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もしも病気でなかったなら~移植の現実

もう2年と言うべきか、まだ2年と言うべきか、生体肝移植手術を受けてか
ら2年がたった。



・・・・・・

今年もあと数日、本来、一年を振り返って、となるところだろうが、どうし
ても「あの日」からの思いが募る。


最近妻と話しをしていて、良く話題になるのが、「もし、こんな病気になっ
ていなかったならどうなんだろう」という事。


もちろん悪い事ばかりではなく、良い事も考える。

失われたものと得たもの、それは決して比較できるものではない。




何も他にできなかった一年間、仕事も遊びも、子供との振れ合いも、そして
収入も絶たれた。



先日新聞に、「臓器移植法10年」の記事で、ある男性の手記が紹介されて
いた。

自分と同じ当時40代の男性で、脳死移植を待つ重い肝臓病の患者の手記だ
った。



「今の医学でも、治療法が『脳死臓器移植しかない』と診断された気持ちが
おわかりいただけますか。
仕事、ローン、家族-。この先どうなるのか。いつまで持ちこたえられるの
か。さまざまなことを考えます」



さすがに心に響いた。

生体と脳死の違いがあるとはいえ、与えられた状況は同じ。

自分も最初、病気の状態を知ることとなり、真っ先に考えたのがこの男性の
思いそのもの。



不思議なもので、いざ生死を突き付けられても、一番最初に思ったのが
「生活」の事だった。



「一ヶ月は安静にしてないと」

と言われ「長いなあ、苦しいなあ、どうするべ」と思い、


「移植後は通常3ヶ月は入院が必要です」

と言われ「その間の収入は、生活は、医療費は」と悩んで、


3ヶ月経ち4ヶ月経ち、半年経っても良くならず、自分の立場もわきまえず、


「先生、とにかく退院させて下さいよ。生活がかかっているんですから」と
騒ぐ。


移植後1年たち、再手術に及ぶにあたっては、もう諦めと開き直りの境地。

生活の事を考え、一睡もできないまま病室のベッドでうなっていた事も何度
も。




いろんな事を犠牲にしながらも得たものも多かった。

何よりも家族の愛と思いやりを改めて知り、親籍・友人・知人の思いを知る
ことができた。


見知らぬ人たちとの交流もブログ等を通じてできた。


なんといっても病気の事を真剣に考えるようになり、そしていわゆる弱者の
気持ちが、恥ずかしながらこの歳になってやっと理解できるようになった。


”もしも病気になっていなかったなら”気付かなかったであろう事は多かっ
た。




年末になり、新年を迎えようとするたび、きっと毎年考えてしまうのではな
いか。

もしも病気になっていなかったなら、と。






・・・新聞の記事の続きには、


前記の男性、移植後3年余りして亡くなったという事

移植手術後間もない患者が亡くなった時、ある医師が

「これも移植医療の現実なのです」と言葉を発したという事


そして、移植を待つ患者数として

・心臓~  100人
・肺 ~  131人
・肝臓~  182人
・腎臓~11965人
・膵臓~  151人
・小腸~  1人
(11月末現在)


これらの事実が記されていました。
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