蝉殻も 久々娑婆の 風を吸い
中村 梅士 Baishi
今日は東京オリンピックの幻の開会式だった。
体育の日とは別のスポーツの日だという。
連休だったとは気が付かなかった。
何しろ明日は登城日である。
午後からすっかり雨が上がったので、久しぶりにジョギン
グに出た。
気温は30℃近くあるが、風が強くさらさらとして気持ちが
よかった。
まだ慣れない空港方面コースだが、今日は空港とは道向か
いの住宅地域に入った。
丘になっているので長い坂道がある。
上り詰めたころ、残された雑木林の緑地帯があった。
山道である。
すると、すぐに小さなやぶ蚊の奇襲を受けた。
あっという間に吸血している。
2機撃墜したが、あとで痒くなった。
山頂部には戦没軍人の慰霊碑があった。
福岡も激しい空襲を受けた。
その中で、十分な装備もない兵士が迎撃したこともあった
だろう。
埋もれた遺跡のように、山中にはこういう慰霊碑が建って
いる。
お盆には改めて慰霊をしたいと思う。
本来ならば、今日は待ちに待った東京オリンピック開会式
の日なのだった。
来年には何とか、延期されたオリンピックの開催を実現し
てほしいと願っているアスリートは多いのだろう。
それだけの価値のある人生目標だったのだから。
その気持ちは分からんでもないが、悪魔国のナンチャイナ
や、日本に対してはフェアプレイの精神を持ち合わせないナ
ンダコリアが参加するオリンピックなど、不浄であると思う。
アスリートは、オリンピックメダリストの栄冠に輝きたい
のだろうが、オリンピック自体に正義の観念が問われないと
いうのなら、その栄冠に何の名誉があるだろうか。
神を認めず、宗教者の臓器を摘出して売買するような国の
参加を認めるオリンピックなど、オリンピズムに反している
だろう。
敵対して戦う関係にあっても、オリンピックイアーには戦
争を中断してオリンピックに参加したという古代オリンピッ
クは、ともにギリシャの神の前に集って、同じギリシャ世界
の同胞としての絆を確認する大事な約束事でもあったのだ。
今のオリンピックには神が見失われているのである。
神聖な競技ではない。
神の前に謙虚に正々堂々と戦う武士道精神などないのだ。
共産主義国との友情を大切にすることがオリンピズムだと
誤解したからである。
神への信仰なくして、フェアプレイもフレンドリーシップ
も成り立つはずがない。
神を否定する公正さって何だ?
神なき友情って、何だ?
オリンピックは信仰なき国、信仰なき人の参加を認めるべ
きではないのである。
神を認めない武士道はないであろう。
神なき騎士道もないだろう。
そういうわけで、オリンピックの中止は天意なのである。
天罰である。
IOCは、オリンピックに信仰を取り戻すべきである。
しからざれば、オリンピックにはなんの権威もない。
スポーツマンシップを持つアスリートであるならば、そう
主張するべきである。
そうでないのならば、オリンピック中止は天命と知るべき
である。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party