ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

戦後短篇小説再発見と「物語」。

2020-02-08 | 戦後短篇小説再発見
(画像はネット上からお借りしました。)


 2001年に刊行が始まった講談社文芸文庫の「戦後短篇小説再発見」シリーズは好企画だった。名品ぞろいだし、戦後ニッポンを代表する作家がほぼ網羅されているのでひととおり読めば文学史がカタログふうに概観できる。太宰・安吾から大江、中上、龍・春樹といった有名どころを経て島田雅彦、高橋源一郎あたりまで。また埴谷雄高や野間宏など、ふつうの読者には馴染みの薄そうな人も入っている。これら曲者はなにしろ文体が独特だから、小品ではあってもおおよその作風は伝わるのだ。
 10巻が出そろったのち、好評につきさらに8巻が追加されて全18巻となった。何度か版を重ねたはずだが、さっき調べたらみな品切れ扱いとなっている。悲しいことである。
 類似の企画として、岩波文庫から「日本近代短篇小説選」全6冊、新潮文庫から「日本文学100年の名作」全10巻といったアンソロジーが出ている。前者は明治22年、後者のほうは1914(大正3)年、すなわち第一次世界大戦の起こった年が起点だ。だから収録作の半分くらいは「戦前」になる。そりゃ明治・大正~昭和初期・戦中の小説だって興味深いし読めばいろいろ勉強にもなるが、やはりぼくなどにとって「同時代」と思えるのは戦後からであり、そういう意味でも「戦後短篇小説再発見」シリーズは得難いものだった。どの巻も生々しくて面白いのである。
 でも上で挙げた2種類のうち、岩波のはともかく、新潮文庫のほうは純文学一辺倒ではなく時代物や娯楽小説もバランスよく取り混ぜて、楽しく読めるよう工夫してある。そこはさすがに新潮社だ。値も手ごろだし、このシリーズは長く読み継がれるんじゃないか。


 さて。5年前このgooブログに越してきた折、本業(?)である純文学の話を主軸にしようと思って(それまではけっこう社会派だった)ふたつのカテゴリを立てた。ひとつは「純文学って何?」で、これは総論。対するは「戦後短篇小説再発見を読む。」という各論で、このアンソロジーに収められた短篇をじっくり読み込んでいく。テクスト精読というやつだ。総論と各論、この両者をもって「今日の社会における純文学とは?という主題をば多面的に考察せん!」との意図だった。気構えだけは立派である。
 まあ根が怠け者なのでろくに記事は埋まらなかったが、さらにここ数年は「物語」に傾斜することでいよいよブログの中身が変質してきた。「純文学」を考えるため、その対極にある「物語」について思いを巡らせていたら、そっちのほうにのめり込んでしまった次第だ。「木乃伊取りが木乃伊になる。」を地でいってるけども、それにしてもここまでアニメの話に力を入れることになるとは思ってなかった。
 蓮實重彥に『物語批判序説』(中公文庫)なる難解な本があったが、まあ蓮實さんの本はぜんぶ難解なのだが、ぼくもいちおう「物語」を批判して「純文学」を持ち上げるつもりでブログやってたわけだから、変節っちゃあ変節である。とはいえ昔からマンガもアニメも大好きではあったのだ。ぼくは他のことはまるでダメだがこと言葉に関してだけは早熟で、小学生の頃から漱石の『吾輩は猫である』を愛読していたが、そのいっぽうではテレビで「世界名作アニメ劇場」なんかも夢中で見ていた。『アルプスの少女ハイジ』とか『赤毛のアン』とかね。若い人のために注釈しておくと、「世界名作アニメ劇場」とは強引にいえば「ジブリアニメの前身」みたいなものだ。ちなみに男の子ならたいてい好きなはずの「特撮ヒーローもの」や「巨大ロボットアニメ」は一貫して苦手であった。つまりはそういう資質なのだろう。
 むろん手塚治虫をはじめマンガも貪り読んでいた。マンガやアニメが幼い頃からデフォルトとして身の周りにあり、それとともに育った最初の世代なのかもしれない。当時はまだそんな用語は人口に膾炙してなかったけども、「サブカルチャー」がメインカルチャーを凌駕しつつある時代の子どもであった。もっとも、うちの両親は教養人には程遠いので、もともと本物のメインカルチャー(つまりクラシックとか劇場で見るお芝居とか文学全集とか)に接する機会はあるべくもなかったのだが。
 結局そのまま思春期を迎え、ニーチェも読めば大江も読めばマンガも読めばアニメも見る、というごった煮式でずっとやってきたけれど、2006年にブログを始めてこのかた、正面切ってサブカルを取り上げることは長らくなかった。一種の抑圧が働いてたんだろうなあ。
 それが今では『君の名は。』や『宇宙よりも遠い場所』どころかプリキュアまでも取り扱っている。さすがにプリキュアはいかがなものかと当初はいささか躊躇もあったが、しかしファンタジー色の濃い児童向けアニメのほうがより「神話」に近いためかえって「物語」の本質が露呈してるってことはある。『スタートゥインクル☆プリキュア』の最終決戦などまさしくそれで、「蛇神」であり「女神」でもある「へびつかい座のプリンセス」の登場にはえらくコーフンしてしまった。




 じっさい神話というのは底知れぬほど奥が深くて、そこで繰り広げられてることは、そのエロティシズムや残虐さをも含めてほとんどそのまま人間精神の内面の劇といってもいい。物語を考えるうえで初めのうち頼りにしたのは大塚英志さんの一連の本だが、大塚さんは民俗学が主だからそれだけでは物足りなくなってくる。そこで河合隼雄、J・キャンベル、といったユング派の精神分析や神話学のほうにいく。こうなるともう「物語のパターン(類型)を知って創作や批評に生かす。」といった実用的な目的ではなく、村上春樹さんの「井戸の底へ」ではないけれど、梯子を伝って深いところ、深いところへ降りていく感じになった。
 そういった経験をへてわかったのは、いわゆる「近代文学」と称されるものが、思った以上に「物語」の影響下にあるということだ。ただし個々の作家がどれくらい自覚的だったかは不明である。「近代文学」は「私(近代的自我)」なるものを仮構し、それを前面に押し立てることで「前近代」からの離脱を図ったわけだから、「純文学」を志す作家はみなそれぞれ「物語」に対してふくざつな思いを抱いていた。完全に忌避した人もいれば、愛着を隠せなかった人もいる。それは明治~昭和前期の「文壇」を賑わせた有名ないくつかの論争を見ればよくわかる。
 とはいえ、「私小説」「心境小説」などと呼ばれる日本独自の、海外の読者にはどうしたって「随筆」にしか見えない特殊な形式のものですら、それが語られるものであるかぎり、各々の作家の思惑はどうあれ根底においては「物語」の呪縛(ないしは恩寵)から逃れ得てはいない。ひょっとしたらニホンの近代文学とは、「物語」と「私」との鬩ぎ合いの記録だったのかもしれぬ、と思ったりもする。


 『戦後短篇小説再発見』に話を戻すと、当ブログでは第1巻「青春の光と影」所収の12本のうち、
 太宰治「眉山」
 石原慎太郎「完全なる遊戯」
 大江健三郎「後退青年研究所」
 三島由紀夫「雨のなかの噴水」
 小川国夫「相良油田」
 丸山健二「バス停」
 中沢けい「入り江を越えて」
 田中康夫「昔みたい」
 までを論じたところで中座しているのだが、なにぶんこれを始めたのは2014年、つまり6年も前のことであり、いま読み返すと粗っぽさや浅薄さが目につく。とりわけ「完全なる遊戯」「雨のなかの噴水」あたりはいま論じ直せばかなり違ったものになるはずだ。たとえば「雨のなかの噴水」のばあい、あれは皇居の前の和田倉噴水公園が舞台なのだが、そこが選ばれたのはもとより偶然ではなく、まさに「皇居」の間近であの壮大にして空疎な観念の劇が演じられてるところが一篇の眼目なのである。そこのところをもっと前面に押し立てなきゃあミシマを論じる甲斐がない。書き直したいのは山々だけど、うしろを振り返ってばかりじゃしょうがない。こういう時には先へ進むことを考えるのが筋ってもんだろう。
 というわけで次に控えしは宮本輝の「暑い道」である。輝さんという作家は、ぼくにいわせれば「もっとも良質な大衆小説の書き手」であって、良くも悪くも「生粋の純文学作家」ではない。「物語」のひとなのだ。それもあってこれまでなかなか手を付けづらかったんだけど、ここにきてようやく、糸口を見いだせた気がする。









