ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

宇宙よりも遠い場所・論 63 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 08 知ってる。

2019-01-31 | 宇宙よりも遠い場所
 「南極」といえば「オーロラ」だなんて、今どきもう、陳腐とさえ謗られかねない取り合わせだろう。けれどこの作品は、要所において定跡を外したり、こちらの「期待の地平」の斜め上をいったりしながらも、いっぽうでは「ベタ」と言いたくなるほどの律義さで、抑えるべきところは抑えてきた。きらめくべきところで夜空には星がきらめき、昇るべきところでちゃんと昧爽(まいそう)の陽が昇って、キマリたちを照らしたのである。
 結月がくわわる3話のオチに使われてたんだし、オーロラは必ずやどこかで出すとは思っていた。しかもこのスタッフなのだから、「ああなるほど。まさにここしかないな」と唸らせられるような、圧倒されるような、泣かされるような、唯一無二のタイミングで出してくるんだろうと信じていた。その予想は、もちろん裏切られなかった。
 ただ、それさえもまだ第一段にすぎず、最後の最後にもういちど、オーロラがらみで驚きが待っていたわけだけど。


 挿入歌「ハルカトオク」が流れるなか、

報瀬が3年にわたって送り続けたメールをひとしきり見ていた藤堂(中身は開けていない)

パソコンを閉じようとして

はっと気がつく




 いったんシーンチェンジして、船上の4人。


 「はじめて来たときは、遠いなって思ったのに」と報瀬。
 「まあ、そんなもんだよな、旅って」と日向。
 「まだ終わりじゃないですよ。また、60度50度40度」と結月。
 「叫ぶーっ」とおどけるキマリ。
 また船酔いしますね、という意味のことを結月が言い、
 まあ、いいよ。また何回もトイレ行って、ああ気分わるーい、死にたーいってなって、というようなことをキマリが答える。
 「まあいいじゃん、それも旅だ」と日向。
 くすっと笑って、「なんか、私たちちょっぴり強くなりました?」と結月。
 「もしくは、雑になったっていうか」と報瀬。
 「大きいからね、ここは何もかも」と日向。


 もちろん、いちばん相応しい形容は「一回り成長した。」だ。視聴者にはよくわかっている。



 またシーンチェンジで、夜。

「この格好ですか?」
「最後だもん、やっぱりビシッとこれでしょう」


 甲板にて最後の南極リポート。去り際にあれほど堂々たるスピーチをした報瀬、またしてもポンコツに戻っておたおたしている。「えと、キャッチーで、ウイットで、セ、センセーショナルなリポートも……」
 「むしろ原稿ないほうがいいんじゃないですか」と結月。

「よーし、じゃ行くぞー」
 
 なおも報瀬が「え、ちょと待って」とおたおたしつづけるなか……


 ふと頭上を見上げたキマリ、



 夜空を指さし、「うわーっ」と絶叫。

「オーロラだ……」

 ここで初めに見つけるのは、やはり「表の主人公」の仕事である。
 さらに、「だめだ……きれいに映らない」と慌てる日向に、

「いいんじゃないかな、(さっさと仰向けに寝転がって)そういうのがひとつくらいあっても」


これもよく引用される名カット



 瞳を潤ませて見上げる報瀬。
 ふいにスマホの着信が鳴る。
 半身を起こして確かめると……


「お母さん……」

 「うそ!」と覗き込むキマリたち。

 
 4人で歌うエンディングテーマ「ここから、ここから」がはじまる。


 添付された画像をひらくと、


 もう涙はない。にっこりと微笑んで、
「知ってる。」
 
 知っているのは、本物の美しさというだけではない。友達といっしょにみるオーロラの美しさ、でもある。




パソコンのなかに眠っていた、母からの最後のメッセージは、もっとも相応しいひとの手によって、娘に送り届けられた






キマリ「あれだよ、あれが南極星。けってーい!」
報瀬「あんな明るくないと思うけど……」

 ひとつだけ叶えられなかったのは、いずれ再訪するときのお楽しみだろうか。






オーロラはゆっくりと薄らぎ、消え、新しい朝日が昇る。日常への帰還の時が近づいているのだ


 







 


 




宇宙よりも遠い場所・論 62 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 07 さらば南極。

2019-01-30 | 宇宙よりも遠い場所
 シーンがかわり、昭和基地まわり及び内部(食堂)の短いカットを3つはさんで、挿入歌「宇宙を見上げて」スタート。
 「ありあわせの材料で、だけどね」と言いながら紙袋に入れたカップケーキのお土産をくれる弓子さん。
 「これを日本で待っているユウくんに」と、この期に及んで手編みのセーターを言づけてくる信恵さん(日向ドン引き)
 「行っちゃわないで~」と泣きながら報瀬に抱きつく保奈美さん(報瀬は「お酒くさいですよ」とクールに対応)。
 「これあげる」と、さりげなく報瀬の大好きなペンギンの生写真をくれる夢さん(一転、がぜんコーフンする報瀬)。
 そんななか氷見は、「いいから行けよ」と後ろから敏夫にずるずると背中を押されて結月の前へ。「フォローバックが止まらない」のCDに、ようやく念願のサインを申し出る。
 キマリ「へー、これが結月ちゃんのサイン」報瀬「アイドルみたいね」日向「何枚くらい売れたんだ?」
 結月「(少し赤くなって)ごちゃごちゃ言うのやめてくれますか?」
 氷見から、ドラマ、楽しみにしてます、観るの、帰ってからですけど、と激励された結月、「楽しみにしてくれる人……いるんですね」。
 芸能界ずれしていない、という設定なのだろう。じつに謙虚なタレントさんなのである。
 日向に「当たり前だろ」キマリに「がんばらなきゃ」と言われて、「はい」とにっこり。
 4人で、あらためてこの風景を眺めやっているところに……



