民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

生徒指導の真実

2016-07-25 20:16:32 | 教育

テレビの日曜劇場で、荒れた学校を吹奏楽の指導者になった教員がたてなおすというドラマが始まりました。どんな内容にてんかいしていくのかと、興味をもってみています。ところが2回目の前回から、現場で対応してきたものにとっては、嘘ばかりで本当の教員の身にもなってみろという場面にでくわしました。おっと、基本的な用語を説明しておかなければいけませんが、教員の世界では規範を逸脱する生徒への対応を、「生徒指導」と呼んでいます。

テレビを見ていて強く憤りを感ずるのは、生徒の対教師暴力への対応です。前回のドラマでは吹奏楽部の顧問となった寺尾聡は、何度も生徒になぐられます。その都度なんともないとか言って、苦笑いを繰り返し、それどころか喫煙を繰り返す生徒をかばいます。おそらく、世間の保護者の大方は先生は少しくらい殴られたっていちいち目くじらをたてるべきではない。生徒の喫煙くらい大目に見k手くれたっていいじゃないか、と思っています。問題行動を起こした生徒の保護者の皆さんと面接すると、10人中10人といっていいほどが、そうした反応をされます。では殴られた教員の側からすれば、ケガをするのを承知で教員になったわけではない。生徒も職員も安全が保障されて、教育の場は成立する。校長は職員を守る気があるのかと問われます。ここで、まあまあ骨折したわけではないし、などとたかをくくっていると、職員からの信頼は一挙に失墜しますし、生徒の暴力は競うようにエスカレートします。そこの事情は十分に承知しても、暴力に対しては厳正に対処しないと、本人の自前の更生する力をあてにしていたら、彼らの集団としての規範を逸脱する力に負けてしまいます。暴力はいけないのだ、生徒間の恐喝もいけないのだ、ということを公にしていかなければ、彼らを全うな道に戻すことはできないと、私は思います。何があろうと、教師に暴力を振るうなどとはもってのほかです。そして、教師に暴力をふるう生徒は、間違いなく同学年、低学年の友人生徒に対して暴力をふるい時には金品を巻き上げています。しかし、そうした被害にあった生徒は決して被害届を出すことはありません。お礼参りが怖いのです。同じ地域に住んでいれば、しばらく警察に厄介になったとしても少年事件ですからじきに家に帰ります。そのとき、仕返しされたらいやだと誰でも思います。だから起訴しない。すると、よっぽど酷いことをしない限り、警察につかまっても大したことはないと学んでしまいます。ますます更生からは離れていってしまうのです。ドラマでは、すぐに警察を呼ぶべき場面がたくさんありました。学校だけでは対処できないことはたくさんあります。そんなときには警察の力を借りることが、暴力を起こした本人のためにもなるのです。叱るときには叱り、警察を呼ぶときには呼ぶ。そして、彼らの心の声をきく。甘やかすことが生徒の立場に立つことだとは思いません。問題行動を起こして苦しんでいる生徒の周囲で、彼らのために被害をこうむり安心して学ぶことを奪われている生徒もいます。問題行動を起こす生徒の人権も、周囲の生徒の人権も、そして忘れてほしくないのは職員の人権も守られなくてはならないのです。

もっともここに書いたのは、中学校という義務教育の場で生徒指導をしてきた者の考えです。高校では、厳正な対処となると退学となりますから、対応はむしろ難しいかもしれません。義務教育ではどんな子でも、矯正施設から帰った子どもを含めてあくまで寄り添い、面倒をみていかなければなりませんから。


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