民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

壊れかけた日常

2016-07-26 20:39:53 | 政治

抑圧された者のやり場のない怒りが、大量殺人を引き起こしています。テロルとひとくくりにして、それとの戦いを宣言するばかりでは状況は好転しません。政治家もきっとわかっていると思いますが、問題を単純化して解決できるふりをしなければならないのでしょう。移民の排斥、イスラムの排斥などこの国には関係のない話のように思っていました。日本で大きなテロ事件が起きることはない。皆そう信じていました。確かに、あらかじめ移民は排斥していますから、人種問題で政府が苦しむことはないと思って、ヘイトスピーチを半ば認めてきました。周辺諸国を排除する言動は、与党の安全保障を声高に唱える人々にはおあつらえ向きの動きです。ところが、そうした他者を安易に排斥することをよしとする風潮が、今回の障がい者を抹殺するという主張を平気で唱え、実力行使するといったまれにみる凶行を引き起こしました。自爆テロによって10人以上もの人を殺害するという許しがたい行動は、日本にはありえないと思っていたのは、全くの間違いでした。障碍者を社会から抹殺するという、ナチと全く同じことを考え社会に向けてアピールする若者が現れたのです。

おそらく犯人は精神鑑定されるでしょう。ことによると病気かもしれません。自分に精神障害があるがゆえに、障碍者と自分とは違うことを強く訴えたかったのかもしれません。精神障害なら、無罪となります。そうしたときに問われるべきは、そのような考えをもつ人間を育てた社会と、野放しにした周辺の人々や組織の対応です。自分に対する不満や社会への反感をねじれたまま表出してよしとされたこと、もしくは抑圧された自分の感情を誰もきいてくれなかったことなどが背景として考えられます。それは、ヨーロッパや中東で頻発するテロにも共通するものです。ISへの共感という形ではなくとも、若者の鬱屈した思いと、どうにもならない状況の突破に暴力を用いようとする考えは共通しています。世界はどうなってしまったのでしょうか。


生徒指導の真実

2016-07-25 20:16:32 | 教育

テレビの日曜劇場で、荒れた学校を吹奏楽の指導者になった教員がたてなおすというドラマが始まりました。どんな内容にてんかいしていくのかと、興味をもってみています。ところが2回目の前回から、現場で対応してきたものにとっては、嘘ばかりで本当の教員の身にもなってみろという場面にでくわしました。おっと、基本的な用語を説明しておかなければいけませんが、教員の世界では規範を逸脱する生徒への対応を、「生徒指導」と呼んでいます。

テレビを見ていて強く憤りを感ずるのは、生徒の対教師暴力への対応です。前回のドラマでは吹奏楽部の顧問となった寺尾聡は、何度も生徒になぐられます。その都度なんともないとか言って、苦笑いを繰り返し、それどころか喫煙を繰り返す生徒をかばいます。おそらく、世間の保護者の大方は先生は少しくらい殴られたっていちいち目くじらをたてるべきではない。生徒の喫煙くらい大目に見k手くれたっていいじゃないか、と思っています。問題行動を起こした生徒の保護者の皆さんと面接すると、10人中10人といっていいほどが、そうした反応をされます。では殴られた教員の側からすれば、ケガをするのを承知で教員になったわけではない。生徒も職員も安全が保障されて、教育の場は成立する。校長は職員を守る気があるのかと問われます。ここで、まあまあ骨折したわけではないし、などとたかをくくっていると、職員からの信頼は一挙に失墜しますし、生徒の暴力は競うようにエスカレートします。そこの事情は十分に承知しても、暴力に対しては厳正に対処しないと、本人の自前の更生する力をあてにしていたら、彼らの集団としての規範を逸脱する力に負けてしまいます。暴力はいけないのだ、生徒間の恐喝もいけないのだ、ということを公にしていかなければ、彼らを全うな道に戻すことはできないと、私は思います。何があろうと、教師に暴力を振るうなどとはもってのほかです。そして、教師に暴力をふるう生徒は、間違いなく同学年、低学年の友人生徒に対して暴力をふるい時には金品を巻き上げています。しかし、そうした被害にあった生徒は決して被害届を出すことはありません。お礼参りが怖いのです。同じ地域に住んでいれば、しばらく警察に厄介になったとしても少年事件ですからじきに家に帰ります。そのとき、仕返しされたらいやだと誰でも思います。だから起訴しない。すると、よっぽど酷いことをしない限り、警察につかまっても大したことはないと学んでしまいます。ますます更生からは離れていってしまうのです。ドラマでは、すぐに警察を呼ぶべき場面がたくさんありました。学校だけでは対処できないことはたくさんあります。そんなときには警察の力を借りることが、暴力を起こした本人のためにもなるのです。叱るときには叱り、警察を呼ぶときには呼ぶ。そして、彼らの心の声をきく。甘やかすことが生徒の立場に立つことだとは思いません。問題行動を起こして苦しんでいる生徒の周囲で、彼らのために被害をこうむり安心して学ぶことを奪われている生徒もいます。問題行動を起こす生徒の人権も、周囲の生徒の人権も、そして忘れてほしくないのは職員の人権も守られなくてはならないのです。

