ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

『あなたへ』 ~ほんとうはとても哀しい映画

2014-11-19 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽

 これは2013年8月20日に投稿した記事の一部に手を入れたものです。先日物故された不世出の俳優・高倉健への追悼として再掲します。

 

 高倉健・主演『あなたへ』をテレビで観た。テレビで映画を観る際は、気をつけなければいけない。編集してある場合が多いからだ。カットしすぎて、まるで別物になっている時もある。アニメ『サマーウォーズ』がそうだった。劇場版やDVD版とは違う代物を見て、文句をつけるような迂闊なまねはさけたいと思う。

 ただ、『あなたへ』はノーカット放送ということで、その点は安心してもよさそうだ。いつも映画や小説の感想を書く時は、あらすじを初めに記すのだが、今回はそれは省略したい。それでいて、内容の核心部分にはふれる。つまり、ネタバレを含むから、この作品をご覧になっていない方は、今回の記事はお読みにならぬほうがよいかもしれない……。

 何組かの夫婦が出てくる。高倉健と田中裕子。長塚京三と原田美枝子。ビートたけしとその亡き妻(これは話の中に出てくるだけで、役柄としては登場しない)。草彅剛とその妻(これも話の中だけで、実際には登場しない)、佐藤浩市と余貴美子、そして綾瀬はるかと三浦雄大。最後の若い二人だけはまだ結婚していないが、遠からぬうちに夫婦となる。

 六人の男たちの中で、定住しているのは長塚京三と三浦雄大だ。土地に根を下ろしている感じがする。その安定感は、妻との結びつきの強さに比例しているようだ。いっぽう、ビートたけし、草彅剛、佐藤浩市は放浪している。旅ではなく、放浪をしているのである。旅と放浪との違いは、帰る場所があるのか否か。このことはわざわざ種田山頭火を引き合いに出してまで強調される。この作品のテーマのひとつと言っていい。たけし、草彅、佐藤には帰る場所がない。このうちでもっとも切実なのは佐藤で、その次がたけしか。草彅はまあ、この二人ほどではないが、しかし本人にとっては深刻だろう。

 健さんはどうなのだろう。退職願を出して出発したが、長塚京三は受理しなかった。「休暇として処理しておくから必ず帰ってきてください。」といった。しかし健さんは、ラストでひとつの大きな罪を見逃した。長年にわたって実直に刑務官を勤めてきたひとだ。いまは嘱託とはいえ、この人の性格からして、ふたたびこの職に戻るだろうか? いや、その前に、いかに長塚に慰留されても、やはり辞めるつもりだったようにも思えるし、田中裕子の遺骨を海に還したことで、その決意は揺るぎないものになったのではないか?

 旅と放浪とのもう一つの違いは、目的があるのか否か。遺言どおりに局留めの手紙を受け取り、亡妻の遺骨を海に撒いた時から、すなわち目的を果たしたときから、健さんもまた、放浪のひととなったのではないか。そう考えて初めて、ラストシーンが胸に沁みるのだ。

 たいせつな比喩がふたつ出てくる。ひとつは「季節はずれの風鈴」である。「早く取り込んであげないとね。季節はずれの風鈴の音は寂しいもの……」というようなことを田中裕子がいう。これは冒頭とラスト間際と、二度にわたって回想される。季節はずれの風鈴とは、健さんの中に残った妻への未練だと思う。「想い出」とは違う。「想い出」を忘れることはできないし、田中裕子もそれを忘れろとまでは言わない。ただ、「未練」は片付けられるものかもしれない。

 観ている間は、夫婦の情愛を描いた映画だと思っていた。田中裕子は、ほとんど塀の中の世界しか知らない健さんに、外に出てもっとたくさんの人と出会って欲しかった。そうすることで、自分の死を乗り越えてくれるよう願った。そうだとばかり思っていたのだ。しかし、見終わって時間が経つにつれ、そうではないと思えてきた。じつは、これはたいへん哀しい話ではないか。ある意味では残酷な話といえるかもしれない。

