民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

女帝

2005-07-27 14:18:15 | 民俗学
「皇位は皇統に属する男系の男子が、これを継承する」
 明治以来、男系男子に限られてきた天皇位の継承がゆらぎつつある。公然と側室を設けることができればともかく、一夫一婦制のもとで少子化が進みイエの存続がままならなくなった庶民の皇室版の悩みが顕在化したということだろう。戦後、男女平等の観点から、庶民の側はいち早く「姓」を妻・夫のどちらを選択してもよいとして、実態はともかく男系を放棄した。ところが、天皇「家」だけは男系を維持して、憲法との齟齬をうやむやにしてきた。もともと人権と天皇制とは相容れないものだと思われるが、皇室に属する方が自己の人権に目覚めてしまえば、その位置は誠に居づらいものになってしまうだろう。雅子妃の病は、なるべくしてなられたものと思われる。
 庶民の側からいえば、日本は強固な男系の系譜をつらぬいてきたわけではない。双系ともいえるルーズな系譜で、臨機応変につないできた。だから、女帝を容認したところで、なんら不自然ではないだろう。ところが、容認後が困るだろう。女帝が結婚されて、皇太子が生まれたとすれば、今度は系譜は女系に移る。天皇家は系譜こそがその証だとすれば、この先系譜はかなりあいまいなものとなり、天皇制の存続にもつながる問題となるだろう。また、貴族集団がない日本で、女帝となる方の結婚相手を探しその方の地位をいかなるものとするかも、大きな問題となるだろう。

アメリカ

2005-07-22 16:16:28 | Weblog
 アメリカといえば、柳ジョージ「フェンスの向こうのアメリカ」、浜田省吾「アメリカ」がすぐ思い浮かぶ。いずれも甘くせつなくあこがれる、アメリカへの思いを歌ったものだ。ハマショーは本当に西海岸を旅したのではあるまいが、アメリカのモータリゼーションの世界と青春ををメロディアスに歌ったものだ。ポパイ、名犬ラッシー、奥様は魔女などのテレビ番組で見るアメリカの生活は、自分たちにとって夢のような世界であった。
 ところが、今のアメリカのどこに憧れがあるのだろう。それは、この国がアメリカとの生活の格差を縮め豊かになったこともあるだろうが、アメリカが夢を失い甘くせつなく憧れる対象ではなくなってしまったことによるだろう。そのアメリカに向けて、息子は来月から一年間旅立つ。彼が何を求めていくのか、はっきりとは話してくれてない。もしかすると、自分でもわからないかもしれない。夢の無いアメリカの夢とは何か、しっかり探してきてほしい。

公教育の責任

2005-07-21 09:58:05 | Weblog
 尼崎の鉄道事故は、無理な運行計画を立て、守れないのは運転手のせいだとした会社の労務管理体制にあることは大方の認める所だろう。これが学校教育、とりわけ公教育になるとどうだろう。40人の子ども一人一人に平等に基礎学力と、社会で生きるマナーを身に付けさせることを求められ、それができないと教員の資質の低下に原因があるからと再教育と採用方法の工夫がとかれる。全てを教員の責任にして、マスコミも世間も溜飲を下げる。しかし、少し考えてみればわかるが、親は一人や二人の子どもさえまともに育てられないといっているのに、仕事だからと40人を1度に見て、それぞれに行き届いた、つまり先生はいつも自分だけを見ていると思わせられるような教育が可能かどうか考えてみればよい。おまけに、教育を放棄しご飯だけ食べさせれば人様がしつけてくれる。悪いことをすれば世間の責任で、よい事は親のせいと決めている保護者がけっこういる。家庭に教育力を全く期待できなくて、どうして学校教育ができるだろう。できないことと知りつつ、現場の教員は、へとへとになりながら仕事をしています。大きな事故になるわけではありませんので、教員に求められている要求が無理なものだとは誰もいわない。
 公教育は、教師の指導はもちろん親のいうことなど全くきかなくなってしまった、本当に一部の子どもへの対応振り回され、他の多くの子どもの教育権が奪われている。このことも、世間では問題としない。教員の指導不足として一括くくられているが、どうにも仕様がないものも多い。つまらん友人関係にわずらわされず、学習に専念させたいと思えば、それなりの私立学校を選択するというのは自然のなりゆきである。

人生という物語

2005-07-20 09:12:29 | 民俗学
 10人いれば10の、100人いれば100の物語がそこに生まれる。とりわけ女性は、出会ってしまった男性によって大きく物語を展開させていく。ゆうべお話をうかがった女性には、掛け値なしで感動を覚えるとともに、土着とは何か考えさせられた。(主人公の女性は、40代半ばと思われる。)
 主人とは、同じ会社で知り合って、私は後妻として嫁に入ったのよ。お婆さんは、嫁にくる何年か前になくなっていて、お爺さんが小学校3年と1年の2人の孫を育てていた。私は、初婚で嫁にいったとたんに、2人の母親になったわけよ。おじいさんは私に、子どもは作ってくれるなといったわ。そりゃそうだ、男手で子どもを育てるのに苦労していたからね。それでも私は子ども産んだけどね。だから、学校とは本当に長い付き合いだ。地区じゃ、学校の役員の主みたいなもんだ。何年も学校出してる間に、役員を何回もやってるから。血のつながらない2人の子も一生懸命育てたけど、今結婚して27.8になるかな、やっぱし別れた実の母親のほうがよくて、大きくなったら結局そっちについちゃった。くろうしたって?私はのんきで、ぼうっとしてるから感じなかったわ。
 私はマチで育ったのに、嫁に来たのはこんな山の中。おじいさんはよく、マツタケの話なんかするわけ。話聞いてるだけじゃと思って、自分でもとろうと思った。え、シロ教えてくれたかって。そんなもの教えてくれるわけがない。山のはじからはじまで歩いて捜した。今でも、山の隅から隅まで歩いてとる。主人はシロしか歩かないから、そこでとれんとダメだけど、私は全部歩くから新しく生えるところがあったりして、結局今じゃ私の方がたくさんとります。春は山菜、秋はきのこを山でとって売れば仕事になるけど、それ以外のときは仕事なくて困るね。
 嫁にきたときは、何で年寄りと一緒に暮らすのか思ったこともあったが、当時は当たり前のように思われていたね。あのころ嫌だと思っていた私が、今じゃ近所の新しい嫁さんにどうやったらここに居着いてもらえるかって思ってる。おかしなもんだね。
 

伝承とは何だ

2005-07-18 15:49:29 | 民俗学
 オブザーバー参加させていただいている、山田伝承会(山田地区の伝承を掘り起こし受け継いでいこうとする山田の皆さんの勉強会)の皆さんと、山田に上るふもとの村平瀬(この村は胡桃沢勘内が生まれたことで知られる。勘内は平瀬麦雨というペンネームも使用)などの、御岳教を崇敬する講の人々が、山の斜面に作った八滝神社と、その奥にある今は水が枯れてしまった八滝を巡検する。
 公民館に集合するときから、伝承は始った。「オラホノセ、水神様はどこだい」「ホーカイ、そりゃね~」と、周囲の風景を見ながら、次々に話が展開していく。そして、集まって人々皆に「オラホノ~」といった、まるで今はいない家族について語るような神や事物に対する親近感と、村人としての連帯感がある。多分、伝承とはこうしたものなのだろうが、山田においても、意識的に伝承を伝えようとしないと、忘れられてしまうのだという。多分、数百年の言い伝えが途絶えんとする、切っ先の部分に今私たちは立ち会っているのだろう。
 みちなき道を踏み越えた突き当たりに、トンネル工事の結果水が枯れた八滝はあった。そして、辺りの山肌には半分埋もれたり、ひっくり返った石造物がたくさんみられた。八百万の神といってよいほど、多数の神々だ。ふもとの村の、山に寄せた信仰心の強さがうかがえた。沢や尾根は違うものの、山田の子ども達はこの急峻な斜面を毎日上り下りして、平瀬の小学校に通ったのである。毎日登山をしているようで、いまからは想像もつかない。この通学について、伝承会の会長さんが夢のような話をしてくれた。
「これくらい(太さ10センチほど)のクヌギの木は、上へ登ると弓のようにしなるだいね。しなった木につかまって次に木につかまる、そうしたらまたその木をしならして次の木につかまる、まるでターザンのようにして、土の上に1度も降りないで山田からふもとの平瀬まで下りたこともあったいね」

後藤田正晴

2005-07-17 14:59:42 | 政治
後藤田正晴、90歳。選挙母胎の地域に公共事業をできるだけたくさんひっぱってきて、税金をばらまき、見返りとして票をもらう。こうした利益誘導型の古い選挙のありかたを批判し、そうした政治手法の代表として、高齢の政治家は切って棄てられた。本当にそれでよかったのだろうか。
 後藤田正晴、90歳。陸軍で6年間軍務に従事し、敗戦を経験。「東京裁判の結果、処断されたひとたちであるA級戦犯を神としてまつる。これは死者を追悼するとともに、その名誉をたたえる顕彰でもある。そこに条約を締結した国の代表者が正式にお参りすることは、戦勝国の国民に対して説明がつかない。日本国民としても、敗戦の結果責任を負ってもらわなくてはならない人たちを神にするのはいかがなものか、という疑問があるだろう。」(2005.7.13朝日新聞)首相の靖国参拝に触れて述べた言葉は、大変明快であり国際社会、何より近隣諸国に対する外交的見地が行き届いている。
 私たちは、戦争を経験し、その後の日本の復興に身をもって尽くした、いわば保守本流といえる気骨のある政治家を忘れてしまってよいのだろうか。何かといえば、政治改革という錦の御旗を掲げ、反対する人々を抵抗勢力と批判する現在の政治手法では、現状を壊すことはできても先は闇の中にある。昭和維新を掲げた2.26も、現在の政治を壊せば天皇の大権で後は何とかしてくれると考えた。今は実際の権力を握っているだけに、もっと始末が悪い。