雨降りに 顔上げて行き 八重桜
梅士 Baishi
気温16℃、曇り。
夜は突風を伴う激しい雨だったが、その雨雲は博多上空を去った。
今日はレプタリアン族が嫌いなグレーな空模様である。
大川隆法著 幸福の科学出版刊『宇宙の法』以来、アングロサクソ
ンの気質、特にアメリカの政治的気質が理解できてすっきりした感じ
である。
もちろん、地上人類の本体は高度に発達した金星人をベースに地
球を起源として作られたネイティブである。
宇宙人に依存し、あるいは翻弄されてはなるまい。
基本は自助努力であり、学ぶべきは素直に学ぶという姿勢が肝要
であろう。
『宇宙の法』の公開は、われわれの政治意識を宇宙規模に拡大した。
政治とは、仲間意識をベースに結束し、異質な個性との間で切磋琢
磨するリーダーシップである。
その根底に、異質を愛するという精神がなければならない。
仮に戦争もまた発展のプロセスであるというならば、戦争にも愛が
なければならない。
それは、スポーツマンシップというべきものかもしれない。
しかし、「戦争の愛」とは、なんともパラドキシカルなテーマである。
異質を愛する、これこそは、発展に欠かせない修行のテーマであり、
イエスキリストが説いた「汝の敵を愛せよ」という教えの本旨なのでは
ないか。
【愛国心という異質を愛する発展力】
さて、日本人の反日左翼勢力が国家的危機を招いているが、現代
の若者は、左翼、右翼の違い、社会主義と自由主義の違いさえも、ピ
ンとはきていない。
そのような政治的教育を受けてもいない。
国家意識が薄いというべきかも知れない。
国を愛する気持ちがなければ、国際協調という意識もありえないこと
である。
日本人でありながら愛国心をもてない左翼の人たちは、日本文化が
異質なのだろう。
ならば、その異質を愛することがその修行課題というべきである。
さて、国際社会とは、異文化としての国家が交流し、信頼関係を結ぶ
べき社会である。
国家とは、個性的文化社会の単位であり、国際社会の発展の基礎と
なる個性にほかならない。
同質的な社会には発展がない。
もし、異質な個性としての国家を否定し、地球人類となる同質社会を
よしとするならば、発展がとまり、停滞する。
それをよしとするのが左翼、すなわち、平等主義ないし、社会主義の
考えである。
熟成を待たないで同質社会にするということは、異質な個性を抹殺す
るという恐怖政治を意味しているのである。
熟成して地球文明が同質的な社会となったならば、それは、宇宙社
会という異文化世界での競争に入ることを意味する。
人類が発展を目指す存在である限り、異文化との切磋琢磨こそは、
社会の本質的要素である。
そうであるならば、日本という国の個性的文化を愛することが、国際
社会を理解する大前提であるといえる。
同様に、個人としての人間もまた、個性としての自分を愛さなければ、
他人との切磋琢磨を理解せず、愛と信頼を理解せず、発展的使命を見
失うであろう。
個性とは、枝分かれである。
多様な発展可能性の姿である。
そうした個性を結ぶ信頼には愛が欠かせない。
しかして、人々が力を合わせる愛とは、創造神に由来する利他の思
いであろう。
発展の力は、結局愛に由来するということである。
愛のないところに発展繁栄はない。
異質な個性の人たちが同じ思いを持って、それぞれが役割を拾って
手をつなぎあう力こそが、愛であり、発展の力である。
異なる宇宙に起源を持つ神々もまた、巨大な個性存在であるが故に、
相互に手をつなぐ愛を課題とし、修行をしているように思える。
宗教戦争があるということが、その民族神の未熟であり、愛の修行
プロセスというべきではないか。
もはや、民族の神であっても唯我独尊は許されないのである。
民族の神と民族とは運命共同体である。
狭い了見では民族を不幸にする。
他の異質な個性に学ぶ寛容を持たなければならない。
その点、日本神道は寛容である。
ある意味で、大将の器である。
その寛容によって、民族神の戦を仲裁しなければならない。
そこに、エルカンターレという地球の根本仏の降臨を得た日本の使命
があるであろう。
日本神道の神々も幸福の科学を本家親神と認めている。
幸福の科学をとおして展開している奇跡は、天上界のメッセージで
ある。
これに気づき、学ばなければならないというサインである。
安易に考えてはなるまい。
まして、これに敵対し、罵倒し、軽蔑する者たちの末路の哀れなこと
よ。
地獄転生の烙印をおそれるべきである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi