16日に飯田市鼎文化会館で、「信州教育の日」なるイベントが開催され、動員されていってきました。表向きの趣旨は、県民全体で教育について考えましょうなのですが、信濃教育界の社会貢献活動だといってよいでしょう。今回は、下伊那だけにアトラクションでは大鹿小学校の5年生による「白浪五人男」の講演、竜峡中学校の今田人形の学びの発表がありました。また、シンポジウム(パネルディスカッションとはどう違うのでしょう。演者もシンポジストといったりパネラーといったり)では、シンポジストの一人がである学校の先生が、上村では学校の先生は霜月祭りの笛が吹けないと地域で認めてもらえないから吹けるようになったといって、篠笛を吹いてくれました。すごいことだ、学校が地域に溶け込んで地域と共にある理想的な姿だと思われてしまいます。でも、それでいいんでしょうか、その先生も言ってましたが、教員が夜を徹する祭りに必ず参加しなければならないとは、職務としてはいえませんね。教員は短ければ3年、長くても7年もすれば必ずいなくなります。そうした人々の集まっているのが学校ですから、地域文化のセンターとして学校を考えていいんでしょうか。
笛を吹いた先生も、今は飯田の中学校に勤務しています。霜月祭りのたびに出て来いといわれても不可能です。この先生が本当に地域に溶け込み、霜月祭りになくてはならない笛吹きとなっていたとしたら、いなくなったら笛を吹く人がいなくなってしまいます。下条歌舞伎も中学校で受け継いでいるが、地域の指導者が亡くなってしまい先行きが不透明になっているようです。教員は職務として地域の学校にいます。その職員自身も、いずれかの出身地域の構成員でとして、役割を期待されているかもしれません。また、文科省や県は総合的な学習などで学校教育の中に地域文化が位置づくことを推奨しています。この日の子どもたちの発表も、そうした流れの中での成果の発表です。ならば、地域には地域の教員を長く雇うのが、行政としてせめて教育現場にたいして金をかけずにできるサポートではないでしょうか。全県を短いサイクルでくるくると転勤させておいて、地域文化を育てなさいなんてことは本当はいえないことではないでしょうか。
子どもたちの歌舞伎の実演、先生の笛の根を聞きながら、これでいい思いをしている間に、本当の地域文化、地域住民で地域文化を育てて守っていくという気概は、どんどんと奪われ、祭りはあっても観客ばかりとなるのではないか、と考え込んでしまいました。