下諏訪で飲んだ酒の話です。下諏訪には1軒蔵元があります。菱友酒造といいます。商品名は、御湖鶴。宿をとった「ぎん月」の近くでもあり、街をブラブラしながら蔵元で買えばしぼりたての旨い酒があるだろうと、訪ねてみました。ところが、店にはカーテンがひいてあり鍵がかかっていて、休みみたいです。裏の蔵にも誰もいないみたい。せっかくきたのに残念に思い、町の中の酒屋で御湖鶴の純米酒を購入しました。宿では夕食には、御湖鶴は買ったので別の諏訪の酒を注文して飲みました。高天といいましたか。なかなかうまい酒でした。もう少しと思い、中居さんと話していると、御湖鶴のはなしになり、蔵元に行ったが今日は休みだったといいますと、最近、従業員がやめたりして休んでいることが多いといいます。ただ、いい酒でサッカーの中田が作った店に提供しているとか、JALの機内食に出されるとかいうものですから、1本燗酒で飲んでみました。燗がつきすぎていることもありましたが、やたらと後味が甘く酒の香りはありません。正直まずい。こんなものが何で機内食に採用されたり、中田が店でだすのかとがっかりしました。とはいえ、店の人に味はいかがですかといわれ、マズイデスともいえないので、おいしくいただきましたと答え、以後話題にしませんでした。それでも、普通酒だから美味くないのであって、純米酒はうまいかも、とのぞみをもって自宅に帰ってから購入したやつを飲んでみましたが、やはりまずい。できそこないの酒に醸造アルコールとブドウ糖を混ぜて作ったような味です。これでは売れなくて、従業員もやめてしまうと独り言ちました。ところが、それは私が感じただけの感想ではなかったことが今日の信濃毎日新聞を読んでわかりました。御湖鶴は負債を抱えて製造中止だといいます。海外進出やら東京進出など、はなばなしい販売戦略をおこなったがうまくいかなかったとのことです。そりゃそうです。どんな販売戦略たてようと、酒そのものがあんなにまずいんじゃ、2度目の客はいません。酒の味のわからん者が社長と杜氏だったのでしょうか。うまい酒を造ることがまずあって、しかる後にいかに売るかです。新聞には日本酒需要の落ち込みのあおりを受けてとか書いてありましたが、それは間違いです。まずいのです。
下諏訪へ行ってきました。数年前、教員のOB会で訪ねて以来です。一泊して温泉も楽しみました。こじんまりした家族的な宿で、居心地よく過ごせました。前回泊まった秋宮脇の山王閣は営業を停止したそうで、下諏訪には大きなホテルは一軒もないといいます。年寄りには静かでゆったりした街でいいのですが、若者には物足りない気もします。
今回は中山道からはずれて、桜並木を山のほうへ歩いてみました。ちょうど桜の時期で桜の花を見ながら諏訪湖も見れると宿の方に聞いたからです。目指して上ったのは慈雲寺という禅宗の寺です。武田氏が庇護したということで、棟には武田菱と梶の葉の紋とが飾られていました。
禅寺らしい風格をもった立派な寺でしたが、興味をひかれたのは旧中山道からの参道にあるものです。中山道から急な階段で参道が続くのですが、上り口にあるのがこれらの霊神碑です。階段の左右にかなり建っています。
そして階段の途中で右手の斜面を平らに切り開いてあったのが、修験道の教会です。教会に面して左手には滝がしつらえてあって、行場であることがわかります。清滝との石碑がありました。
滝の上の段には、不動明王を祀った小祠がありました。
要するに禅寺の参道に修験道の教会があって修行もしていたことがわかります。高島藩は廃仏毀釈をさほどにはしなかったといいます。だから、寺と神が同居するような姿が今も続いているのでしょうか。不動明王を祀った祠の近くには「矢除け石」という伝説の石があります。慈雲寺の住職が信玄に我を弓で射てみよといって岩の上に立つので射たが、当たらなかったという霊力のある石だといいます。石の上に立って何者かに変身するというのは、大祝が即位するときに岩の上に立って新しい衣をまとうという儀式を連想させます。
