民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

死蔵されいずれゴミとなる民具

2020-10-26 17:08:04 | 民俗学

平成の大合併以後、小さな村や町にあった民具展示場、それは歴史民俗資料館と名付けられたものが多いのですが、は大方鍵がかけられてほこりにまみれているか、廃校となった小中学校に移動して集められ、その学校と共に朽ちるのを待っています。そこにあるのは、たとえば数多くの箱枕やお椀箱善、糸車などの養蚕用具だったりします。ムラに声をかけて集めたので同じ物が数多くあります。受け入れ事務をしていないので、ムラのどこにあった物か、正確な呼称、使い方などが正確にはわかりません。そして、何よりも地域の地理的、文化圏的特性をあらわす物が何なのかは、誰もわかっていません。学芸員といわれる人がいればまだいいのですが、市の職員はいても専門的知識のある人は稀ですから、できるだけ手を触れないように視界の外に保管するようにし、いよいよとなれば一括して廃棄となるでしょう。

 文化にお金をかけられるほど、財政的ゆとりがなくなってきているというのはわかります。しかし、住民が文化的アイデンティティーをもつということは、人口減少化社会で地方都市を継続していくには、長期的に見ればなくてはならないものです。目先のわずかの見た目や、入館者数、入館料にばかり目が行くと本質を忘れてしまいます。足元の文化を見直し誇りをもつことを忘れてしまったら、郊外の新興都市群と同じになり、いずれ土地との結びつきを感じない多くの人々は、別の土地へと流れて行ってしまいます。山の中の廃校で、じっと朽ちるのを待つ民具は、後に朽ちていく地方都市の象徴のような気もします。


日本民俗学会年会参加

2020-10-04 11:35:55 | 民俗学

昨日今日(10.3~4)開催している、日本民俗学会の年会に参加しています。それが何で今こんな投稿ができるかといえば、オンライン開催だからです。もちろん新型コロナの感染防止のためにとられた措置ですが、こんな方法もありかと思うのです。シンポジウムはズームで、各研究発表は動画をユーチューブにアップしてそれを見る、という方法で行われています。そのため、今回開催予定の名古屋まで行かず、自宅のパソコンの前で参加しているのです。

オンライン開催の利点は幾つもあります。まず、宿泊費と交通費がかからない。大学在籍の研究者は出張扱いで旅費が支給されますが、私たちは自弁です。自腹を切らずに参加できるのは大きいです。そして、時間に縛られずに多くの研究発表がきけます。今回は私も研究発表していますが、従来でしたら自分の発表時間とその前は、発表会場にいなければいけませんから、他の発表は聞くことができません。また、興味のある発表があっても時間が重なっていれば聞くことができず、せいぜい会場の入り口で資料をもらうくらいでした。さらに、自宅に帰るために、午後の発表はほんの少しだけ聞いて、帰途につかなければなりませんでした。これから1週間は自由にアクセスして研究発表を聞くことができますから、楽しみです。

オンライン開催のマイナス点とすれば、1日目の夜にある懇親会に参加できないことでしょうか。1年に1度しか会えない人もいますので、なつかしい顔を見ながら酒を酌み交わし、熱く民俗学について語るのは学問へのエネルギーの大きな補充となります。

さて、またいくつか研究発表をのぞいてみましょう。そして夕方、一人でうまい酒でも飲みましょう。


お寺との別れ

2020-09-15 13:48:37 | 民俗学

昨年の暮れから今まで、多くの人との別れがありました。私の母、妻の母、おば2人とおじ1人。いずれも仏式の葬式でしたが、坊さんは自分の宗派を信仰によって選んだ信者に対する、という態度で話もしました。本当は参集した誰も、浄土宗だから、真言宗だからなどといって、その坊さんの寺を選んだわけではありません。昔からその寺の檀家だったり、たまたま手に入ったお墓が、その寺の管理墓地だったりしたのにすぎません。坊さんも、そんなことは百も承知のはずですが、信仰によって自分の寺が選ばれた、というふりをします。葬式に参列した人々は、その坊さんの属する宗派の宣伝など聞きたくありません。にもかかわらず自分の寺の宗旨がいかにすぐれているか、開祖が何をいったのかという話をしたがります。故人とのつきあいがなければ、そんな話をするしかないのかもしれません。ならば、仏教徒は、という話が聞きたいです。坊さんの話には、大概うんざりします。