第8回・田中康夫「昔みたい」その②

2018-11-15 | 戦後短篇小説再発見
「昔みたい」のヒロイン・兼・語り手は、典子という若いОLさんで、「大手町にオフィスがあるコンサルティング会社で副社長秘書を務め」ている。
 副社長は、「ベルギー人とのハーフで、まだ30代後半」とのことで、どうやらこの会社自体が外資系らしい。
 自宅は、「新宿から神奈川方面に向けて出ている私鉄電車で多摩川を渡ってしばらく行ったところ」。これ、多摩ニュータウンという理解でよろしいんでしょうか。80年代には、多摩ニュータウンに住むのはステイタスだった。むろん一戸建てである。父は勤め人ではなく、自分で会社を経営しているらしい。母は専業主婦。きょうだいはいない。
 「幼稚園から大学まで」の一貫校で学び、大学時代にはヨーロッパ・ツアーに行った。フィレンツェで美術館にも寄った。そういうことが当たり前になりはじめた時代だが、いくらかは時代に先んじていたかもしれない。
 婚約者がおり、結婚式の日取りも決まっている。2歳上の彼はテレビ局の報道記者で、いまはフィリピンに取材に行っている。作品中には書かれてないので補足しておくと、この少し前、フィリピンではアキノ上院議員が暗殺されて、政情が不安定となり、世界の注目が集まっていた。
 まあ、昨今の世界情勢と比べたら、日本にはぜんぜん対岸の火事で、のんきなものではあったけどね。
 裕一郎という名のその婚約者は、たぶんルックスもいいのだろう、つい昨日も、マニラ市街から衛星中継でレポートを送ってきた。テレビニュースでその映像をみた彼女は、ふと、取り残されたような気分になる。
 若い人のために念を押しておくと、当時はまだ、スマホもネットもない。
 田中康夫的ヒロインの例にもれず、この典子さんも派手ではないが恋多き女性であった。学生時代は、7歳上の勝彦をメインに、何人かの彼氏と付き合った。勝彦は輸入家具を扱う会社を経営していて羽振りが良く、聡明で優しいオトナの男ではあったが、そういう男の常として、複数の女性と付き合っていた。まあどっちもどっちである。
 だから、典子は勝彦が好きだったけれど、「結婚は無理なんだろうな。」とも思っていた。そんな折、テレビ局に勤める裕一郎と出会って、そちらに乗り換えたわけだ。この小説は典子の語りで綴られるので、「乗り換えた」なんて下世話な表現はしてないが。
 すでにお互いの両親も交えて式の日取りまで決めたくらいだから、彼女は裕一郎くんが好きなのである。それは間違いないけれど、マリッジ・ブルーっていうか、なんだか少し揺れている。事実上の遠距離離恋愛だし、裕一郎が自分とは別世界のような華々しい舞台に立ってるせいもある。
 そんなわけで、彼女はひそかに勝彦と再会し、ホテルのフレンチレストランで食事をする(明記はされないが、とうぜん向こうの奢りである)。ささやかなようでも、れっきとしたデートであり、はっきりいって浮気だ。
 このホテルにも、レストランにも、ついでにいえば、典子の通ってた大学にも、もとよりモデルはあるんだろうけど、面倒なのでその考察は略。
 とにかく、典子のその「揺れる思い」が、この短篇の主題である。
 しかしまあ、今さら言うまでもないけれど、なんとも贅沢な境遇であり、贅沢なお悩みなんである。丸山健二「バス停」(1977年)のトルコ嬢(あえて当時の用語を使う)と比べれば、天と地ほどの開きがある。それは二つの短篇のあいだの10年という歳月以上に、田中康夫と丸山健二との違いであろう。
 そういえば丸山さんはあの頃、「最近はアンノン族ふうの美学で書かれたゴミのような小説ばかりだ。」とエッセイのなかで吐き捨てていた。名前は出してないにせよ、田中康夫が念頭になかったはずはない。
 ぼくはたいへん育ちが悪くて、丸山健二寄りだから、典子さんにはとても同情する気にはなれない。お嬢さんがなんか言ってるなあ、という感じだ。
 これも明記されてないのだが、このデート、典子のほうから誘ったことは間違いない。なのに、ざっと読み流しただけだと、「なんとなく」デートすることになりました、みたいに書かれている。そんなふうに典子が語っている。ずるい。どこまで作者の計算なのかは不明だが、こういうところはうまいなあと思う。
 まあ、勝彦がなんのためらいもなくその誘いを承諾したのも確かだろうが。オトコってのは、「昔のオンナ」から「会いたいんだけど、どうかな?」と言われたら、よほどのことがないかぎりすっ飛んでいく。むろん、下心があるからである。
 もちろんそこでガツガツしたそぶりを見せたら即アウトだけれど、勝彦くんは育ちもいいしオトナなので、そんなへまはしない。
 しかし典子もそこはさるもので、レストランで席に就いて早々、「今日は、あまり遅くなれないの」と釘を刺す。本日はお食事だけですよ、という含意である。
 「4時に弁護士が家に来るから」というのがその理由だ。ここらあたりもいかにも田中康夫流なのだが、「両親の資産を、今から少しずつ典子名義に替えていくので、その相談のため」である。
 「今日は食事当番やから早よ帰ってご飯炊かんとあかんねん。」とか、そういうことではないんである。どこまでも厭味なんである。
 弁護士が来る、というのはあくまで口実なのだが、「名義変更しなくてはという話が家族の間で出ていたのは本当」だそうだ。勝手にせい。
 昔のオンナから「会いたいの」てなことを言われ、流行りの高級フレンチレストランを予約してすっ飛んできた勝彦くんにしてみれば、いきなり冷や水を浴びせられたようなものだが、彼はオトナであるからして、そんな気持は顔にも態度にも出さない。
 それどころか、「いつ結婚するの? 日にち、決まった?」と、自分からその話をふる。
 嫉妬はもとより、もはや未練とてないのである。ただ、ちょっぴり下心はある。こういうところはどんなオトコも一緒だが、ただ、うまくやれる人とやれない人がいる。しかし、国ぜんたいが貧しくなると、うまくやれないほうが増えていく。そうして未婚率が上がり、出生率は減り、人口が激減して移民政策を取る羽目となって日本は滅んでいくわけだが、もうその話はいいか。
 そのあと二人は結婚式の話をする。内容はまあ、いかにもプチブルの家庭の結婚式にありがちな話で、今でいう「結婚式・披露宴の準備あるある」みたいなネタなんだけど、それにしても、そんな話を淡々と聞き、的確な受け答えをしている勝彦くんの様子は、ぼくから見ても好もしい。
 なんか前回からこの小説のことをボロカス言ってきたけれど、こういうシーンの上品かつ軽妙な駆け引きなんかを読み込んでいくと、この短篇、まあ風俗小説としてはなかなかよく出来てるんじゃないかと思えてきた。やはりテキストってものはきちんと付き合って読んでやらなきゃいけないね。
 レストランを出て(上にも書いたが、勝彦が支払ったことは疑いない)、ふたりは中二階へ出る。辺りに人けはない。昔いつもそうしてたように、勝彦はホテルの部屋を予約しているはずだが、そんなそぶりは暖気(おくび)にも見せない。ただ、ロビーを見下ろす中二階からの階段の途中で、キスを求める。そしてふたりは、ほんの1、2秒、軽いキスを交わす。



「結婚する前に、もう一度、会えるといいね」
 彼は最後にそう言った。私は黙って頷いた。今度、会ったならば抱かれることになるのだろうな。一段一段、ロビーへの階段を下りながら、頭の中でぼんやりと考えた。



 ぼくはあえて時系列に沿って再編集しながらあらすじを叙してきたのだが、じつはこの場面は回想シーンである。勝彦とのデートが土曜日で、その翌日、日曜日に裕一郎がマニラから国際電話をかけてきてくれた。そんな彼とお喋りしながら、典子は勝彦のことを思い出し、「今度、会ったならば抱かれることになるのだろうな。」などと考えてるわけだ。
 そうはいってももちろん、裕一郎の声を聞けばうれしいし、「裕一郎のこと、好きなのだわ。」とも、典子は感じてるわけである。基本的には裕一郎でOKなんだけど、彼が傍にいてくれないので昔のオトコにもちらちら気が向く。揺れてるのだ。
 こういう心情は、べつにバブル時代がどうこうではなく、普遍てきなものだとは思う。「クラシック」という川村湊さんの評価も納得できるように思えてきた。この短篇そのものは、イヤミではあっても小説としてはなにもそれほどダメではない。ただやはり、置かれた場所がわるかったのだ。