もっともここに書いたのは、中学校という義務教育の場で生徒指導をしてきた者の考えです。高校では、厳正な対処となると退学となりますから、対応はむしろ難しいかもしれません。義務教育ではどんな子でも、矯正施設から帰った子どもを含めてあくまで寄り添い、面倒をみていかなければなりませんから。


長野県飯山市教育委員会編 『小菅の柱松ー北信濃の柱松行事調査報告書ー』(平成20年)を読む

2016-07-21 14:35:51 | 民俗学

先に書いた2つの疑問を解決しようと、報告書をかねり真剣に読みました。こうやって読むと、報告書も意義あるものと感じます。読んでわかったことを簡単にまとめます。正式にな私なりの柱松見学記録は別の箇所にまとめて発表するすもりです。

1 小菅神社里社と奥社について、当初は一体のものと考えると、柱松行事での行列の巡行経路が説明できずおかしいと感じました。この件について結論からいうと、私の感じた違和感はただしく、今は同じ小菅神社といっているのですが、里社と奥社とは別のものであるようだたわかりました。里社は小菅の一般の住民にとっての氏神で、祭神は素戔嗚尊・平城天皇・嵯峨天皇の3神で、主祭神はスサノオノミコト=牛頭天皇だといいます。これに対して奥社は、小菅山元隆寺に属する多くの坊を統括する大聖院の奥の院であったといいます。小菅神社奥者の祭神は、小菅権現(摩多羅神・馬頭観音)を主神に、熊野権現(伊弉冉尊・阿弥陀如来)、金峯権現(安閑天皇・釈迦如来)、白山権現(伊弉諾尊・十一面観音)、立山権現(大国魂命・無量寿仏)、山王権現(大已貴命・薬師如来)、走湯権現(瓊瓊杵尊・准胝観音)、戸隠権現(手力雄命・正観音)の八所権現をまつったものといいます。簡単にいえば、祭神が違いますから里社と奥社のそれぞれから神を迎えて祭りがおこなわれるのです。とはいえ、里社に向かって90度の位置にお旅社があり、このお旅所にテンノウサマを迎えて行う神事が柱松ですから、祇園の祭りといってよいのではないでしょうか。祇園祭は京都の八坂神社の夏祭りからはじまる、マチの祭りです。夏に疫病の流行を抑えるのが大きな意味です。人口が密集する都市の夏、まして衛生状態の悪いかつての時代には、疫病が蔓延して多数の人々が亡くなりました。そうした病を防ぐための祭りです。現在も城下町を中心に多くの町で、祇園祭は行われています。ところが、小菅という山の中で、都市の祭りがおこなわれてきたのはなぜでしょうか。それは、小菅という集落がマチ的な性格をもっていたからです。以前に私は、ヤマとサトとマチという論文において、ヤマは多分にマチと同じ性格をもっていて、ヤマはマチであると主張しました。ヤマもマチも貨幣を得て物を買わなければ生活がなりたたなかったからです。宗教都市小菅はマチだったのです。

