○R.シュトラウス ドン・ファン フリッチャイ/RIAS交響楽団 1952年10月13日(ライヴ)
○R.シュトラウス ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら フリッチャイ/ベルリン・フィル 1950年6月22、23日
○R.シュトラウス ブルレスケ ウェーバー(Pf)、フリッチャイ/RIAS交響楽団 1955年9月13日
○R.シュトラウス 二重小協奏曲 ゴイサー(Cl)、フークマン(Fg)、フリッチャイ/RIAS交響楽団 1953年4月20日(放送)
フリッチャイのR.シュトラウスで発売されているのはこの4曲のみです。
ドン・ファンとティルは、どちらも極めて早いテンポ設定です。ライヴのドン・ファンは非常にトライヴのかかった演奏で、聴いていて爽快感を感じます。一方、ティルは、ベルリン・フィルの強靭で完璧なアンサンブルでたたみかけてきます。
ブルレスケは、この録音に先立つ1955年9月8日、フリッチャイが1956年のシーズンからバイエルン国立オペラの音楽監督に就任が決まっていたミュンヘンでいわば顔見世公演として開催されたオールR.シュトラウス・プログラムの1曲としてバイエルン国立管弦楽団を指揮しています。
問題はこの後で、フリッチャイは音楽監督就任後、R.シュトラウスは、ミュンヘンの主ともいえるクナッパーツブッシュと、フリッチャイが招いたベームに委ね、自らはイタリア物を中心とするミュンヘンで上演されたことのないオペラを紹介することに尽力し、R.シュトラウスを一切指揮しなかったことです。これはミュンヘン子の反感を誘い、自らの病気もあって1958年秋、任期途中での辞任に追い込まれたわけです。
しかし、この話はこれだけでは終わっておらず、1961年春、ベルリン放送交響楽団との演奏旅行でミュンヘンに立ち寄った際、R.シュトラウスの「町人貴族」からの組曲を演奏し、ミュンヘン子を驚かせたのでした。