民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

過去への旅の終わり

2013-09-09 09:39:40 | その他

秋雨前線が通り過ぎると、めっきりと涼しくなりました。肌寒いくらいで、長そでの衣服を用意したくらいです。本当に夏が終わったと思わされました。今年の夏は、まさに還暦後の夏を過ごしました。還暦は、民俗学的にいうならば死と再生を模擬的に行い、生まれ変わる機会だろうと思います。恥多きこれまでの人生にごめんなさいを言って、新しく出発する、そんなことです。大学の研究会の仲間との再会、以前の職場の先輩の先生との再会、亡くなった先輩の先生の墓参り、民俗研究を指導していただいた先生との再会、自分の小学校の同窓会、最初の教え子の同級会ときて、最後の最後は昨日でした。

それは土曜の新聞を読むことから始まりました。伝承文学研究会の25年度の大会が土日に県短期大学であり、福田晃先生が「諏訪の中世神話」なる基調講演をするとありました。私は2年ほど説話文学研究会に所属し、昔話調査の手ほどきをしてもらいました。中世説話を輪読するのに耐えきれなくて脱会したのですが、指導していただいたのが福田晃先生でした。自分は若く、調査することの意味などを先生に問い詰める、おそそ非文学的な学生でした。あれから40年です。福田先生がこの地にきているならば、会うのは今しかないと強く思いました。それで、日曜日の午後、公開講演を聞きに県短期大学へでかけました。福田先生の確かな歳は知りませんが、80歳はゆうに超えているはずです。おまけに年賀状など読ませていただいた範囲では、かなり体力も弱っていることが想像されました。会場受付で先生が会場内にいることを確認して、中に入りました。そんなに多くの参加者ではなかったのですが、見渡しても、といっても後ろからですが、40年ぶりに見る福田先生は、どこにお見えになるかわかりません。とりあえず後ろの方の席に座り、研究発表を聞くことにしました。しばらくすると休憩時間になり、3列ほど前で熱心にレジュメを読んでいた老人が、後ろへ歩いてゆきました。40年前の記憶とすりあわせ、おそらくその方だろうと見当をつけました。とはいえ、間違っては恥ずかしいと思い、うかつに声をかけることはしませんでした。閉会の言葉を福田先生が述べることになっていましたので、そこまで待とうと思いました。そして、二人の講演を聞きました。初めが「七不思議の中世伝承ー諏訪と四天王寺を中心にー」学習院女子大 徳田和夫 次が「善光寺信仰tp磯長聖徳太子廟」早稲田大学 吉原浩人の2本の講演でした。七不思議では、不思議が中世の神仏の霊威譚から怪異譚へと鎌倉期に変わったという趣旨の話でしたが、どこからそう判断されるのかが示されず、結論が先にあって多くの七不思議譚を文献で集めたという話しでした。次は、善光寺如来と聖徳太子が5回も手紙のやりとりをしていて、その文書がこれだと、その他の膨大な文献も示しながら話してくれました。文献マニアだと感心したのですが、なぜ手紙のやり取りをしたのか、どうして人々はそれを期待し信じたのかなど、肝心なことと自分には思われる当時の人々の胸の内は、話を聞いていてもわからなかったのです。やはり、学生のころに感じた文献第一主義の伝承文学研究は、今になっても違和感があるなと、改めて思った次第です。

やはり目を付けた方が閉会の挨拶をされました。もっと声のトーンは高かったとか、おなかはあんなに出ていなかったとか思いましたが、ともかく名乗って(学生時代にお世話になったといってもすぐには思い出していただけず)感謝を申し上げました。予想以上にお元気で、まだまだこれからも研究を続けるといったエネルギーを感じさせられました。これで、思いつく限りの、過去への旅は本当に終わりました。いくらなんでも、1区切りをつけ新しいテーマに向かっていかなくてはなりません。


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