2 祇園祭りに柱松がどうやって集合したのでしょうか。柱松は山で修行する人々の宗教行事として、つまり験比べとして当初は集落の祭りとは独立して行われていたと考えるのが普通ではないでしょうか。ついで、修験が宗教的な力を失うに伴い、祭りはムラの行事に組み込まれていった。笹本正治氏は、「慶長9年に馬市を開くために祇園祭の一環として柱松が組み入れられた場合、1604年から面々として柱松神事は続けられてきたことになる。すでに小菅の柱松柴灯神事は400年以上の歴史を持つ。現在のような柱松神事が行われる以前に、修験道の世界として小菅があったことは確実で、そこでの柱松が前提とされていたことを考えるなら、その歴史はそれよりもはるかにさかのぼる。」と述べている。いずれにしても、小菅を中心にして周辺地域に伝わる柱松の神事は、修験道の宗教行事がその後地域の祭りの中に取り込まれ、取り込まれた形で周辺に伝播したものと考えられます。


飯山市小菅の柱松見学

2016-07-18 14:14:31 | 民俗学

昨日、長野県民俗の会の例会で飯山市小菅の小菅神社の柱松行事を見学してきました。柱松は国の重要無形民俗文化財に指定された3年に一度行われる行事です。3年先になったらそれこそ自分の命があるかわからないので、何としてもと思って見学しました。そんな思いがあったかどうか、何人かの知った方にもお会いしました。その中には、福田アジオ先生もいました。

報告書を現地で購入しましたので、読んでから正確な文章を書きたいと思いましたが、時間がかかりそうですのでとりあえずの感想を書きます。この行事の概要は小菅神社里宮に祭られている神を神輿渡御によりお旅所までお連れして祀り、さらにそこへ奥社からも神を招いて鎮座させ、その前で2本の柱松の頂上に挿したオバナへ幼童が火打石で点火し、その早さで吉凶を占うものです。まず疑問に思ったのは、里宮から神を遷座し、さらに奥宮からもお連れするというのはどういうことか。里宮と奥院に祀られている神は、別のものと考えられているのかということです。奥宮までは日常的に参れない人々が、身近に祭ったのが里宮だとするなら祭神は同じはずですから、奥宮から里宮へ、そしてお旅所へという巡行ルートをたどるはずですが、まずは奥院でのお籠り、ふもとの護摩堂での禊をしたら里宮からの神輿渡御ほ経て、もう一度護摩堂に戻って隊列を作り、お旅所にきます。この巡行経路がうまく理解できないのです。

もう一つは、時期的に祇園の行事と思われる柱松が、修験の行事とどのように習合したか。あるいは、修験の祭りが祇園に引き寄せられたのかもしれませんが。もう少し報告書をよく読んで、考えてみます。

  


都知事選挙

2016-07-13 14:47:29 | 政治

昨夜、信州大学で安保法制反対の学習会がありました。今回はイスラムの研究者、板垣雄三さんの「新安保法制と反テロ戦争」という話でした。それは、アメリカの始めたイラク戦争が中東の秩序を破壊し、テロとの戦争という名目で延々と続く戦争を戦う現在であって、戦争にまきこまれるなどといっている場合ではない。イスラム世界によって白人の構築した世界秩序が壊れかかっている。世界規模で秩序の崩壊は起こっているという、グローバルな話でした。話が大きすぎて、どう受け止めたらいいのか戸惑うものがありました。そして、この大きな変動には陰で糸を引いているものがあるといいます。はっきりとは聞かせてもらえませんでしたが、アメリカの軍需産業ではないかと思います。アメリカのお先棒を担ぐ自民党、安倍政権と思いましたが、安倍が担いでいるのは軍需産業なのかと思ったのです。ここまでで思考は限界でした。

