民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

お寺との別れ

2020-09-15 13:48:37 | 民俗学

昨年の暮れから今まで、多くの人との別れがありました。私の母、妻の母、おば2人とおじ1人。いずれも仏式の葬式でしたが、坊さんは自分の宗派を信仰によって選んだ信者に対する、という態度で話もしました。本当は参集した誰も、浄土宗だから、真言宗だからなどといって、その坊さんの寺を選んだわけではありません。昔からその寺の檀家だったり、たまたま手に入ったお墓が、その寺の管理墓地だったりしたのにすぎません。坊さんも、そんなことは百も承知のはずですが、信仰によって自分の寺が選ばれた、というふりをします。葬式に参列した人々は、その坊さんの属する宗派の宣伝など聞きたくありません。にもかかわらず自分の寺の宗旨がいかにすぐれているか、開祖が何をいったのかという話をしたがります。故人とのつきあいがなければ、そんな話をするしかないのかもしれません。ならば、仏教徒は、という話が聞きたいです。坊さんの話には、大概うんざりします。

私の家では、父が購入したお寺の管理墓地があります。父はその寺の宗派にひかれたのでも何でもなく、墓地区画が売りに出されたからたまたま手に入れたにすぎません。しかし、寺の管理墓地である以上、葬式は必ずその寺に依頼するしかありません。ここが共同墓地との違いです。ところが、私は自分の葬式に坊さんが関与してほしくありません。できれば仏教とは無関係に、お別れ会でもやってもらいたいと思うのです。とはいえ、今のままで寺に言わずに葬儀をしたら、お骨を墓に納めるには寺との間で、相当なトラブルが予想されます。子どもたちにそんな問題を引き受けさせるわけにはいきません。それで、とりあえず父と母のお骨を永代供養墓に移し、私の家の墓地は更地にして寺に返そうと考えています。更地にするにも永代供養墓に移すにも、かなりのお金がかかります。何をするにも、寺との間はお金がかかるのです。


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