 観客のほとんどが、たぶん不満に思うはずのことがある。田中裕子が愛したという男はどうして登場しないのだろう。彼はなにかの罪で服役していた。田中裕子は彼の姿をひとめ見るため童謡歌手として慰問に通った。やがて彼は、就業中、ふいの病で急死してしまう。それでしばらくのちに彼女は健さんと結婚するのだ。

 配役を見たとき、ぼくはビートたけしがその男だろうと当たりをつけた。それくらい重要な役なのである。じっさいには顔を見せないまでも、話の中で過去のいきさつに触れられるくらいは当然だ。もしくは、慰問に訪れたとき、ステージの上から彼女が送る視線の動きで、その存在を観客にそれとなく知らせるくらいの描写はあってしかるべきだろう。これはシナリオと演出の不備である。最初はぼくもそう思った。しかし、鑑賞後にしばらく余韻を味わううちに、そういうことではないと思えてきたのだ。

 田中裕子の愛した男がいっさい姿を見せない(話の中にさえ)のは、彼があまりに重要すぎるからである。彼女はまだその男のことを愛しているのだ。健さんのことはもちろん好きだし、一緒に暮らした日々は楽しかったし充実していたし、心あたたまるものでもあったけれども、それは本当の愛とは違っていた。

 登場する六組の夫婦は、いろいろな形で対比されていると思う。綾瀬はるかと三浦雄大の若いカップルは、かかあ天下予備軍というか、そうとうな女性上位である。綾瀬はるかは言いたいことをぽんぽん言う。それでいて、三浦雄大は深く広いやさしさで彼女のことを包んでいる。健さんと田中裕子は、よそよそしいというほどではないけれど、どこか互いに気を遣っていた。年齢のこともあるのだろうし、人生の半ばを過ぎて一緒に暮らし始めたせいもあるのだろうが……。

 原田美枝子は、夫である長塚京三に、「わたしは散骨はいやだな……」というようなことを述べていた。散骨とは、夫婦が一緒のお墓に入らないということでもあるのだ。田中裕子が故郷の海に還りたいと願ったのは、それが愛した男の故郷でもあったからではないか。だからこそ、健さんはその場所まで足を運んでいながら、散骨を「迷った」のだろう。

 「季節はずれの風鈴」と並んで、もうひとつの大切な比喩は「雀」である。なぜ田中裕子は雀の絵を健さんに遺したのか。彼女の愛した受刑者は、服役中、毎朝そっと雀に餌をやっていた。田中裕子は自分のことをその雀に託し、それを絵にして健さんに委ねたのである。健さんならば、その思いをわかってくれると信じたから。

 しかし健さんは、すぐには分からなかったように思う。このあたりの機微はもういちど見返さなければ確かなことは言えないが、すぐには分からなかったように見えた。わかりたくなかった、というのが実情に近いかもしれない。最後に背中を押したのは、余貴美子の「夫婦だからって、ほんとうにお互いのことを分かってるとはかぎらない……」という言葉だろう。それでようやく「迷い」が消えた。大滝秀治のもとを再び訪ねる決心がついた。

 ラストシーン、海辺のテーブルで健さんは佐藤浩市に「受刑者と外とを連絡する者のことを鳩という。自分は今日、鳩になりました。」と言った。たんなる偶然の一致ではあるまい。なにしろこれが、この映画における健さんの〆の台詞なのである。田中裕子の「雀」と健さんの「鳩」とが切ない対照をなしているのだ。そして健さんはここから、先にも述べたとおり「放浪」に出るのである。

 いくつか物足りなさは感じた。しかし、それを補って余りあるだけの作品だと思った。これが遺作となった名優・大滝秀治の決めぜりふを借りて言うならば、「久しぶりに、大人の映画ば観た……。」という気がする。