 「そろそろ時間よー」と、かなえから声がかかる。



「はーい!」

 ヘリポート。プロペラの風に髪をあおられながら、
 「元気でね」
 4人「ありがとうございました」
 「こちらこそありがとう。……最初にバンで話した時のこと覚えてる?」
 キマリ「え?」
 「あのときのあなたたちと話してて、じつは、すごい勇気が出た。あなたたちの顔見て、ぜったい中止にできないぞって」
 結月「なりそうだったんですか?」
 「ええ。大人はね、正直になっちゃいけない瞬間があるの」



 どさくさに紛れてけっこうなカミングアウトである。そもそもの初めの段階から、キマリたち4人の無鉄砲な情熱が、逆に大人たちの背中を押していたわけだ。
 報瀬、すこし微笑んで、「隊長のこと、よろしくお願いします」
 かなえ(藤堂を振り返って)「だぁって」
 藤堂「言うようになったねー」
 かなえ「さあ、乗った乗った」

 4話で「訓練の地」へと向かうバンに「さあ、乗って」と4人を促したかなえが、南極の地から去るヘリに「乗った乗った」と促すのも、むろん偶然ではなく、脚本の計算のうちなのだが、それに注目している暇はない。もっともっと大事なことが、報瀬と藤堂とのあいだで起こる。

 報瀬、リュックを肩から降ろしつつ藤堂に近寄り、
「それと、これ」
 母の形身のパソコンを差し出す。えっ、と驚く藤堂。


明示されることはなかったが、かつてこの写真を撮ったのは藤堂なのだ


「(あなたと)一緒に越冬させないと、母に怒られそうな気がして」
「でも……」
「(にこやかに)私はもう、無くても平気ですから」


2人がこれだけ至近距離できちんと向き合い、互いの目を正面からみて言葉を交わすのは、じつはこの時が初めてである(9話のあのシーンでは、対峙はしていたが、どちらかが絶えず目を逸らし、次いで報瀬が立ち位置をかえた)


「わかった。」



 ヘリが離陸する。ついに高所恐怖症を克服できなかった結月は目を閉じて頭を抱え、それよりは軽度の報瀬は頭を抱えはするが目はあけている。キマリ、日向は例によって大喜びで窓の外を見ている。
 隊員たちは総出で見送り。しかも、激しい風圧のなか、4人の似顔絵を描いた旗を地面に抑えつけてくれている。





 ヘリが船を目指して飛び去って行く。


 保奈美「行っちゃった……」
 敏夫「すっかり(女子隊員の)平均年齢上がっちゃったな」
 弓子、ヘルメットの上から敏夫の後頭部をぱしんとはたいて、


「さあ、長いぞ、こっから!」

 挿入歌「ハルカトオク」がはじまる。







宇宙よりも遠い場所・論 61 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 06 ラスト・スピーチ

2019-01-29 | 宇宙よりも遠い場所
 ぼくはいしづか監督や花田氏のほかの作品を見たことがないため、それがこの方々のいつもの流儀かどうかはわからないのだが、『よりもい』は様式美をことのほか重んじるアニメだ。それゆえに、いわば数学の公式にも似た均整をおぼえる。まるでバッハやフェルメールのように。
 南極の地と、お世話になった(それに見合うくらいの勤労奉仕はしたと思うが)大人たちに向けた報瀬のこの堂々たるラスト・スピーチが、出航前夜のあのヤケっぱち気味のスピーチと対になっていることはいうまでもない。



「みなさん、おはようございます。」



「みなさんご存知のとおり、私の母は、南極観測隊員でした。」



「南極が大好きで、夢中になって家をあけてしまう母を見て、じつは、私は南極に対していいイメージを持てませんでした。」



「私は、そんな自分の気持ちをどうにかしたいと思って、ここに来たんだと思います。」



(ここで上半身を起こす)



「宇宙(そら)よりも遠い場所。おかあさ……いえ、母は、この場所をそう言いました。」



「ここは、すべてが剥き出しの場所です。」



「時間も、生き物も、」



「心も、」



「守ってくれるもの、隠れる場所がない地です。」



「私たちはその中で、恥ずかしいことも、隠したいことも、ぜんぶ曝け出して、」



「泣きながら、裸で、まっすぐに自分じしんに向き合いました。」



「一緒に、ひとつひとつ乗り越えてきました。」



「そして、わかった気がしました。」


12話で、「内陸基地」を前にした時の映像のつづき。あのあと3人が迎えに来ていたのだ


「母がここを愛したのは、この景色と、この空と、この風と、同じくらいに、」



「仲間と一緒に乗り越えられる、その時間を愛したんだと。」



「何にも邪魔されず、仲間だけで乗り越えていくしかないこの空間が大好きだったんだと。」




結月が真ん中にいるのがいい。12話のあの、廊下のシーンでもそうだった




「私はここが大好きです。越冬がんばってください。必ずまた来ます。ここに。」








かなえが泣き笑いになってるのは、藤堂が(泣いてないよ)とばかりに強がってるのが可笑しかったからだが、貴子のことをずっと背負い続ける親友が、ここで肩の荷をひとつ降ろしたことをみての安堵もあるんだと思う




 かくて別れの時は来る。






宇宙よりも遠い場所・論 60 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 05 母を継ぐ。

2019-01-28 | 宇宙よりも遠い場所
「喪の仕事」は、たんに死者を忘れ去ってしまうことではもちろんない。遺された自分たちの暮らしのなかに、しかるべき形でその霊を迎え入れることだ。霊という言い方がいかにも宗教的すぎて不穏当ならば、「記憶」と言い換えてもいい。その記憶が自らの生の一部となり、新たな関係が築かれる。それこそが、真に死者を弔うことなのだ。
 それはたぶん、身近な人の死を悼まずにはいられないニンゲンという動物に不可欠の営みであって、だからこそ「物語」は、「出で来はじめの祖(おや)」の昔より、「喪の仕事」を主題にしてきたし、そもそも物語ること、モノをして語らしむることそのものが、一種の「喪の仕事」ではなかろうか、ともぼくは考えている。ひとりで勝手に考えてるだけですが。
 亡き母・貴子との新しい関係性を築いた報瀬は、ここでひとつの決断をする。


