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流出雑記 

『庭みたいなもの』 横浜跡

2011年10月02日 | Weblog
横浜公演無事楽日を迎え、京都に戻った。

ハイクオリティな楽屋弁当と中華街での中華な日々を経て、今は空前の玉子かけごはんブームが来ている。
玉子かけごはんの醤油が流行ったころなどは、炊きたてごはんに玉子かけるなぞもったいなくて出来ないと思っていた。ごはんに玉子かけてしまった後、他のおかずはどうする、と。
今はおかずを差し置いてでも玉子かけごはん。例の醤油を試したくてしょうない。

劇場は中華街のすぐそばだったので打ち上げも中華街。
エビチリのエビ1匹のサイズが普段見るエビチリのエビ2.5匹分くらいの大きさのエビのエビチリが出てくる店。
横浜滞在中も中華街のなかで比較的安い店を探し、無数にある中華屋のなか店2件ほど行ってみた。どちらも美味しかったが、この店はそれらとは一段次元が違っていた。
沢山は呑めないが紹興酒の魅力も知る。

閉店後は出演者たちと朝方まで関内の飲み屋にいて、かぼちゃのブリュレを食べた。始発で宿に帰り、水圧で痛いシャワーを浴び、3時間ばかり寝り、もったりもたれた胃と共に宿を出た。

昼迄に楽屋に干してある衣装を梱包して京都に送り返す最後の仕事が残っていた。
不慣れなセキュリティカードで出入するのもこれで終わり。
KAATはまだ新しい劇場で、赤と白にカラーリングされた楽屋はキューブリックの映画のセットのようだった。

小屋に入ってからは初演の劇場、アイホールとの反響の違いで、音と声が重なると言葉が聞き取れないなどの問題点が出て、その調整をしていた。
何をしていても常に音を聞き、隙間に差し込むように声や音を発する。

舞台と客席が遠くなったぶん体の意思伝達率を上げることが必要になる。それは単に声を張るとか動きを大袈裟にやればいいということではなかった。
むしろ自分の体に対する集中と、耳をすまして今どの言葉や音を観客席に届けるべきか、そのために自分はどのタイミングで声や音を出すべきかを厳選すること。
言葉の出どころは体であり、声や動作の動機は体の外にある。

今回は伊丹での初演時と比べると、出演者の持ち味、個性といったものより、個々の発するものは全体のバランスの中で配され、作品を支えるものである、という感覚が強くあった。そのなかで、伊丹で引っかかっていた、私が扱う「私」から少し距離をとることができると感じた。

約4ヶ月の熟成期間を経て、山口県 YCAMでの再演の機会が残されている。再現するとき、また新たに発見できるものがあるだろうと予感する。

そして次はF/Tでのリーディング。ひたすら読む稽古。

先月は公演が続き、アウトプットに徹していた体にあらたなテキストが染みいる。それをきちんと言葉として外に出せるように。言葉として。

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