第8回・田中康夫「昔みたい」その①

2018-11-14 | 戦後短篇小説再発見
 というわけで、中沢けい「入江を越えて」以降、ほぼ2年半ぶりの「戦後短篇小説再発見を読む。」シリーズ、ついに始まりましたけども。
 ここまで間があいたのは、いろいろ事情もあったにせよ、当の作品自体に魅力がない。というのがいちばん大きい。「論じたい!」という気持ちをここまで起こさせぬ小説ってのも珍しい。何これ中学生の作文?と訊き返したくなる幼稚な文体。「プチブル」としか言いようのないヒロインの環境。まるっきり起伏を欠いたストーリー。この短篇は、新潮文庫の『昔みたい』に収められてて(全15本の短篇集。電子書籍化ずみ)、どれも同工異曲だが、その中の一本として読めばまあそれなりに読めるのかも知れない。でも、三島だの大江だの小川国夫だの金井美恵子だの、この錚々たる猛者たちの中に置かれたら、いまどきの用語でいう「公開処刑」にしか見えない。昔でいえば「晒しもの」である。
 どこに挟んでも情けないが、就中(なかんずく)「入江を越えて」の超絶技巧の直後に置くとは……編者にはなにか悪意があったのだろうか……とすら思ったが、解説の川村湊は「……まるで『古典』であるかのような静かな輝きとクラシックな雰囲気をもつ作品」などと、まんざらでもなさそうなのである。「古典」と「クラシック」とは同義だから、この一節そのものがちょっと間が抜けてるのだが、川村さんは尊敬すべき文学者なので、あまり突っ込むのはやめておこう。
 デビュー作『なんとなく、クリスタル』は1980年に発表された。いわゆる「バブル」は1985年9月の「プラザ合意」によって始まったから、5年も先んじていたことになる。ゴダールの『中国女』が五月革命を予見したように、『ベルリン・天使の詩』が壁の崩壊を予見したように、とまで言ったら褒めすぎだけど、ブランド品のカタログ・リストのあいだにしょーもないポルノが挿入されたあの小説(?)は、いま読んでも「バブリー」としか言いようがなく、たしかにバブルを予見していた、というか、70年代末の時点ですでにバブルが準備されてたことの例証になるのは間違いない。
 つまり、文学的価値は限りなくクリスタルに近いけれども、社会学的価値は今でも高い。いやむしろ今だからこそ高い。
 「なんクリ」の注釈はそのご増補されたと聞くが、ぼくの手元にあるのは1983年にはじめて河出文庫に入ったときの本で、注の総数は442個だ。そして巻末には、「人口問題審議会」による「出生率の低下」レポートが附されている。
 ひょっとしたら、この442個の註とレポートこそが、この作品の本当の意味での「主人公」かもしれない。一橋大学法学部(石原慎太郎とまったく同じ)を出て、のちに政治家となった(これもシンタローと同じ)田中康夫の本領は、この注釈とレポートを附した「批評精神」ないし「社会意識」にこそ存するのだ。本編の小説だけじゃ意味はない。本編と注釈、そして巻末の付録とが一体となって初めて成り立つ作品なのだ、『なんとなく、クリスタル』は。
 ようするに、ねえオトナの皆さん知ってます? いま都会ではこんなネエちゃんニイちゃんがクリスタルでブリリアントなライフをエンジョイしてるんですけど、そのいっぽうで、ニッポンの人口はじりじり減り続けてますよね、このままだったら30、40年後にエライことになっちゃいますけど、そこんとこ、どう思います? と、当時24歳の田中康夫は読者の耳元でひそひそ囁いてたわけである。その囁きは届かない人にはさっぱり届かず、届く人にだけ届いたけれど、その数はたいへん少なかった。でもって、じっさい今、ニッポンはエライことになった。無策の果ての少子化・高齢化が止まらず、市場原理(グローバリズム、と読む)に身を売って、なりふりかまわぬ移民国家になろうとしている。
 さて。『なんとなく、クリスタル』で有名なのは、「昭和を代表する文芸批評家」の一人といわれる江藤淳(1932 昭和7~1999 平成11)が、これを絶賛したことだ。江藤さんは作者の「批評精神」「社会意識」にうっすらと気づいてはいたようだが、そのことを明瞭に口に出したわけではない。だから、「なんで江藤はあんなのを評価するんだ?」と、当時そこそこ話題になった。それというのも江藤氏は、その4年前、あの『限りなく透明に近いブルー』を「サブカルチャーにすぎん。」と一刀両断していたからだ。
 ふつうの感性をもった文学青年・文学少女なら同意してくれると思うが、虚心に「ブルー」と「クリスタル」とを読み比べて、後者のほうが「文学として優れている」と感じるひとはまずいまい。まして「サブカル」というならば、「純文学やるぜ!」と目いっぱい頑張っている「ブルー」に対し、「クリスタル」はそんな努力すら放棄しており、サブカル度合ははるかに大きい。むろん、サブカルっぽい固有名詞の掲出量も比較にならない。これはまあ、江藤淳という人がサブカルという用語の意味をよくわかってなかったせいもあったらしいけど、ともかくも異様なこととして、当時の「文壇」かいわいで話題になったわけである。
 当時ぼくは中坊で、ブンガクにさして興味もなかったが、「ブルーをけなしてクリスタルを褒めた江藤淳って評論家がいる。」という話はどういうわけか耳に入って、「おかしなオヤジもいるもんだ。」とは思っていた。

 江藤淳が「ブルー」をけなして「クリスタル」を持ち上げたことは、当時(1980=昭和55)ひとつの謎だったが、その種明かしをしてみせたのが、新進の文芸評論家・加藤典洋だ。
 82年に「早稲田文学」に発表された「アメリカの影」という論考で、これがデビュー作だったのだが、話題になって他の二本の評論と込みで85年には単行本として出版された。新人の文芸評論集なんて当時でもそんなに売れるものではなく、これほどすぐに本になるのは滅多にないことだ。そのご講談社学術文庫に入り、そのあと文芸文庫のほうに入って現在に至っている。ちなみにこの「戦後短篇小説再発見」シリーズも講談社文芸文庫で、その頃はぼくもよく買っていたのだが、さいきんは狂気すら感じさせるくらいの高値になってとても手が出せない。『アメリカの影』にしてからが、学術文庫版は960円だったのが文芸文庫版は1860円である。いくら値上がりっつったって、十年あまりでほぼ倍ってのは尋常ではない。どうなっておるのか。
 さて、その種明かしだが、じっさいに聞かされてみれば単純で、ようするに「ブルー」は基地(在日米軍)に抵抗の意を示している小説で、「クリスタル」はそれとは逆に、アメリカの存在を諦念をもって受けいれている小説だ、だからブルーはだめでクリスタルは良い、と江藤さんは言うのだよ、と加藤さんは言うのであった。
 念のため言うが、江藤淳って人はアメリカが嫌いなんである。大嫌いだけどどうやったって敵わないんだから従わなけりゃしょうがない、と、ご本人自身が諦念をもって受けいれている。だから安直に「ヤンキー・ゴーホーム」と言ってのける「ブルー」にはキレて、アメリカまみれのシティー・ライフを満喫してみせる「クリスタル」には「我が意を得たり。」と悦んだという、そういう話なのだった。
 おそろしく屈折している。
 とはいえそれも奇妙な話で、小説の値打ちってのはそういうことで決まるんですか、と率直にギモンを覚えるし、あと、ブルー(1976)とクリスタル(1980)とのあいだにぴったり挟まる「風の歌を聴け」(1979)の評価はどうなってんだ、というギモンも浮かぶ。ちなみに、江藤淳は終生、村上春樹をまともに評したことはなく、黙殺に近い態度を取った。それもまたぼくにはよくわからない。なんでそんなに突出して田中康夫が好きだったんだろう。江藤淳は石原慎太郎も大好きだったから、一橋大出身で若くして作家デビューして後に政治家になるタイプの人(といっても二人だけだし、しかも政治信条は正反対だが)に惹きつけられる星の下にでも生まれたんだろうか。どういう星だ。
 なお田中康夫氏は、2014年に『33年後のなんとなく、クリスタル』を出した。これも河出文庫に入っているが、読んでないからなんとも言えない。ただ、ネットを見てたら「小説の形をとった政治的マニュフェスト」と評している方がおられ、「なるほど」とは思った。やはり田中康夫という人は、作家というより社会評論家なのだ。
 「昔みたい」は1987年、まさしくバブルのさなかに発表された。もちろん注など付いてはおらず、体裁はまるきりふつうの小説である。プロデビューして7年も経ってるんだからとうぜんそれなりに熟(こな)れてはいるが、若い娘の幼稚くさい一人称で書かれてるところはクリスタルと一緒だ。そういえば上野千鶴子さんだったか、村上龍『トパーズ』(角川文庫)の文体を評して、「女の知性をバカにしている」と罵ってた記憶があるが、若い娘の口寄せをする田中康夫の文体についてはどういう意見をお持ちなんだろう。よもや、田中康夫は村上龍よりもリベラルだから批判なぞしないというんだろうか。だとしたらまったくもってくっだらねえ話ではあるが。


 その②につづく。



第7回・中沢けい「入江を越えて」その➈

2016-06-03 | 戦後短篇小説再発見
 「何がしたいのとたずねた時、稔がそんなことがしたいんじゃないんだと声を荒げた」のは「数日前」のできごとだけど、時間的には隔たっていても、話の流れとしてはすんなり繋がっている。放課後の学校の裏門から、近くにある小高い山地まで、ゆるやかで陰気な「鬼ごっこ」をつづけながら、苑枝はなおも「稔の望みは何だろうか」と考えている。例の上田と田元みたいに、「いっしょに歩いたり、並んで勉強してみたいと思っているようには思えない」。かといって、「そんなことがしたいんじゃないんだ」というセリフも嘘ではないだろう。
 女子である苑枝さんの心情には付いていけないぼくだけれども、稔くんの気持ちは推量できる。べつだん彼は、ただちに何がしたいというのでなく、ひとまずはゆっくり話がしたいのだ。からだの関係をもったあと、相手がいきなりよそよそしくなって自分を避けたら、とりあえず追いかけてどういうつもりか問い質したくなるのは人情だろうし、その点においてオンナもオトコも変わりはないはずだ。だからむしろこの状況下で「稔の望みは何なのか」と訝しむ苑枝のほうがちょっと不可解である。幼いという以上に、どこか情緒に欠落があるのではないか、とさえ思う。
 いやべつに、苑枝がおかしいわけじゃなく、ティーンエイジャーなんて大方はそんなものだ、という意見もあるかもしれない。これまで読んだ小説の中の女子高生たちも、ぼくなんかの感覚からすると、ひどく冷淡な子が多かった。
 いや、それもまたオトコもオンナもない話で、この年頃はたいていそんなぐあいなんだろうか。世間知が身についてないうえに、自分のことに手一杯で、他人の心情にまで気が回らない……。現実の自分を思い返しても、ずいぶんと傍若無人に日々を送っていた気がしないでもない。
 ただこの短篇にかんしていえば、稔のほうは苑枝にあるていど気を遣ってるように思う。少なくとも苑枝が稔に気を遣うよりかは。それに、けっこう温厚な性格のようだし。
 しかしいかに温厚であれ、おのずと受忍限度というものはある。


 歩き疲れて立ち止まると、稔の顔には露骨に怒りが現れていた。おこっていても、稔の目鼻立ちには、もともと微笑に似たものが含まれている。…………(略)………… しかし、苑枝の喉からはまともな言葉はひとつも出てこなくなっていた。警戒心ばかりが先に立ち、「好きとか嫌いとか、あたしは一言も言わなかったじゃない。」と、気持ちの底に澱んでいた言葉が、開いた唇から飛び出してきた。…………(略)…………

