民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

教育への政治の介入

2018-03-21 17:25:08 | 歴史

長野県は満蒙開拓団、満蒙義勇軍の人々を全国一送出した県として知られています。これについては何度か書きましたが、その理由として、長野県が山間地で耕地に乏しく、満州に行けば広大な土地がもらえるという宣伝文句に安易にまず数人々が飛びついたといわれるが、ならば同じくらい耕地に乏しい岩手県などで長野県ほど送出していないのはなぜか説明できないとして、それだけでは説明できないといわれました。もう一つは、教職員の団体である信濃教育会が熱心に勧誘したからだというのが挙げられます。そんなに一生懸命教え子をソ連との最前線の危ない場所に送ったのかが問われます。それは、露骨な教育への政治の介入で追い詰められた信濃教育会が、政府のお先棒を率先して担ぐようになったからなのです。

1919年の戸倉事件では赤羽王朗などの白樺派の教員を排除し、1924年の川井訓導事件では修身の時間に国定教科書を使わなかったとして自由教育運動を弾圧し、1933年の2・4事件では治安維持法違反で社会主義・自由主義教員を根こそぎ検挙しました。今度の前川さんの件でもそうですが、国が弾圧し捕まえようと思えば、理由はどうとでもつけられます。今回の場合知事や教育長の毅然とした対応で、文科省側の不当性が際立ち、事なきを得ましたが、歴史を振り返れば、こうした介入はだんだん露骨になっていくことが考えられます。露骨になるほどに戦争に近づいているといってもよいでしょう。日の丸・君が代では文句を言わなくなったから、今度はハードルをあげた踏み絵を用意して教育の国家統制を図ってくるように思われます。

同じ政権が長く続き、官僚と政権が当然のように結びつき、官僚が政治家の顔色ばかり見て実務を行うようになって、様々な問題が露出してきたように思います。政治というのは、全ての納税者に対して公平でなければなりません。


民主主義の劣化と独裁

2018-03-11 09:29:33 | 政治

私は独裁者がきらいです。中には強大な権力をもった人が好きだという人もいるでしょうが、私は独裁的者による独断よりも時間はかかっても一人一人の違いを認める社会が好きです。自分の価値だけを押し付けることは好みません。

最近、政治について書いていませんが興味をなくしたわけではなく、無力感がでてきてしまったのです。どうせ言ってみても無駄かと。政権の意向に沿わないハメディアは攻撃し、平気で政権に不利な発言をする個人は正当な理由もなく監獄にぶちこむ。政権と国会での板挟みで自殺する者がいても、痛ましいことだとよそ事のようにウソブク。北朝鮮や中国、ロシアでの出来事ではなく、こんなことが平気でこの国で起こっても、民衆は怒らない。麻生大臣はいつか、この国は中国とは違う民主主義の国だから、みたいな他者を貶めて俺は違うみたいな自慢をしたことがありましたが、何のことはない独裁者の片棒を担いでいるのが自分ではありませんか。独裁者は独裁をしているとは思わない。北朝鮮だって日本を軍事独裁国家だと思っているかもしれません。

今話題にならず心配してるのは、あの籠池さんが拘置所にぶちこまれたまま出られずにいます。にもかかわらず、マスコミは何も報じない。政権にとって何を言うかわからない人物は、隔離しておけば間違いないというわけでしょう。そして今回の件にしても、佐川氏個人に国有財産の安価での売却責任を押し付け、麻生は知らぬ存ぜぬで押し切ろうという腹が、今から見えます。辞任の後から事実が判明したら、遡って罪を問うと麻生は言ってましたから、既にシナリオはできているのでしょう。この国で北朝鮮、中国の政治体制を嗤うなど、チャンチャラおかしいことです。民主主義の国で、こんなにも個人がないがしろにされてよいものでしょうか。


音声入力開始

2018-03-09 11:19:16 | その他

今、口承と書承といった問題について、伝説を材料にしてまとめています。書かれた伝説を引用することが多いのですが、PCの打ち込みが面倒です。なんとかならないかと調べたり、娘に聞いたりして、グーグルドキュメントというやつで音声入力ができることがわかりました。

グーグルの中にドキュメントというソフトがありました。ちなみに、スプレッドシートというエクセルみたいなやつや、パワーポイントの代わりのようなソフトもあります。何しろクロームをインストールすれば無料です。会社の中には、社内連絡にグーグルを使い、文書作成もグーグルドキュメントとスプレッドシートを使っている所もあるといいます。

それで早速、音声入力を使ってみました。精度はかなりよく、普通にしゃべっていて文字にしてくれます。なかなかの優れものです。後述筆記みたいに原稿が書けそうですから、これから年取って(今も十分年寄りですが)、PCの打ち込みが面倒になっても大丈夫かと思いますが、難点があります。句読点が打てません。欧文だと、ピリオドとか指示すると打てるみたいですが、まだ日本語には対応していません。それで、ある程度のセンテンスで、誤変換を直したり、句読点を打たなければなりません。それともう一つ、誤変換の部分は打ち直しが必要です。ドラッグして他の候補を選ぶことができません。こうしてみると、最初から自分の手で打ち込んだ方が早いのか、なんて思ったりもします。でも、多少肩こりは防げるかも。なんて思って、もう少し音声入力に習熟しようと思います。


