民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

川崎の事件をめぐって

2015-03-11 18:23:33 | 教育

 川崎の事件の報道も、新しい事実が明らかにならないことで鎮静化しつつある。救いのない事件だが、いくつか予想していたような背景が明らかになり、やはりそうかと思っている教育関係者は多いと思われる。それでも、加害者が無職少年、被害者が中学生という構図で学校関係者の責任問題が問われることが少なく、ほっとしている。学校に来ない生徒の動向にも詳しく目を配って学校が把握せよといわれても、非現実的である。

 加害少年の首謀者をA、配下をB・Cとし、被害少年をDとしよう。今警察で慎重に取り調べているようだが、私は真相は明らかにならないと思う。過去の経験からいって、加害少年たちは自分が不利になるようなことはめったに話さないし、平気で仲間を売り嘘をつく。そうしてこなければ生きてこれなかった生活歴の中で培われた性格は、取調室であっても簡単に変わるものではない。彼らを差別しているのではなく、そう育ててしまった周囲の責任なのである。Aは一旦嘘をついたら自分でそれを本当だと思ってしまい、嘘と現実の区別が難しいだろう。また一旦激昂したら分別がなくなってしまうだろう。愛着障害の症状である。保護者はだんだん手に負えなくなる息子に、そのご機嫌をとるという対応しかできなかったと思われる。おそらく、幼いころにはしつけと称して虐待のような暴力的子育てで押さえつけていただろう。そして、いじめられっ子だったに違いない。体が大きくなるに従って、鬱屈した思いが逆転したと思われる。

 被害少年Dは、田舎の濃密な人間関係で育って都市に転入し、物足りなさ、満たされない思いを抱えているところ、ABCらが、いかにもフレンドリーにつけいり、仲間に誘いこんだのだろう。行くあてもない彼らは、友人の家に寝泊まりしたりして、四六時中一緒にいて、あたかも親友のようにみえる。しかし、実は自分のためには平気で仲間を売る連中なのに。Dの空疎な心を埋める何かがあったらと思われる。特に放課後だろう。母が帰るまでの時間を、夜遊びが常態化する前にはどのように過ごしていたのか。この段階ならSSW(スクールソーシャルワーカー)がかかわれる余地があったと思う。毎日夜遊びし登校しなくなってからでは、SSWが関わることはできないだろう。SSWの使い方について、新聞も行政もわかっていない。 


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