本日、業者さんに来てもらってプリンターをネットワーク上に設定してもらうことで、ネットワークが復旧しました。原因は何と、WIFIのルーターが誤作動し間違ったIPアドレスを指定していたというのです。先々週の週末あたり、つまりネットワーク上の外付けハードやパソコンを認識できなくなったとき、プリンターにも誤ったアドレスが送られていたということです。ルーターの暴走ですが、業者さんに聞いても原因は不明。ルーターを立ち上げなおしてからPC、プリンターを新たにたちあげることで、正しく復旧しネットワークがつながりました。ルーターの寿命も短いと3年位といいますので、今度同じことが起こったらルーターを立ち上げなおしたりしてみて、それでもダメならルーターの買い替えとなります。40分ばかりで1万3千余の出張修理代金でした。これを高いとみるかどうかですが、IPアドレスが違っていることなど、どう考えても素人にはわかりませんから、技術料とすれば妥当かなと思いました。それにしても、出張していって設定できず、改めて出直しますとも言えませんから、技術屋としてのハードルはかなり高い気がします。修理や設定に何の道具も持参せず、自分の経験と頭だけの勝負ですから大したものです。
私はルーターを設置して、wifiネットワーク経由で機器を利用しています。デスクトップPC、モバイルPC、スマフォ、プリンター、外付けハードディスク、テレビなどです。ところが、先週末からネットには繋がるものの、ホームネットワークで共有している機器が相互に繋がらなくなってしまいました。一番困るのはプリンターです。すべてのPC、スマフォで使っていたプリンターがネットワークに設定できず、使えません。CDRを使って最初から設定しなおしても、どうしてもネットワークで認識してくれません。外付けハードも画面上から消えてしまいアクセスできません。よく電源が切れてしまって繋がらなかったことがありましたが、今回電源を入れなおしてみてもネットワーク上にはのりません。どうしようもないので、プリンターの設定は業者に依頼しました。来週出張してきてもらいます。それさえやってもらって原因が判明すれば、あとは自分でできるでしょう。
突然でしたので、原因がわかりません。怪しいのは、勝手にやってしまうW10のアップデートではないかと思います。何か同時にアップデートするべきソフトがされていないとか、何か新しいソフトのインストールが必要だとか。W10のアップデートは余計なお世話というか、おせっかいというか、知らないうちに勝手にやるというのはどうかと思います。ともかく、今はネットワーク上のプリンターがつかえないため、USBでつないである古いプリンターをかろうじて使っているのです。
私は長野県民俗の会と信濃史学会の両方で、会誌の編集に携わっています。もう来年度の執筆者をさがして依頼をしています。長野県民俗の会『会報』は今年40号という節目を迎えます。それで記念号というほどのものではありませんが、多くの会員に投稿を投げかけて諾という返事をいただくことができました。100ページは超えるものを編集できそうで、こちらは安心しています。一方、信濃史学会の民俗学特集号ですが、こちらについては信濃史学会の会員に限らず、若手の研究者に依頼して意欲的な論文で構成するようにしてきました。つまり、長野県民俗の会は会員の論文にこだわって会員を育てることに重きを置き、信濃史学会は内容がよければ極端に言えば誰でもよいというスタンスで依頼しています。今年度についていえば、長野県民俗の会の会員の原稿は、すべて『会報』に掲載しようとしたため、信濃の執筆者がなくなってしまいました。例年のように知り合いの大学の先生方に院生もしくはオーバードクターを紹介してもらっているのですが、現時点で1名のみ、了解を待っているのがあと1名で、あてにできる執筆者は2名(1名)しかいないのです。困りました。誰かいないかなー。