 CMが明けると理髪室。思えば「内陸基地」行きはここから始まったわけで、改めてここで、「喪の仕事」の仕上げをするわけである。今回は藤堂とかなえはいない。立ち会うのはこの3人だけ。


日向「いまさらかよ。切るなら来たときに切っとけばいいのに」
報瀬「なんか、切りたくなった」


「私、やるっ?」
「キマリさんは下がっててください」
「ええー?」
いつも自分で前髪を切っているキマリ、信用がない。というより、バリカンを持ち出している時点でアウトか

日向「どのくらい?」

 報瀬、うなじの辺りでチョキをつくって、ジャキン、というしぐさ。

キマリ・結月「えっ」
日向「まじスか」


「うん!」

 シーン変わって、「夏隊」(ほぼキマリたち4人のこと)の帰還式典。「いつまでぐずってんだよ、本当にもういなくなるんだぞ」「うう……」という敏夫と氷見のやり取りあり(2話の「歌舞伎町鬼ごっこ」の時いらい、氷見はずっと結月のサインが欲しいのだが、どうしても言い出せないのである。少年のように純情なひとだ)。


 4人の似顔をあしらった手づくりの旗が正面に飾られ、その前に藤堂とかなえが立っている。「お、主賓が来た来た。さ、こっち並んで」とかなえに迎え入れられた4人、「はーい」と、キマリ、結月、日向の順にその前を通って……。


「あ」「ええっ」

「どう、似合います?」

「やっぱり母娘(おやこ)ね、笑ったところがそっくり」

参考画像。高校時代の貴子。7話の回想シーンより。

保奈美「なになに失恋ー?」
キマリ「違いますよ」
日向「いや、でも、ある意味そうかも」
保奈美「ある意味って?」
夢「想像力」
保奈美「わかんないー」


 かなえの挨拶のあと、藤堂隊長のスピーチ。


「皆さんお疲れ様です。今朝は天気も良く、旅立ちにふさわしい朝になりました。」


「とくに今回は、日本ではじめて、女子高生の観測隊員が南極で過ごしました。それは大きな試みでした。きっと不安だったと思います。私たちもたいへんたいへん不安でした。(キマリたちが、てへへ、と笑い、明るい笑いが広がる。保奈美はもう泣いている)」

「でも、彼女たちは立派に観測隊員をやりきってくれました。あらゆる男性隊員の、帰らないで、という心の声がうるさいくらいに聞こえます。でも、彼女たちは帰ります。あきらめてください(氷見は必死に泣くのをこらえている。弓子が涙を溜めて少しうつむく)」

「最後に……今日までありがとう」


「向こうに戻っても、たまにでいいので、遠い空の向こう、真っ暗闇の中、黙々と越冬している私たちのことを思い出してください。……ここでまた、会いましょう」





 かなえ「では、夏隊代表として、小淵沢報瀬さん」


 報瀬、日向と繋いだ手をぎゅっと握って、
「はい」






HUGっとプリキュア 49話(最終回)「輝く未来を抱きしめて」 とりあえずの感想

2019-01-27 | プリキュア・シリーズ
 最終話、ビデオに録ったのを2回見たけど、難しかったね。タイム・パラドックスにパラレルワールドでしょう。まあ、この両者はたいていセットになってるもんだけど。ああいうの苦手でねえ……。とくに本作のばあい、作り手(坪田文さん)がどこまできちんと設計図を引いているのか判然としなくて、よけいにモヤモヤしたですよ。
 ぼくが理解したかぎりでは、「ルールーたちが帰っていった未来」と「成長したはな社長たちの迎えた未来」とは別個のものですね。うん。さすがにそこは間違いないでしょう。
 でもって、
 ①あの荒野みたいなところ(例の黄色い花だけは咲いてたようですが)をひとり彷徨っていたジョージ・クライと、
 ②はな社長の出産シーンで、タワーの上にいたハリー(人間態)と、あとあの人、キュアトゥモローさんでしたっけ、はぐたんの成長した姿、というか元に戻った姿の女性、
 この3人は、少なくとも、「成長したはな社長たちのいる2030年現在」には居ないんですよね。
 まず、ジョージ・クライのいる時間軸というか世界線というか、それがいつなのか、どこなのか、これがどうにもわからない。「ルールーたちが帰っていった未来」と見ていいんかい?と。それだったら、「止まっていた時間が動き出した」んだから、そっちの未来も変わったってことになるしね。
 キュアトゥモローと人間態ハリーがいるのは、たぶん、はな社長たちのいる2030年の延長線上だと思う。キュアトゥモローは、成長したはぐたん、本名はぐみさんのことだから、やっぱり、はな社長の娘さんだった。でも、でもですよ、その人がプリキュアさんになって戦ってるっていうんなら、結局それって、未来は暗いんだぞってことになりませんかね。違うのかな。
 そのばあい、そもそもキュアトゥモローさん、誰と戦ってるんですかね。もし敵がいるとしたら、ジョージ・クライ以外には考えにくいけど。
 はなの出産を見舞うべく、はなの両親と共に(黄色い花の束をもって)病院に向かっていた青年(?)は若き日のジョージ・クライ(ほかに本名があるのかもしれないけど)でしょう。つまり、はなのパートナーは大方の予想どおりジョージ氏だった。
 けど、だったらトゥモローさん、実父と戦ってた/戦うわけですよね。なんで?
 そもそも、「ルールーたちが帰っていった未来(ないし世界)」と「成長したはな社長たちの迎えた未来(ないし世界)」とは、一体どの時点で分岐したんだろうか。
 第1話の冒頭、「はなが自分で前髪を切った」時にもう分岐してたって話をネットで見たんですよね。47話か48話かその前だったか忘れたけど、ジョージ社長が(おそらく夭折した)パートナーであるはなの写真(遺影)を見ていて、その写真のはな(成長した姿)は、ふつうの前髪だったんで。
 それでもって、この1年かけてずっとやってきたストーリーがあって、この最終話で2030年になって、その2030年はずいぶん楽しそうに、希望に満ちて描かれてたけど、でもその時間軸の延長線上にキュアトゥモローさんがいるのであれば(しかもそれで実父と戦ってるのであれば)、そういうの一切合切、「何だったの?」ってことになっちゃわないですか。違うのかな。違うとは思いたいけど。
 だったら、あそこでキュアトゥモローさんがプリキュアのコスチュームじゃなく、なんか私服で描かれてたならよかったのかな? だけどそれでは絵にならんしな。誰この子? みたいなことにもなりかねんしな。それならあれか、べつに戦ってるわけじゃないけど、もう世界は平和なんだけど、たんにビジュアル的な配慮でプリキュアさんの衣装になってただけか。そう考えればよろしいか?
 いや、ほんとに難しいなこれ。
 あと、なんか『ドラえもん』の都市伝説版・最終話(本物かと見まがうようなオマージュ作品あり)みたいなことになってたえみる、ルールー、トラウムさん側のエピソードもね……。これもまた、(ドラえもんと同じく)考えだしたらタイム・パラドックスの泥沼で、もうアタマが痛くてムリですね。
 ほんとは『HUGっと!プリキュア』全体の総括をするつもりだったんだけど、最終話があまりに難しすぎて、だめですね。理解できないのに総括はできません。ただ、こうやって理詰めで考えるのではなく、情動だけで見ているぶんには、それなりに泣けて、心もあたたまる良い最終話でした。
 いちおう、メモとして、ぼくが本作をみて思い浮かべた先行作品をリストアップします。
 まず過去のプリキュアシリーズ。これは言わずもがな。
 ほかに、
 『風の谷のナウシカ』(アニメ版ではなく原作のほう)
 『新世紀エヴァンゲリオン』
 『時をかける少女』(2006年度のアニメ版。思えばあれもマッドハウス制作だったなあ)
 『アトム・ザ・ビギニング』
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
 『ドラえもん のび太と鉄人兵団』などなど。

