また古田晃と臼井吉見の友情について書こうと思います。紆余曲折はありながらも、旧制中学、高校、大学と育んだ友情で結ばれた2人が、筑摩書房という会社をめぐって互いが亡くなるまで奮闘し温かな関係を結び続けたということは、今の世から考えると信じられない、夢のような話です。うらやましいと思います。
大学時代同じ下宿の庭で相撲のまねごとをした神戸の友人が、春先の風物詩だというイカナゴの佃煮(神戸煮かな)を送ってくれました。昨年会って話をきくと、材料を吟味し味付けにもこだわって作るとのことでした。ありがたいことで、つまみに食べながら温かな気持ちになりました。多くの友人を作る事は苦手な私は、人を選んでつきあってきたともいえます。したがって、自分として知り合いではなく友達といえる人の数は少ないです。ここまで生きてきて、そのことが寂しいと思った事はありませんし、そんな生き方があってもいいだろうと思っています。過日、久しぶりに仕事がらみで会った中学校の同級生には、自分が企画した同級会には来てくれなかったなと叱られ、このことを人がどう思っているかはわからないのですが。
人と人とのつながりが希薄となり、個人情報の保護だの自己責任だのが声高に叫ばれ横行している現在、古田を中心とした濃密な人との繋がりで結ばれていた筑摩書房をなつかしく思います。しかし、というかだからこそ、経営という理念とは相いれないものがあったのでしょう。古田の惜しみなく私財をつぎこむという狂気の沙汰があってこそ実現した、一時の夢だったのかもしれません。
これは私の夢想ですが、高校1年の時の担任だった石上順先生は、小野の古田の家に住んでいるという話でした。真偽のほどは定かではありません。黒いスーツに白のハイネックのシャツを着て、タクシーで駅から学校まできて古典を講じ、またタクシーで帰っていく。私生活は謎でした。私にとって石上さんは憧れであり、伝説でもありました。