私の家では、父が購入したお寺の管理墓地があります。父はその寺の宗派にひかれたのでも何でもなく、墓地区画が売りに出されたからたまたま手に入れたにすぎません。しかし、寺の管理墓地である以上、葬式は必ずその寺に依頼するしかありません。ここが共同墓地との違いです。ところが、私は自分の葬式に坊さんが関与してほしくありません。できれば仏教とは無関係に、お別れ会でもやってもらいたいと思うのです。とはいえ、今のままで寺に言わずに葬儀をしたら、お骨を墓に納めるには寺との間で、相当なトラブルが予想されます。子どもたちにそんな問題を引き受けさせるわけにはいきません。それで、とりあえず父と母のお骨を永代供養墓に移し、私の家の墓地は更地にして寺に返そうと考えています。更地にするにも永代供養墓に移すにも、かなりのお金がかかります。何をするにも、寺との間はお金がかかるのです。


コロナ後の心性3

2020-07-06 15:56:23 | 民俗学

前回、静かに進んでいた民俗の変化がコロナを契機として、急速に進むのではないかと書きました。習俗を簡略化するのにコロナは格好の理由付けとなります。いやでもやらなければならなかった習俗が、一気に廃止になるかもしれません。明治維新で旧来の陋習といわれ、敗戦で非民主的だといわれてなくなってきた儀礼が、壊滅的な打撃を受けるのではないか、と思うのです。人と人とが物理的距離をとって相対し、人が寄り集まることをできるだけ避けるとなれば、儀礼的な習俗はやりたくてもできませんから、やりたくないと思っていたものは、これを機会に廃止の方向へ大きく舵を切ります。

行為としては昔からやっていたことや、皆がやるからしかたなくやっていた事はやらなくなるでしょう。ところが、その原動力となっている「同調圧力」は、むしろ強まっているようにも思えるのです。自粛要請に応えない店への誹謗中傷、自粛警察ともいわれる攻撃、町会役員による自粛パトロール。まるで戦時中みたいです。欲しがりません勝つまでは、ではありませんが、出かけませんコロナに勝つまでは、といった感じです。感染が怖いのはわかりますが、みんな生活がかかっています。生活保障があればですが、そうでなければ店を開くというのは当然な行為ではないでしょうか。

同調圧力は社会状況が変わっても変化しない、ということが今回わかりました。昨日までの軍国主義者が、今日は民主主義を唱えるようなものです。ここを変えないと、この国に創造的な仕事は生まれようがないと思います。

 


コロナ後の心性2

2020-06-29 13:55:47 | 民俗学

民俗学の内部では、葬式関連の習俗は他の習俗に比べて変化しにくいものと言われていました。人の死を送るという厳粛な儀式では、変化や新しい要素を加えることは憚られ、代々受け継がれてきたことをそのままの形で執行することが、亡くなった方への礼儀のように思われてきました。だから、直近に行われた葬儀の形式を踏襲したり、長老の記憶に従ったりして、できるだけ変化がないように儀式が続けられてきました。そうはいっても社会が変化すれば葬儀も変化せざるを得ないのですが、その変化はずっとゆるやかなものであったといえます。葬儀が変化することにブレーキをかける社会的圧力があったともいえます。