 とにかく、よかれあしかれボリューム満点の作品でした。はっきり言えば、盛りすぎ。それは間違いないですね。



 追記) 3日経ってから思いついたけど、①彷徨っているジョージ・クライ、②タワーの上にいる人間態ハリーとキュアトゥモロー、この3人が「ルールーたちが帰っていった未来(世界)」にいる、という可能性はありますね。そう考えればいちばん整合性がとれるかもしれない。ただ、46話からもう一度ちゃんと見返さないと確かなことはいえない。しばらくは暇がないのでムリだけど、できればもう少し詰めたいとこですね。





宇宙よりも遠い場所・論 59 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 04 母を送る。

2019-01-26 | 宇宙よりも遠い場所
 日本を代表する少女漫画雑誌『りぼん』(集英社)と『なかよし』(講談社)が創刊されたのは1950年代半ば。昭和でいえば、ちょうど30年になった頃である。『ジャンプ』『マガジン』よりも早かったのだ。
 創刊当初は、「少女向け総合雑誌」ということで、挿絵付きの小説、グラフ(写真)、そして漫画が三本柱であった。
 その頃はけして漫画がカルチャーの中心ではなかった。詳しくは知らぬが、たぶん内容もそれほど凝ったものではなかったと思われる。しかし10年経って、60年代も半ばくらいになると、かなり充実してきたようだ。
 「定番ネタ」ってのがあって、当時は「バレエもの」「西洋もの」「お姫様もの」あたりだったらしい。「怪奇もの」なんてのも既に出てきていた。しかし、それらのうちのどれにもまして鉄板なのが「母恋もの」だったのである。
 系譜を遡れば、たぶん吉屋信子の少女小説に行き着くと思う(むろん、ほかにもあるだろうし、さらに遡ることもできるだろうが)。「娘が、何らかの事情で離ればなれになった母親を慕う」パターンだ。
 「母恋もの」の訴求力は強く、1976年に連載が始まった美内すずえ『ガラスの仮面』の序盤にも、その色濃い影響がみられる。
 『宇宙よりも遠い場所』に対する批判の中には(それは当然、絶賛の声に比べれば些細なものだが)、「民間観測隊という設定にムリがある。」「女子高生をあんな危険な行程に伴うのはおかしい。」といったものがみられるが、「報瀬がなぜあれほど母を慕うのか分からない。」というのもある。
 ぼくは正直、どの声もいちおう「もっともだ」と思う。とはいえ、リアリズムの見地からだけでも、ぜんぶ反論可能だろう。さらに、これまで縷々、ボーダイな字数(と画像)を費やして述べてるように、「物語論」の見地からすれば、どれも正統すぎるほど正統なのだ。
 おさらいのつもりで要約すれば、「民間観測隊」とは「同志的紐帯によって結ばれた人たち」の謂なのだ。思いっきり荒っぽくいうならば、「麦わらの一味」みたいなもんである。
 「女子高生をあんな危険な行程に伴う」のは、あれが報瀬にとって「喪の仕事」のための「象徴の旅」であるからで、ほかの3人はその介添えをしているわけだ。
 そして、「報瀬があれほど母を慕う」のは、『宇宙よりも遠い場所』が「母恋もの」の系譜を引いているからだ、ということになる。


 むろん、21世紀、平成ニホンの物語である「よりもい」は、「母恋もの」の伝統を受け継ぎつつ、それを超え出てもいる。
 報瀬はただ亡き母を慕い続けただけでなく、「宇宙(そら)よりも遠い場所」まで赴いて、自分のなかで曖昧であったその死と正面から向き合い(キマリたちの助けを借りて)、ついにその死を乗り越えることができた。
 「論 14 友を亡くした女」でも少しふれかけたのだが、「遺された娘が亡き母の死を乗り越えて、身をもってその母を継ぐ」という類型というか先例が、ぼくにはなかなか見当たらぬのである。
 「遺された息子」が「亡き父」を、というパターンなら、これはもうたくさんある。バリエーションまで含めれば、枚挙にいとまがないほどだ。少年ものに留まらず、成長した男を主人公に据えたものでも、「父の影」が濃く差している作品は少なくない。
 しかし、「娘」「母」というのは思いつかない。皆無ってことはあるまいが、まださほど多くないのは確かだろう。さまざまな物語の粋(エッセンス)を結集したような「よりもい」だけど、この件に関しては、先陣を切っているのではないか。