パソコン事情

2018-03-09 10:50:22 | その他

最近私のパソコン事情が変わりました。デスクトップのVAIOが壊れてしまい、急きょ店頭でFMVのノートパソコンを購入しました。ところが1カ月ほど前からでしょうか、モバイル用のASUSのWindows10の更新ができないという警告が頻繁に出るようになってしまいました。アップデートを試みますが、容量が不足するという警告がまたでます。もともとはW8だったのものが、W10への自動アップデートをしたもので無理があるんだろうとは思いました。ウィンドウズの更新ができないのでは、ウィルス感染がこわくていけません。仕方ないので、データを移したり削除したりして、Windowsの復元を思い切ってしました。ところが、これでもだめでした。復元してからアップデートを繰り返していきましたが、件の箇所でストップしました。何か方法があるでしょうが、もういやになりました。それで、モバイルPCを購入することにしました。

ほしいのは、フリーSIMが挿入出来て外部でもネット接続できるやつです。外付けの記憶媒体で図書館などでは仕事をして家にあるPCとの共有化を図りましたが、いくつものファイルを作ってしまったりして効率的ではありません。クラウドにデータを保存できれば、間違いやらかさなくなります。というのは、今回の道祖神碑一覧の原稿作りを図書館でやって、どれが最新版かわからなくなり、新しいやつを消して古いやつを原稿として印刷所へ送ったことがあったのです。

調べるとSIMの入るPCは多くはないのですがVAIOS11がありました。高いのですが、ネット上では型落ち品ではありますが、比較的手に入れやすい価格でした。次は格安SIMです。今スマホに使っているのがBIGLOBEですからそこを調べると、ありました。しかも本当に安い。3ギガ以上の契約をしていれば、追加のデータシムは月額が、何と200円です。早速両方を注文し、一昨日両方が届いて、昨日1日かかって設定を終わりました。SIMの設定はただ差し込めばいいと思っていたら、なかなかそうはいかず、ネットで調べるとスムーズにいきました。

実はまだ外へ持ち出してこのPCを使っていないのですが、月に200円で外でのネット環境が整ったと思うと、ニンマリしてしまいます。


葬式の作法

2018-03-04 16:58:44 | 民俗学

長野県は北から南まで長く、習俗も北と南ではかなり異なります。私は一応葬儀を研究しているとはいっても、主たるフィールドは在住する中信地区ですし、実体験も中信地区の葬儀への参列がほとんどで、まれに南信まででかけます。長野市方面には親戚がなく、ほとんど葬儀に出たことがありません。東信地区は妻の実家がある場所なので、妻の妻の家の葬儀には参列しましたが、それは当事者としての参列(義父、義祖母)でしたので、純然たる参会者として東信でも葬儀に参列したことはないのです。といいますのは、東信と北信の葬儀での作法はほぼ同様なので、どちらかを知っていれば類推できるはずです。

昨日長野県史刊行会でお世話になった先輩の先生の葬儀が、長野市でありました。県史時代の知り合いから葬儀連絡があり、出席することにしました。出席といっても東北信の場合は、葬式に同席するのは、オトキの席に座ってくれと予め葬家から連絡を受けた人だけなのです。オトキとか東信ではヘーヨセ(灰寄せ)などというのは、精進落としの席をいいます。中南信では、葬式に来た人には全員、式にも精進落としにも出てもらうのが通常ですので、概算でしか宴席の出席者の用意はできなく無駄が多いです。東北信ではあらかじめ指定するわけですから、合理的で無駄がありません。ただ、一般の会葬者は何とも拠るべなき者です。高速を下りてから長野市内が渋滞しており、約2時間かけて法事センターについたのですが、受付が一般とお斎出席者に分かれており、一般の参加者である自分は受付したら、焼香してすぐ帰るようなつもりで、会場の外にある焼香場を探しましたがありません。どうやら葬儀が開始した最初に葬儀会場で焼香するのだとわかり、会場外のエントランスでウロウロしてしばらく葬儀の開始を待ち、並んで焼香して故人のご家族の皆さんにお悔やみを述べて失礼したのでした。10分ばかり立って待ち、葬儀の開始数分で焼香して終わる。中南信の者にとっては、何かあっけないというか、行帰り4時間近い時間をかけていく価値あるのかなどと思ってしまうのです。弔辞や喪主の挨拶くらい聞きたい、故人がどんな風に亡くなったか知りたいという思いがわいてくるのでした。

のどがかわいているし、休憩もしたかったので、葬儀会場を出て友人とファミレスで休み、一話して帰って来たのでした。そして痛感したのは、妻の実家の葬式を自分は何もわかっていなかったという事です。