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生の声

昨日、

「北海道移植医療推進財団発足記念」第一回市民講座「働くことと移植医療」

を見にいってきた。


実際に移植を経験され、仕事復帰された4人の生の声。


発病し移植を決断され、移植をしなければ助からなかった(はず)命を救われ、そして現在は、市長として、漁師として、歯科助手として、

道庁職員として、それぞれのこれまでの過程と今後の目標と、生き生きと語られる様子は、まさに移植医療の果たすべき最終目標だったのだと思う。



こういった講座をきっかけに、移植医療の実態が広まり、認知されていくことは重要なこと。



でも、やっぱり思うことはある、自分なりに。




こういった講座等に参加するたび、いつも複雑な思いを抱えて帰ることになる。

今回聞かれたのは「4人」の生の声。

中心はやはり脳死移植の方。


脳死移植待機者に比べて、脳死移植で救われる比率が極端に少ない現状で、数少ない「幸運」な方たちだ。




生体移植で救われた自分がとやかくいう謂れはまったく無いのだけれど、移植叶わず亡くなっていった人たちを真近かで見てきた自分としては、

どうしても複雑な気持ちになってしまう。

もしかしたら、Sさんもこの中にいたのかも、と思ってしまう。



肝臓移植に限って言えば、まだ圧倒的に多いのが生体肝移植。

4人のうち、2人は脳死肝臓移植者。

妻とも、

「生体移植の道は無かったのかな。」

と話してはみたものの、

生体肝移植の、ドナーのハードルが非常に高いのも事実。




満席の場内。

昨日の講座を見て、自分も、自分の家族も、と同調できた人は多かったのだろうか。

観覧者からの質問で、ドナーの条件を質すものがあったが、答えはあくまで腎臓移植の場合だった。

肝臓の場合、つまりはH大病院かA医大病院のみでの場合となるが、それはまた条件がまったく違ってくる。


肝臓移植の先生が、移植後の術後の経過を述べられていたが、これもやはり肝臓と場合と違う。



数週間か、中には数日で退院、と話されていたが、肝臓の場合、そんな短期はあり得るのだろうか。

少なくとも自分の周りには一人もいなかった。



事実、自分は退院が半年後、一年後には再手術だった。






敢えて苦言を言わせてもらえば、

好例ばかりを示すのではなく、できれば、(やっぱりああいう意味合いの場では無理かぁ)

苦難の道を行った者、行っている者、もしかしたら可能性さえ無い者、

そんな話しを求めることって...


やっぱり無理かぁ。





でも、本当はそれこそが「生の声」だと思うんです。


そんな「生の声」を聞いてこそ、それぞれがぞれぞれの立場で、移植について考えることができるのかな、と、

そんなことを思った一日でした。





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