収まらぬ 仕事袋の 冬至かな
馬糞 Bafun
12月22日Sat 冬至である。
冬至といえば、北欧ではサンタクロースが袋を抱えて煙突掃除
をしてくれるという子供には楽しみな長い夜である。
サンタクロースの袋は与える愛でいっぱいなのだ。
その袋から取り出されるプレゼントを心待ちにして、大喜びして
くれる子供たちがいる。
自分にもそういう時代があったなあ・・・。
そんな風に、子供を育てているのだろうか。
無邪気で元気よく、素直で勤勉な子供に育てているか。
そのためには、シンプルでなければならない。
子供は清貧でよいのだ。
そうでなければ、サンタクロースは来てくれない。
御光が 地に満ちますように クリスマス
馬糞 Bafun
【キリスト教とは何か】
サンタクロースの頃がクリスマスである。
クリスマスはいつも楽しみだった。
夕方、教会に集まってロウソクなんかを準備して、クリスマスキャ
ロルに出かけるのである。
信者の家を回って、賛美歌を歌い、お菓子をもらう。
クリスマスの賛美歌は名曲揃いだ。
イエス様の権威は愛にある。
愛において純粋である。
キリストの色は神々しい純白である。
愛とは何であるか。
キリスト教の信仰は、イエス様のごとく生き、イエス様のごとく死
ぬことにある。
イエス様はあこがれである。
天才的な知性にあふれ、
この世の計算の及ばない奇跡と情熱にあふれ、
限りないやさしさにあふれている。
愛とは、若いときには勉学に励み、
恋の苦悩や嫉妬や貧困にも耐えて修行し、
努力して止まないものである。
世に出たならば、知性を尽くし、想いを尽くし、命を尽くして、
人々の心に灯をともすことが愛である。
世の塩となり、光となることを純粋に願って行動し、
主を慕ってやまないことが信仰である。
愛は信仰であり、信仰は命をささげる愛である。
その愛を、この世の競争者たちは傷つけてきた。
競争の目的は愛であるのに・・・。
愛なき競争は悪であるのに・・・。
私たちは、神への誠実と純粋を、忘れてはならないと思う。
J.D.Subunroco.
2005年リバイバル(黄金竜・・・パンセ考)
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