 「最後に何か、やりたいことがあったらいいなさい。」と藤堂隊長から告げられていたキマリたち。選んだのは、全員でのソフトボール大会。いかにもこの4人らしい、小気味よい選択だ。
 例によって、時間と場所はジャンプしているが、挿入歌「ONE STEP」のおかげで、前の「本気で答えてる。」のラストから、軽快で愉しいムードが高まりながら続いている。

「ほんとうにこんなのでいいの?」

「はい! ここにいる人、みんなで遊びたいなあ、って」
ラインマーカーの代用として、かき氷の赤いシロップをさっと取り出したところ。そのタイミングが4人四様、微妙に異なってるところが楽しい。アニメの魅力はこんな細部にも宿る

「隊長! 僕が打ったらもういちど考えてくれますか」
 敏夫くん、どうやら一度はコクったらしい。たいしたもんである

「ふっ。いいよ(能登さんの男前ボイス)」


 弓子「まだ諦めてなかったのか」
 報瀬「打てますか?」
 かなえ「ムリね。吟ちゃんは南極のタテジマ19(ナインティーン)の異名をもつの。投げる球は一級品。そして……」

 最近さっぱり野球を見ないぼくはネットを調べて知ったのだが、「タテジマ19」とは阪神の藤浪晋太郎投手のことらしい。


 藤堂の豪速球は敏夫の脇腹を直撃。ぶっ倒れる敏夫。なんというか、「コメディーリリーフのお勤めご苦労様です」という感じ(あとでまた、もう一仕事して弓子さんに頭をはたかれるのだが)。

 かなえ「……誰もよけられない」

 震えあがる報瀬とキマリ。しかし、そんな報瀬(次打者)にかなえがひとこと。

「だいじょうぶ。それでも打ったわよ、貴子は」

 報瀬の顔つきが一変し、決然たる面持となって打席へと向かう。

 脇腹をおさえてよたよたと一塁ベースに歩く敏夫。ファーストの結月が「……」という目つきで見やっているのがなんとも可笑しい。

 藤堂(ふりかぶって)「貴子……」



「見てるでしょ」

かつての母の勇姿に……

娘の姿が重なる
(目をつぶってはいても、脇はしっかりと締め、同じフォームだ)




 結月「日向さん!」


 俊足の日向、追わない。追えない。球(たま)はその頭上を遥かに超えて、


 蒼穹に消える。


 このカットは12話のあの観測気球のカットに繋がる。そして、日本語においては「球(玉 たま)」は魂(たましい)と語源を同じくすること……すなわち、日本人の感性において「球」と「魂」とが深く関わり合っていることは、付け加えるまでもないだろう。



宇宙よりも遠い場所・論 58 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 03 本気で答えてる。

2019-01-25 | 宇宙よりも遠い場所
 アニメとかドラマとか映画で羨ましいなと思うのは、A地点にて誰かがしゃべり、いったん切って、そのセリフの続きをつないだときに、場面がB地点に移っていても違和感なく見てられるってことである。この手法は、2人の人物が移動しながら話している時などにも使われる。専門用語でどういうんだろうと調べてみたが、wikipediaには「カット割りによる時間経過」とだけ記してあった。「ジャンプカット」とはまた別で、あまりにありふれた手法ゆえ特別な呼称はないらしい。
 ビジュアルは情報量が多い。背景をみれば場所が変わってるのは文字どおり一目瞭然なのだ。だからしぜんに話がつながるのだが、これをコトバでやろうと思ったら厄介で、小説でやってみたこともあるが、難しい。段落ごとバサッと切って、2行ほど空けて次の段落に移るってのがいちばん手っ取り早いけど、それだと滑らかな持続感が出ない。


 「たとえばだけどさ、たとえばだけど……」とキマリがちょっと遠い目をして呟くように言ったとき、4人は採氷の現場におり、まだ日は高かった。それに続けて、「日本に帰らないで、もっと南極にいようよー」というようなことをキマリは述べたらしいのだが、それは表立っては描かれない。
 次のシーンは、日向の「はあ?」という呆れ声からはじまる。
 4人はべつの場所にいて、日はもう翳りを帯びている。これはそのような光のもとでこそ綴られるべきシーン。地味ながら印象ぶかい名場面のひとつだ。



「だから、部屋も空いてるわけだし、ここからならずっと動画も送れるわけでしょ。いまぜったい帰らなきゃいけないってこと、ないでしょ!」


「ん。」

 キマリ、いったんは顔を近づけようとして、


「い、痛くするつもりでしょ。」

 「しない、しない。」


 「う……」真に受けて顔を近づける。なんとも正直な人である。そんでもって、


ぺしっ
手袋をしてる分だけましであろうか

 「う、うそつきー。うぎゃー。」

 「当たり前だ。いま帰らなかったら来年まで帰れないんだぞ。」
 やっぱり日向はちょっぴり荒い。


「わかってるよ、大丈夫。私、空が暗かったらずっと寝てられる自信あるから。」


 「学校はどうするの。戻った時にはみんな卒業よ。」と報瀬。
 「家族はどうするんです?」と結月。
 「ゆづのドラマは?」と日向。


「それは……」

 この顔を見た結月。ふっと微笑んで、

 「まあ、私も帰りたくないって気持ちはありますけど。」

 「じゃあ、また来てくれる?」



「え? ああ、いいですよ?」


 結月のこの、「何を当たり前のことを訊くんだろうこの人は?」みたいな感じの答え方が好きだ。

 「越冬だよ! この4人でだよ!」


「わかってる」

日向の「わかってる」にも安定感が漂う。

 「絶対だからね! 断るのなしだからね!」
 
 かんじんの報瀬が、「はいはい。」と、あしらうような言い方をするので……



「本気で訊いてる。」

むにゅ

「本気で答えてる。」



「ならよし! うひひ。」


全員で寝転がって……





 
 「それより、どうするんですか。隊長に言われたじゃないですか。最後にやりたいことがあったら言えって。」

 「最後か……」 


 キマリのこの「最後か……」のところから、挿入歌「ONE STEP」がはじまる。8話で甲板に出て波をかぶったとき以来だ。この最終話では、これまでクライマックスシーンを彩ってきた挿入歌がぜんぶ使われ、フィナーレを飾る。