終わりに、信州市民連合の代表松本猛さんが参議院選挙の総括のような話をされました。信州で野党共闘がうまくいったのは、市民連合と野党が共闘できたことにあるといいました。たとえば、杉尾さんのポスターに鳥越さんの写真を載せるのは市民が考えたことで、市民が交渉もした。投票を呼び掛けるイラストも、市民の案だといいます。それが縁で、杉尾さんの当選が決まると鳥越さんから祝福の電話が入ったそうです。鳥越さんが立候補を決意するのは其のあとです。野党共闘と市民との連携を信州に見て、鳥越さんは立候補を決意したのではないかと思われます。ニュースステーションでも、杉尾さんという具体的名前は出てきませんでしたが、民進党で当選した議員に立候補の意思が伝えられ、それが岡田代表へと通じたといっていました。

安保関連法案廃止の運動はこれからも続きます。今月末に裁判所に提訴するそうです。私も原告の一人に名を連ねました。これからこそ、立憲主義を守るためにできることはしていかないとと思います。


選挙結果をどう読むか

2016-07-11 18:01:23 | 政治

今回の選挙は事前の予想どおり、与党の圧勝とまでは言えないかもしれませんが、国会前のデモは何だったのかと考えさせられるものでした。まず第一に、有権者の半数近くは投票に行かず、特に若者は年寄りに政治判断をお任せするという態度をとりました。テレビで報じた棄権した若者は、日曜くらいはゆっくりしたいので投票には行かなかったというものでした。これでは、若者をターゲットにした政策は立案されません。若者対策したところで票につながらなければ、政治家は関心を示しません。ところが、こんなに農家をないがしろにしているにもかかわらず、田舎の年寄りは与党にしか投票しないのは不思議です。都市の大企業向けの政策をしているのに、支えている有権者は田舎の年寄というのは皮肉なものです。

現政権の経済政策は、付けを先送りして今がよければ後のことは黙っている若者に押し付けるというものです。こんなことが続くとは思われませんが、かといって野党に代案がありません。キャッチフレーズになるような経済政策を野党が考えないと、にっちもさっちもいかなくなるまで今のままの異常な経済刺激策が続いてしまいます。そして、何よりも憲法改正が現実味をおびてきました。有権者の半数の半数にの支持をもって、国民は現政権に信託を与えたと豪語することでしょう。形はどうであれ、新安保法制に拒否の意思を示さなかったのです。棄権した若者たちは、戦場へ行ってもらえばいいと思います。その時になってアタフタしても、もうどうにもならないことは、先の戦争で分かっているのに、覚えている人々の多くは死んでしまいました。高まりを見せた平和への願い、現政権への反対運動は力を失ってしまうでしょう。何ということでしょうか。日々の暮らしにばかり目をやっている間に、とんでもない方向へと歩いて行っているなんていうことになりませんように。(既になっているか)どうすればいいんでしょうね。

と書いてみましたが、仔細に見れば切実な問題を抱える東北・北海道・沖縄では、また別な判断をしています。それは、もう少し考えて書きます。


w10へのグレードアップ問題

2016-07-10 16:44:38 | その他

5月ころでしたか、w10へのグレードアップしました。インストールしてあるソフトが正常に動いてくれるか、ドキドキ物のグレードアップでしたが、特に問題もなくその後も動いてくれました。ちなみに、以前に使っていたのは7です。不具合を生じて、10にはしてみたものの、元に戻すというような話が多かったのに、よかったと安心しました。ところがです、W10はインストール後も自動的にバージョンアップを続けました。そして先週ですが、ウィルスバスターが動かなくなり、パソの動きが極端に遅くなってしまったのです。ついにきたのか、と思いました。ただほど安い物はないという言葉をかみしめました。でも、これってインチキです。最初は何ともなくて、徐々に問題を生じさせるように仕組んであったのでしょうか。

