民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

考古学少年ー完結編2

2019-08-27 15:25:15 | その他

高校2年の春休みに発掘したエリ穴からは、多数の土製耳飾りと土偶・土版などが出土しました。9月のとんぼ祭(文化祭)までには出土品を整理し、解説を加えて発表できる用意をしなければなりません。数多くの耳飾りを前にして、高校生の僕たちは頭を抱えました。三内丸山遺跡などまだ発掘されておらず、縄文文化はかなり貧しいものとして人々には意識されていましたし、授業でもそう教わりました。狩猟採集の縄文人は、日々の糧を得るのに追われていたと。ところが、精巧な透かし彫りなどがはいった耳飾り、それも数多くが出土した状態は、説明に困るものでした。これをどう説明するか、高校生なりに悩み討議しました。縄文農耕とか分業が行われていたとか、無い知恵を絞っても展望が開けません。そこで、顧問の藤沢先生にも相談しました。その時、これを読んでみなさいとわたされたのが、岩波文庫のフレイザー著『金枝篇』でした。この本から民族学というものを知りました。習俗から古代の暮らしを類推することが出来るのだとわかりました。そして、四苦八苦しながら、何とか文化祭での解説をクリアーし、考古よりも現実の暮らしの方に自分の関心は向いていきました。

そんなことをしていましたが、留年もせずに卒業を迎えました。百瀬君は考古学の道を貫き岡山大に進みました。どうしても受験勉強に向かうことができず、4年間のモラトリアムならどこでもいいと思っていた私は、かろうじて立命館に拾ってもらいました。1年下の後輩の高橋君は、藤沢先生の後を追って早稲田に進みました。そのご、百瀬君は高校の教員となり埋蔵文化財センターで長年発掘に携わりました。私は中学校の教員となり、長野県史民俗編の編集に携わりました。高橋君は民族考古学という分野を始め、パプアニューギニアの民族調査をしつつ縄文社会の研究を深めています。

高校生の発掘から50年を経て、それぞれの人生の中にその経験が位置付き、また、その後の行政による発掘調査の遺物を含めて、松本市の重要文化財の指定を受けたことに、感慨を禁じえません。


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