 
 目じりの垂れた、人の好さそうな顔なんだろうな稔くん。それにしても苑枝さん、ようやく言葉が出てきたと思ったらこれである。コミュニケーション・ブレイクダウンもいいところだ。結局のところ、ここから作品の終了まで、彼女が稔に向かって口にしたのはこの一語のみ。
 さすがの稔も激昂し、唇をふるわせながら大股で苑枝に近づく。あとずさる苑枝。しかし稔は、かろうじて自分を抑え、肩で息をして苑枝の顔を見詰める。「見詰める」と、中沢さんは書いている。苑枝は彼を正視できていない。つまり顔を背けているわけで、たぶん俯いてるんだと思うが、俯いてる相手の顔を見詰めるってのはなかなかに難しいんじゃないか。まあ、おおよその表情はわかるか。
 ぼくがもし稔くんの同級生で、この一件につき彼から相談を受けたなら、「そんなめんどくさい女は諦めなよ」と助言をしたであろうと思う。あるいは、めんどくさい、ではなくもっと率直に「そんな訳のわからん女は」と口走ったかもしれない。
 それくらい、苑枝さんの態度は難儀なものである。しかしこれまで書いてきたとおり、この「入江を越えて」は、いわば「中沢けい初期短編群」の掉尾を飾る一作であり、苑枝のキャラは形を変えて繰り返し変奏されている。それを順に読んでいけば、彼女のこの屈折した性格の依って来たる所以もまんざら分からぬわけではない。とはいえ、独立した一篇として読むならば、やっぱり彼女は面倒くさい。
 「少し歩こう」と、まだ怒りの消え残った声で稔はいう。ここまでさんざん歩いてきて、少し歩こうもないもんだと苑枝は思ってわずかに気を緩めるが、打ち解けるまではぜんぜんいかない。それでも彼の提案には従う。しかも、「彼女の歩調に合わせるでもなく、早く進み過ぎるでもなく稔は歩く。」というんだから、今度は前後ではなくいちおう肩を並べて歩いてはいるわけである。
 ここで最後のクライマックスシーンが描かれる。前々回(ずいぶん昔になっちゃったが)、ぼくが「あの初体験の夜の回想シーンの入江の情景に劣らず、濃密で生々しくってエロティック」と称した場面だ。やれやれ。ここに来るまでえらく時間がかかってしまった。
 稔の分身である「槙の実」が、より大きくて重くてねっとりと中身の詰まった「からすうり」へとグレードアップして、作品のなかにぶちまけられるのである。ここはぜひとも引用させていただかねばならない。

 …………登り坂が続いた。道の片側の生垣には、からすうりが熟している。てらてらと光るからすうりの実は、かれかかった茎に重く、今日落ちるか明日落ちるか、落ちる時を待っていた。

 さらに、

 肩に入っていた力が抜けてみると、まともな話し言葉が身体の中で溶け始める。こわばっていた喉が柔らかくなるが、何かしゃべろうとすると、ゼラチン状になった言葉が喉の奥へと滑り落ちていった。稔の掌の中で、からすうりがひとつ、無残に潰れ、あたりに生ぐさい臭いを放つ。一度、手を汚してしまうと、熟し過ぎた実をもぎ取るのも苦にならないのか、稔は次から次へとからすうりを取っては、コンクリート舗装の坂道にたたきつけた。炸裂して飛び散った果肉は、稔の形にならない言葉を含んでいるように、苑枝には見えた。むろん、意味は解らない。コンクリートの上のオレンジ色の染みを踏み越えて登る坂道の先へ先へと稔はからすうりを投げる。苑枝の爪先でオレンジ色の染みが、ぬるりとした危うさを彼女の身体に伝えた。



 超絶技巧ふたたびである。地面に叩きつけられ、炸裂して飛び散り、生ぐさい臭いを放つからすうりの果肉は、稔の「形にならない言葉」、つまりは鬱積した思いそのものだ。それはまた、苑枝じしんの身体にわだかまっている「ゼラチン状になった言葉」と響き合ってもいるのだが、それも遂には形を成さず、ただ彼女の喉の奥を滑り落ちていくだけだ。どこまでも互いの内面のなかでのことなのである。
 それにしても、彼女の行く手をオレンジ色の染みとなって累々と埋め尽くし、「ぬるりとした危うさを彼女の身体に伝え」るからすうりの残骸はまさしく危うい。「蛇にピアス」のなかのスキャンダラスな性描写より、こっちのほうがやばいんじゃないのと思うほどである。粗っぽい娯楽小説なんかで、破壊された町の描写などを見かけるが、それよりもイメージとしては強烈だ。これこそが純文学の凄みである。
 彼女なりに手さぐりするのだが、苑枝は自らのなかに言葉を見出すことができない。自分の言葉も見つからないし、かつて稔が自分に言ったことすら思い出せない。徹底して「言葉」から隔てられている。



 ………… もう、あんなことといった曖昧な言葉は使えそうになかった。あんなことは、依然として雲だか霞だか判然としないものを被ってはいる。けれども、白く煙った向う側に、槙の実や波が騒ぎ、稔らしき男がいる。あんなことと口に出しても、二人の間を空気より軽く飛び交ったりはしない。



 この一節もそれこそ曖昧で判然としないが、苑枝の心象のなかで稔を中心とするさまざまなものが雲だか霞だかを被り、白く煙った向う側に浮かんでぼんやりしているという感じはわかる。そういうニュアンスを醸し出すためのくだりだから、文章自体も曖昧で判然としてなくていいのだ。
 そんなこんなで、ふたりは坂道を登りきる。短いながらもこれもまた一種の「道行き」か。ミシマの「雨のなかの噴水」、小川国夫の「相良油田」、そしてまたここでも道行きだ。いまだ家庭を成さない青春小説のカップルには、道行きがよく似合うのだ。
 「もう帰ろう」と稔はいう。ちなみに、このラストシーンでの彼のセリフは、さっきの「少し歩こう」とこの「もう帰ろう」だけだ。苑枝に振り回され、あとを追いかけているようでも、じっさいに行動を促す言葉を口にするのは彼のほうで、それに苑枝がけっこう素直に従ってるのも興味ぶかい。むろん偶然ではなく、これも作者の計算のうちだ。そして彼は、苑枝の返事も待たずに、ひとりでさっさと坂道をくだりはじめる。苑枝は後ろにつづく。


 自分の作った染みの跡をたどる稔の後姿を眺めながら、苑枝は明日も彼は帰り道にたちふさがっているのかしらと考えた。透明で音を伝えやすい空気に、田で焼く稲わらの煙がただよっていた。煙の色と見えていたものが、坂をくだりきらぬうちに、薄茶色の日暮れに変った。



 今更ながら、ただ嘆賞するよりない風景描写だ。それにしても、変則的ではあれ、彼女と一緒に「坂の上」まで登りつめ、あまつさえ、地面に盛大に思いの丈をぶちまけたんだから、稔が「明日も帰り道にたちふさがっている」わけはない。彼の鬱懐はひとまずはここでカタルシスを迎えたと見ていいはずだ。そんなことすらわからぬくらい、やっぱり彼女は幼いのである。



 …………(略)…………彼女は言葉が欲しかった。稔と交す言葉と、自分の脅えの正体を眺めるための言葉。それに記憶を岸にしっかりとつなぎとめて、離さない言葉が欲しい。



 これが作品の〆である。ここにもまた彼女の幼さがあらわれていると思うのは、言葉なんてものは体の底から勝手にぼこぼこ沸いてくるものではなくて、相手との心の交わりの中で少しずつ育まれるものなのに、それに苑枝がまるっきり気づいてないからだ。
 もはや言うまでもないことだろうけど、いちどは体を交わしながらも、彼女はずっと自分の殻に籠っていて、稔とほんとうに心を触れ合わせたり、通わせたりすることはなかった。その未熟さ、生硬さを、さながら琥珀に眠る古生代の化石のように、一篇のうちに鮮やかに封じ込めて、「入江を越えて」は青春小説の佳品となった。
 ただ、「記憶を岸にしっかりとつなぎとめて、離さない言葉」とは、毎日のコミュニケーションのための言葉とは趣を異にするようである。それはあるいは小説の言葉なのであろうか。だとすれば作品の末尾で彼女は表現者へのあこがれを抱いたということになるやも知れぬが、ひとりの幼い女子高生が創作へと向かうプロセスをていねいに描いた作品は、欧米にはともかく、中沢さんをも含めて、このニッポンにはほとんどないと言っていい。しかしそれはまた別の話だ。



第7回・中沢けい「入江を越えて」その⑧

2016-06-03 | 戦後短篇小説再発見
 ヒロイン苑枝の相手役である広野稔(みのる)は、まさに名は体をあらわすというやつで、「実」にゆかりの深い名前を持っている。ゆかりが深いどころか、むしろ「実」そのものというべきか。現代小説には珍しいほど分かりやすいネーミングといっていいかもしれない。
 学校の帰り、このところいつも正門で待ち受けている稔を避けて、苑枝は裏門へと向かう。苑枝が彼のことを重荷に感じているくだりは前回すでに紹介したが、もういちど引用しておこう。

 最近、稔は毎日、待っている。最初の頃は苑枝の顔を見ると稔は嬉しそうな微笑を浮かべた。苑江は、その顔を見て、ひょっとすると自宅でバイクをみがいている時にも、同じような笑みをもらしているのではないかと考えた。稔の笑みが苑江を息苦しくさせる。

 「最初の頃は…………嬉しそうな微笑を浮かべた」とある。つまり、ここ二三日はぜんぜん嬉しそうな顔ではないということだろう。気の毒な稔くんの、鬱屈した仏頂面が目に浮かんでくるようだ。
 また、「自宅でバイクをみがいている時にも、同じような笑みをもらしているのではないか」とは、苑枝がひとりの女性としてでなく、さながら愛玩物として見られてるように感じているということか。どちらも切り詰められた的確な表現といえる。

 見慣れていたはずの、刈り込まれた槙(まき)の生垣にも実が付いているのを、二学期になって気づいた。槙の丸い緑の実をむしり取りながら、あの晩のことは、と苑枝は思う。…………(略)………… 苑枝はあの晩は夢だ、寝ぼけていたのだと言われても、信じられる。…………(略)………… 同じ景色は二度と眺めることはできないのかもしれない。無理に出かけていけば、まるで別なものに出会って、記憶に形作られていた眺めを粉々に砕いてしまうに違いない。

