると踏んでつけた値段ですね。4刷となっています。ここまでくれば、もう買うしかありません。決意して読むことにしたのです。


A先生の生き方に学ぶ

2016-12-21 16:55:45 | その他

先日、日帰り温泉の脱衣場で久しぶりにA先生に会って話し込みました。本当に偶然です。

 私が県史刊行会での長い勤務から中学校という学校現場に戻った時、A先生もインドネシアの日本人学校から戻ってきて、同じ学校のA先生が主任私が副主任という役割で勤務しました。私は久しぶりの学校勤務でしたので、理不尽なことがいくつか気になりました。それは多分海外から帰ったA先生も同じように感じたと思います。それで私たちの学年は、その学校の伝統だといわれて続いているおかしなことをいくつも止めました。A主任は柔軟な発想の人でした。その後互いに管理職となり、同期で1・2年勤務し、A先生は定年で私より先にやめました。やめた後のことです。A先生は2度目の勤め先を一切断って、百姓をするといってました。自分も勧められた勤めは断って、家にいて自分の研究だけします、といったのですが、百姓をやるというのは尋常ではありません。A先生のお宅は農家ではありませんから、農業の心得があるわけではありませんし、広い農地があるわけでもありません。なんでも、農業学校へ行って習い、農地は借りるとのこと。続くわけがない、一時のロマンだなと正直、A先生が退職するときに聞いた話には、そう思いました。その後、農地を借りて加工トマトを作っているとか、松川に農地つきの古屋を買ったとかいう話も聞きました、いつまで続くのかな、無理なことを考えたものだぐらいにしか思えませんでした。自分が、ほんのわずかの畑の管理に四苦八苦しているからです。

 風呂で会ったA先生は、若々しく風呂から上がった顔はつやつやとして、本当に健康そうでした。加工トマトは委託生産で機械を使ってやるからそんなに大変ではないといいます。でもスマホで見せてもらった広いトマト畑の苗は、何千本と手で植えるのだそうですし、収穫はかごにとってコンテナに移すからそんなに重くないといいます。聞いただけで気が遠くなりそうです。そのほかに、今年は薬草を試験栽培してみてくれと頼まれて作っているとか。松川に買った家は自分で材料を買ってきて工法を調べ、フローリングにしたり白壁を塗ったりしてリフォームしたそうです。そこには焼き物の工房も設け、農作業の合間には土をこね焼き物をしているといいます。田んぼがあり、田植えと刈り取りは手でやるのだそうです。暖房はもらってきた木材の薪ストーブで、お金のかからないように楽しんでいるのだそうです。なんだか、本当に楽しそうです。合理的な話も聞きました。松川に泊まることはないので、松本から松川まで車で行きかえりをすれば、ガソリン代が何万円もかかります。そこで、三菱の軽の電気自動車にしたそうです。ソーラーで発電した夜間電力で4時間充電すれば、十分に行き来できて、ガソリン代はいらないのだそうです。

 今度A先生の隠れ家に行くこと、徳利が一つほしいとお願いしました。そしたら、そばを打ってごちそうしてくださることになりました。来年尋ねるのが楽しみです。(百姓はしないでしょうが、山に隠れ家を買って自分でリフォームしたか、しているという大学時代の友人もいます。男のロマンでしょうかね。)


真田丸終わる

2016-12-18 20:14:28 | その他

1年間楽しませてもらった、「真田丸」が今日終わりました。判官びいきで、負けに向かって走る真田幸村に心を動かされる人はたくさんいたと思います。ナショナリズムを鼓舞されたように思う人もいるでしょう。義のために死をもいとわないと。しかし、私は別の感想をもちましたし、長野県人の多くもそうだと思います。それは、故郷への捨てがたい思いです。真田の地に思いを残して死んだ昌之はどんな思いだったでしょうか。最近、信繁の真田を恋うる手紙も出てきていますね。真田に帰りたいと思いつつ大阪で死んだ信繁は、どう思っていたのでしょう。秀吉の恩に報いようとしたなら、報いるべき人間はほかに山ほどいます。秀吉恩顧の家来でもない信繁が、日ノ本一の兵と言わしめるほどの働きをして死ぬのは、いったいなぜでしょうか。戦国の最後を飾る武将であることは確かなのですが、あえて不利な戦いでも突き進むのは戦国らしくありません。ドラマでやったように、信繁は勝つつもりだったとしかいえません。