三島由紀夫への長い迂路(うろ)。

2014-11-17 | 戦後短篇小説再発見

 魅死魔幽鬼王、と仮名を当ててみたい。ぼくにとっての三島由紀夫はそれくらい不気味で謎めいた作家だ。いかに根が浪漫主義者とはいえ、あれほどの明晰な知性がなぜあのような死を遂げられるのか。才能が涸れたわけではない。市ヶ谷へと向かう日の朝に『豊饒の海』の完成稿を仕上げていたことはあまりにも有名である。その第四部「天人五衰」の結末は森閑たる虚無に満たされてはいるけれど、そのことと作家としての生命の終焉とはまったく違う。永らえていれば70年代にも80年代にも90年代にも、ひょっとしたらぎりぎりゼロ年代にも傑作や問題作を書き続けていたに違いないのである。バブル時代のミシマや冷戦終結後のミシマ、インターネット時代のミシマを是非とも読んでみたかった。

 よもや決起を促すアジ演説に自衛隊が乗ると本気で思っていたはずもなかろうし、割腹(および介錯)による自裁までの経緯は完璧に計算ずくだろう。それを考慮に入れてもなお、カーニバル的とまで呼ぶのは憚られるにせよ、少なくとも蕩尽的とは言いたい行動である。明晰な陶酔、というのは例えば「甘美なる苦痛」と同じく撞着語法ではあるけれど、ただひとり三島由紀夫に関してだけは、その形容が矛盾にならぬのかもしれない。戯曲家・ミシマが生んだ数々の華麗で犀利(さいり)な芝居のように、すべては明晰な陶酔のなかで繰り広げられた一場の夢幻劇ででもあったのか……。そのとき彼の演出にのっとって、否応なく観客席に座らされたのは、万博に浮かれた当時のニッポンそのものだった。

 「戦後短篇小説再発見」の次の回が、三島の「雨のなかの噴水」なのである。これ自体は、彼の全文業から見れば小品にすぎぬが、なにしろ相手はミシマであり、「旧ダウンワード・パラダイス」でも正面切ってこの人を扱ったことはなかった。だからそれ相応の前置きが要ると思った。ところが、これまでミシマをきちんと読んでこなかった。はっきり言えば逃げ回ってきた。2年まえ、ある方からのコメントに答えて、ぼくはこんな返事をかえしている。「残念ながら、ぼくは昔から三島由紀夫という作家が駄目なんですよ。エッセイはわりと読めるんですが、小説のほうが駄目なんです。生理的に受けつけないとまで言ったら大げさですが、どうしても作品世界に入っていけない。「サーカス」とか、短編ではいくつか偏愛しているものもあるんですけど。」

 2年まえにしてなお、このありさまである。このたびも、草稿を書いては消し書いては消し、これで何度目になることか。試行錯誤を繰り返し、どうしてミシマを扱うのかがかくも難しいのか、とりあえずその理由はわかった。トピックがすぐ広くなり、かつまた深くもなってしまうのだ。たとえば性倒錯を極上の日本語で綴った先達として、川端康成と谷崎潤一郎の名前がつい出てしまう。こうなってくると大変だ。ミシマひとりでも手に余るのに、さらに二人の化け物を召喚してしまうわけだから。あるいは、国粋主義の話にもなれば、それこそ政治の話にもなる。気を緩めると話柄はたちまちそっちへ行く。こうなるともう泥沼である。相当の覚悟と準備がなければ、軽々に踏み込んでよい領域ではない。

 とりあえず、暫定的にでも小文をまとめたいならば、題材をできるだけ絞り込むよりほかにない。この週末、以前に挫折して書棚の奥に押し込んであった『春の雪』(豊饒の海・第一部 新潮文庫)を引っ張り出して、一気呵成に読み終えた。面白かった。以前に挑んだのは9年まえの2005年、自らも三島ファンだという宇多田ヒカルの主題歌つきで映画化された際だった。あのときは紅葉見物の折の清顕と聡子とのやりとりまで来て、「なんでわしがこんな甘ったれたボンボンの恋愛沙汰につき合わされんといかんのじゃあ。」と腹を立てて読むのをやめたのである。その同じ作品が、このたびは陶然とするほど面白かったのだ。今回はひとまずそのことだけ書こう。

