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+ 枯葉の梅かな・・・ 天下取りとは何か~ 池田大作、小沢一郎の引き際や如何

2010年11月27日 23時36分21秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 

 飛び梅の  葉を落としつつ  春の夢 

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 10℃そこそこの朝が定着し、「いよいよ冬ですねぇ」とい

雰囲気になってきた

 毎朝、メジロのつがいがガラス戸越しの目と鼻の先に飛

んできてくれる。

 みかんのお供えを受け取ってくれる。

 その姿はいつもメジロの装いなのに、見飽きることがない。

 

 ファッションの秘訣は、その人のかわいらしさと、その人

ブランドというべきスタイルにあるのだろうか。

 ファッションはあくまで、その人の魅力を引き立てるため

装いである。

 

 人の魅力は、「与える愛」にある。

 その愛は多様であろうが、エル・カンターレの法に説か

れるように、愛とは、憎しみの反対、嫉妬の反対の座標に

ある。

 自己中心は魅力ではない。

 与える愛がファッションによって引き立てられるのだ。

 

 人は、持っていない他人のものに憧れる。

 憧れにおいて、人は貧しい。

 貧しさの罪は、憧れを嫉妬に変質させるところにある。

 

 憧れは賞賛とあくなき探求の希望でなければならない。

 そうであり続ける限り、憧れはその途上にあっても与え

る愛となることができる。 

 すなわち、憧れもまた人の魅力になるということである。

 若人の魅力もまた、そこにあるのではないか。 

 

 

 

 

 

 

 

 天下取りの野望とは何か 】 

 

 天下取りは男のロマンとも言う。

 天下を取るとは、王朝を開くということだろうか。

 かつて、天下を競い、その天下を取った男として歴史に

名を刻んでいるのは信長であり、太閤秀吉であり、徳川家

康である。

 それ以前は、足利尊氏や源為朝も入るのだろうか。

 チャイナにおいては、チンギスハンもこれにあたるだろう。

 習近平である。

 

 天下を制し、天下を取るロマンとは何なのか。

 権力とはよほどの魅力があるらしい。

 現代においても、天下を狙って争ってきた男たちがいる。

 小沢一郎であり、池田大作であった。

 彼らにとって、天下とは総理大臣に満足するものではな

かろう。

 その王朝を開くことであろう。

 

 田中角栄も、天下を取るという意識だったろうか。

 過去世が斉藤道三であってみれば、天下という意識があっ

たのかもしれない。

 単に総理ということではなく、新潟王国が日本の権力を

握るという野心に支えられていたかもしれない。

 だからこそ、潰された。

 信長のようでもあったかもしれない。

 

 政権をとるという以上の天下取りの意識を持っていたか

らこそ、小沢一郎も阻まれ、池田大作も阻まれた。

 現代はもはや、かつての天下取りの時代ではなくなって

いるのではないか。

 

 権力闘争がなくなるわけではないが、現代の権力構造は

複雑である。

 マスコミ、官僚、政治家、企業家も権力闘争の主体であ

り、これを制する権力を一元化して捉えること自体が難し

いことなのではないか。

 

 政治権力を制したところで、マスコミを制したといえなけ

れば天下をとったとはいえない。

 天下とは、結局のところ、銅像が建つような独裁権力に

ほかなるまい。

 現代社会における総合権力を制するためには、宗教的

カリスマによる権威か、軍事独裁権力によるかしかあるまい。

 もはや伝統的権威では、天下は治まらない。

 

 政治の世界は汚いというが、それは、スーパーパワーな

き権力闘争を繰り広げていたからである。

 しかし、幸福実現党の政治は、小沢一郎のいう悪党の政

治にも、公明党が経験したような汚い政治にもならないで

あろう。

 今まさに、スーパーパワーが時代を開こうとしているから

である。

 

 私は思う。

 今、世界最大の軍事力を持つのは、幸福実現党なので

はないかと。

 憶測に過ぎないが、UFOの存在がそれを示唆している。

 

 人による支配は好ましいものではない。

 安定の時代には支配は顕在化しないから、人の支配で

もそれほど支障はない。

 しかし、天下取りとは動乱の時代の夢である。

 動乱の時代、人の支配は軍事的独裁支配にならざるを

得ない。

 

 天下の根拠は、やはり仏神になければならない。

 人間、いかなるときも仏神への謙虚を忘れてはならない

と思う。

 

 引き際の鮮やかだった島津義弘が守護する池田大作も、

仏縁ある小沢一郎も、野望のカルマに翻弄された人生の

最後の花道をどう幕引きするか、刻一刻とその時を問われ

ている。

 

 創価学会の人々も、小沢派の人々も、その有終の美を

見届ける武士の情けを心得てほしいと願う。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

          

 

 

 








 

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