老いたれば 笑う門にて 舞散らむ
馬糞 Bafun
不覚にも出端の風邪をフルコースで吸い込んでしまった馬糞で
あったが、やっと、デザートまでたどり着いた。
砂糖代わりの粉薬をまぶして、早々と咳を断ちたいものだ。
日ごろの動きが、いかに元気であったかと、つくづく思う。
まさに、人は気の塊なのだ。
もみじ葉は、役割を終えて美しく、愛でられて散る。
人もまた、そのように老いることができるはずである。
めでたい老後は、人々の希望になるであろう。
資産形成はままならない競争の結果だが、心境は己が形成す
るものである。
大企業の社員は、さぞいい給料でよかろうと思うものだが、
その内実は、熾烈な戦国であるらしい。
個人戦であると同時に、大将が倒れると、主従ともども左遷さ
れるという。
どの会社もというわけでもあるまいが、大手家電メーカーN社の
話だった。
左遷の終着駅は、購買部と能力開発部だとか。
そういえば、失意のうちにN社を退職した知人は、購買部であっ
た・・・。
『組織、企業には、人の耐震構造というべき適正規模があるの
ではないでしょうかねぇ。
そのバランス運動としての出世競争なんでしょうけど、戦国の世
は沢山の偶然・不公平・不条理を含んでいる。
企業の常態であってはならないだろうと思うんですよ。
確かに戦の中にも悟りがある。
どんなに優秀だと思っていても、自分の代わりはいくらでもいる
ということを思い知らされるからです。
変数Nとして生き残ることに意義があるのではないと。』
人生いたるところ青山あり、人生の価値観は、ぐっとアングルを
引いてダイナミックに構想したものである。
J.D.Subunroco.
2005年リバイバル(歌姫・・・天命)
⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/75372103195038ef1ebe19284d08d21f