おもかく、信州人の魂を揺さぶるドラマでした。郷土愛が国家を超えるのです。


カジノは手土産

2016-12-15 12:52:14 | 政治

それにしても、何でこんなにカジノ法案を急いだのか。国民にはさっぱりわからない。それで思いついたのが、トランプがホテル王だということです。だったらカジノもあるに違いない。カジノの経営など日本の企業には経験がないから、海外のノウハウに頼らざるを得ない。もっといえば、アメリカ企業の日本進出となりますね。そういえば、安部がトランプに会って話した内容は、部外秘で誰にもしらされていません。もしかして、安部の手土産としてカジノ解禁をトランプに約束したんじゃないか。これって恐ろしい思い付きです。トランプはカジノを経営しているかネットで検索してみると、なんとカジノ経営には失敗して負債を抱えたことがわかりましたが、トランプの大きな後援者がラスベガスのカジノ王であることがわかりました。マスコミは表立って裏をとれないことは報道しませんが、こんなに成立を急いだのは、トランプが大統領に就任する前に手土産を納めるやくそくしたからではないかと想像されるのです。だとしたら、国民を売り渡してまで卑屈にアメリカに臣従したということです。


丸投げの政治を望んだのか

2016-12-15 09:33:44 | 政治

与党に絶対多数を与えるとどうなるか、しっかり見せつけられた1年の締めくくりである。ことにひどいカジノ法案。目先の投資先、それも国民から外国の投資企業が富をむしり取るという博打を、ほとんど審議しないまま認めて、将来のつけの責任は誰がとるというのだろうか。今から何年か先、議員を引退した自民党元議員に「なぜ賛成したのか」と問えば、あの時はみんな賛成して反対できる雰囲気ではなかったというだろう。いつだってそうなのだ。この国の指導的立場にいて、将来にわたってビジョンを作り責任を負わなければならないやつらは、最後に問い詰められれば仕方なかったとか、自分は決定する立場にいなかったと答えるのだ。年金は抜本改革もなく、減らせば何とかなるという場当たり的対応をし、切り捨てて平然としている沖縄では、オスプレイが墜落している。日銀の量的緩和策は行き詰まり、アメリカの利上げに対応する政策はもうない。

何でも政府の決めたようになるのだから、国会で議論する意味などほとんどないと与党は感じていることだろう。聞く耳を持たないから、自民党議員の口調は日々ぞんざいなものになる。何という世の中だろう。品位というものが失われてしまった。戦争に向かっていた昭和のはじめころもこんなふうだったのだろうか。当時は政党ではなく軍部のいいなりに政治は動き、政策失敗の責任をあいまいにするために、次々と新しい局面を開いていった。その挙句が全面戦争となったのだが。安部政権の政策の失敗をロシアとの経済協力という幻想で糊塗し、あたかも大きな成果をあげたかの宣伝をして選挙になだれ込んでいく作戦なのだろうか。もっと将来を見据え、国民に真実を伝え、正しい選択を迫るような政治家はいないのだろうか。目先の利益と名声、故郷に錦を飾ること、そんなことに踊らされている国民が、もっと賢くならなければならないのだが。


駒ヶ根へ2

2016-12-11 08:59:05 | その他

光前寺を見てから、養命酒の工場見学に行きました。養命酒とは全国で販売されている薬種です。工場を見学しながら説明されたことによれば、全国で販売され海外(台湾・シンガポール・香港など)でも販売されている養命酒は、全てがこの駒ヶ根工場で作っているといいます。工場といっても、瓶詰工程でしたが梱包まで含めて自動で行われ、労働者は20人もいません。薬品として販売していますから品質管理には厳しく、随所で瓶に光をあてて検査し最後は15分交代で目視でチェックしているといいます。見ていると、不具合があるとラインをすべて止めて検査していました。今までたとえて言えば、梅酒のような物を高い値段で売っている位の理解でしたが、米から作った味醂に10種類以上もの生薬をつけて作っていることがわかり、薬種として見直しました。加えて駒ケ根の標高800メートルほどの森の中の工場で、少数の人の手によって作られていることが、うれしくなりました。自然と地域を大事にしているという社風も感じました。事務所の1階では地域のひとを対象に、注連縄・門松作りの講習会をやっていました。

養命酒は、400年ほど前、病に倒れた旅人を丁寧に介抱したところ、そのお礼にと教えられた家伝薬の薬種をもとに全国販売するようになったのだといいます。会社は各地の営業所を加えても200名ほどの従業員だといいますから、顔の見える範囲です。同じように会社と地域を大事にしている会社、伊那食品、かんてんぱぱも近くにあります。伊那食品の会長塚越さんの講演を聞いたことがありますが、お手本としての経営は松下幸之助のダムの経営だといいます。それは、時流に任せた急な会社の成長はせず、少しずつ水がたまるダムのように、少しずつ成長していく会社が理想だというのです。かんてん、あるいは養命酒という商品に特化した販売を地域に根差して着実におこなうという点で、2つの会社には共通点がある、事実健康を志向するというコンセプトは共通しているのですが、と思いました。また、こうした会社がある伊那谷の心の豊かさのようなものも感じたのです。

昼食は、駒ケ根のB級グルメのソースカツ丼を食べようと思いましたが、朝食を食べ過ぎボリュームのあるソースカツドンはとても無理でしたので、養命酒のオープンカフェで健康食のワンプレートランチを食べたのです。