宇宙よりも遠い場所・論 57 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 02 かき氷

2019-01-24 | 宇宙よりも遠い場所
 アイスオペレーションとは、つまりは採氷作業のこと。このキーワードでgoogle検索をかけてトップにくる「国立極地研究所 南極観測のホームページ 昭和基地NOW」からまたしても引用させて頂くと……。


 天候に恵まれたこの日、わたしたちは年に一度のアイスオペレーションを実施しました。アイスオペレーションとは、国内の教育現場や南極観測の広報活動などで使用する南極氷床の氷を採取する作業で、氷床が海に流れてきた氷山の氷を利用して、毎年、越冬隊が担当しています。
 南極氷床の氷は、年々降り積もった雪が融けずに、長い時間をかけて押し固められて圧密されてきたものです。そのため、氷の中には過去の空気が小さな気泡として、高い圧力で閉じこめられており、水に入れるとパチパチという音ともに昔の空気が出てきます。この音と空気を日本にお届けすべく、できるだけはじける気泡が多い氷山が選ばれました。
 事前に組み立てておいた、氷を入れるためのたくさんのダンボールを現地に持って行き、氷採取が始まります。ツルハシで氷を切り崩して、箱に詰める作業はとても疲れますが、皆で協力して汗を流す仕事は気持ち良く、楽しみながら丸一日がんばりました。休憩時にはイベント係による流しそうめんが振る舞われ、笑顔いっぱいのアイスオペレーションとなりました。


 アニメ本編は、「流しそうめん」のもようまで含めて、この文章をほぼ忠実に再現している。



 とりあえず集合したキマリたち。「同行者4名。アイスオペレーションに向かいます」とキマリが通信で基地に報告を入れ、結月が「どれに乗ればいいんです?」と言ったところで、日向が「あ」と向こうを見る。



かなえたちがスノーモービルで迎えにきた!
現地まではこれで行くのだ。一人ずつ後ろの橇に乗って引っ張ってもらう。4人はきゃーきゃーわーわー大はしゃぎ


そして現着




 キマリ「すっごー、氷山だ」
 結月「こんなに大きな氷を削っていくんですか?」
 かなえ「持ち出し禁止の南極で、ゆいいつ自由にお土産にしていいものだからねー。この氷の中には、何万年も前の空気が閉じ込められていて、溶けるとぷちぷち弾けるのよ。ちょっと食べてみる?」



はい!



 キマリの「南極4大目標」(ワタシが勝手に命名しました)のうち、「ペンギンと記念写真撮る」は、本編では出てこなかったが、すでに達成済みらしい。まあOPではアザラシと写真を撮ってるほどだから、それくらいはやってるわなあ。でもって、ここで2つ目の「かき氷食べて」をクリア。4話でキマリが挙げた順番と逆になってるのも計算のうちなんだろうけど、つくづく細かい。
 残るはあと2つだが……。

 かなえ「これが始まると、夏も終わりだなあって思うわ」
 日向「そうなんですか?」
 かなえ「すぐ秋になって……冬になって」
 キマリ「越冬だ!」
 日向「冬のあいだって何してるんです?」
 かなえ「いろいろやってるよ。ゲームしたり、お酒飲んだり」(ここで、敏夫たちが「流しそうめん」に興じる映像が挿入される)
 日向「はあ?」
 かなえ(にこにこして)「もちろん、研究や観測なんかも大切だけど、いかんせん、6月になったら1日中夜だからねー」
 日向「そっかあ……」
 キマリ「極夜……だっけ?」
 かなえ「昼前にわずかに地平線が明るくなる。1日のうちに変化はそれだけ。あとはただただ、夜が延々とつづく」

(挿入される極夜のイメージ)
 日向「ずっと夜かあ……」
 かなえ「でもそのぶん、星は綺麗だけどね。オーロラも見えるし」
 キマリ「オーロラ……あっ! そういえば見てない!」
 日向「そりゃまだ、ちょっとしか夜にならないからな」
 キマリ「ペンギンと記念写真撮って、かき氷食べて、オーロラと南極星まだじゃん!」
 日向「だから白夜だって言ってるだろ」
 そこにとつぜん、「助けて!」と切迫した声が。

 結月が発言しなかったのは、遠慮していたからだろうが、この人はそうじゃなかった。脇でペンギンにスマホを向けていたのだ。それが、いつの間にやらこんなことになっちまってた。


「しあわせ。でも臭い。でもしあわせ。でも臭ーい」(これを微妙に変えながら10回ほどループ)

 「私は作業戻るけど、ゆっくりしてきなさいよ。たぶん氷塊も今日が最後でしょ」と、かなえが立ち去っていく。


そっか……




報瀬のわちゃわちゃに付き合う日向。「5メートル以内に近づけないんでー」「助けてって言ってるでしょ~」「無理でーす」
……まあ、本編で描かれなかった「ペンギンとの記念写真」を、この場を借りて思いっきりビジュアル化したということでしょうか


 いっぽうこちらはちょっとしんみり。



なんか、すっかり慣れちゃいましたねー、この景色も。



たとえばだけどさ、たとえばだけど……




 


