民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

失われた行政文書から

2018-04-17 16:24:38 | 政治

政府は失点続きでも開き直っています。そこで、ないはずの文書が出てくる問題を整理してみましょう。

少し前の佐川元理財局長の証人喚問で、丸川議員が「総理夫人の関与はなかったですよね」という立場がよくわかる質問をしました。「ありましたか」ではなく、「(まさか)なかったですよね」というダメ押しの質問(といえるのか)。答えは「はい、ございません」に決まってます。陸自の日報、官邸の面会記録など探してもありません、という答えの文書が数多くあります。この時の「探せ」という指示は、おそらく以下のようなものだと思います。

「イラク派遣部隊の日報は(まさか)ないでしょうね。(しっかり探さないで、もしでてきたら隠すのですよ)」と言外に言われて、自衛隊員は「目にした限りでは、(不都合な)日報はありませんでした。」と答え、しぶしぶなのか、どこかから日報がみつかれば、命令に従わなかった制服組が悪い。シビリアンコントロールがなっていないと、トンチンカンな批判を受けます。違います。シビリアンコントロールはできているのです。時の政権に服従し、不都合な情報は出さないという形でシビリアンコントロールは十分に機能しているのです。ただし、ここで憂えるべきは、制服組の高官は最前線の部下たちが戦場ではないと言われて派遣されるのを見殺しにすることを明らかにしたことです。なぜ本当の活動の様子を国民に開示して隊員の命を救おうとしないのでしょうか。こんな自衛隊には今後志望者が激減すると思います。明らかな戦場に隊員を送ってはなりません。

政権にとって不利な文書を、「探しなさい(真剣にさがすな。あったら廃棄しろ)」という命令では、役人は捨てばちになります。でてくればきたで、末端の役人の行政文書のつじつまあわせが原因だと罪を問われる。そして、いつまでたっても上の者は責任をとらない。これは、親分の気持ちを忖度して動くヤクザの組織の在り方です。官僚の質が低下したのではなく、政治家がヤクザになったのです。間違えてはなりません。たしかヤクザを取り締まるために、親分が直接命令してなくても子分がやったことでオヤブンの刑事責任を問える法があるはずです。


富士山と海

2018-04-13 06:58:45 | その他

富士山と海の見える温泉を探したら、焼津まで来ることになりました。宿から両方見えて、予想通りで満足です。車を運転してくる途中、待てよこの景色はと既視感がどんどんわいてきました。そして思い出しました。塀の向こうの特別な場所に行った生徒にあいに、清水へ行った時に通った道でした。彼は今どうしているかなどと考えました。

焼津はあの第5福竜丸の基地だった港です。資料館がありました。忘れていますが、忘れてはなりません。

戦争への道

2018-04-04 11:28:47 | 政治

またも行政文書の隠ぺいが発覚しました。しかも、今度は自衛隊の活動記録です。はっきりとそうはいえないのでマスコミもイラク派遣部隊の日報がみつかったが、公表が遅れたことを問題にしているだけですが、おそらく、あるのがわかっていてないと国会で答弁したのでしょう。その中には、派遣地域が決して安全ではなかった事実が書かれているにちがいありません。不都合なものはなかったこと、廃棄したことにすればいいといった、現政権の国民を無視したご都合主義が透けて見えます。あるものをないことにしたり、公表する文書を改ざんしたりすれば、国会でのそれに基づく審議など何の意味もなさなくなってしまいます。前にも書きましたが、それは民主主義の完全なる崩壊です。民は知らしむべからず依らしむべしという政治姿勢は、専制政治、一昔前の政治姿勢です。

満州事変が勃発したとき、国民のだれが日本軍のしわざだと知っていたでしょう。勝手に戦争を始めて引き返せない方向に国を導いたあの戦争の教訓は、どこへいったのでしょうか。権力を握ったものが腐敗するのは世の常です。しかし、安々と国民は騙されてよいものでしょうか。今心配なのは落ち目の現政権が国民の目先を変えるために、北朝鮮との緊張関係を意図的に高めるのではないかということです。それを知ろうとしても、文書を隠ぺい改ざんしてしまえば、私たちにはそれを知る術はありません。刻々と戦争への道を歩まされているような気がします。