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+ ゆで蛙・・・ 不採算から飛び出せ! 

2007年05月19日 19時45分21秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 野いちごの あかき子供の 頃のこと


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 野いちごが赤い実をつけて、「昔の子供たち」を楽しませ

てくれる季節になった。


 「今どきの子供」は野いちご摘みを楽しむということもない

だろう。

 可哀想というか、自分の子供時代が幸せだったと感じさせ

てくれるのが、野いちごの赤い実であった。

 

 もったいなくて、そのままにとも思ったが、「昔の子供」に食

べられるというのも、野いちごにとっては本望ではないか。

 そう思って、三粒のイチゴをいただいた。

 そのうちの二粒は、年老いた両親の口にも懐かしい味を広

げてくれた。


 みずみずしい、宝石のような野いちごであることよ。

 

 

 

 

 

 

 

ゆで蛙

  五月も中旬になると、田んぼには水が張られ、蛙たちが

一斉に合唱を始めたことであろう。


 蛙の合唱は「6番田園」というべきかも知れない。

 その蛙をとろ火の鍋に水から入れておくと、いい湯加減を

過ぎても、その緩やかな変化が致命的な変化であることに

気付かないまま、ゆであがってしまうのだそうである。


 激動の時代とはいっても、日々の生活感覚からすれば、

習慣化する緩やかな変化に過ぎない。


 そして、死は突然にやってくるのである。

 やはり、激動であるのだ。

 

 ゆで蛙の心理は、その場しのぎですまそうとする問題先送

りの優柔不断と事なかれ主義と言えるであろう。


 先進性に欠けているのである。

 自己保身の心理であり、使命感が弱いともいえる。

 

 企業は、多かれ少なかれ、従来の花形だった不採算部門

をどうするか、という経営問題にぶつかっている。

 

 人々が何を求めているかではなく、何を求めるべきかを教

えてやらなくてはならない。


 資本主義から個性を資源とする経済主義に変換すると考

えれば、個性を生かす技術や経営の手法を提供しなければ

ならない。


 消費財の提供から、手工業的生産財の提供に転換しなけ

ればならない。

 副業的であっても、自分の作品を生産し販売するところに、

オリジナルな未来が粘土細工のように形作られてくるのでは

ないか。

 小さな、ベンチャーの時代が、消費ニーズの中にも芽生え

ているはずである。

 

 長い不況だったが、悪いことばかりではない。

 逆境は、人間を鍛えるものである。

 そこに育ちつつあるものは、自立心ではないだろうか。


 何とかしてくれるはずの国、自治体、企業、親でさえも頼

りにならなくなってきた。

 もはや、自立するしかない。


 そのとき、自立独立の方向性には、サラリーマンにはない

希望があることに気付き始めた若者たちがいる。

 個性を生業とすることが、夢中になれる楽しい仕事のビジョ

ンであることに気付くのである。

 

 自立しようとしている人に何が必要であるか、これを考案

することが、ビジネス教育の使命である。


 花形から不採算に陥ったということは、一代の役割が終わ

り、自己変革が求められているということである。

 ゆで蛙になる前に飛び出して、楽しい

未来を描いてみよう

ではないか。

                              Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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