民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

21世紀の民俗学

2005-10-31 14:30:45 | 民俗学
以下のような内容で、山梨文化財研究所のシンポで話しました。今後の展望について、民俗文化財の利用について積極的に研究を進めるとは、どうしてもいえませんでした。大方の傾向がそちらへ流れていることは分かっていてもです。これからは、民俗学者の良心を売り渡さなければいけないかもしれませんというのは、ご一緒したI先生の言でした。それにしても、21世紀の民俗学とは、重いテーマでした。

       自治体史誌の現状と課題

はじめに
○自分は何者か
○21世紀の民俗学を見据えた自治体史誌とは
・伝承の急激な消滅
・民俗誌のかかえる問題 民俗を記述するとは 民俗とは
・自治体史誌固有の問題

1 民俗誌とは何か
○調査報告書を民俗誌とは区別したい
・調査報告書は一般に知られている民俗の分類項目にしたがって該当する地域の民俗を記述したもの
・民俗誌は「一定の生活空間や集団における伝承文化を体系的に把握し、記述したもの」(倉石忠彦) 「執筆者の明確な視点の下に民俗の多岐にわたる分野に目配りをして暮らしの全体像を描いたり、民俗のある側面に注目して地域の特質を描き出したもの」(日本民俗大辞典)
○自治体史は民俗誌であってほしいが、報告書が多い
・「課題なき調査、予断なき採集」を望んだ柳田 資料編に位置づく民俗
・1990年以後地域民俗学の流れ 地方の全体性・特質の記述 通史の中に
○民俗とは何か 
・生活という地から調査者・研究者の認識する民俗という図を切り取る
・民俗は柳田によって発見された
・柳田による民間伝承の3分類
第1部 生活外形 目の採集   旅人の採集
第2部 生活解説 耳と目の採集 寄寓者の採集
第3部 生活意識 心の採集   同郷人の採集
「僅かな例外を除き外人は最早之に参与する能わず。地方研究の必ず起らねばならぬ所以」
○具体的には文化財保護法に分類される項目
・衣食住 生産・生業 交通・運輸・通信 交易 社会生活 信仰 民俗知識 民俗芸能・娯楽・遊戯 人の一生 年中行事 口頭伝承
2 長野県史民俗編から
○4巻12冊の資料編と1巻2冊の総説
○『北安曇郷土誌稿』のまとめかたを巡る柳田と一志茂樹の確執
一志 調べた資料を全て記述   柳田 どこにもある資料は除いて記述
   地域の全体性          全国比較のためのデータ収集
○明治22年段階の旧町村 424集落でのカード調査
○調査者は地域在住の方  まとめて執筆したのは主として県内の教員
○記述の方法は資料編は項目ごとに地方を概観しデータと地点とを全て記述
総説は全県の概説1冊 視点を明確にした生活の姿(特論)1冊
○長所
・県内在住者の執筆にこだわり、中央・地方の枠組を超えた
・カード調査の欠点もあるが、同一時点でのある習俗の全県的広がりがわかる
・資料と通史を意識してわけて記述した
○短所
・カード調査ゆえ、地点は多いがある地点の全体像を描けない
・決められた期日までの執筆 なかなか守られない執筆期限
・民具保存への目配りのなさ
3 今後の課題
○記録保存だけでは自治体誌とはいえない
○本ができれば終わりでよいのか
○担当者に蓄積された財産をどう生かすのか
○調査したデータをよりよい生活を実現するためにどう活用するのか
おわりに

絶望する子どもたち

2005-10-26 09:36:03 | 教育
 中学3年生の進路選択の時期となった。それぞれが、自分の希望と力を推し量り、進学先・就職先を選択しなければならない。以前なら、全ての生徒について進学なり就職先なりを定め、目標に向かって努力しようということができた。ところが、最近は自分の将来について中3にして投げてしまっている生徒がいる。必死で勉強して何とか高校へ滑り込んだとしても、卒業後の就職は明るい展望がない。また、今必死で勉強する気にもなれない。かといって、いますぐ就職しようとしても、中卒の就職口は0である。頑張れば俺でも何とかなる、と思えた時代ははるか昔となった。そして今、中3にして深く絶望し投げやりになって荒れる子どもたちがいる。勉強が分からないからだと公はいうが、実は根はもっと深い。こんな世の中と、自分の人生に絶望しているのだ。
 こんな子どもたちに、何をいってあげればいいのだ。