さて、既に書いたように3月に母を亡くして葬儀をしましたが、そこでは大きく変化させたことがありました。母の死と葬儀日程を世の中に告知せず、本当に隣近所にだけ死を知らせて、葬儀は親族だけでおこなったのです。97歳という高齢での死去ですから、親族以外で実際に付き合いのあった方々は既に亡くなられていて、義理のやり取りは終わっているはずですが、民俗社会はそうではありません。ほっておくと、母や父の付き合いは私が引き継いでいかなければならないのです。地元で生活していればそれも仕方ない事ですが、私は離れて暮らしています。可能ならば、ここで義理のやりとりを終わりにしたい、つまり母の義理を受けないで済ませたいと思っていました。ですが、義理を断るには、それはそれでトラブルまでいかなくても相手にはいやな思いをさせてしまいます。そんな時、コロナの流行は義理を辞退するのに、おあつらえ向きの理由となりました。実際、3密を防ぐために多数の人々が集合するのは避けなければなりません。葬式をやらないわけにもまいりませんが、できるだけ参列者を絞る事は社会的に許されるでしょう。このごろの新聞のお悔やみ欄の変化として、既に近親者で葬式は済ませましたという告知が増えているとの報道がありました。私だけではないということが、新聞報道からも読み取れました。

家族葬ないしは親族葬で送りたいと思っても、一般の会葬者がいることの圧力から、なかなかそうは踏み切れなかった人々が、コロナの力を借りて一挙に参列者の縮小化に乗り出したといってよいでしょう。もともと家族葬への流れがあったところへ、コロナの流行が加速度的に変化を加えている、といえます。この流れは地方でも止めることはできないと思います。つまり、コロナの流行が先人と同じことをしなければいけないという世間の圧力を押しつぶして、葬儀という習俗の変化を急激に進めているのです。そうすると、もう一歩進めれば、世間の同調圧力がコロナの影響で弱まったかに見えますが、実はそうでもないようなのです。それは次回。


コロナ後の心性1

2020-06-22 15:14:31 | 民俗学

長かった巣籠り生活から、日常が戻りつつあります。といっきたようにても、リタイアした身にとっては、巣籠りの日常もそれ以前も、暮らしのスタイルとしては大きな違いがありません。自分の暮らし方は変わらないにしても、社会的なお付き合いの仕方は変化せざるをえませんし、それにともなって習俗もかわっていくように思います。敗戦前後で社会的行動様式が大きく変わり、私たちが取り組んでいる伝承というものが消滅してきたように、コロナ前後で伝承にも最後の一撃が加えられたように思います。

無くなった母が私の子どもの頃によくいっていた行動の規範に、世の中の人たちに何言われるかわからないから、というものがありました。私はそうした考え方が非常にいやでしたが、世の中の人々に非難されないように、それは悪いことをしないというよりも、世間が求める行動規範から逸脱しないように気を配って行動しないといけない、というものです。年中行事や人生儀礼などを人並みにしないと、陰で非難されるということです。事実、昔はおばさんたちが集まってお茶を飲むと、たいていはそこにいない人の家の悪口でした。不思議なことにさんざん悪口言った人に、道端などで会っても全く何もなかったかのように、親しく会話するのです。私は子どもながら、あんなに悪口言っておいて、よく普通に話せるものだとあきれてしまいました。そうした悪口が、ムラ人の行動を規制し、伝承を伝承たらしめていたのでした。それは、イエ同士の、あるいはイエの中の序列関係があるていど固定的であったことも、原因となっていたことです。

ところが、敗戦で家庭内や同姓、そして家庭内の序列が流動的になると、あからさまに強者が弱者の非難はできませんから、社会的行動規範がほころんで、イエのあるいは個の行動規範にしたがって生きる人々がでてきます。祭りの日の朝、若者が仕事を休んで祭りにでるかかどうかで父親と喧嘩するような場面もでてきました。若者はムラの祭りよりも会社に出勤する方を選んだのです。そうはいっても自分の考えを押し通すわけにもいかないと考える人たちもいて、現在までも細々と伝承はつながってきました。どこかには、近所の人、ムラ顔役、同姓の長老などに何か言われたくないという思いがまだ残っているのです。その最たるものが、冠婚葬祭です。それが、コロナ後どうなる、どうなったでしょうか。


