民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

香港事情ー最終 食事と座席

2015-12-26 19:49:14 | その他

 それは当たり前なのですが、食事は機内食を除けば、全て中華料理です。日本料理を食べる外国の方は、全てがしょうゆ味で味付けが同じだと感じるように、全ての食材が油でいためてありました。おまけに素材となる野菜がまた同じようなものであったから、今思い出しても食事の区別がつきにくくなっています。ただ、昼に1回だけ食べた、というか飲んだ飲茶は蒸し物が多かったので、他の料理とは異なっていました。しかし、〆の料理としては、チャーハンとかた焼きそばが大量にでてきましたが。

 そうした食事でしたが、印象的だったのは食堂で私たち夫婦が座る座席の位置取りでした。1日目の街の中の創作四川料理のレストランは、長方形の店の中ほどのテーブルでした。最初はすいていましたが、出るころには混んできました。ここでは何も感じませんでした。2日目は香港島の山の上のレストランでした。夜景のきれいな香港市街を見下ろしながら食事というはずでした。ところが、着いてすぐ案内されたのは1階と2階の踊り場のようなフロアーで、全く外は見えません。広く見渡すと座席はまばらにしかうまっていません。これじゃあんまりだと思ったら、案内して連れて行ってくれたガイドさんが、店の人と交渉をはじめ、上の階の窓際に場所を変更してくれました。案内してくれたテーブルは窓際でしたが、周りには1グループが席を占めるだけで、ガラガラでした。条件の悪い席から座らせて良い条件の席は空けておくという作戦でしょうか。窓際ではあるものの、外は暗闇でした。帰りがけのよく見ると、夜景を見下ろせるのは別のフロアーだったのです。値段の差なのか日本人だとみくびったのか。

 翌日は香港島の地元の人が利用するという、小ジャレタ創作中国料理のレストラン。息子が会社の地元の人に評判を聞いて、その方に予約してもらった店。予約してあるといって案内されたのは2階に上がる階段のすぐ前。2階に上がる人たちが前をそのたんび通過していきます。1階のほかのテーブルは空いています。わざわざそんな場所を指定しなくてもと思いました。ここも、条件の悪い場所から座らせるという作戦なのかと思わされました。料理の味は良かったから、良しとしなければいけませんが。

   


一国二制度

2015-12-19 19:21:31 | 政治

 中国は一応社会主義国です。社会主義国なのに、貧富の差が日本より大きいのはなぜか、などの疑問はさておいて、香港返還について一国二制度をとりましたから、行ってみてはっきりわかりましたが、内実はともかく制度的には香港は独立国なのです。中国国内にもう一つの国があるのです。それを形式的にも崩そうとするから、香港の若者は異議申し立てをしたのです。本国が独立国だと実感したのは、出入国です。とはいえ、香港だけに出入国していたら何も感じません。日本から外国に行って帰るというだけです。ところが、香港を出て中国本土に行き来するとなると、これにも出入国審査が必要となるのです。

 下の息子がいるのは深圳です。香港から車や船で1時間余りの所にあるのが深圳です。中学校で社会科を教えていたころは、中国臨海部にある発展する経済特区として深圳を教えました。その深圳にE社が作った工場に研修として派遣されているのです。

 息子の住まいを見に行くということで、深圳から迎えに来てもらいました。陸路と海路と両方経験したいということで、行きが車、帰りが船となりました。朝ホテルに迎えにきてもらいバスで行くのかと思ったら、タクシーで香港の行政区と深圳の行政区との境にある出入国事務所に向かいました。そこは深圳に行く人帰る人、逆に香港に来る人帰る人がどうしても通過しなければならない巨大なバスターミナルのような建物でした。朝の10時前でしたが、深圳に入る側の審査は黒山の人だかりで列を作っていました。難民審査もかくやと思わせるくらいの人の多さでした。中には毎日行ったり来たりしている人もいるようです。そうした人には、電車の駅の自動改札のように、電子通行証で出入りができるようになっていました。香港の学校や幼稚園がいいからと、子どもを深圳から香港に毎日通わせている親もいるといいます。また、香港で爆買いしてくる中国人も多いといいます。その管理事務所で入国審査を経て、やっと中国本土に入国となります。しかし、ここでは厳しい審査や所持品チェックはなされていないように感じました。毎日これではやっていられないでしょう。

 すごい時間ならんで通過したのですが、これはおそらく香港が本土にとりこまれてはいないことを示すための形式であって、香港は本土にのみこまれているのでしょう。食事時にビールを頼もうとしたら、青島ビールをガイドが「共産党のビール」だと揶揄するようにいったのが印象的でした。


香港事情4ーホテルでのアクシデント

2015-12-18 20:42:13 | その他

 今回の旅行では、香港のホテルに連泊しました。ウヲシュレットでなかった点を除けば、快適に過ごせたのですが、ある事件がありました。それは全く自分の不始末だったのですが。