 「一炊の夢」とでもいうか、苑枝にとって、あの晩のことはもう追想の対象にすぎない。思春期の娘らしいセンチメンタリズムといったところだけれど、しかし稔のほうはそれでは収まらぬわけで、いちおうはそれなりの関係を取り結んだのだから、本当は、苑枝もひとりで自己完結してちゃあいかんのである。自分の気持ちが萎えちゃったからあとは知りませーんではなくて、相手の気持ちと折り合いながら、何らかの始末をつけられるよう最低限の配慮をしてやる必要がある。しかしそれは大人の理屈であって、ここでそれを言っても詮無いことで、これは青春小説なのであり、「そういうことができない」ことこそがまさにこの短篇の主題なのである。
 それはそれとして、ここで「丸い緑の実」があらわれたことにご注目されたい。稔と「実」との重ね合わせは、あの初体験の日の朝、駅前でふたりが落ち合った時から始まっているのだが、その翌朝のキャンプ場で、苑枝は炊事場の側に立っている樹木に目を向け、それが槙の樹であり、稔があのときポケットに入れていたのが槙の実だったことを知ったのだ。
 その槙の樹が校庭にもあって、同じ丸い緑の実を付けている。苑枝が二学期になって初めてそれに気がついたのは、もちろん、夏休みにあの一件があったからである。今日また彼女はその樹を改めて目にとめ、「あの晩」の記憶がよみがえるままに、その実を毟り取るのだが、小説の文法(ルール)からいえば、ここで「実」があらわれたからには、とうぜん、引きつづいて稔その人が作中に召喚されねばならない。すなわち、次のシーンで稔が彼女の(そして読者の)前に姿を見せるのはテクスト上の必然なのである。

 正面で待っているかもしれないと回った裏門の門柱に、所在無げに稔は寄りかかっていた。掌に残る槙の実を、ころがしながらしばし眺めた苑枝は、稔の前を黙って通り過ぎる決心をした。キャンプ場も、入江にかかった鉄橋も、現実にあるものかどうか判断つきかねるのに、稔だけは苑枝の後から付いて来る。…………(略)…………



 なぜ今日に限って稔は裏門で待っていたのか、どうして彼女がこちらから帰るのがわかったのか、という問いかけは、ミステリー小説ならばおおいに重要になってくるけれど、純文学、とくにこのばあいは意味を持たない。槙の生垣に「実」が付いていて、それを苑枝が毟り取ったから、としか言いようがない。テクスト論的にはそれが正解となる。
 このあたりからラストまでは残すところ4ページ弱だが、それがあまりに緊密かつ濃密なので、正直なところ、どこをどう抜粋すればいいのかよく分からない。それに、じつはぼくにもきちんと掴みきれないところがある。すこし困っているのだが、とりあえず見ていこう。
 このラスト部分において、前面に迫(せ)り上がってくるのは「言葉」というモティーフである。稔の身体の内に閉ざされ、出口を探して駆け巡っているおびただしい量の言葉。間の抜けたものでもいいから、とにかく何か話し出せないかと、苑枝がけんめいに探りつづける言葉。しかしそれらはいずれも形にはならない。形にならない言葉をそれぞれの身体のなかに充満させたまま、ふたりは陰気な(そして傍から見ればやや滑稽な?)鬼ごっこのように前と後ろを歩き続ける。黙々と前をいく苑枝。黙々とそれを追う稔。
 追いかけるのは稔のほうだが、苑枝にしても、けしてすっぱり片付いているわけではない。それは彼女が自宅に向かわず、あえて人気(ひとけ)の少ない小高い山地の方へと足を運んだことからもわかる。気持ちが縺れて断ち切れないのはどちらも同じなのである。ただ、彼女は必ずしも稔を嫌悪してはいないにせよ、彼の存在そのものに対し、まるで囲繞されるかのような息苦しさを覚えているのは確かだ。そのことは繰り返し強調される。
 ねちねちと前後に並んで歩きつつ、ここでまたちょっと時間が交錯して、改行なしで「数日前」のできごとが挿入される。こんな感じだ。

 …………(略)………… 何がしたいのとたずねた時、稔がそんなことがしたいんじゃないんだと声を荒げたのは、数日前だった。苑枝にとって稔の答えはまったくの見当はずれだった。それに、稔がしたくないといっても、たぶん苑枝はちがう。彼女自身がそう感じていた。



 恥ずかしながら、ぼくにはここのくだりが掴めない。ぼかした言い方ではますます混乱するので露骨にいうが、「そんなこと」とはセックスだろう。その答について、「まったくの見当はずれ」だと苑枝が思ったというのは、わかる。しかしそれでは、「それに、稔がしたくないといっても、たぶん苑枝はちがう。彼女自身がそう感じていた。」というのは一体何なのか。苑枝はセックスのことなんて考えてもいなかったので「まったくの見当はずれ」だと思ったのだとぼくは読んだのだけれど、「稔がしたくないといっても、たぶん苑枝はちがう。」だったら、苑枝はやっぱり「そんなこと」すなわちセックスをしたいって話になっちまうじゃないか。文章のつながりからしても、彼女の心情からしても、このくだりは掴めない。
 あるいは苑枝は、恋人としての稔は(なんか知らんが息苦しいので)要らないけれども、自己愛の延長としてのセックスの相手としてならば欲しいんだろうか……そういった感じならばわからぬでもない気もするが、しかしそれはずいぶん複雑な心情だから、たかだか2行ばかしで済ませてしまっていいことではあるまい。いくらなんでも、もうすこし言葉を費やして書き込んでおきたいところだ。
 完成度の高い作品だけど、ここのくだりに関してだけは、ヒロイン苑枝の混乱ぶりを作者が御しきれていない印象を受ける。ただ、小説ってものにはたいてい何ヶ所かこういう淀みないし歪みみたいなものがあって、それが往々にして作品の奥行きを増していることがある。精密機械を組み立てるくらいの注意を払って作られながらも、どこかでそれを超え出ていくというか……。もちろん、精密機械を組み立てるくらいの注意を払って作られてることが大前提なので、もともとが杜撰であったら、何ヶ所かの淀みも歪みもへちまもない。淀みと歪みだらけならば、それはもはや淀みでも歪みでもない。全編がただのごみ屑というだけである。


第7回・中沢けい「入江を越えて」その⑦

2016-05-18 | 戦後短篇小説再発見
 というわけで、えらく間があいてしまったけれども、「入江を越えて」のつづきであります。ただ間があくのは必ずしも悪いことばかりじゃなくて、この短篇が「群像」に発表された1983年(バブル前夜)は、松田聖子の「秘密の花園」がチャートを賑わした年でもあったことに昨日気づいた。歌詞は松本隆、曲は呉田軽穂こと松任谷由実。このサビが「入江の奥は だれも だれーも 知らないー 秘密のー はーなーぞの」という意味深な一節なのは有名だ。ポップスと純文学、どちらがどちらに影響を与えたわけでもないんだろうけど、表現の諸ジャンルにおけるこういったシンクロニシティ―がぼくにはわりと面白い。いずれにしても、「入江」の向こうには、今までに見たことも触れたこともない何かがひそんでいるのである。
 さて。「……海の色は鈍り始めている。……海水は夏の活力を失い鈍い色になる。水を温める力のなくなった光が、おだやかな海面を滑っていた。」のあと、舞台は二人の通う高校へ移り、そのまま作品は収束に向かうわけだけど、そのまえに、みんなで合宿から帰る電車のなか、書き落とすには惜しい描写がもうひとつある。

 とたん、背中ではしゃいで甲高くなった稔の声を聞いた。何を話しているのかは、車輪の響きに遮られて聞き取れなかったが、稔はふだんよりも高い声でよくしゃべっている。出入り口に近い山側のボックスに座っていたはずの彼は、知らぬ間に背板を一枚隔てた背後に移動していた。感じるはずのない稔の髪の毛の先の感触を、苑枝は後頭部に感じた。…………

 昨夜のことは稔くんにとっても初体験だったわけだから、表面では仲間とじゃれてるようでも、頭の中はそのことで一杯のはずである。ふつうの男子高生ならそうでなきゃおかしい。だからこんな変なテンションになっている。しかも、ほんとは苑枝とくっついて色々と話をしたいのに、なんだか微妙に避けられて、ぎくしゃくしてるとあっては尚更だ。それで「知らぬ間に背板を一枚隔てた背後に移動して」きたというのがいかにもリアルで粘っこいし、「感じるはずのない稔の髪の毛の先の感触を、苑枝は後頭部に感じた。」というのも、ぼくはオトコの側なんだけど、まるで苑枝の身になったかのようによくわかる。
 この連載の最初のほうでぼくは、ゼロ年代に書かれた「蹴りたい背中」や「蛇にピアス」よりも、その20年前に書かれた「入江を越えて」のほうに豊かな可能性を感じると述べたけれども、これまで見てきたとおり、文章面でも技巧の面でも、「入江を越えて」はこの二作より明らかに上だ(執筆当時、中沢さんはデビュー5年目で、まだ23歳だから、さほどハンディキャップはない)。
 「蹴りたい背中」は、性的な要素というより肉体そのものがいかにも希薄であった(まあ、だからこそ「背中を蹴る」という欲動の衝撃が際立つんだけど)。「蛇にピアス」は、肉体改造を主題に据えているものの、それがあまりに過激なゆえに、かえって肉体から遠ざかっているように思える。すなわちどちらの作品も、テクストそのものの放つ肉体性において、「入江を越えて」に及ばない。それがゼロ年代文学の特徴だ、とまで言い切る自信はないけれど、いずれにしても、ぼくにはそこが物足らぬわけだ。
 ただしもちろん、「蹴りたい背中」「蛇にピアス」が、「入江を越えて」を凌いでいるところもある。人間関係の複雑さだ。このブログそのもののテーマに合わせていうならば、「物語性」といいかえてもいい。「入江を越えて」は、むしろ苑枝と稔との「関係不全」を描いた作品である。性交渉をもったあと、ふたりの関係性が成熟しない。成熟どころか進展もしない。まるっきり座礁してしまう。そのぶんだけ、逆に苑枝の内面が過剰になり、語り手(それは作者にかぎりなく近いが必ずしも作者とイコールではない)の繰り出す描写が潤沢になり芳醇になる。テクストを生み出すことばの運動として、そういった構造が見て取れる。
 「関係」が不全であるゆえに、つまりヒロインが孤独で、作品としての物語性に乏しいゆえに、言葉のほうが豊饒になりまさるという中沢文学の特質は、あるいは純文学というジャンルそのものの本質にかかわっている気もするが、ここではそれくらいにしておきましょう。
 というわけで、合宿は終わり、高校最後の夏休みも終わり、また日常の学校生活が戻ってくる。クラスメートの、例の上田と田元は相もかわらずべったりで、「お雛様のようにならんで」図書館で毎日勉強している。そんな二人を、これも相変わらず苑枝は横目で見ている。彼女のほうは、稔との仲がまったく進まないどころか、学校から帰宅するさい、「正門へと歩くうちに、ことによると稔がいるかもしれないと、苑枝は裏門から出ることにした。」というありさまなのである。