修理に出すのも腹が立ち、復元することにしました。ところが、復元にも2種類ありました。よくわからず、初期状態に戻す方を選びました。イメージ的には7に戻るというものでしたが、そうはなりませんでした。ともかく1日くらいかかって、自分の作ったファイルはそのままに初期状態に戻りました。確かに動きは速くなりましたが、後からインストールしたソフトは消えてなくなってしまいました。その上、オフィスも見当たりません。えー、最新オフィスを買えっていうことかよ、と頭にきましたが、よくよく調べたら付属のCDRで再インストールすることで復旧できました。ところが、消えてしまった筆まめは、まさかこんなことになるとは思わず、バージョンアップ版CDしか保存してなく、シリアル番号がわからなくなってアウトでした。仕方なく買うことにしました。メールの設定をやり直し、アクロバットリーダーをインストールし、カメラの付属アプリとプリンターの付属アプリを再インストールしなどとしていたら、1日がかりでした。そうそう、アルバム作成ソフトもシリアル番号を使って再インストールできる回数が限度だといって、使えなくなりました。

時間と金をかけるのですから、このPCは相当何年も使わないと元がとれません。


日本会議

2016-07-04 19:26:44 | 歴史

社会科の教員として、公務員として、日本国憲法の3大原則・国民主権・平和主義・基本的人権の尊重は、左右それぞれ考え方の違いはあっても、基本的に遵守されるべきものと認識していました。この3つの原則があってこそ、戦後の日本国民の生活はあるのだから、正面切ってこの3原則を否定する人はいないだろうと、安易に信じていました。ところが、大きな間違いであることが今頃になってわかりました。天皇主権・軍事力保持・法律の許す範囲内での人権の尊重、を本来の日本の姿であり、敗戦後の日本は偽物だと本気で考えている人々がいるのです。当然、第2次世界大戦後の世界秩序、つまり東京裁判は認めませんし、日本の侵略戦争ではなく自衛戦争だと真剣の信じているのです。

周辺アジア諸国から、何と非難されようと弁解の余地のない考えの人たち。明治憲法と教育勅語を本当に復活させようとしているのが「日本会議」であると知りました。グロテスクなアナクロイズムだと思っていたことが、着々と現実化しつつあるのです。元号法、一世一元の法、紀元節の復活、国旗国歌法の制定、これらが地方議員の声を糾合する形で実現されてきたというのです。今日も森元首相が、国家を歌わないような者はオリンピックで国を代表する選手としてふさわしくないとか選手壮行会でいったとか。今の若者たちは、自民党がどれだけうっとうしい世の中を作ろうとしているのかわかっているのでしょうか。

憲法が政府を縛るものだという認識は、この国の美しい国柄としてふさわしくない。この国は和を尊び(分をわきまえて上の人たちの言に従い反対しない)美しい日本を作ってきたというのです。政府と国民は対立するものではなく、助け合うものだというのです。女は男に従い、貧者は富者の情けに期待し、弱者は強者にすがる。それがこの国の国柄だというなら、早く沈没でもしたほうがいいじゃありませんか。


池上彰の話をきく

2016-07-02 17:37:17 | 教育

退職すると、退職者の団体がいくつもあって入会を勧めてきます。そんな仲良しクラブに退職してまで属する気はないので、全て断るつもりでしたが義理のために断れず1団体だけ入会しました。信濃教育会賛助会というものです。教員の職能団体である信濃教育会に入会していて退職した者が、希望して加入する団体です。信濃教育会は色々と問題があり、というか戦争協力についてきちんとした総括をしていないのが気に入らないし、年寄りがはばをきかすうっとうしい雰囲気もいやです。役員やりながらそういうのも、おかしいのですが。それでも、教員の自主的研修団体として一縷の望みももっています。その信濃教育会の総集会が今日松本であり、賛助会の受付をやってほしいとのことで、朝から参加しました。午前中はパネルディスカッション、午後は池上彰氏の講演会でした。

午前のパネルディスカッションのパネラーの一人は、退職時に勤務していた小学校の先生で、その後山間の小さな学校に転勤し、学級崩壊したクラスを担任している苦労話をしてくれました。私の学校では高学年の担任をしてもらいました。よく外遊びのできるクラスで、朝早くからそのクラスの仲間は校庭で遊んでいました。そして、職員室の窓をたたいては担任の先生を呼び、何ができるようになったとか、何くれとなく話をしたがっていました。その都度先生は、またー、なんだよー、とかいいながら、うれしそうにクラスの子どもたちに対応していました。いい関係だなーと、いつも私は見ていました。その先生が、山の中の8人ばかりの子どもたちと奮闘しているというのです。大丈夫、あの先生が担任なら絶対子どもとの関係はよくなると思いました。帰りがけにその先生が私に声をかけてくれたので、大丈夫だとお伝えしました。