宇宙よりも遠い場所・論 56 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 01

2019-01-23 | 宇宙よりも遠い場所
 『よりもい』は、陽と陰、軽と重、明と暗とのバランスが絶妙なアニメ。しかも、7:3くらいで陽性のほうに傾いている。爽やかでユーモラス。いっそコメディーといってもいい。だからこそかえって、芯に込められた重いテーマがずっしりと心に届くのだ。
 全編をしめくくる13話は、その向日性を余すところなく発揮した、見事な大団円である。


 12話のラストから、短からぬ日数が経過している。
 南極はもとより非日常の地。しかし、朝起きて業務をこなして食べて寝て……の毎日を送っていれば、それもまたひとつの日常になる。そんな「非日常の中の日常」に、すっかり馴染んだキマリたちの図だ。
 しかし、そうはいっても、ここでしか見られぬ風景、ここでしか聴けない音、ここでしかできない体験はまだ残っている。もっともっと、色んなところを巡りたい!
 というわけで、それぞれの課題をはたした4人は、大人組との交流をふかめつつ(というかもうほとんど溶けこんで)、今話では、さながら「リゾート地」ででもあるかのように、南極のもつ明るい面、楽しい面を目いっぱい享受する。
 もちろん、滞在期間が残り少なくなるにつれ、かなえたちがそう計らってくれているということでもある。
 この回では4人はもう泣かない。キマリが目尻をこすり、日向が涙を浮かべ、結月が瞳を潤ませるていど。報瀬は終始晴れやかで、悲しみの影とて滲ませない。泣くのはむしろ大人たちのほうだ。それは別れの寂しさだけでなく、この3ヶ月ほどのあいだに目にみえて成長した彼女たちにたいする嬉し泣きでもあるのだが。
 12話につづいて、この回もOPとEDはない。1秒たりとも無駄にせず、最後の最後まで、稀有な完成度を保ったまま、この物語を描き切る。



 冒頭。目覚まし時計で起き上がるキマリ。今日は当直なのだ。ちょっと遅刻。調理室に駆け込むと、日向はもう来ている。メニューの名前は「余り物スペシャル」……ではぶっちゃけすぎということで、弓子のいわゆる「いつものやつ」、すなわち「豚肉の南極風」に。



寝起キマリ



 食事のあとの報告会は、「作り置きのカルピスの濃さ」をめぐって「薄い」「むしろ濃い」と侃々諤々……というユルさで、チームの仲の良さがうかがえる。キマリが「はい当番」と日向にふって、「善処しまあす」と日向。




 そのあとは、厳寒の中をゴミ出し。さらにはトイレ掃除。さきほど「リゾート地のように」と述べたが、その裏ではちゃんと働いてるのだ。南極の地に上陸いらい、4人はずっと働いている。これがこのアニメの美点のひとつで、宮崎アニメを思わせる。宮崎駿さんの好んで描くヒロインも、基本的にはほとんどが労働している。例外は、幼いポニョや宗介、さつきとメイ、狩猟系野生児のもののけ姫サンくらいか。「戦闘」をも「労働」とみるならば、サンさんはむしろ超過勤務だが。
 そんななか、さりげなく挿入されるこのカット。別れの時は迫っている。



 もう少し時間が経って、おやつの時間ということか、貧血気味の保奈美に日向が大量のひじきを供する。「いいから食べてください」という日向に、「いぢわるー。あーあ、来たときは可愛かったのになあ、女子高生」と愚痴る保奈美。その横で夢さんが、淡々とサプリを飲みつつ、「してないから。女子高生」とひとこと。「お茶いります?」と尋ねるキマリに、「あんまり南極に染まると、社会復帰できなくなるよ、あんなふうに」と保奈美。


割烹ギマリ


 「あんなふう」とはこの人のことである。なお、これが13話における初登場シーン。


すでに雀豪の風格

七索(チーソー)ロンです。リー即純チャン三色ドラドラ。あ。すみません。裏々で三倍満です




 「あれはまた……別だと思いますけど……(^-^;」とキマリ。まあ、お金さえ賭けねば、麻雀は将棋・囲碁とならぶ知的ゲーム。4人で遊べるぶん社交性も高い。


 「なんかこの音きくと家いるみたいだねー」などといいつつ掃除機をかけているところに、結月が外から戻ってくる。
 日向「お。どこ行ってた?」
 結月「ちょっと誘われたので取材に」
 キマリ「あ。島内散歩?」
 結月「はい」
 島内散歩。
 Googleで「南極 島内散歩」と検索をかけてトップにくる「昭和基地NOW」から引用させていただくと……。


 今日は休日。基地の中でゆっくり過ごすのもいいですが、やはりせっかく南極に来ているので外に出たい!というメンバーが8人集まり、基地周辺の散歩に出かけました。とはいえもちろん行き当たりばったりで出かけるわけではなく、事前にコースやスケジュールなどの計画を立てて行われます。
 今回の散歩コースは、まず昭和基地のある東オングル島内の「胎内くぐり」と呼ばれる岩まで行き、そこから東オングル島のすぐ南東に位置する「ポルホルメン」という島、さらにその南西側にある西オングル島の「第1次南極観測隊上陸式」が行われた場所などを回りました。
 とてもいい天気だったのですが、気温が低く南からやや強く冷たい風が吹いていたため思いのほか苛酷な散歩となりました。しかし、普段なかなか行く機会のない場所に行くことができ、写真を撮ったりゆっくり風景を眺めたり、楽しい時間を過ごすことができました。


 おそらくキマリたち一行も、このルートを辿ったものと思われる。


イエーイ!