遺品整理

2020-06-15 17:19:46 | 民俗学

既に書いたように昨年12月末には妻の母を、この3月末には実母を亡くしました。両方の父は既に亡くしましたので、両親の4人ともを亡くしたのです。父が亡くなった時は、母が元気で存命だったので、父の遺品は何となく手を付ける気にならず、実は何もできないにしても母親が始末するべきものののような気がしていました。ところが母もなくなってみますと、いよいよ残された物を片付ける人は誰もいないことがはっきりしました。母がなくなったばかりの頃は、さすがに故人の残した物を捨ててしまう気にはなれなかったのですが、今になれば、このままにはしておけないという思いや、自分の体が動くうちに何とかしておかなければいけないという焦りも出てきて、両方の家の、といっても自分の実家がどうしても主体とはなりますが、遺品の片付けを始めています。遺品と言っても、その大部分は衣類です。ところが運悪く、コロナの影響で古着の輸出が止まっているとかで、資源としての衣類の収集が中止となってしまいました。仕方なくダンボールやビニール袋に入れて片付け保管しておくことにしました。そして、空いたタンスなどを捨てることにしました。

高齢の方と話をしてよくうかがうのは、子どもに迷惑をかけたくないというものです。自分もそう思います。私どもの親たちは、後の始末は子どもがしてくれる、任せるのが当たり前と思い、何の整理もしないで亡くなっていきました。それが普通だという世の中で育ち生きてきたわけですから、仕方のないことです。ところが、自分自身は子供に全てを任せておけばいいとは思えません。自分の体が動くうちに、できるだけ自分の始末はしておかなければなりません。親が残した雑物を片付けながら、自分の行く末をしみじみと考えてしまうのです。


見えない物を見る

2020-06-12 11:21:30 | 民俗学

一般には見えない物をみる、あるいは見えない物をある物としてふるまう。その見えない物を形として、あるいは言葉として示す。それが民俗学の一つの目的だとしたら、行者といわれる人たちがやってきた、やっている仕事と同じではなかろうか。最近、そんなことを考え、憑き物についてや修験道関連の本を読んでいます。

目に見えないウィルスとこれから先どうやって付き合っていくのか、コロナ後の社会生活のありかたが話題となっていますが、見えない存在をあるものとしてふるまうのは、想像力の問題です。その想像力が悪意に向かった極限が憑き物のように思います。四国の犬神憑き、中国の狐憑き(人狐)、上宝周辺の牛蒡種、中央高地のイズナなど、一定のエリアで流行した憑き物がありました。しかも、家筋で伝わるとする質の悪い伝承です。その理由付けに大きくかかわったのが、行者・修験者であったと思われます。病気や不幸なできごと、富の浮沈などを神の名前や架空の動物の名前をだして、訳知り顔に解説し何がしかの祈祷料をとる。一般人には見えていない物を自分は見えるのだと主張し、尊敬と畏怖を得る。ひどい話ですが、多くのまともな宗教もそんな素朴で怪しげな行為から始まったのも事実です。かつて御嶽講の先達に、寒行で真夜中に水をかぶっているときに、木の上を天狗が飛び回るのを見たと聞きました。父からは、御嶽に登拝の途中、神がかりになった行者からすぐ下山しろというお告げを受け、下山したおかげで大きな落石に当たらずに済んだという話も聞きました。まともな修験もいます。


コロナ差別

2020-05-24 10:43:22 | 民俗学

ようやく緊急事態宣言の全国解除が見えてきて、重苦しい自粛要請も出口が見えてきた気がします。ウィルスという見えない物に、どうやって対処したらいいか、難しい問題ですね。見えないからこそ、恐怖も広がります。恐怖が広がると、いわれなき差別も広がります。誰かに、何かに原因を求め責任をとらせたい、と思うわけです。そんな気持ちから、感染者や医療従事者への投石、落書き、ネットでの誹謗中傷、子どもを登園拒否する、などの行為が問題になっています。これは、ハンセン病やHIVの患者への差別に通ずるわけですが、私は見えない物を見える化して差別するという点で、「憑き物」により類似しているように思います。