妻が2年前位から近くの公民館で月に2回開催される古文書教室に通っています。ところが、そこへの参加者が高齢化で減少したため、同じ講師の先生がもう少し遠くの公民館でやっている古文書教室に合流してやることになりました。病気している妻にとって、歩いたら少し距離があるため車で私が送っていくことにし、せっかくだから自分の参加することにしました。本当に古文書を読むことが好きな横田という、私よりも高齢な先生がボランティアで講師を務め、毎回手持ちの古文書をテキストとして用意してくれます。だから何が出てくるか、その場にいくまでわかりません。といっても、近世の地方文書ですが。参加者はリタイアした男女の皆さんで、自宅に文書を保管している人も何人かいるみたいです。私にとっての初回の前回は参加者が多く、15人ばかりいました。春休みで中学生までついてきていました。今日は7,8人だったでしょうか。毎回出席されている人が大部分で、皆さん熱心です。横田先生も熱心です。文書の解説で、江戸時代の世相などについて詳しく教えてもらえます。近世後期の松本藩のよくでてくる役人の名前は、すぐわかります。まるで親戚のおじさんおばさんを語るみたいです。こんなに熱心に古文書を学ぶ人々がいるというのは、さすがに城下町だと思います。
古文書教室の先生や学ぶ人たちは、一般市民です。だから、特定の問題意識や関心があるわけではありません。まずは、「文書」ありきなのです。たまたまある文書に関連して、江戸時代の人々の生きざまや文物について興味深く学ぶということで、そこから何か論文が生まれるというものではありません。前回と今回と2度に分けて読んだのは、心中を語り物のように書いた瓦版でした。感心するのは、横田先生は文書の舞台を実際に訪ねて、今も何軒家があったとか寺があったとかいって解説してくれることです。わらじ史学といわれる長野県の地方史研究はこういう郷土史家が支えてくれているのだと実感します。月に2回ばかりですが、回数を重ねることで、いくらかでも文書が読めるようになったらいいなと思います。
辺見は中国戦線で戦い、復員して新聞記者をした父と父の世代に、父の生前には聞くことができなかった問、「あなたは中国で何をしたのか」を執拗に問う。そしてその問いは自分がその場にいたら、何をしたか、捕虜を銃剣で刺し殺すことに加担したか、しぶしぶ従わざるを得なかったか、拒否したかなどの問いを、自分自身にも突きつける。「すべてが敵の悪、戦争のせいだと言い切れるのだったら、どんなにいいことだろう」 海軍の志願兵として一兵卒としての戦争に行った父に、どうして負けるとわかっているような戦争に好んで行ったのか、私も問うた。その答えは、あの頃は戦争に行くのが当たり前で、誰も負けるなんて思っていなかった、そういう時代だったのだという答えだった。戦争は避けることができない台風のようにやってきて過ぎ去っていったというのである。そして、戦争中何をしたのか、戦地でした残虐行為は決して語らず大部分の元兵士は既に土に還ってしまった。子どものころ酒に酔って好んで戦争の話をする大人の男はいた、しかし無抵抗な市民を殺したなどと話す大人はいなかった。酔っぱらって目を赤くした大人の男は、何を繕って話していたのか、子どもだった私には定かな記憶がない。民俗調査に行って、1度だけ見たくない、聞きたくない話をきかされたことがある。話者のおじいさんが、古びて丸まった布を持ってきて見せた。何かといえば、中国で殺した死体から記念にもぎ取ってきたという。そのおじいさんは、地域で役職をしたりして信頼される人であった。やさしい好々爺が戦地では人を殺して自慢する。戦争とはそうしたものなのだ。
こうなったことの責任をはたしてどうやってとるのかーというのは、堀田(善衛)じしんが、眼前の天皇にたいしおもったのだ。けれども、あつまってきたひとびとは天皇を責めるどころか、土下座して涙をながし、まことにもうしわけありませんと、ヒロヒトにわびたというのだ。天皇のむなぐらをつかみ「おまえ、この責任をとれ!ここで土下座しろ!」とさけんだ者は、憲兵らが警護していたからとはいえ、いうまでもないことに、皆無だった。いうまでもなく、と書いたけれど、これは本質的に、いうまでもなく、ではない。いうまでもなく、というのは、天皇制の超論理的病性に骨がらみ冒されているニッポンジンのがわからのジョーシキなのであり、ニッポン以外の旧枢軸国のどこでもつうようはしない、非常識な「いうまでもなく」なのだ。責任は原因をこしらえたがわではなく、惨禍をこうむったがわにある、という、とんでもない逆転と倒錯の光景が、ともあれ、作家の目のまえでごく自然に生じた。