 ホテルの部屋の貴重品を入れる金庫は、クローゼットの一角に備えられていました。それは、番号を自分で決めて入力してロックし、同じ番号を打ち込んで解除するというものでした。少し暗い場所でしたし、ナンバーキーは文字盤が小さく、老眼では見にくいものでした。しかし、無理してみれば裸眼でも見えないことはないと自分では思いこみました。妻と番号を確認しあい、パスポートなどを中に入れてロックしました。この時から何となくいやな予感がしました。朝出かける前に取り出したい物があり、解除しようとしましたが横のキーを押し間違えてエラー表示がでてしまいました。危険だと思いつつ中の物をとりだして、またロックしてでかけました。1日見学して夕方部屋に帰り、中の物をとりだそうと覚えている番号を押したつもりなのですが、エラー表示が出るではありませんか。そんなバカなと思い。もう一度試みるも解除しません。セットした番号を押し間違えたのかと、隣の番号で試してみるもエラーです。焦って何回か繰り返すうち、回数オーバーとなってアウトです。あかないって、どういうことよ。ホテルの人に説明して何とかしてもらわなければいけないが、中国語はもちろんできないから、英語で何と言ったらいいんだろう。I dont remennber keybox number とでもいえばいいのか。いや、I can not か。真剣に考えました。幸いまだ、夕食の案内をしてくれるガイドさんとの約束の時間までには時間があります。そこで、幸いにもホテル内に旅行社の窓口がありましたので、窮状を日本語で説明しロック解除を頼みました。すると、夕食の時間が迫っているので(夕食と2階建てバスに乗って夜の市内見学でした)、帰ってきたらホテルのフロントで説明するように、ガイドに伝えるといってくれました。

 夕食が終わりホテルに着くと、ガイドさんがフロントまで一緒に来て説明してくれました。すると、このままいったん部屋に戻ってまっていなさい。フロントマネージャーが部屋を訪ねて解除してくれる。ということでした。本当に自分の部屋なのか確認する必要があるのでしょう。それから部屋に戻り待つこと10分ほど。きっと世慣れた初老のマネージャーがきてくれるだろうとドアを開けると、スーツを着こなした長身の若い女性が技術者と一緒に立っているではありませんか。何か小さな器具をキーボックスにコードでつなぎ、何回か操作すると金庫はあきました。そして、「OK」と指で〇印を作ると、その女性マネージャーさんはにこやかに出ていきました。やれやれでした。

 それにしても、あんな若い女性がフロントを統括しているとは驚きました。


香港事情3-風水

2015-12-17 18:51:29 | 民俗学

 香港島は風水で龍の頭から尻尾までが横たわっている姿にたとえられるそうです。風水からいうと、山を背にして前面に水(海)があるという配置がよいといいます。香港島は海を抱きかかえるように、海が湾としてあり、龍は「気」を含むために海に下ってくるのだといいます。その龍を通して「気」を含ませるため、海に面した高層マンションは、わざわざ中空に建設してあるのだといいます。中空の部分にも部屋を作れば売れるだろうに、そうしないで敢えて中空にしたほうが、マンションの価値があがるか、地域住民の同意が得やすいのかはわかりませんが、本当に中空になってゐました。対岸にある高層ビルにも同じように中空のものを見つけましたから、おそらく同じような考えからでしょう。

 見学しにいったのは、海岸部にお金持ちが新たに祀った観音などでした。派手な神仏がいまでは霊場となり、観光客を集めているのです。御利益は、縁結び・商売繁盛・健康祈願などでした。そして、参り方の習俗や由来までそうぞうされていました。ある神像は頭から足まで触ったあと、その手をポケットに入れればお金がたまる。また、ある橋を渡れば寿命が3日のびる、行って帰れば6日のびるといいます。また、ある石に触れば縁結びができるなどです。いずれにも、熱心に祈る人々がみられました。

 香港島はイギリスが租界を建設するまで、水上生活者がわずかいる程度の寒村だったそうです。香港の繁栄は、ここ30年ばかりの間に作られたもので、この霊地の伝説もおそらくついこのあいだともいってよいくらいの時期に創造されたものでしょう。まさに人が意味を付与することで物語が生まれることを実感するとともに、どのような民族であっても同じようなことを考えるものだと思わされました。

 シンセンの息子が勤めるオフィスで、上司が同じ課の職員の机の配置を自分が思うように変えたところ、これでは風水からいってよくないという抗議をうけ、元の位置に戻したことがあったという。また、香港の夜の下町に張った幾つものピンクのテントの下には若い女性の占い師がいて、1回1万円も払って若い女性が運勢をみてもらっているといいます。高層ビルの下には呪いがとぐろをまいているのです。

   


香港事情2 宗主国イギリスとの関係

2015-12-16 18:31:14 | 政治

 香港島にはイギリス国教会の聖堂が美しく保存され、今も信者を集めています。私が訪れた時も、フィリピンの方(メイドとして働きに来ているのか)が何人か、祈りを奉げていました。イギリスから中国に返還されてからも、植民地宗主国が持ち込んだキリスト教が現地に根付き、信者を集めるとともに観光資源にもなっています。日本でも植民地宗主国として、韓国朝鮮に神道を持ち込み神社を作りました。ところが、日本から独立したとたんに神社は跡形もなく破壊されてしまったのとは、大きな違いです。神社は宗教ではなかったのです。