T君へ

2005-10-15 12:29:37 | 教育
 ヴァイオリンの全国コンクールで3本の指にはいり、成績も優秀な君が、落ち着いて互いの人権を認め合うとはいえない、あのクラスにいることを、私はかねて痛ましいことと案じていました。でも君は、夏まではレギュラーでもないのに早朝から野球のユニフォームを着て登校していましたね。そして、試合ではコーチャーズボックスで声をからしていましたね。でも、教室ではどうだったのでしょうか。あのクラスで、ふてくされるのでもなく孤高を保つのでもなく、どんな思いで平静を保っていられるのでしょうか。
 そして、今日の文化祭です。君のバイオリンから発せられた、太く憂いを含んだ音が響いたとたん、会場からはしわぶき1つ聞こえなくなりました。ああ、これで本当の力を力として身近な人々に認めさせ、君の日々の我慢や苦しみが溶けていくようでした。でも、そでに下りた君はいつもと全くかわらず、野球部の仲間と談笑していました。本当に才能のある者は「秘して語らず」ということでしょうか。自分もみならわなければならないと、密かに思いました。

年会参加記 4

2005-10-14 18:15:24 | 民俗学
 1日目の懇親会、そして、我県の面々に加えて群馬のI氏、横浜のY氏、京都のA氏らを加えた2次会の熱い議論を経て、2日目の研究発表となった。前日の議論で腹いっぱいの観があり、研究発表はもうよいかという思いもあったが、勉強勉強と言い聞かせ、会場に足を運んだ。
 さて、2日目の研究発表は11会場に分かれて、118名の発表があった。ものすごい発表数であり、これだけみれば民俗学は多くの研究者をかかえて安泰である。本当かな? 発表の内容を、要旨から私が勝手に分類してみた。社会生活9 人の一生6 生産生業9 年中行事8 民俗誌15 住居1 信仰35 口頭伝承8 民俗知識5 民俗芸能4 方法論3 学史2 フォークロリズム21である。
分類のしようがなく、つまり私なりに「これは民俗学ではない」と思われるものは除外したが、大方の傾向はわかっていただけるだろう。信仰が多いのはわかるとして、今回の研究の流れとして、便宜的に私がフォークロリズムと名づけたものが多かった。どんなものかといえば、例えば「民俗と行政」「地方行政政策の展開と民俗芸能」「国策旅行ブームと宮崎観光」といった、「民俗」を所与のものとして、どう利用するか、関わるか、といった内容のものを分類してみたら、信仰に次いで多かったのである。
 新たな調査による報告がこれからはあまり期待できないことから、既存のデータをどう生かすかに学生が走るのも仕方ないかもしれないが、それって民俗学か。そんなことが面白いの、と古い民俗学研究者は思ってしまう。何を面白がろうが、余計なお世話だといわれれば、確かにそうだが、行政がいかに利用したら有効に民俗学が生かせるかは、役に立つ民俗学かもしれないが、それは行政学であって、民俗学の面白さではないだろう。学生がこれからどうやって飯を食っていくかは、大学における指導者の切実な課題だろうが、メタ民俗学のようなことをしていては、ますます民俗学の源泉は枯れてしまうだろう。民俗学は、少なくとも私にとって民俗学は、生身の人間のトータルナ生活をこそ聞き書きで明らかにせんとしたものだ。それが、「野の学問」といわれる所以だ。だからこそ、私はこの学問と一緒に生きてゆこうと思ったのだし、これからも生きていくつもりなのだ。民俗学を行政でどう利用するかを考えていた学生は、卒業したらおそらく研究からはきっぱり足を洗うだろう。そうしてこの学問は、アカデミズムに属する者だけが担う、細々としたものになるだろう。

年会参加記 3

2005-10-13 10:16:09 | 民俗学
 さて、シンポの内容である。パネリストの中には民俗学者はいない。思想史・教育学・哲学といった顔ぶれである。これは好みの問題だが、最も納得できたのは佐藤健二氏だった。それは、民俗学に関わる人々の4分類を、意味のないものは相手にしないと切り捨てたことに自分の気持ちがフィットしたのが大きい。しかし、1点納得しがたい論点があった。佐藤は、民俗学が野の学問たる所以は、研究対象が野であること、研究者が野にあることの2点でいわれるが、本当はもう1点ありそれこそが「野」たるものである。それは、方法としての野だと説明した。この、方法としての野の説明の中で、自分の聞き間違いでなければ、民間伝承論の3分類を取り上げ、柳田は同郷人による郷土研究を真剣に望んで、長野県の教員に語りかけたのだとしながら、柳田が「郷土を研究の対象とするのでなく」「郷土であるものを研究するのだ」というときの、後者の郷土は実態の郷土でなく郷土人の感覚でという方法論をさしているのだ、と読み込んだ。ここで私は、3分類の郷土人の採集と研究を実態として捉えながら、「郷土で」という時は実態としての郷土でないとするのは、ご都合主義の読みではないかと感じた。詳しくは、佐藤の『読書空間の近代』を読み直してみないといけない。当日のメモを紛失し、うろ覚えの文であることお許し下さい。つまり、自分は「郷土を」「郷土で」にこだわり、「郷土を」という地域社会の全体性にこだわってきたのだから、方法としての郷土などとは気安く規定して欲しくないという思いなのである。
 次回は、2日目の研究発表についてまとめる。

