糸トンボ 釣れぬヤマメの 竿の先
梅士 Baishi
雨の降りそうな曇り空に風が波打っている。
室内気温は28℃、いつの間にか蒲団を蹴りあげてい
る。
毎年繰り返す季節の出来事が、いつも新鮮である。
さて、釣りと言えば、イカ釣りとヤマメ釣りは未だに
一尾の成果もあげていない。
道具は揃えているが、釣りにでかけるほど熱心ではな
い。
たまに出かけても、そういう不熱心さが竿先から伝わ
るに違いない。
今は、釣りよりも、2,3時間山歩きをする方が楽し
い。
かつては九州の山を山とは思っていなかったが、宝満
山で遭難しそうになってからは、身近な山を魅力的に感
じられるようになった。
いつかは九重を制覇したいものだ。
ミヤマキリシマが見ごろなのではないか。
あの山も時々遭難する山である。
イラクのクウェート進攻や湾岸戦争の話をしていると、
学生にリアルな反応がない。
まだ、生まれていない頃の話なのだそうである。
彼らは日本の不況期世代、1990年代の生まれなの
だった。
最近は日露戦争も経験してきたことのように思えるが、
生まれる前の歴史はなにか実感がわかないものである。
歴史に実感を持つことは、リーダーには欠かせない教
養であろう。
今、アメリカが背負った衰退すべき理由、文明文化を
失った中国が自滅しようとしている理由が批判的に検証
されつつある。
日本には戦後引きずってきたたくさんの衰退すべき卑
屈(反日思想)があるが、他方で幸福の科学という奇跡
の発展理由がある。
65年も敗戦の恨み事を呪文のように唱える世代は、
沖縄の中国人・仲井間知事に見られるようにおぞましい
が、フェードアウトしようとしている。
同様に沖縄県も廃止したいものだ。
【 倫理的な共同体意識を事なかれ共同体とはするな 】
日下公人先生の「道徳という土なくして経済の花は咲
かず」という著書は、倫理と言う観点からの鋭い文明論
である。
日本はアメリカや中国などとは異なり、思いやりの倫
理というべき共同体意識が培われてきた品格のある国だ
と評価する。
共同体とは、「人は一人では生きていない」という人
間関係への感謝と一体感を基礎としている。
しかし、悪く言えば、他人の目や慣例に遠慮して言う
べきことも言えず、事なかれ主義を無難として他人にも
押し付ける狭い世間でもある。
品格と抑圧は紙一重ということか。
今の日本を見るに、品格としての共同体よりも、卑屈
でいじましい共同体のように見える。
自分はというと、「人は一人では生きていない」こと
を倫理として教えてはいるが、共同体というものが好き
ではない。
形式儀礼でお付き合いという「大人の常識」に馴染ま
ない。
付き合いのない者に打算はないし、嫌いな奴とは付き
合わない。
結果、一匹狼といわれるが、倫理的でないとは思わな
い。
和とは、善を選ぶものでなければならない。
和の精神は、選別の戦いを厭わないのだと思う。
事なかれ主義、形式儀礼主義を良しとはしない。
調和とは、悪を退け善を取るという武士道の役割でも
あろう。
品格のある倫理とは、戦いの論理を排除しないところ
にあるという認識が日本には必要なのではないか。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党