川べりに 送り火を焚き 遠ざかり
馬糞 Bafun
盆が終わった。
さあ、今日よりは、2009年度後半戦に入る。
季節は冬支度の秋である。
十六日の朝の光景が目に浮かぶ。
田んぼを割って流れる川岸に、精霊舟をもった人たち
が小さな陣を立て、送り火を焚くのである。
そして、おじやおばや、同年の従兄弟たちも、もう鞄
に荷物をつめ終わって、ふるさとの風景に名残を惜しん
でいる。
三途の川岸には、帰り舟の渡しに列ができ、言葉少な
に彼岸へと帰ってゆく。
『もはや、この世に戻ることもあるまい。霊界には霊
界の生活があり、修行がある。いつまでも、猥雑なこの
世の無常にかかずりあってもいられない。』
そんな風に思うのではないだろうか。
【毅然とした国家が国民のやりがいになる】
日本も、もはや新しい世紀を開いてゆかなければなら
ない。
欧米列強の時代から、アジアの時代が訪れようとして
いるのだ。
仏陀再誕の国こそが、その先頭に立つ国である。
それこそは、日本であろう。
チャイナではない。
まして、朝鮮でもない。
仏陀は遺言したのだ。
東の国に生まれると。
それが、日出る国、日本である。
その都は、宝石のように輝く都市であると。
それが、東京である。
歴史は預言と共にある。
未来は、偶然の集積ではなく、計画なのだ。
天の計画があるのである。
チャイナにアジアの繁栄は作れない。
神仏に愛されていない国に、天の計画が委ねられよう
はずがないではないか。
日本をおいてほかにないのである。
そうであれば、外交方針は毅然としたものになるはず
である。
チンピラ国家が悪さをしていれば、バシッと、その頭
目をひっ捕まえて叩き潰すであろう。
侵略的な野望をもった無神論の国に対して、これに軍
事資金を潤沢に提供するような付き合い方はしないであ
ろう。
日本が、アジアの繁栄の基礎となるのだと言う自覚と
決意なくして、日本国のやりがいはない。
国家のやりがいは、国民のやりがいなのだ。
理想なくして、修行なし。
理想がなければ、人間は私利私欲に堕落するものであ
る。
日本こそは、アジアの理想を構想し、実現してゆくべ
き国なのである。
これが、未来構想である。
これが、今の政治家には欠けている。
チャイナ市場を当てにして、何が未来への挑戦か。
欲しがる経済活動をしてはならない。
人々が求める経済活動こそが、未来を開くのである。
チャイナ人に車を売りたければ、高給高額乗用車か、
軽トラックではないのか。
チャイナ人にとっても、日本は憧れの国でなければな
らない。
日本よ、アジア諸国を学べ。
アジア諸国よ、日本に学べ。
そこに、国がやらなければならない仕事、国民がやら
ねばならない使命、企業が企画し取り掛からなければな
らない仕事が見えてくるはずである。
不況のままでいられるはずがない、ということが分か
るであろう。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi