予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
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2005年8月劇症肝炎発症、10月移植手術、2006年8月再手術、6回の入退院、延べ1年間の入院生活を送り、現在無事回復、わたし「かんぞう」の今も続く、激動の闘病体験記です。 |
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5年も経つと誰もいなかった
どうやら5年間の生存率アップに、ほんの少しだけ貢献できたようだ。
まだ全ての結果が出ていないけれど、肝機能値は安定、今のところ問題なのは
逆流性食道炎があるだけ、となりそう。
長い様な短い様な5年間、今日担当のY先生にも、
「5年経ちましたか~」
と。
「はい、無事5年経ちました。」
と答えたものの、がんと違って、5年経ってほぼ安心、っていうのはどうなのだろう。
むしろこれからが大変か、その辺がよくわからない。
今日は注射が、というより注射針が6本、右腕に3本、左腕に3本、なので左腕が
未だに上がらない。
採血→CT(造影)→シンチ→ヘブスブリン→ヘブスブリン→ワクチン
というサイクルで注射!注射!注射!注射!注射!注射!
ヘブスブリン2回は、途中で診察に呼ばれ、診察中に腕を曲げてしまった為に
腫れあがり、それは今も腫れあがり。ぁぁ。
2年位前から診察が木曜日に変更になり、その為に会えなくなっていたKさんに、
放射線科待合いで久し振りの再会。歓喜!
彼は腸閉塞で入院中も、無事今日退院との事。歓喜!!
帰り際、今度は病室へお見舞い。
そこで、廊下に貼り出してある看護師さんの紹介表を見ると、人数はたくさん居る
のに知っているのは3人だけ。たったの3人。
しかもそのうちの一人はコーディネーターのSさんなので実質2人。
Kさんと、
「やっぱり4、5年経つと看護師さんも変わるよね~。」
と嘆く。なんだか寂しい。
今度、自分が入院するような事になれば、誰も知っている人がいない、なんて事に
なるんだろうな。
まぁまぁそれでも、また今の生活を続けていく権利を得る事ができたわけで、
それはそれで辛い事もあるけど頑張るしかない。
自分自身で頑張る事ができるって、幸せな事なんだと思います。
まだ全ての結果が出ていないけれど、肝機能値は安定、今のところ問題なのは
逆流性食道炎があるだけ、となりそう。
長い様な短い様な5年間、今日担当のY先生にも、
「5年経ちましたか~」
と。
「はい、無事5年経ちました。」
と答えたものの、がんと違って、5年経ってほぼ安心、っていうのはどうなのだろう。
むしろこれからが大変か、その辺がよくわからない。
今日は注射が、というより注射針が6本、右腕に3本、左腕に3本、なので左腕が
未だに上がらない。
採血→CT(造影)→シンチ→ヘブスブリン→ヘブスブリン→ワクチン
というサイクルで注射!注射!注射!注射!注射!注射!
ヘブスブリン2回は、途中で診察に呼ばれ、診察中に腕を曲げてしまった為に
腫れあがり、それは今も腫れあがり。ぁぁ。
2年位前から診察が木曜日に変更になり、その為に会えなくなっていたKさんに、
放射線科待合いで久し振りの再会。歓喜!
彼は腸閉塞で入院中も、無事今日退院との事。歓喜!!
帰り際、今度は病室へお見舞い。
そこで、廊下に貼り出してある看護師さんの紹介表を見ると、人数はたくさん居る
のに知っているのは3人だけ。たったの3人。
しかもそのうちの一人はコーディネーターのSさんなので実質2人。
Kさんと、
「やっぱり4、5年経つと看護師さんも変わるよね~。」
と嘆く。なんだか寂しい。
今度、自分が入院するような事になれば、誰も知っている人がいない、なんて事に
なるんだろうな。
まぁまぁそれでも、また今の生活を続けていく権利を得る事ができたわけで、
それはそれで辛い事もあるけど頑張るしかない。
自分自身で頑張る事ができるって、幸せな事なんだと思います。
コメント ( 6 ) | Trackback ( )
« 見送るということ | 人生観 » |
検査異常なし、おめでとうございます!
私は3月末まで入院していましたが、こちらの大学病院でも、辞めた人、他の部署に移る人、新しく来る人、といろいろと異動の話が聞こえてきました。
次は10年ですね。私はまだ1年ちょっとですが、まずは5年生存を目指します。
いつまで生きられるかは誰にもわかりませんけど、今生きている感覚は病気の前後で 明らかに変わった様な気がします。
ハムのすけさんも、5年と言わず10年と言わず、お互い100歳目指して頑張りましょう!
病棟に知らない看護師さんが多いだなんて幸せです!