 近代の植民地獲得競争の中で、日本もイギリスとおなじような植民地宗主国の一つだったのだから、日本だけが旧植民地国から断罪される所以はないと、政治家や誇り高き日本人を自認している人々はいうでしょう。イギリスならば統治文化が大事にされ、非難されるどころか保存さえしてもらっているのに、同じことをした日本ばかりが悪く言われる筋合いはない。植民地国のためになることだってしてやっているのに、ときっと思っていることでしょう。脱亜入欧、自分たちは白人と同じだと勘違いを一方的にしているのですが、白人が日本人を心底同等だなどとは見ていませんし、アジアの他の国の人々が日本人を白人と同じように等、見るわけがありません。香港の街のポスターを見たって、100パーセントといってよいでしょうが、モデルは白人なのです。日本人がそうであるように、香港人も他のアジア人も白人への憧れをもっているのです。

 香港にはイギリスの匂いがします。そして、香港人はそれを捨てようとはしません。

 

 


香港事情1 香港の住宅問題

2015-12-10 15:11:55 | その他

 下の息子が5月から、中国の深圳に研修で派遣されています。どんな暮らしをしているのか気になりますので、見に行くことにしました。といっても深圳は工業都市ですから、観光的にはみる所は少ないです。香港に近いので、香港を拠点にして深圳に出かけることにしました。

香港はアヘン戦争の結果イギリス領となり、99年の時を経て中国に返還された都市です。そして、現在も一国二制度といって中国本土とは異なり資本主義制度を続けています。そうしたにもかかわらず、返還当初は先行き不明で、香港資本はシンガポールに一時逃げたそうです。詳しいことはよくわかりませんが、返還後も個人の土地は接収せず、そのままになっているみたいです。欧米人の姿、それも住人らしき姿も多く見かけました。その香港を見て考えたことを何回か書いてみたいと思います。

 もちろん、旅行社の企画した旅行の中から選んで参加したのですが、高くはあっても元地のガイドがついてくれるので、安心して旅行できますし、現地の事情についてもガイドさんを通じて知ることができます。
 今回の旅行には、昼間案内してくれるガイドと夕食から夜の観光でお世話になったガイドと、2人のガイドがいました。多くても4人さもなくば私ども夫婦だけに1人のガイドがついてくれ、中型(よりも大きいか)の観光バスでの案内です。他に客が無くガイドと3人だけでバスに乗るのは、贅沢というかおかしな気分でした。

 さて、昼間のガイドさんの日本語の発音が独特で、外国語のような日本語を聞き取るのは大変でした。両親は広東省出身で香港にやってきて、自分は香港生まれ香港育ちだといっていました。不動産売買に関心が高く、ここ30年ほどでいかに香港のマンション価格が高騰したかを熱く語り、そのために若者は結婚できず、平均結婚年齢が30歳を超え、また家賃が高くて教育費に回せないことから、子どもは一人かいらないと考える夫婦が多いという。家賃が高かったり、イギリス流の男女同権の考え方から女性が働くのは一般的で、15~20万の給料でフィリピン人のメイドを雇って子どもの世話をしてもらい、7万位の給料を支払っているという。フィリピン人のメイドはたくさんいるが、最初はフィリピン人は英語が話せるということで、イギリス人が雇ったのだといいます。

 夜のガイドさんは、香港の男は会社から家に帰っても、女性が強くて休まらないので、付き合いにかこつけて仲間を誘ってパブでビールを飲んでから帰るサラリーマンが多いのだと熱く語っりました。イギリス流の男女同権の考え方が香港の女を強くしたのだという。しかし、昼間のガイドさんの話を合わせて考えてみると、香港は家賃が高く家が狭い。狭い2LDKに7人も8人もが暮らし、2段3段ベッドでの寝泊りだという。今や親との同居など考えられず、狭いことが理由で皆別々に暮らさざるをえないという。そして、家に客を招くなどできず、食事も外食が多いなだそうです。年寄りは、朝は公園などで太極拳で体を動かしたのち、仲間を誘って飲茶、そして麻雀というのが定番コースだといいます。飲茶は蒸し物が3個くらい1つのせいろに入っているので、誘い合って食べるのが経済的なのだそうです。事実私たちの食べた飲茶も4人で一つの蒸籠でした。また、メイドは以前は子どもの面倒をみてもらうために雇ったが、最近は仕事をしている間に年寄りの面倒をみてもらうことが多くなっているという。

 香港の男がまっすぐ家に帰らないのは、住宅事情によるところがおおきいのではないでしょうか。狭い家にすぐ帰るのではなく、仲間とパブで生ビールでも飲み、家では寝るだけにしているのだと思うのです。香港は日本以上に住居が狭い。