里山も 霊光明かき 初日かな
馬糞 Bafun
何といっても正月はめでたく、ご来光は神聖そのものである。
太陽は、生きとし生けるものを生かしめている。
生命の根源ではないか。
その太陽は、おぞましくなく、陰湿でなく、隠れて悪事をなすもの
ではない。
己自身を燃やし、地上のあらゆる生き物にエネルギーを注ぐ。
我らが心身に漲る生命を供給してやまない。
すなわち、生命の本質は、太陽のごとくである。
人もまた、太陽に恥じる生き方をしてはならない。
光のごとく生きよ。
その明快なる真理が太陽の神聖に他ならない。
日本という国柄は、日のごとく、太陽のごとく生きることを信条とす
る「太陽の文明」を継承している。
神道は「神は太陽のごときものである」としてこれを祭る素朴な宗
教である。
教えがないといわれるが、「太陽のごとく生きよ」という教えは曲げ
がたい感謝と報恩の人生道を示すものであろう。
念仏よりも正しい生き方を示す霊験というべきである。
想像を絶する小学生の残忍な組織的いじめの実態は、子供という
観念を汚すおぞましさである。
それは、例外ではなく、およそ全ての小中学校に潜伏していると見
てよいだろう。
「うちの学校にはいじめはありません」と言う学校は、極めて危険
で愚かな教職員が支配しているところだといってよいだろう。
第三者による公正な調査をすれば明らかになることである。
そのような凶悪な子供が平然と生きており、その親が生きており、
それをおぞましいと思わない同類の教師たちが教壇に立っている。
彼らもまた、初日の出を仰ぎ、初詣の拍手を打ったのであろうか。
不思議である。
億年の 契りを拝む 初日かな
馬糞 Bafun
【悪魔の論理】
彼らは、太陽の神聖に対しても嘯くのであろう。
「太陽は物質に過ぎない。
その物質環境に偶然生命が発生し、それが偶然に変化して人間
ができたのだ。
人間もまた物である。
まして神などいない。
思想信条は自由である。
何を善とし、何を悪とするかもまた、人それぞれである」と。
味噌も糞も、人それぞれであるのだろう。
すなわち、法としての善悪はないということになる。
太陽のごとき法を認めないこと、これが悪魔の論理である。
いじめ犯罪の基本信条である。
彼らにとって、仏神を認めることは不都合である。
天国地獄を認めることも不都合である。
その不都合を科学の精神のごとく摩り替えて教育基本としている
のが、日本の戦後教育なのである。
NHKが宣伝しているダーウィンの闇の思想の本性である。
それにしても、NHKには悪魔が潜んでいるとしか思えない。
おぞましい韓国ドラマを放送し、神を否定するダーウィンを科学の
象徴として放送している。
公共放送局ではありえない実態がある。
そのような職員が番組を作っている。
ついでに、日経新聞の悪質さも見逃せない。
色情経済新聞というべきか。
色情系の悪魔というべきエロ作家渡辺淳一ものを連載し、その毒
水を世の中に流し続けているのだ。
これを喜んでいる経営者たちを囲い部数を伸ばそうとしている。
経済を汚染するメディアである。
「道徳という土なくして経済の花は咲かず」と知るべきである。
梅士 Baishi
山赤く 初日めでたき 湯につかり
馬糞 Bafun