 学界や文壇にはすでに三島研究や三島論があふれかえっているだろう。ぜんぶ集めたら市民図書館くらいは建つんじゃないか。汗牛充棟というやつだ。そういった蓄積をいっさい参照することなく、ここは自らの印象だけでいうのだが、禁忌を犯す19歳の松枝清顕は、父帝の愛妾たる藤壺の女御とひそかに通じる光源氏にどうしても重なる。藤壺の女御は源氏の実母の代償だから、より生々しくエディプス・コンプレックスに近いわけで、そういう意味では三島由紀夫より紫式部のほうがさらに凄かったりもするわけだけど、いずれにしても「春の雪」は、おそらくは日本文学史における「最後の王朝文学」といえるのではないか。

 三島の文体は絢爛たる美文とも称せられるし、また、生のリアリティーを伝えない人工的な構築物ともいわれる。要は読んだこっちが酔えるかどうかだろう。ぼくはこれまで酔えなかった。それが、この齢になってあらためて試してみたら酔えてしまった。

 あの文章は、もちろん、フランスの近代小説が開拓した精緻きわまる心理描写から多くを学んだものである。されどフランスの近代小説、たとえばスタンダールやフロベールやラ・ファイエット夫人やラクロ、さらにはラディゲの文章に対して「人工的な構築物」といった言い方がされることはない。それは人間心理のちゃんとした科学的解剖とみなされている。高1の春に『金閣寺』を読んだとき、20代半ばに『仮面の告白』を読んだとき、そして9年前に『春の雪』を読みかけたとき、ぼくはそれを「人工的な構築物」と感じた。しかるに今は、ごくごくしぜんに、フランスの、というか西欧の近代/現代小説の列につらなるものとして読める。自分のなかで何が起こったんだか知らないが、これはちょっとした異変である。

 初めて新潮文庫の『金閣寺』に挑み、何度も放り出しそうになりつつどうにかこうにか読了したものの、異物感にも似た妙なわだかまりを胃の腑のあたりに覚えて落ち着かなかった高1の春。あのときから長い長い迂路を経て、やっと私はミシマへと辿り着いたのかもしれない。だとすれば三島由紀夫とは、わが半生における最大の欠落だったって話にもなりかねぬのだが……。書きたいことの百分の一も書けなくて、なんとももどかしいけれど、なにしろ相手が相手である。モービー・ディックを付け狙うエイハブ船長の心境で、じっくりと追い回すよりしょうがない。


 


描写の力。

2014-11-10 | 純文学って何?

 純文学と「物語」とを分かつもの、さらに言うなら、純文学を物語から超え出させるものは、なんといっても「描写」だろう。描写の力にめざめたときに、物語は「文学」へと脱皮するきっかけを得たといっていい。誰でも知ってる物語として、「桃太郎」を例にとってみる。ちなみにこの「桃太郎」というテクストそのものもじつに面白い問題を孕んでいて、少し注意ぶかい読み手なら、「鬼がいったいどんな悪さをしたというのか? ひょっとしたらこれ、桃太郎サイドが難癖を付けて乱暴狼藉を働いたってことじゃないのか?」と疑問を抱いても不思議ではないと思う。侵略を正当化してるんじゃないかということだ。芥川龍之介はいち早くその点に注目して、その名もずばり「桃太郎」というパロディーを書いた。抱腹絶倒のコントであり、青空文庫で読めるので、興味のある方はぜひご一読のほど。

 さて。鬼ヶ島へと向かう桃太郎はイヌ、キジ、サルをお供に従えるわけだが、ネットで見つけた文章によると、ここの件りはこんな感じである。「村のはずれでイヌと出会いました。イヌが桃太郎にどこに行くのかと尋ねるので、鬼退治に行くと答えると、お腰に付けた日本一の吉備団子を一つくれたら家来になってついて行くと言いました。そこで、一つ与えて家来にしました。山の方へ行くとキジがやってきたので、吉備団子を一つやって家来にしました。二人の家来を伴ってさらに山の奥へ進んでいくと、今度はサルがキャッキャッと叫びながらやってきたのでまた吉備団子を一つやって家来にしました。そして、犬に日本一の旗を持たせて鬼ヶ島へ向かいました。」