さて、池上彰氏の講演です。3年頼んでいよいよ断れなくなり、引き受けてくれたそうです。演題は、「『いい答え』ではなく『いい問い』を~これからの学力を考える~」というものでした。2時間もの間、あきさせず話に引き込む話術は、慣れているなと思わせられるものでした。ポイントがいくつもあって一口ではいえないのですが、印象に残ったフレーズとして「すぐ役にたつもの(知識)はすぐ役に立たなくなる」という、MITを取材したときにいわれたという言葉がありました。学校で教えてくれるのは、今役に立たなくとも人生のどこかであああの時のことが役に立ったと思えるようなものだというのです。それから、週刊子どもニュースを十年以上もやって、自分の説明では子どもがわからないとということを学ばせてもらったといいます。子どもに教えるつもりが子どもから教わったということです。それから、今は東工大で教えているが、単位の認定が厳しく4割も落としたので、800人もいた受講希望者が、何年かで40人に減ったということ。東工大あたりでも、文章が書けない学生がいるというのは意外でした。


初めて目にした道祖神

2016-07-01 14:59:27 | 民俗学

長野県民俗の会で、「長野県道祖神一覧」を作ることになり、担当者がいなくなってしまった東信地方を私が担当しています。図書館にしか該当地域の石造文化財資料がないので、上田と佐久の図書館へ週1位に通っています。といっても、同時にとはいきませんので、佐久の図書館へは1度行って資料の所在を確認しただけで、当面は上田の図書館に通っています。上田・佐久の石造文化財資料は、岡村知彦さんという方が独力で全地域の悉皆調査をして私家版として資料集を作成し、図書館に納めてくれてありますので、その資料を見ながら道祖神をピックアップしているのです。今まで、東信の道祖神を詳しくあたったことがなかったので、資料を見ながら新しく知ることがいくつもありました。

松本で道祖神といえば、双体像が刻まれて辻や村の中央に置かれたものがイメージされます。松本、安曇地区では道祖神をアイテムとして観光的にPRしてきましたし、今もしているので、道祖神=安曇野・松本周辺と他所の県の人々はイメージされると思います。そればかりか、イメージ戦略だとわかっているくせに、松本に住んでいる者からして特定の道祖神のイメージに染まってしまっていました。東信の道祖神の資料にあたってみて、そのことに気づきました。まず第一に、双体道祖神は安曇野の専売でなく、東信の道祖神にも多いのです。というより、文字碑よりも圧倒的に多いのです。ただ、東信の場合石質がもろく彫りも浅いため、大部分が摩耗してしまっています。だから、美的に取り上げられることが少ないと思います。次に、文字碑あるいは双体像の道祖神の周辺に、50センチ前後の自然石の道祖神の集積がみられることを、今回初めて知りました。自然石の道祖神と書きましたが、それを何と呼び神と考えていたかどうかは、自分で調査してみないとはっきりはわかりません。岡村さんは、いわゆる道祖神の周囲にあるので自然石の道祖神と判断されたのかもしれません。自然石の集積が何か所もみられることが気になりますし、近くに道祖神のない処に陽石(男根石)が、道祖神とは分類されずにあったりもします。いわゆる道祖神の近くに、道祖神として陽石が集積されている場合もあります。これは松本・安曇野ではあまり目にしたことのない資料です。洗練された道祖神よりも、歴史的にはずっと遡りそうな気がします。そして、単体道祖神像というものも、数は少ないですが見られます。道祖神だから双体というのはある時代の固定概念であることを思い知らされます。倉石先生にいわせれば、自然石の道祖神と双体像の道祖神と、神に2つの流れを考えてもよくないかともいいます。

現地で確認していないので何ともいえませんが、何本もの自然石がまとまって立っている姿は、縄文時代の列石を思わせるものです。図書館通いで資料の整理が終わったら、現地を訪ねてみようと思います。