 最近、稔は毎日、待っている。最初の頃は苑枝の顔を見ると稔は嬉しそうな微笑を浮かべた。苑枝は、その顔を見て、ひょっとすると自宅でバイクをみがいている時にも、同じような笑みをもらしているのではないかと考えた。稔の笑みが苑枝を息苦しくさせる。

 前にも述べたが、からだを交わしたあとでオトコのほうが冷淡になり、女の子のほうが遮二無二そいつを追いかける、というのが処女作いらいの中沢文学のパターンだった。ここではそれが逆転している。それは文学としての深まりという点でよかったと思う、と述べた記憶もあるけれど、男の立場から率直にいうならやはり稔くんが気の毒ではある。彼の年齢からすると、どうしてこんなふうになっちゃってるのか、さっぱりわからぬだろうなあ。
 ただ、つれなくふるまう苑枝のがわも、もちろん事態を客観的に把握できてるわけではない。自分自身の感情をもふくめ、どうしてこんなにこじれちゃったのか、彼女もまた戸惑いながら苛立っているのだとは思う。うーん、これも「青春の光と影」か……。
 ラストまで5ページ。場面は、学校の裏門から小高い山地につづく、緑あふれる空間へとうつる。この限定された文学空間は、あの初体験の夜の回想シーンの入江の情景に劣らず濃密で生々しくってエロティックである。改めて思うが、ほんとうに完成度の高い短篇だ。ゼロ年代に「蹴りたい背中」「蛇にピアス」が芥川賞をとって持てはやされ、80年代初頭にこの短篇が候補にもならなかったなんて、この国の文学史はやっぱりどこか歪んでるんじゃないか。



第7回・中沢けい「入江を越えて」その⑥

2016-04-30 | 戦後短篇小説再発見
 以前にぼくは、いまどきの女性作家がいまどきの女子高生を主人公にして書いた小説をまとめて読んだことがある。そのことはこの連載の「その③」でも述べた。
 直接のきっかけは、どうせ下らねえだろうとバカにして放りっぱなしにしていた綿矢りさの『蹴りたい背中』をほぼ10年遅れくらいで読んでみたところ、これがたいそう面白かったからである。JK小説。そこにはこれまで自分が踏み込んだことのない豊かな領土が広がっているように思えた。まあ、女子高生の世界なんだから、踏み込んだことなくて当たり前だけど。自分が男子高生だった頃にすら、縁遠い世界だったもんなあ。
 しかし思えば、近代日本文学の聖典のひとつ樋口一葉の『たけくらべ』だって、当時のティーンエイジャーの恋愛沙汰を扱ったものだ。そう考えていくと、これは意外とブンガクの本流に属するジャンルなのかもしれない。
 そうやって出会った作品の一つに、遠野りりこ『マンゴスチンの恋人』がある。書かれたのは2000年代の後半だ。その小学館文庫版9ページにこんな一節が見える。
 「わたしの通う男女共学の公立学校には、生々しい恋愛話や性と恋の思念が墓場の浮遊霊のように活発に飛び交っている。身体ばかりが大人になった男女が同じ檻の中に入れられているのだから盛(さか)るなという方が無茶なのだろうと、その集団の一員でありながらわたしは他人事のように考える。」
 オカルトっぽい発想に、そこはかとないユーモアを交えて(「霊が活発」という表現はユーモラスといっていいだろう)女子高生らしさを醸し出しながら、「教室」というおかしな空間をリアルに捉えた一節だと思うが、ここでいう「生々しい恋愛話」は、中沢けいの「入江を越えて」にはまったくない。「入江を越えて」にかぎらず、「海を感じる時」にはじまる一連の作品において、ヒロインの女の子が同性の友達と、恋愛話や、まして性の話に興じるシーンは出てこない。そんな余裕は見受けられぬし、いやそもそも、同性の親しい友人ってものが登場していたかどうか。
 それは初期中沢文学における欠落といえるものだったとも思う。そのせいか、中沢さんはこのあと「女ともだち」という作品を発表する。タイトルどおり、ヒロインと女ともだち(それも二人)との交友を綴った中編である。そこでのヒロインは、一回り成長した感じで、もうそんなに切羽詰まってはいない。
 「入江を越えて」には、田元まり子という同性のクラスメートが出てくるのだけれど、この子は上田秀雄というクラスメートと付き合っており、おそらく体の関係もある。しかし、ヒロインたる塚田苑枝は彼女のことを微かな羨望(たぶん)と僅かな嫌悪(たぶん)をもって見ているだけで、カレシの話なんぞしないのである。
 明らかにそこには一定の距離感がある。塚田苑枝は、少なくとも性的な事柄に関して、「マンゴスチンの恋人」に出てくる女子たちに比べて遥かに無口で、頑なだ。その頑なさは、中沢けいという作家個人の資質というより、やはり80年代初頭という時代の制約なのだと思う。20年という歳月は、学校という空間における女生徒どうしの関係性にも、それなりの変容をもたらしたということだろう。
 身もふたもない言いようをすれば、「入江を越えて」のヒロインは、異性と体をふれあわせるという行為、異性を抱き、異性に抱かれるという行為にばくぜんとした憧れを持っていただけで、しかもその感情は、ナルシズム(自己愛)の柔らかな延長なのだった。相手が誰でもいいわけではないが、どうしても広野稔でなければいけない、というほどでもない。言い換えると、そこにはいわゆる「愛」はなかった。
 だから、ぎこちない初体験を済ませてしまうと(それは稔にとっても初体験だったと思われる)、後には妙にしらじらとした、索漠たる時間がおとずれる。これは前回の最後に引用したくだりのあとに続くシーンである。


 突然身体を突き離され、苑枝は何が起ったのか解らぬまま、自分の不格好な肢体にあわてふためいて、身を起した。稔はといえば裸体のままかしこまって、両手を膝の間に入れている。ちらりと腰のあたりがのぞいたが、稔は故意にか偶然か両腕でかくしてしまった。ふたりが離れたままではうすみっともなく感じられて、苑枝はそっと稔に近づくと、彼は小声でだいじょうぶだったかなと聞く。苑枝には何を意味してそう聞くのか解らなかった。けれども、うんうんとうなずいた。羽をむしり取られた鳥に似た稔の姿を見ていたくなかったし、自分自身の丸裸も晒したくなかった。


 あの目くるめく陶酔の描写と読み比べていただきたい。バタイユ的とも呼びたい高揚の瞬間を象徴的にとらえたあの一節に比べて、「現実」に立ち返ったあとのこの寒々しさはどうだろう。このあと苑枝はとりつくろうように鼻先を稔のわきに押しつけ、瞼を閉じ、手さぐりで稔の瞼も閉じさせて、添い寝の姿勢でしずかに眠りにつくのだけれど、それでもこの寒々しさが払拭できたわけではない。ふたりの心が交わることはなかったのである。
 それにしても、稔くんのほうは性交に際してけっこう気を使っていると思うのだが、「だいじょうぶだったかな」と訊かれて「何を意味してそう聞くのか解らなかった」という彼女の無知には呆れてしまう。初心(うぶ)というより幼いのだ。彼女の頑なさ、硬さ、言葉数の少なさに加えて、幼さもまた、この作品を成り立たせる要素のひとつである。
 前回も書いたが、みんなの手前、朝早いうちに苑枝はいったん最寄り駅まで戻らなければならない。稔がオートバイで送ってくれる。その道中、「足を出すな、ばか、しっかり掴まれ」という彼のえらそうな口調に反発をおぼえ、県道へ出たところで、ここから先はバスで行くと言って、彼女はバイクから降りてしまう。「一度くらい寝たからって、“オレの女”みたいな顔しないでよね」というような台詞をドラマかなにかで何回か聞いた気がするが、まあ、そんな感じなんだろうか。
 そのあとは、「合宿の間じゅう苑枝はなるべく稔をさけていた。稔の方もしいて苑枝に近づくことはなかった。」という按配で、どうにも気まずい。そして作品のラストまで、二人はずっとそのままである。
 三日間の合宿が終わったあと(ところでこれってなんの合宿だったんだろう。図書部の合宿って……いまひとつ必然性がわからない)、帰りの電車の車窓から、あの入江をひとり眺める苑枝。その目に映る情景は、行きの車窓から眺めたそれとコントラストをなしてこれまた見事なものである。