私はばっちり知ってますもの(笑)
2年前に1年生だった人、今年1年生の人・・・
かんぞうさんは、感謝の気持ちをブログで書かれることがたまにありますが、生きるとかそいうことを移植を通して考えたりされてますよね。
いくつか見つけた肝移植者のブログでも、かんぞうさん以上にそのような表現をしてる方がほとんどなんです。
障害者手帳を頂いたと書いてる方もいました。
同じ移植者なのに、そういう気持ちどころか怒ってばかりの私・・・文句と不満の嵐で、先日も2度目の腸閉塞で入院したんですが、もう、腹が立って仕方ありませんでした。
病院に対してではなく、短期間で2度の腸閉塞ということにです。
だんだん不安になってきて。
他の移植者との交流がないのでわからないのですが、かんぞうさんが知ってる方で、私のように感謝どころか怒ってばかりの人っているんでしょうか・・・?
自分の体に起こるトラブルも、移植をめぐる様々なことにも怒ったところでどうにかなるものではないとわかっているんですけどね。
ちーさんが入院していたとは・・・
Kさんも腸閉塞、聞くと自分の身にもいつ起こっても不思議ではなさそうで、また一つ不安が増えました。
怒ってる、というと一年間の入院中はわたしも怒ってばかりいました。
みんな(状況を含めて)信じられなくて。
今だから冷静に病院通いができていると思っています。
感謝よりも怒っている、不安でいる、っていう人、
それはやはりその人の体調の状況、回復度合い、そして何よりもその人の置かれている立場によって大きく変わるのではないでしょうか。
その人自身の考え方、っていうのはこの場合二の次の様な気がします。
ですから色んな人、いますよ。
ぷりぷりいつも怒っている人、実際いますよ。
そんな人でも状況が良くなるといつもの笑顔が戻っていたりしますしね。
怒り、いいじゃないですか。
ちーさんのエネルギー源だし。
今は腸閉塞が続いたりして不安が大きくなっているんでしょうけど、また改善されてくると不安感も治まってくるんじゃないですか。
こんな自分も、もし今、何かで長期入院とかなったら、そりゃぁ普通ではいられません。
5年掛けて、やっと今年くらい、色んな事が戻ってきているんです。
やっとですよ。
また何かあったら、きっと自分自身に相当腹を立てるでしょうね。きっと。
でも、やっぱり、感謝する部分は大きいです。色んな事に。
特にわたしの場合、家族中を巻き込んだ生体移植なので、それは大きいかもしれません。
だからと言って、「病気をして、たくさんの優しさを知る事ができて、良かった。」などとは口が裂けても言えません。絶対に。
なんたって失ったものの方が遥かに大きいですもんね。
腸閉塞には困ったものですが、ちーさんには怒っていてほしいですよ。勝手な思いですが。
やはりちーさんの様な思い、考え方は大事だと思いますから。
それにしても、腸閉塞、わたしももう少しこれを意識しないといけないかもしれません。
かんぞうさんが今お元気で社会復帰をされ
5年目のご報告を聞き我が子の事のように
嬉しいです!!
生活の場であった病棟の看護士さんらに
知らない方が多いのも有難いことですよね。
うちの息子はただいま3年8ヶ月めを
術後一度の入院もなく定期の外来のみで
過ごせています。
お薬もプログラフ1mg朝晩のみ。
これだけ順調なのにいまだに母親というものは
元気な頃の小学生時の写真なんぞ見ると
涙がでてきます・・・。
今の私には体の安定と来年は中3の受験生
の身になる息子に本人が希望する高校に
入って欲しいという願いしかありません。
無事に5年目を迎えてかんぞうさんの後に
続きたいと切に願います。
亡くなられたおばさまの日記・・・。
かんぞうさんを案じる文章でいっぱいだったのですね。
その当時、95歳くらいの年齢でしたのでは??
頭も体もお元気で冴えていらしたからこそ
孫のかんぞうさんを思い日記に記せたのでしょうね。
頭がさがります。。。
かんぞうさんがお元気でおばあさまを
お見送りできた事こそが、おばあさま孝行です。
これからは上のほうから、かんぞうさんの無事を
見守っていただけますね。
息子さん、順調そうで良かったですね。
我が家も来年受験ですが、考えてみると元気に受験勉強をできるって、大変な中にも幸せな事なんですね。
そうやって考える事ができると、これから迎えるであろう山坂も、辛いながら乗り越えていってくれるんだろうと思います。
プラムさんの息子さんの場合は、わたしと違って、術後の人生の方がはるかに長いわけで、あれこれと将来について悩む事も、その種類も多いと思います。
精神的に乗り越えられる事はどうにかなるも、もし何か物理的に困難な事にぶつかった時、その時が正念場ですよね。
そんな事が皆無である事を願いつつも、そんな時はプラムさんの力が必要でしょうから、プラムさん自身もお元気で、健康は大切にしてくださいね。
祖母は、日記以外にも写真が好きでたくさん撮り残していました。
今にして思えば、何かしら自分の証を少しでも多く残しておきたかったんだと思います。
祖母の晩年に自分が病気になって、散々心配させて、でも回復して、って、確かに95歳前後での出来事で、どんな想いだったのか聞いてみたい気もします。
100歳まで、生きてみたいですね。