高校を卒業してから現在まで、最低1年に1回は僕たちの学年を中心にして、上と下の年代の地歴会の仲間は集まっています。とりわけ僕たちの学年の仲間は、結束が強いのです。それは、そうならなければならない理由がありました。
深志高校を卒業した年、都立大学に入った仲間の久保君が、体育の授業をしていた公園のベンチに激突して、内臓破裂で死んでしまいました。久保君はたくさんの日記や随筆のようなものを書いたノートを残していたので、遺稿集として本を編集しました。ところが、翌年には部長をして信大に入った和澤君がバイク事故で死亡してしまいました。和澤君についても、遺稿集を編みました。私が最初に編集したのが2冊の遺稿集だったのです。遺稿集を編集するのに、僕たちは何度も集まりました。そして、この次は自分の番かな? と仲間の死を悼みながら続いて死が訪れたことを訝しみ、この次にもまた死があるのではないか、そしてそれは自分ではないかと恐れたりしました。そして、機会を設けては集まったのです。まるで生きていることを確認しあうみたいに。幸い、次の仲間の死がやってくることはありませんでした。15年ほどしてやってきたのは、顧問のだった藤沢先生の死でした。この時も、私と百瀬君とで遺稿集を編みました。先生の残した論文の中からどれを選ぶかは、ベテランの研究者にお願いしましたが、立派な本となりました。
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