 同じ一本の線路をひとりで反対方向にたどった時から三日しか過ぎていないのに、海の色は鈍り始めている。気温が冷えるより先に、海水は夏の活力を失い鈍い色になる。水を温める力のなくなった光が、おだやかな海面を滑っていた。


 「夏の活力を失い鈍い色にな」っているのが、いまの苑枝自身のこころであり、また、苑枝と稔との関係性でもあることはいうまでもない。


第7回・中沢けい「入江を越えて」その⑤

2016-04-11 | 戦後短篇小説再発見
 借りたヘルメットをかぶって後部シートに腰を据え、運転する稔の背中にしがみつくという、ありがちなスタイルで苑枝はキャンプ場へと走る。稔のほうは、一つっきりのメットを彼女に貸したため何もかぶっていない。まことに危ないことである。そもそも二人乗り自体がたいへん危険な行為だから避けたほうがよろしい。しかし苑枝は、すこし伸びた稔の髪に鼻先をくすぐられ、「身体の表面にまといつくことなく乾いて行く汗はやっぱり樹木のにおいに似ているのだ……」などと、なかなか上機嫌である。なにやってんだ高校生が。しょうがねえなあまったく。家に帰って勉強しろ勉強。
 そんな私のヤジなどお構いなしに、バイクは街路を抜けて林道へと入る。


 林道に入った稔は街路を入る時とはうって変って、強引ときには乱暴とも苑枝には思えるような走り方をした。苑枝は何も見なかった。ただ稔の身体にしがみついていた。


 このへんの描写に深入りすれば昔懐かしい片岡義男の世界に移行していくところだが、もちろんそんなことにはならない。
 原文ではここで段落がおわり、一行あけて次の段落へと映る。


 瞼を開いた時、苑枝は稔の少しあぶらが浮いた鼻先を見た。稔もまた瞼を開く。目覚めたばかりの稔の瞳をもう少し眺めていたかったのに、彼は意味のない微笑を浮かべると、すぐに寝返りを打ち、背中を向けた。ランニングシャツから出た肌に、床板のすき間のあとがみみず腫れのように赤く印されていた。(…………)



 というわけで、いきなりである。いきなりもう、「事後」になっている。下には何も敷かなかったようだし、さぞ事態は慌ただしく進んだのだろうと推察される。これまでの中沢さんの作品では、「初体験」の舞台は高校の部室だったり理科室だったり、なんともトホホな場所が多かったので、じつはこれでもずいぶん向上したほうなのだった。
 前回の記事で、ぼくは「夜になるのも待たずに」と書いてしまったが、それは思い違いで、いちおう日が落ちるまではお互いに自制していたようだ。事が行われたのは夜である。このあと稔を残してひとりでバンガローの外に出た苑枝が、東の空を見て「6時半くらい」と見当をつけるシーンがある。
 着いたのが夕方だとしても、そこに至るまでにはいろいろと会話なんかもあったはずだが、ぜんぶ省かれているのでよくわからない。そんなことに拘るのも、行為のあとでふたりは甘く睦み合うどころか、何やらかえってよそよそしくなり、妙にぎくしゃくしてしまって、その齟齬は作品の後半になっても延々とつづき、ついにはそのままラストを迎えてしまうからだ。行為のまえに、どれくらい感情の交流があったものか。
 「からだの関係を持ったあとで、男のほうが冷淡になり、ヒロインが男を追いかける」というのが処女作いらいの初期中沢文学のパターンだったんだけど、この短篇では互いが互いの気持を持て余している感じで、しかもむしろ男のほうが彼女を追いかけ、彼女のほうがなんとなく微かな嫌悪を覚えて彼を避ける、といった構図になっている。これは文学としての深まりという点でよかったと思う。
 ふたりの関係はもちろん誰にも内緒なので、合宿のメンバーが集まる前に苑枝は駅へと引き返し、何食わぬ顔でそこでみんなと合流しなければならない。「駅まで送るよ」と稔は言い、待ち合わせの11時まで何をして過ごせばいいのか、と苑枝はおもう。
 そこでまた一行あけて、次の段落は、かなり詩的に粉飾された昨夜の回想シーンとなる。このパラグラフは麗しい。本編のなかでもっとも麗しい。先ほどのくだりで抜け落ちていたこと、書かれるべくしてあえて書かれなかったことが、べつのかたちで描かれているからだ。

 (…………)目をつぶるまいとしながらも、いざ稔の腕が苑枝の身体を抱えると、瞼は仕かけでもあったように降りてきた。瞼の裏にあらわれたのは、行きの電車の中から見た入江だった。
 山と田の間を走っていた電車が千倉駅を出たあたりから、段々とつらなる田と畑のはてに海が見えかくれする。かたわらに山が近づいてきたかと思うと、電車はいきなり海の真っただ中へ出た。海が線路よりも深く、陸地へと入り込んでいるのだった。くだけ散る波が、白っぽい砂を灰色に染めてはひくあたりに建った支柱の上を、電車は猛スピードで駆け抜ける。海面に反射する光で、車内は驚くほど明るくなり、波の飛沫が明け放された窓から飛び入る。東京湾を抱え込んだ内房では見られない、高く、白く、跳躍する波が、飽くことなく騒いでいた。
 額と額を合わせ、手足を絡めていると、あの波の飛沫のひとつひとつが、鴨川駅にむかえに出ていた稔のズボンのポケットからころがり落ちた小指の頭ほどの緑の実に変る。緑の実が、曲線を描く水平線のかなたまで、飛んでは跳ね、跳ねては転げる。



 あまり見事なもんでついつい長く引用しちまった。ここではセックスのさなかの陶酔(の記憶)と、行きの電車の車窓から見た光景(の記憶)とが複雑に混じり合い、しかもそれがセックスそのものの鮮やかな暗喩にもなっていることがおかわりいただけるだろう。まさに名人芸であり、超絶技巧といってもいいかと思う。こういった技法はたぶんフランスの現代小説あたりに類例があるんだろうし、執筆当時24歳の中沢さんもそれを参考にしたのだと思うけれども、そうはいっても溢れる才気は見紛うべくもない。
 このあたりのことばのつらなりは、ありきたりのポルノグラフィーよりもはるかにエロティックで、そしてもちろん、瑞々しい。



第7回・中沢けい「入江を越えて」その④

2016-04-10 | 戦後短篇小説再発見
 『海を感じる時』から『野ぶどうを摘む』をへて『ひとりでいるよ一羽の鳥が』へと続く初期の3冊の短篇集において、作者の分身とおぼしき10代後半の娘(たち)は、前回の記事で引用した川村二郎の解説のとおりの体験を、かたちを変えて繰り返す。共通するのは、
①父を早くに亡くしている、
②初体験の相手が学校の先輩、
③そいつがなんだか優柔不断で煮え切らない、
➃その男との関係をきっかけにして母との確執がひどくなる、
といった事どもである。これらの短篇は連作ではない。変奏曲集とでもいおうか、同じ題材をいろいろな角度から描き直している按配だ。そのなかには、「妊娠」という、女性にとっての一大事にまで踏み込んだものもある。
 しかし第3作品集の掉尾を飾るこの「入江を越えて」では、いったん時計の針を巻き戻すかのように、事後のごたごたは打ち捨てて、その「初体験」の当日のことがていねいに描かれるのである。その結果、この3冊に収められた短篇の中でもっとも鮮やかな「青春小説」となった。作品のできばえは、けして素材そのもののインパクトによって左右されるものじゃないのだ。もともと中沢けいの美質は、剥き出しの果実を思わせるほどに危うい感性をもった少女が、豊かな自然のただなかに身を置いて、そこから受け取った刺激を「ことば」に変えて迸らせるところにあったのだ。まさしくそれは「海を感じる」という表現にふさわしい。処女作にすべてがあるとはよくいった。
 高校三年の塚田苑枝は、夏休み、二泊の合宿を三泊と母に偽って、一日早くキャンプ場に行き、そこで同級生の広野稔と落ち合う。広野はキャンプ場に家が近く、二輪の免許も持っているので、先にひとりで現地に入って食料などを調達することになっていたのだ。つまりその日は他の部員たちは来ず、苑枝と稔のふたりきりで、高3の男女がそのような場所でふたりきりになってどのような展開が生じるのかということは、もとより苑枝も稔もよくわかっている。というか内心おおいに期待している。
 しかしこのふたりはべつだん恋人ではない。それどころか、そもそもこの約束そのものがなんだかひどく曖昧で、電車に乗って現地に向かう最中でさえ、苑枝は「着いても誰もいないかもしれない」などと疑っている。稔がすっぽかすというよりも、約束なんて最初から成立してなかったんじゃないかと疑ってるのである。「私も行くわ」と軽い調子で言ってしまったものの、くわしい打ち合わせもせず、念押しの電話もしなかった。このあたりの初々しさ、ぎこちなさがこの作品の身上である。今だったら、メールを入れて一丁あがりだろうけど、作品の舞台となっている1980年頃にはまだケータイもスマホもない。パソコンも普及してないし、もっというなら家庭用ビデオデッキを備えてる家すらそう多くはなかったはずだ。
 結論からいうと、稔はバスターミナルでちゃんと待っててくれたし、そこからふたりは彼のバイクでキャンプ場に着き、夜になるのも待たずに早々とそのような仕儀へと相成るわけだが、はっきりいってそんな顛末はどうでもよくて、肝心なのはそういったストーリーの流れのなかで随所に挿入される自然描写なのである。


 欅(けやき)でも銀杏(いちょう)でも、幹に鼻先を近づければ、それぞれ特有のにおいがある。男子生徒が着替えた後の教室に残るにおいとはまったく別なにおいであるのに、樹木の放つそれを苑枝は異性の身体の芯に含まれているにおいのように思っていた。人の目を盗んで両腕にちょうど良いくらいの太さの樹木を抱いてみる。すると、腕と腕の間にあるうつろな空間が過不足なく埋められて、時の中に樹木と苑枝だけが佇んで動かなくなってしまったようだ。頭上で枝が騒ぐので、風が流れていると解る。葉がきらめくので光があると解る。青くささの中に混じった土のにおいと、乾いた幹のにおいに浸されて、苑枝の身体の体液も濃くなる。(…………)


