予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
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2005年8月劇症肝炎発症、10月移植手術、2006年8月再手術、6回の入退院、延べ1年間の入院生活を送り、現在無事回復、わたし「かんぞう」の今も続く、激動の闘病体験記です。 |
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静かに
明治、大正、昭和、平成と、激動の時代を生き抜き、100年と6か月、祖母が
逝きました。
それはそれは静かな最期だったようです。
ちょうど病院にいた姉から連絡をもらい、自宅にいた母を伴い病院に向かった
けれど、残念ながら死に目には会えませんでした。16時43分でした。
せめて母には最期を看取らせてあげたかったけど、ずっと面倒をみてきた母には
一緒に居させてあげたかったけれど、それだけは残念です。
でも寝た切りになってから「痛い、痛い」が口癖になり、座薬の痛み止めを欠か
せない状態だったので、その分、死に顔は安らかで、100年を生きた自信さえ
感じられる表情でした。
思い出すのは5年前、「※※ちゃん(わたし)が元気になるまでは絶対死ねない。」
と言って気を張っていた姿。
「何かの足しにしなさい。」と言って、一時退院中の自分にお小使いをくれた事も。
両親共働きだった子どもの頃は典型的なばあちゃん子。
母親と一緒に寝た記憶は殆んど無いけど、常に子どもの自分の隣りには祖母がいた。
100年、凄いなぁ。真似できそうもないや。
そんなばあちゃんに、
「トイレの神様」から言葉を借りれば、
おばあちゃん
おばあちゃん
ありがとう、
おばあちゃん
ホンマに
ありがとう。
逝きました。
それはそれは静かな最期だったようです。
ちょうど病院にいた姉から連絡をもらい、自宅にいた母を伴い病院に向かった
けれど、残念ながら死に目には会えませんでした。16時43分でした。
せめて母には最期を看取らせてあげたかったけど、ずっと面倒をみてきた母には
一緒に居させてあげたかったけれど、それだけは残念です。
でも寝た切りになってから「痛い、痛い」が口癖になり、座薬の痛み止めを欠か
せない状態だったので、その分、死に顔は安らかで、100年を生きた自信さえ
感じられる表情でした。
思い出すのは5年前、「※※ちゃん(わたし)が元気になるまでは絶対死ねない。」
と言って気を張っていた姿。
「何かの足しにしなさい。」と言って、一時退院中の自分にお小使いをくれた事も。
両親共働きだった子どもの頃は典型的なばあちゃん子。
母親と一緒に寝た記憶は殆んど無いけど、常に子どもの自分の隣りには祖母がいた。
100年、凄いなぁ。真似できそうもないや。
そんなばあちゃんに、
「トイレの神様」から言葉を借りれば、
おばあちゃん
おばあちゃん
ありがとう、
おばあちゃん
ホンマに
ありがとう。
コメント ( 12 ) | Trackback ( )
« 秋なのに・・・ | ばあちゃんの日記 » |
お亡くなりになったのですね。心よりご冥福をお祈りします。
しかし、100歳を迎えられ天寿を全うされたのだと思います。
私も、子供の頃は祖母に面倒を見てもらっていたので、元気な頃はけんかばかりしていたのですが、けんかできなくなったら、介護の手伝いをして、みんなでお風呂に入れたのを思い出しました。
病気をすると、生死に関して考えることが多くなります。
自分はどんな死に方をするのだろう?と自問自答を繰り返し、想像したりしますが、現実とは大きく異なるのでしょうね?
理想的には、暖かい春のベランダで、ソファーに座りながら眠るように逝きたいとおもっているのですが・・・
昔は、畳の上で死にたいと思っていましたが、なかなか難しいのでしょうね。
家族の皆さんで、安心していけるように送ってあげて下さい。
まさに大往生ですね。ご冥福をお祈りします。
うちの祖母二人も、90年生きました。やはり、この世代の人たちは、体力的にも、精神力的にも強かったのですね。とてもマネできません。
私なんぞは、100年どころか、50年も怪しいですね。でも不思議なことに、一度自分が死に目にあって助かると、何歳まで生きる、ということがあまり気にならなくなりました。かんぞうさんはどうでしょうか。
大切な方を亡くして、がっかりされていることと思います。
でも、これからは、おばあちゃんが全力でかんぞうさんのことを守りますよ!
10年前に亡くなった伯父は
本来18年前に亡くなる予定でした。
18前に癌が見つかり「余命3ヶ月」の宣告を受けるものの結局8年間がんばり続けました。
そして100年間という月日を考え
人間の生命力のすごさを感じずにはいられません。
病気から復帰したかんぞうさんも
おばあさんとしても自慢の家族でしょうね。
ご冥福をお祈りします。
100歳まで、ほとんど何不自由なく暮せたので本当に天寿を全うしたのだと思います。
歳のせいもありますが、わたしも死に際の事をよく考えます。
やっぱり理想通りにはいかないのでしょうね。
きっと。
明後日のお通夜、翌日の告別式、精一杯見送ろうと思います。
100年って凄いですよね。
世代の差、なんでしょうが、やっぱり根性が違うんだと思います。
大戦も経験してきてますしね。
わたしが退院するたびにホッとしていた表情が印象に残っています。
晩年まで心配を掛けてしまった、ということでしょう。
何歳まで生きられるか、というと、病気前後で死に対する意識は180度変わりました。
たぶん、今は余命宣告されても普通でいられる様な気がします。
病気そのものもそうですが、それからの生活、人生の方が自分にとっては厳しいもので、色んな意味で学ばされる事が多いです。
そうですよね、考えてもみれば、元気に100年生きるのも凄いですけど、生死の境から復帰するのも、もっと凄い事なのかもしれないですね。
大きな病気をされた方は、ほかの人には経験できない大きなものを持っているはずですもんね。
そう考えてみると、生きている、っていう事は本当に大変な事なんですね。
かんぞうさんと同じ様に、私はおじいちゃん子でした。
一緒に寝たふとんのぬくもり、厳しくも優しかった心、いろいろな思い出を残してくれたことに感謝しています。
かんぞうさんもたくさんの思い出が財産ですね^^
ご冥福をお祈りいたします☆
お祖母様のご冥福をお祈りします。
100歳・・・私の亡くなった父と同い年です。
静かなご最後だったそうですね。
家族でお祖母様の旅立ちを見送ってやって下さい。
(合掌)
眠るように旅立つのが一番です、私の母も2年前に亡くなりましたが、朝起きてみると眠るように亡くなっていました。
私も何時の日か訪れる最後は、そんな感じが良いかなと思ってますけどね。
ところで月末にH大に入院です、他の病気で治療の際服用する薬と免疫抑制剤の相性が悪くて、入院して様子を見ながら薬の量を調整するみたいです。
一週間位の入院とはコーディネーターは言ってましたけどね。
明日のお通夜まで中2日あり、親戚一同集まって連日賑やかです。
人の集まりと賑やかなのが好きだった祖母にとっては喜ばしい事だと感じています。
みんなそれぞれに想い出があって、100年の重みを感じているところです。
亀太郎さんのお父さんも100歳でしたか。
凄いですよね、生命力。
それよりも入院ですか。
他の病気になった場合の、現状との関連性が心配なのですけど、やはり色々ありますよね。
早く退院される事を願っていますが、また色々と情報を教えてくださいね。
大往生ですね。
合掌。
今日、無事旅立ちました。
大往生です。
さびしい気持ちとホッとした気持ちと、複雑ですね。