憑き物は、現在ではほとんど語られなくなりましたが、だから憑き物を生み出した心性が無くなったわけでも、憑き物を生み出した原因が突き止められたわけでもありませんから、形を変えて現代によみがえってきても不思議ではないわけです。子どもの頃耳にはさんだ大人の話のかすかな記憶ですが、○○さんに狐がついて、寝床には狐の毛がついていたとか、油揚げを食べたがっていっぱい食べた、などといった話だったと思います。調べてみますと、西日本ではキツネや犬神は家筋についていて、結婚を忌避されたそうです。長野県では、家筋につくという話はなかったです。何らかの利害関係にある人をあげて、○○さんが狐をつけたとかいって、つけた人を差別したり、ついた人を差別したりしたものです。当然ですが、狐や犬が人に憑くなどということはありませんから、そうした話が事実として認定されるには、民間宗教者の関与があったことでしょう。

人間はいつの世でもスケープゴートを仕立て上げることで、その他の人々が結束してきたといえるのでしょうか。人間は弱く、生き延びてくるためには、集団化し弱い力を合わせる必要があったといいますが、人が集団化するために生贄を必要としたのでしょうか。だから仕方ないというのではなく、もぐらたたきのようであっても、知性で差別をつぶしていかなければならないと思うのです。


玄関で靴を脱ぐ

2020-05-21 09:04:54 | 民俗学

ロックダウンした外国の都市の映像で、防護服を着た人が通りを消毒してまわるものが、何度か見られました。靴の底に菌をくっつけて家の中に持ち込むのを防ぐ、というためでしょうか。また、ワイドショーで医療の専門家が、日本人の生活習慣として、家の中に入る時に靴を脱ぐことが、感染が広がるのを防いでいると発言しているのも見ました。確かに日本では、感染防止のために道路を消毒するという発想はわかないし、実際やってもいません。海外で暮らしたことがないのでよくわかりませんが、家の入口で靴を脱ぐのは日本独自の習慣なのでしょうか。

私の教員としての初任地は木曽福島町でした。今の木曽町です。まだ学校に牧歌的な雰囲気があったころです。先輩の先生に終戦間もないころ、開田村での経験を聞きました。家庭訪問でのことです。開田の民家は軒の低い板葺きの棟造りです。接客空間は土間に面した囲炉裏でした。家の入口を入ると中は薄暗く、囲炉裏までの間に段差がないのでどこで靴を脱いだらいいか、わからなかったといいます。履物をはいたまま濡れた、あるいは冷えた足を囲炉裏に投げ出して温めるようになっていたのですね。馬が村の中を自由に走り回り、人間が柵を作った中で生活していたころの話です。家の内外の区別が履物でははっきりしなかったのですね。数年前、息子の赴任する上海のマンションに行ったところ、中国人の住む部屋では履物は廊下に出してありました。時代劇を見ると、旅籠に着くと、上がり框でわらじを脱がせて足を洗ってくれる場面がありますね。足を洗うというのは、まさにそれまでの心身の汚れを落とすという象徴的な行為だったのかもしれません。

我が家では、バリアフリーの集合住宅なので、玄関に内外の段差がありません。うっかりすると、土足で中に踏み込んでしまいます。事実、息子は靴を脱ぐのが面倒だと、履いたままで玄関に置いた鏡の前に立ったりしています。とはいえ、あくまでそれは例外的な行為で、土足のまま自分の部屋に入って生活することはありません。生活が洋風化したといっても、玄関で土足を脱ぐという習慣はなくなっていません。さて、これから先はどうなるでしょうか。