 これは苑枝がまだ稔のもとに到着せず、半信半疑のまま電車にゆられている折の回想めいた一節だけど、こんな書き方は一人称ではできないから、その点たしかに三人称は便利だとは思う。思春期のすなおなエロスが自然と溶け合うこの手の描写は、随所に挿入というよりも、作品全域に瀰漫(びまん)していて、むしろそれこそが真の主役かもしれぬとぼくなんか思う。苑枝というより、彼女の感性こそが主役なんじゃないかと思えるわけだ。


 がんじょうな靴から伸びた足首とふくらはぎの素肌はかわをむいたばかりの木肌に似た色をしていた。ズボンが灰色がかった海松(みる)色だから、きっとそう思えるのだと苑枝は、規則正しく動く稔の足を眺めていた。あごにも腕にも目立たぬ毛が、すねにだけははえそろっていた。はえそろったすね毛を見ながら、苑枝はやっぱり約束はしてあったのだなと、ほんの少し前まで不確かで信じるに足りなさそうだった記憶が、急にしっかりとした手触りのあるものに変った。

 もちろんこれは、無事バスターミナルにて落ち合った直後の描写である。先ほどの引用と照らし合わせると、苑枝(彼女の名前は樹とゆかりがある)が稔(もちろんこの名前もそうだ)に樹木のイメージをかさねているのがよくわかる。それだけじゃなく、異性特有の「男くささ」を同時に見てとってもいるようだけど、「樹木」のイメージはこの後も一貫して引き継がれるのだ。現に、このパラグラフに続く描写はこうである。


 歩きながらポケットを探り、キーを取り出した稔の手許から青い実がこぼれ落ちて、がんじょうな靴の上にポロポロところがった。苑枝がひろいあげてみると、実にはうっすらと白い粉が付いていて、指先でころがすうちに濃い緑色があらわれた。どうしてこんな、草の実だか樹の実だかがポケットに入っているのかとたずねると、
「ひまだから、むしってみただけだよ」
 と黄色いバイクにキーを差し入れた。(…………)


 体から(まあ、ポケットですけどね)青い実をポロポロこぼすというんだから、「稔」くんと「樹木」との重ね合わせも、かなり念が入っている。この丁寧な細工はきっちり作品のラストまでつづく。





第7回・中沢けい「入江を越えて」その③

2016-03-28 | 戦後短篇小説再発見
 NHKのEテレで宮沢章夫がサブカル講義をするシリーズがあって、その主題に、「テレビ」だの「ロック」だの「SF」だのと並んで「女子高生」が取り上げられたことがある。このイチゼロ年代のニッポンにおいて、「女子高生」とは文化的事象として一考に値するテーマなのである。ぼくもいちど、女性作家が女子高生を主人公にして書いた小説をランダムに選んでまとめて読んだことがあるけれど、どの作品に出てくる女の子もみな当然のように(いまどきの用語だと「デフォで」とか言うのか)性体験をもってるもんだから、思わず「ケシカラヌッ」と叫んで東海林さだお風に机を「ドンッ」と叩いてしまったのだった。こういう問題にかんしてワタシはたいそう保守的である。さすがに「貞操観念」なんて古色蒼然たる単語を持ち出すつもりはないが、男女を問わず、学生の本分は勉強です!
 冗談はさておき、近ごろの女性作家が描く「当世女子高生事情」がどのていど現状を反映してるのかはわからないけれど、今の10代はぼくなどの及びもつかぬくらいに性的な意識が「ひらけてる」ことは間違いあるまい。「蛇にピアス」はいわばその極値であろう。あそこまで開けちゃあさすがにやばいと思いますがね。ともあれ、そう考えると、けして10代の性を主題にしていたわけではないが山田詠美の存在はやっぱり大きくて、バブル直前の1985年、「ベッドタイムアイズ」をひっさげての「山田詠美登場 以前/以後」でニッポンの女性の表現史を区切る、という見方もアリかもしれない。
 「入江を越えて」が発表された1983年は、「海を感じる時」の5年後にして、「ベッドタイムアイズ」の2年前でもある。


 風があるわけでもないのに、空気の中には埃が混じっている。乾いた土が、人の動き、車の動きで、細かい粒となって舞い上がっていた。上りホームで電車を待つ人々のほとんどは、都会へと帰る海水浴客だ。彼らの持つ鮮やかなビーチバッグは、昼過ぎの陽射しにしなだれた夏の花のように見えた。塚田苑枝の乗っている電車は、上り電車が到着すると同時に発車する予定の下りだった。


 冒頭の一節である。「海を感じる時」と違って、一人称の語りではなく三人称の形をとるが、物事はすべてこの「塚田苑枝」の視点から綴られ、ほかの登場人物の視界なり内面へと移ることはない。三人称形式の中でももっともシンプルな手法で、このばあい、「塚田苑枝」のことを「視点的人物」とよぶ。ただ、中沢さんの小説にかぎっては、「視点」という表現が適切かどうか。
 「風があるわけでもないのに、空気の中には埃が混じっている。」は視覚描写なんだろうけど、「埃っぽい」というのは皮膚にまつわってくる感覚だから、触覚描写でもあるわけだ。ぼくは敏感肌なもんで、そのへんがよくわかるのである。
 この「戦後短篇小説再発見」シリーズには、巻末に編者の手になる「著者紹介」が附されているが、中沢けいのところにはこう書かれている。「生の充実を求める現代女性の生態、男と女の関係を自然体の瑞々しい生理感覚で描く。」
 そう。瑞々しい。キーワードはまさしくそれだ。中沢さんの文章は、ほんとに瑞々しいのである。「自然体」とは、いわゆる文学少女、文学青年にありがちな気取った比喩や観念的な言い回し、というものが見られないという意味で、それも中沢文学の特徴にはちがいないけれど、そのことも含めて、「瑞々しさ」こそがこの作家のいちばんの麗質なのである。
 それこそ皮膚感覚でいうのだが、女性の文章ってのは概して男性のそれよりしっとりしている。濃やかでもある。小説ってのは学術論文でも社説でもないので、しっとりして濃やかな文体で書かれることが望ましい。だから♂であっても優れた小説家はみなフェミニンな資質をもっている。あの中上健次ですらそうだった。小説という極めて特殊なエクリチュールにおいて、性差の壁はしばしば溶融されるのだ。
 じつをいうと、主題の選び方、そして物語のつくり、すなわちストーリーテリングや登場人物の絡ませ方において、中沢けいはけして豊かなほうではない。それらの点でこの人をしのぐ作家はたくさんいる。だからぼくたちは、たとえば宮部みゆきを楽しむようには、中沢けいを楽しむわけにいかない(この二人はほぼ同い年である)。
 中沢けいの魅力は、そういったものとは別のところにある。お話の内容ではなく、文体そのものが魅力的なのだ。文章のひとつずつが、しっとりしていて濃やかで、官能に満ちてスリリングなのだ。
 「海を感じる時」ののち、10代のおわりから20代半ばにかけて、中沢けいは年に一作から二作くらいのペースで「群像」誌上に短篇の発表をつづけた。『海を感じる時』『野ぶどうを摘む』『ひとりでいるよ一羽の鳥が』までが文庫化された。いずれも短編集である。「入江を越えて」は『ひとりでいるよ一羽の鳥が』のラストに収録されている。
 その2冊目の作品集『野ぶどうを摘む』の解説で、川村二郎は初期の中沢文学をこう要約する。


 中心にはいつも一人の少女がいる。父を早くなくし、母と弟と三人でくらしていたが、性的に成熟するにつれて、失った父への思慕や未知の生の領分への好奇心の複合した、漠然たる衝動に促されて、高校の上級生の少年に接近する。世間の良識を代弁する母はもちろんそのような少年少女の交渉を頭から認めようとしないから、母と娘とのあいだには息苦しい緊張が生ずる。それ以前から潜在していた緊張が、この事件をきっかけにして一気にあらわにされたのだといってもよい。(…………)

 やや趣を異にするものもあるけれど、上記の3冊を見るかぎり、どの短篇もおおむねそんなところである。それは作者の実体験を反映しているのかもしれないが、ぼくはそういう伝記的な批評が好きではないので深入りはしない。ただ、中沢さんの作品が、いうところの「私小説」を思わせる構造をもっているのは事実だ。
 「中沢けいは、タイプこそ違うが倉橋由美子、金井美恵子に勝るとも劣らぬ才能の持ち主」と前々回にぼくは述べたが、この意見はおそらく評論家(文芸評論家なんて職業がいまだに成立してるんだかどうかぼくはよく知らぬが)や編集者といったプロの人たちからは受け入れられないかもしれない。「それはどうだろう」と首を傾げられるかもしれない。中沢けいの作風は、昔ながらの「私小説」の伝統を継ぐものだから、ヌーヴォーロマンの旗手であった倉橋・金井のお二人に比べて、(年齢はずっと下なのに)その作品はたしかに古風にみえる。
 いま俎上に乗せている「入江を越えて」にしても(いや……あまり俎上に乗せてないけど……)、要するに、ひとりの女子高生の夏の初体験を描いた短篇であって、題材としてはアマチュアにだって書けるだろう。しかし、その出来事を綴る文体の圧倒的な瑞々しさが、まぎれもなくこれを、ひとつの「作品」へと昇華しているのだ。
 「純文学の生命は文体なり」という文学観をもつぼくが、大方の玄人筋の評価以上に、中沢文学を高く買う理由はそれだ。