Time say good bye Sakura leaving for...
梅士 Baishi
気温8.5℃、大陸の高気圧に覆われて寒い朝だが、夜明けは早く、
光は春のものである。
桜は新緑を芽吹きつつ、春光に輝いて花を散らせている。
Time say good bye.
林麻耶さんの感動的なソプラノで入学式が始まった。
Time say good bye、門出の歌である。
公に生きる人生の旅立ちである。
その門出の道に、桜は花を散らす。
人生とは死に甲斐である。
潔い修行者でありたいものだ。
【企業よ、宗教家よ、自己保身の禍の無い小中学校を設立せよ】
不安、恐怖は自己保身の感情である。
これこそは、根暗(ネクラ)の発想である。
他人に対する疑心暗鬼、不信、被害妄想、排他的な攻撃という人間
関係破壊活動とその正当化のための独善主義へと展開する。
もちろん、健康を保ち、長く活動ができるようにメンテナンスすることは
車の手入れ同様に大切なことである。
しかし、自己保身とは、それが優先し、自己目的化しているところに禍
の原因がある。
いじめの集団化も自己保身から来ている。
教師も法も守ってくれないのだからそうする他は無いではないかと言う。
確かに、いじめ犯罪から教師も学校組織も子供を守ってはくれない。
教師も学校も、自己保身のために事なかれ主義を通すのである。
いじめやそれへの加入を迫られているのであれば、不登校を選べ。
そして退学せよ。
そこは学ぶところではないからだ。
しかし、その受け皿として、いじめの無い学校を作る必要がある。
通信制高校だけではなく、通信制・単位制の小学校、中学校を作った
ほうが良い。
寺子屋小学校、寺子屋中学校のほうがよい。
それをさまざまな規制を立ててやらせないのが文部科学省である。
企業人よ、子供たちを守るために、未来を健やかに育てるために、大
人の目が行き届く学校を設立せよ。
公立のいじめ学校には入学者がいなくなればよい。
ただし、教育をしない通信制学校もまた淘汰されるべきである。
教師になりたい優秀な人間は少なくないはずだ。
未来作りをするのが企業であるならば、企業は徒党を組んで、小学
校、中学校を設立するべきである。
これこそは最大の福利厚生となるであろう。
宗教家であるならば、子供が健やかに育つ学校を作るべきである。
自己保身の指南をしたり、葬式ビジネスで金を稼ぐ法人であり続けて
はならない。
そんなことだから、さまざまな霊障に襲われるのだ。
子供を持つ親ならば、みすみす、いじめ犯罪の無法地帯に子供を送
り出したくはないであろう。
校舎があり、まともそうな教師や偉そうな校長がいて、子供たちが普
通そうに生活している概観をみると、それほどひどいこともあるまいと
思って入学させるのであろう。
しかし、犯罪は見えないところで行われ、心を深く蝕むのである。
教員の非公務員化、安いコストで学校が設立運営できるための公設
民営化、個性を大事にしてくれる寺子屋型小中学校、そうしたものをあ
る程度自由に設立できるようにする政権をこそ、選ぶべきである。
学費を只にすることがありがたいのではない。
只では学べないものである。
むしろ、新しい健全な学校を設立することのできる政権選択こそが
子供のためには大切な選択であろう。
これは自己保身ではない。
子供への愛である。
正義を守るための戦いである。
自己中心はそれ自体が自滅であり、他人を害する。
自己保身はそれ自体が方向性を見失い、徘徊する人生となる。
それが、今日の公務員教職員による義務教育学校の実態でもある。
以上、自己保身について考案してみた。
喘息発作を恐れて自己保身し、自己中心に発想する青年を見てい
て思ったことでもある。
【脱・自己保身政権誕生のために】
肉体我は必ず死ぬ運命である。
その肉体我の欲望に生きてはならない。
その肉体我の保身に不安恐怖してはならない。
公的に生きるところにこそ、修行としての人生の永遠性があるであ
ろう。
民主党のばら撒き政策は、国民の自己保身、自己中心主義に迎合
した不幸になるための政策である。
鳩ポッポ政権の幸福とは、金で買えるものと規定されているらしい。
もちろん、彼らの「幸福」もまた、金で買うものらしい。
『国民よ、この国を守り、世界から尊敬される国にしよう。人間はみな
死ぬ運命にある。ならば、死に甲斐をこそもとめて潔く生きようではな
いか。』
『不況とは、自己保身の時なのではない。古い殻を脱ぐべきときで
ある。そして、新しいものを生み出すときである。芋虫がさなぎになり、
脱皮して蝶になるように。だから、国民よ、節税に走らず、国家のため
に貢献して欲しい。試練のときにこそ、価値あるもののために自助努
力して欲しい。そのために、われわれも命がけで古いものを捨て、新し
い器を作ろうと思う。日本人の勇気と智慧を大いに発揮しようではない
か!』
政治家とはそのようなことをこそ、国民に訴える啓蒙家であってほ
しい。
そうであってこそ、自己保身ではなく、国民の志というべき維新政権
が生まれるのではないか。
国民もまた、公のために生きるところに幸福がある。
だまされてはならない。
試練の中にこそ友情は育ち、試練の中にこそ生きがいが生まれ、
試練の中にこそ発展がある。
智慧と勇気と創造の時代のために、試練を楽しみたいものである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi