民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

タカラヅカを見る

2016-09-21 17:40:47 | その他

娘の勤務する会社の宝塚の貸し切り公演のチケットが当たったと送ってくれたので、東京宝塚劇場へ行ってきました。演目は『エリザベート -愛と死の輪舞(ロンド)- 』というものでした。オペラを見たのは、サイトウ記念で2回だけ。ミュージカルなんてものは見たことがありません。死と隣り合わせて自由を求め放浪する美貌の王妃の物語といえばよいでしょうか。まったくの創作かと思いましたら、ハプスブルグ家にエリザベートという王妃がいたのだそうです。無政府主義者に刺殺された、放浪する王妃というのは作家の想像力を刺激するのでしょう。

さて問題は、宝塚歌劇団というものです。今回は宙組公演ということでした。もちろん全てが女性ですが、組長という人が最初に舞台挨拶をしました。この人が主役かと思いましたらあまり目立たない役で出演し、トップスターは男役で別の人でした。なんといっても、「組長」と呼ぶのがなんだかおかしかったです。そして、トップスターはさすがにオーラがありました。まったく予備知識はなかったのですが、主役は大きく見えしぐさも大胆でした。ですが、全てが女性ですから顔がはっきり識別できないくらい遠い舞台を見ていると、だれが今セリフをしゃべったり歌を歌っているのか、わからなくなりました。いったいなぜ、女性だけで構成しようとしたのでしょうか。歌舞伎が女だけから男だけが演じるようになったのになぞらえ、歌舞伎の向こうを張って女だけで演じるようにしたのでしょうか。慣れないせいか、何だか無理があるように感じてしまったのです。熱狂的なファンがいるわけですから、単に私の感じ方にすぎないのですが。

宙組という組だけで40人くらいはいるのでしょうか。若い女性ばかりでしたから、常に新陳代謝しているのでしょう。AKBの先駆けのようなものですね。宝塚は女性に人気があるみたいですが。ともかく、いい社会勉強をしてきました。


スマホと男と女

2016-09-16 17:38:05 | その他

私は3年ほど前にスマホにした。といっても、最初は通話用にそれまでのガラケーを使い、通信用にスマホを買ったのです。いつか書いた気もするのですが、勤めていた時、セキュリティーのためにウェブメールが使えませんでした。原稿のメールチェックができなくて困りまして、そのために格安シムをビッグローブから買い、シムフリースマホの安いやつをネットでさがして買ったのです。メールさえ読めればいいと思ったわけです。ところが、ずっと持ち歩くようになると、まずガラケーとスマホの両方ですからかさばります。これがめんどうです。そして、添付ファイルを読むためのソフトやPDFを読むためのソフト、自宅のPCとの互換性をもたせるためのグーグルドライブなどをインストールしたら、結構端末の容量をくいました。そんなことで、まずは通話と通信を1台でしようと思い、シムを通話もできるやつに替えてガラケーを廃止にしました。それでも、毎月の料金的には変わらず1500円ほどです。ところが、安く話せる通話ソフトやラインをインストールしたら、端末の容量不足という警告が頻繁に表示されるようになり、先月末にビッグローブから端末も購入したという次第です。しばらく使い方に苦労しましたが、ようやく慣れてきました。

ここからですが、なぜタイトルが男と女かといえば、今月初めに妻もガラケーからスマホに乗り換えたのです。それは、母の介護に毎週末は実家に行ってるのですが、パソで調べたい時があり、使えないのは不便だということで、番号持ち運び制度を使っていきなりビッグローブのスマホに変えたんです。私のもそうですが、ビッグローブのスマホ端末はいくつか選択できる機種があるのですが、2年間の月々の分割払いで支払うというもので、客を逃がさないようにできているのです。端末の支払額は700円~1500円程度です。で、ほぼ同時期に2人でスマホを買ったのですが、それで判明した男と女の思考方法がありました。といっても、男の代表が私で女の代表が妻というのはおかしいといわれればそうですが、まあざれごとだと思って聞いてください。格安スマホのせいかわかりませんが、取説はついていません。設定方法はついていますが、使い方はないので、適当に自分でいじって確かめていくことになります。それは、カンというもので、どうしてもわからんものはパソで調べます。これが自分の新しい機種というか機械物への対応方法です。ところが妻は、適当にいじりながら試行錯誤していくことができません。機械は一定の操作方法によって動くと思っています。簡単には、私のスマホも妻のスマホも操作方法は同じだと信じて、わからんことを片っ端から私にきいてきます。聞かれたって機種によって操作方法が違いますから、答えられません。そして言い争いになるのです。何でもききゃいいってもんじゃないよ。何で教えてくれないの。ということになるのです。つまり、男は適当に自分で動かしながら操作に慣れるのに対して、女はきちんとしたマニュアルにそって動かしたがる。のではないかと思ったのです。これは我が家だけのことでしょうか。


学会談話会

2016-09-14 09:58:14 | 民俗学

最近気力・体力が減退したのか、何かあってもすぐにここに書けません。あとでまとめればいいやと思って、せいぜいPCに写真を取り込むのがせきのやま、時間はどんどん流れて行ってしまいます。

最近の出来事は、スマホを新しくしたこと・戸隠奥社に行ったこと・大町で大黒町の大黒様を見てきたこと、そして歩いて15分ほどの所にある母校の高校の同窓会事務局の事務処理の手伝いをしていること、等々記録しておかなければとは思っているのですが、なかなか書く気になれない。

この大黒様は、大町から南に分布する大黒信仰の始まりのものといえば、相当に大事なものですね。作りも立派で、ようやく拝めて感動しました。

学会の談話会は、「仏教民俗のゆくえー現代葬儀の問題点と課題」をテーマに、9月11日、成城大学で行われました。かねてより関心のあるテーマでしたので、はるばると出かけたのでした。東京には土地勘がありませんし、成城大学に行ったこともありません。ドキドキしながら一人で出かけたのですが、夜の飲み会だけは旧知の先生を事前に誘っておきました。新しくしたスマホの慣れないナビで何とか大学にはたどりつけたのですが、新宿に予約したホテルには、ナビは不正確でいきつけず(酔っぱらっていたこともありますが)近くまでいってホテルに電話し、迎えに来てもらうというていたらくでした。

さて談話会ですが、蒲池勢至氏の「真宗民俗から現代葬儀を問う」、板橋春夫氏の「葬送儀礼研究の新しい視角ー儀礼・地域社会・先祖観の変容に対処してー」、鈴木岩弓氏の「イエなき時代の葬送墓制」という3人の研究発表でした。そして、最終的な目的は変容する葬送儀礼の先に何を見るか、といったものでした。私も変容する現実をどのようにとらえるのかということは、現象を記録しながら考えるとことですが、その先に果たして何があるのかは、しっかり考えていません。発表の内容は、およそ自分が日ごろ考えているようなことだったのですが、鈴木岩弓氏の、柳田は戦後は家の永続など考えおらず、それにかわる紐帯を模索していたという指摘は新鮮で、これから調べてみなければいけないと思いました。

田舎者が東京へ行くと書くのも恥ずかしいマンガみたいなことがいくつもありました。筆頭はホテルで渡されたカードキーを差し込もうにもどんなに探してもドアに差し込み口がなくて途方にくれたことでした。それは、押し当てればいいのだということが試行錯誤の結果ようやくわかり、フロントまで聞きにいかなくて部屋に入れたのですが。