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+ 端午の節句・・・ 子育ては「愛」を育てる人生の目的である  

2007年05月05日 15時23分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

            

 

  耕せる 棚田の風に 鯉は舞い

     馬糞 Bafun

 

 

 

        

 端午の節句である。農家にも漁師町にも、鯉のぼりが豊作旗、

大漁旗のように、盛大に泳いでいる。

 子供たちが育っているのだろう。

 五月の風は気持ちがよい。

 あのように、腹いっぱいに呼吸して、大空を泳いで見たいものだ。

 

 5月5日の今日はあいにくの雨だが、水を得た魚のごとく、鯉は

雨空を上るであろう。

 

 かつて、「千成瓢箪に黄金のうなぎのぼり」を構想したこと

があった。

 ここぞという勝負どころで、かつての馬印を掲げるのも元気が

出て楽しいではないか。

 

 うなぎ同様元気印ではあるが、異なるものが、どじょうである。

 川にも田んぼにもどじょうがいなくなったが、意外にも、ど

じょうは鯉の仲間であるらしい。

 ならば、田植えの季節、無農薬栽培の旗印として、鰌のぼり

を立ててはいかがか。

 

 

 

  

 

 

《子育ては人生の目的でもある》

 幼児は、過去世の記憶もなく、まっさらな天使の心でこの世の人生

を始める。しかし、あの世の自由はない。何事もままならないのである。

 親にすがっていきるほかはない。

 

 人は、親に全てを託してこの世の人生を始める。

 親の愛情が深ければ、子供はそれほど物を欲しがりはしないだろう。

 愛情薄く育った親であるならば、理想の愛を与えることで、傷ついた

己の子供心を修復することができる。

 人生とは、子供を育て、人を育てるためにあるといってもよいのでは

ないだろうか。

 

 子を育て、人を育てる工夫として、さまざまな産業、商業が発想され、

営まれているといってもよい。

 そのように、新しい企業を発想してみるとよい。

 人を育てるというコンセプトである。

 

 だから、子育ては、人生の目的にすっぽりとはまる大事業といって

よいのである。夢中になってよい聖業であり、幸福の在り処である。

 生きがいである。


 

 しかして愛とは、自分の喜びとして、生きがいとして、死に甲斐として、

人を受け入れ、最良の励ましを与えることである。

 支え、育てようとすることである。

 

 それなのになぜ、与えられた命を中絶し、遺棄し、虐待する女がいる

のだろうか。

 男と女が力を合わせて、育てようと立ち上がらないのだろうか。

 だから、不倫はいけないのである。

 だから、無責任はいけないのである。

 子育ての責任は母親にある。

 

 それを助ける責任が男親にある。

 それを見守る責任がその身近な社会にある。

 男よ、女を愛するなら、その人生を受け入れよ。

 男は女に対して誠実でなければならない。

 

 女よ、別の女を不幸にしてはならない。

 未熟な男を誘惑してはならない。

 女は慎み深く、賢くなければならない。


 これが、端午の節句に思い浮かぶ言葉である。

                          Bafun 

 

 

 

 

  父母や   子や孫もおり   鯉のぼり

    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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