私は言われるままに(忖度して)動いただけだと下はいい、上は下からあがったものを認めただけだという。では裁可した責任はといえば「その場の空気」だという。神のみぞ知るその場の雰囲気にすべてを押し付け、最終責任は誰もとろうとしない。敗戦以来連綿と繰り返されてきたこの国の組織の構図は繰り返されている。もう幾らなんでも同じことを繰り返してはならないが、このことに気付いて自覚的に行動できる人は残念ながら少ない。
退職してから人間ドックを受けていません。現役のころ、特に55歳過ぎは毎年ドックへの指定があり、わずかな出費で受信できました。また、指定年齢の職員には催促していってもらいました。ところが、予約が遅いとなかなか空いておらず、年度末ギリギリで予約がとれたと、3月30日に受診する人もいました。ドックほどではないですが、市の補助でする検診も似たようなものだと思っていましたが、やはり全身チェックとはいきませんから、昨年あたりから受診しなければと思っていました。それで、昨年の夏ころ丸の内病院に申し込もうとしたところ、来年の3月まで空いていないということでした。そこで、年度が変わってすぐですから今なら大丈夫と思って予約しようとしました。まず電話すると、自動応答でネットで予約をといいます。そこでネットで予約しようと、空きを調べてビックリでした。既に来年の3月まで予約でうまっているのです。これってどういうことでしょう。現役のころ、4月になって予約を取れば、夏か秋にはできたのに、世の中にドックが普及してきたのか、丸の内を受診する人が増えたのか。そんなに待っていられないので、相澤病院に電話してみました。そうすると、空いてはいましたが11月か今月末だといいます。それで、随分早いとは思いましたが、つまり、こんなに早くやってしまえば来年も早く検診しないと1年以上時間があいてしまいます、今月末のドックを予約した次第です。
どうも自分の頭の中は、何十年もの間に刷り込まれた、「年度」の4月から新しい予約が始まるという意識が染みついているのですが、そうではなくて、随時予約を受け付けているみたいなのです。潜在意識への刷り込みとは、恐ろしいものがあります。
小学校の学習指導要領が平成32年に改訂されます。道徳と英語が正式教科となります。そのための道徳の教科書が話題となっています。パン屋が日本の伝統文化を大事にするのに不適当で、和菓子屋に変えたら検定を通ったというのです。何とバカみたいな話でしょう。こんな程度の柔軟性のない頭の人間が、アクティブラーニングだとかいって学習内容について検討しているのでは現場の教員はたまりませんし、何より子どもにはいい迷惑です。役人は伝統という言葉を、明治期に限定して使いたいみたいですね。そのくせ、自分たちが近代に生まれた習俗を永遠不変のものと考えていることに気が付いていない。困ったものです。心配になるのは、教科書を使って道徳の授業をしているか視察をするなんてことがおきるのではないかということです。そうなったら完全に戦前回帰です。長野県で言う「川井訓導事件」というやつです。国定教科書を使わず森鴎外の作品を修身の教材として使ったところ罰せられたのです。
英語の教科化もひどいものです。予算もつけず、小学校の担任が教えなさいと命令すればいいというのは、あまりに安易じゃありませんか。英語、とりわけ会話の指導ができるんなら小学校の教員じゃなくて、中学か高校の英語の教員やってますよ。大学で英語習ったはずだから、小学生くらいに英語は教えられるだろうというのは、英語に失礼です。いい加減な英語の発音で英語をきらいになって中学にあがるのです。