年会参加記 2

2005-10-12 09:49:46 | 民俗学
 少しシンポの内容に立ち入ってみよう。基調講演は文化人類学の伊藤亜人による、「民俗学の周縁性と実践」。レジュメもなく、分かりにくかったがアカデミズムの伝統=朱子学・仏教=論理性:野の学=民俗学=論理性の欠如 といった枠組みの中で民俗学は個別具体的な知識だとした。そして、この反科学主義の民俗学が、行き詰まった近代合理主義を超えるものだ、というのは、あまりにステレオタイプの理解であろうか。自分は、民俗知にも論理があって、それを無秩序に思えるのは現代を生きる私の側に論理を理解できるコードを持ち合わせていないだけのことだという立場をとるのだが、いかがだろうか。
 続いて、菅豊による趣旨説明がなされ、その中で民俗学に関わる人々を分類して、それぞれの立場を踏まえて議論をしたらどうかと提案される。それは、Ⅰアマチュアのフォークロリスト Ⅱアカデミック・フォークロリスト Ⅲパブリック・フォークロリスト Ⅳアプライド・フォークロリスト の4分類である。こうすることで、上下関係をつけようとするものではないと、何度も説明されたがどうもよくわからない。ならば、いったい何のための分類だろう。自分には、「民俗」そのものを研究対象とする人と、「民俗」を所与のものとして、つまり聖域として手をつけることを禁じられ、もっぱら与えられたものの操作性について関わる人とを分類するもののように思われる。だとすれば、「柳田民俗学」への逆行にほかならず、意識せずともアカデミズムの権威化を図ろうとするものではないか。
 パネリストは、佐藤健二・小国喜弘・鬼頭秀一の3氏、コメンテイターは刀根卓代・佐藤雅也・伊藤亜人の3氏。ここからの内容は次回。

年会参加記 1

2005-10-11 16:32:41 | 民俗学
 10月8日~9日に東大駒場教養部で開催された、第57回日本民俗学会年会に参加してきた。その様子をしばらく連載したい。自分としては、ともかく物がなくなる2日間であった。1日目には、途中で食べれば何のことはないのに、意味もなく頼んだ昼食券を弁当引き換え所で出すと、これは明日のものですといわれ、あせって封筒を探して、当日の券を出す。夕方には、懇親会の参加券を出すと、これは明日の昼食券といわれ、またまた捜しまくって宴会の参加券を渡す。いやな予感はしたのだが、翌日の昼、弁当引き換え券を捜すが、今度はどうしても見つからない。仕方なく、紛失を告げて許してもらう。そして今、シンポジウムのレジュメのメモを見ながら、シンポについて論評しようと捜すがみつからない。どこかの研究発表会場に置いてきてしまったようだ。ウーム こいつはどういうことだ。
 とまあ、いつも、しまったはずの書類を捜すことにあけくれる自分の整理能力のなさというか、疲労困憊したこの精神状況に、我ながらあきれてしまったのです。(ここからなぜか、です・ます調と気持ち的になってしまいました。)
 さて、本題のシンポです。「野の学問とアカデミズム」といいながら、というか東大で野(の・や)の学問を語ることが矛盾なのか、やたらと英語の用語がとびかい、野の研究者はパネラーには一人もおらず、結局は「アカデムズムが語る野の学問」だったのです。そういえば、これに似た会がありました。1週間ほど前に出席した地元の、子育てと子どもの安全に関するフォーラムで、発表者は教員のなれのはてのオジイチャンだかりで、現役の子育てをしているのは、たった1名母親がしたのみで、父親の発表はなかったのです。「年寄りの語る子育て」だったのです。
 シンポの発想は、野の学問をする人と理論家する人は一致していなかったようです。柳田が、調査する人と、まとめて考察する人を分けて考えたのと同じ発想です。パネラーの誰かが、柳田が民間伝承論を語った時、郷土人による調査と研究を真剣に考えていた、とかいっていましたが、多分それは違って、調査は求めていたが研究者としての郷土人を求めていたかは疑問です。すみません、メモがないので話が唐突になってしまいます。