汽車ポッポ 五月の雨に 湯気を吐き
中村 梅士 Baishi
今日も雨だった。
ただ、部屋に籠って、ポッポ、ポッポと、汽車ポッポ
のように走り終えた一日だった。
テキストを一冊精読しても、読書をしたという気分に
はならない。
今日は新刊書が二冊も届いたのに、ページを開くこと
もなかった。
仕事に追われるというのは、まあ、未熟ということで
ある。
シュッシュ、ポッポの一日を終えて、シュ~ッと蒸
気を吐いて、また、ポッポ屋さんの無人駅に停車した。
ああ、鉄輪温泉にでもどっぷりと漬かりたいものだ。
WHOもローマ法王も、ナンチャイナの手下のように
なってしまっている。
しかし、立場として許されないことである。
二人とも出身は後進国である。
やはり、適材適所ではなかった。
変な平等主義がバランスを崩してしまっている。
まあ、平等主義とは共産主義のことである。
悪魔の原理である。
「平等」とは、神の親心でこそあれ、人間が用いたら、
人間性の否定になる。
憲法に入り込んだ悪魔の原理が、平等主義と平和主義
である。
一般的原理として安易に用いてはならない概念である。
平和とは試練でもあり、修行であり、競争であり、独
立自尊であり、戦争でもありうるのである。
ソフトバンクが1兆円もの経常赤字を発表した。
ナンチャイナ経済の破局が始まろうとしている。
証券市場はVIX恐怖指数も30ポイントに戻って、一
安心モードであるが、知らぬが仏の抜け殻指数であろう。
さて、地球神エル・カンターレの存在も幸福の科学も
幸福実現党も無視し続けて、愚弄し続けてきた日本人と
その政治システムであるが、物事には限度というものが
あるのだ。
目に見えて分かるようになるだけのことである。
原因結果の法則が科学であろうから。
もはや、例外をもたらす慈悲の根拠がないと思う。
神も仏もない日本のままでは、神仏の面目もあるまい。
創造的破壊こそは、天命である。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party