 キマリ「私と報瀬ちゃんも昨日連れてってもらったよ」
 日向「なんだよ、言ってくれよー」
 結月「だって今日は当直じゃないですか」
 キマリ「仲間はずれー」



 この「仲間はずれー」は印象ぶかい。本来それは日向にとってはいちばんこたえる言葉のはず。キマリは大らかではあっても無神経ではけしてない。少しでも距離感があったら、この言葉を口にはできないだろう。それくらい、もう、4人は心を許し合ってるのだ。
 しかしまあ、それはそれとして、こんなとき日向はこういうことをやる。8話で結月のおでこに落書きし、11話で報瀬にデコピンしていたが、日向にはちょっぴり荒い所があって、キマリは7話でもデコピンされていた(画面には映っていなかったが)。今回の「仲間はずれー」は気の毒だが、これでバランスが取れてるのかな……という気もする。小五郎のおっちゃんが毎回麻酔針で眠らされるかわりに、しょっちゅうコナンを小突いてるみたいなもんで。


うるさい!



 日向「ふん、島内散歩がなんだよ。私はこのあと、アイス・オペレーションに行っちゃうもんねー」
 キマリ「あ、そうか、急がなきゃ!」
 結月「もうすぐ集合時間ですよ」
 「あ。おい」と戸惑う日向に、向こうからすたすたと近づいてきた報瀬がひとこと、
「アイス・オペレーションは全員参加よ」
 日向「え? そうなの?」



 アップになった報瀬のヘルメットに、「胎内くぐり」のシールがきらり。





宇宙よりも遠い場所・論 55 きれい、きれいだよ……とても。

2019-01-22 | 宇宙よりも遠い場所
 『よりもい』は、明るく楽しいアニメなのだが(ニューヨークタイムズもそういっている)、なにぶんこの12話はとくべつなので、厳粛な気持ちにならざるをえない。
 ぼくとしても、ほかの回はともかく、12話のことを書く時だけは、襟を正し、背筋を伸ばし、正座するつもりでやっている。椅子に腰かけてるんだから正座はできないんだけども、そういうつもりでやってるのである。
 これはいちおう論考なので、私的な話を絡めるのは慎むべきだとは思うのだが、なんとなく「まあ書いてもいいかな」という気分になっているので書く。幼いころ、近所に7つばかり年上の女の子がいて、よく可愛がってもらった。美人であり、聡明でもあり、考えてみれば「スヌーピー」も「ビートルズ」もぼくはこの人から教わって知ったのだった。生まれ育った地域そのものは極めて柄が悪かったため、ほかにその手の「文化的」な情報を齎してくれる相手はいなかったのだ。それやこれやで、いまだにシスコン気味である。
 ぼくが小6くらいの時に越してしまって、それからほどなく嫁していったそうで、まるっきり疎遠になったのだが、数年まえ、とつぜん訃報をきいた。
 そのひとの名前が貴子だった。
 『宇宙よりも遠い場所』というアニメに過剰なまでの思い入れをしてしまうのは、そんな偶然による個人的事情も与かっているようだ。


 貴子が藤堂に遺した最後のことば「きれい、きれいだよ……とても。」が、何を目にしてのものだったか、というのは、考えておくべきことである。
 「朦朧たる意識のなかで、かつて藤堂と一緒にみたオーロラを幻視していたのではないか」と、ぼくは仮説を立てて、その旨を、昨年(2018年)9月29日の記事「『宇宙よりも遠い場所』のためのメモ。02 トリビア」に記した。
 確信があったわけではなく、この件については煮え切らぬまま、「先に13話のことをやろうか」と思っていたところ、zapさんという方から、前々回の記事にコメントを頂いた。以下その全文を転載させていただく。なお、一行目に「朧化(ろうか)」という耳慣れない単語がみえるが、これは「ぼかす」くらいの意味で、ぼくが以前にコメントへの返事の中で使ったものを、zapさんが再利用して下さったものである。



内陸基地のモデルが朧化されている理由としてもうひとつ考えられるのが
物語上、その場所が貴子と一緒に、あるいは貴子自身が「選んだ」場所
という意味が付与されているからだと考えます。
これが既存の基地であれば、そうした意味合いは薄れてしまいます。
加えて申し添えれば、
貴子の最後のことば「きれいだよ、とても」は
個人的には「星空」を指すものと考えています。
もちろんオーロラ説を否定するものではありませんが、
満点の星空のカットの後、行方不明の貴子を捜索している場面が描かれていて
すでにブリザードは止んでいます。そこに最後の通信が入るのです。
内陸基地は天体観測を目的とした基地です。
その場所の決定に貴子が少なからず関わっていたとしたなら
「きれいだよ、とても」という言葉は
「ここを観測地に選んで良かった」という意味を含むはずです。
この場所に天文台を作ることは、吟にとって貴子の遺言に等しかったのではないでしょうか。
だからこそ、彼の地を吟は「小淵沢天文台」と名付けるのだと思います。



 このシーンは、「内陸基地」へと向かう雪上車の中で、一行がブリザードに見舞われたとき、報瀬が「お母さんがいなくなった時も、こんな感じだったんですか?」と尋ね、藤堂が「たぶん、内陸の基地に忘れ物をしたか、足を滑らせたんだと思う。気づいた時には姿はなくて、瞬く間にブリザードになって。」と答えたさいに、回想として挿入される。















 まったくもってそのとおりで、虚心に映像を追うならば、このとき貴子がどこかで星空を見ていたと考えるのが自然だろう。ぼくは4枚めのカットを、「ブリザードが静まった」ことを示すためだけのものと思って見過ごしていたが、いささか浅慮だったようだ。
 それで「オーロラ」にこだわることとなり、さらには「幻視」なんてものを持ち出したわけだけど、やはり無理がある。
 オーロラはたしかに次の13話において大きな意味を担う。しかしそれはどこまでも「希望」の象徴だ。悲しみの色を帯びてはいない。そのことからも、「きれい、きれいだよ……とても。」は、星空を見上げながらの言葉だったとみるのが正しい。
 貴子は星空を仰ぎながら通信機の向こうの藤堂に向けてその言葉を遺した。それゆえの「小淵沢天文台」であり、第7話「宇宙(そら)を見る船」とも響きあうわけだ。

 もともと自分自身の考えをまとめるために始めた連載なのだけれども、あちこちからコメントを頂いて、この作品への理解と愛着がますます深まっていく気がする。ありがとうございます。