 それで、次の段落ではいきなり「鬼ヶ島に着くとサルが大きな門を叩きました。」となる。あっさり着いてしまうのである。「島」というからには海上にあるのだろうと思うが、「山の奥」を突き進んでいったらとつぜん浜辺に出たのだろうか。そのあと船はどうやって調達したのか、顔ぶれを見るに、あまり操舵や海路に詳しそうな面子はおらぬようだが、時化に遭ったりしなかったのか、方角はどうやって見定めたのか、何日くらい掛かったのか、などなど、その他もろもろの事情はいっさい何も書かれていない。

 いやそもそもその前に、桃太郎が陸路をぽくぽく歩いていって、イヌ、キジ、サルと巡りあうプロセスも、まるで新聞の四コマまんが並みの淡白さである。鬼たちの襲来を受けて荒らされているはずの村の様子も、桃太郎と第一の家来たるイヌとが分け入っていく山中の景色も、やっぱり何も書かれていない。彼ら一行がどこで雨露をしのぎ、どうやって食料を賄ったのか(吉備団子ばかり食ってたわけではなかろう)も分からない。旅は苦難の連続であったろうけれど、一方では道中において様々な人との巡り会いもあったはずである。そしてまた、渇いた喉を潤す湧き水の旨さや、東の空をゆっくりと紫に染めながら昇っていく朝日の美しさなんかに関しても、「桃太郎」というテクストはなにひとつ語ってはいない。もちろん、それらのことはストーリーとはまるで関係ないからだ。

 「主」としてのニンゲンと、従者たる三匹の異形のものたちが旅をするという構図は「西遊記」と同じだ(そういえば初期の筒井康隆が、この類似を生かして「旅」というSF短編を書いていた)。道中でのエピソードや四人のキャラおよび人間(?)関係をあれこれと膨らませていけば、いくらでも面白くもなるし長くもできるってことは誰にでもお分かり頂けるだろう。ただ、その「西遊記」にしても、「桃太郎」より遥かに長大で複雑とはいえ結局は「物語」であって、それを超え出ていくものではない。そこに「描写」が欠けているからだ。たとえ風景が点綴されていたにせよ、あくまでそれは芝居の書き割りにすぎず、彼らの性格もまたキャラクターとしての類型の枠を逸脱するものではないのである。

 さきほどの例をもういちど繰り返すならば、そこにもまた、「渇いた喉を潤す湧き水の旨さや、東の空をゆっくりと紫に染めながら昇っていく朝日の美しさ」は書かれていない。ストーリーと関係ないからだ。いっぽう、ストーリーそのものにも増して、というのが言いすぎならば、ストーリーそのものと同じくらいに、「渇いた喉を潤す湧き水の旨さや、東の空をゆっくりと紫に染めながら昇っていく朝日の美しさ」を重んじるのが純文学なのである。

 「桃太郎」のような民話や、「西遊記」のような近代以前の空想譚に引き比べるのはルール違反という気もするが、最近また再評価されている野呂邦暢の短編の一節を引用してみたい。40年近くも前に書かれたものではあるけれど、日本の現代小説(純文学)における「描写」の水準の高さを示して余りある文章だ。

「蠱惑(こわく)的なまでに暗い緑の葉身がぶつかりあう音に包まれていると、浩一の内部でも荒々しく裂けるものがあり、それは今、空中に漲っている棕櫚の葉の乾いた軋りに和すようになる。深く割れた硬質の葉片が無数の鞘をかき鳴らす音さながら風にさからう響きは楠の葉がそよぐ気配と比べて全く異質のものだ。風がしばらく勢いを衰えさせた。彼もそれに合せて息をついた。やがてまた風が起り木々をゆすぶり始めると彼も目に見えない棕櫚の葉の強くかち合う響きに聴きいっている。」

 読んでいるこちらも、「それに合せて息を」つきたくなるような緊密さだ。ここで「蠱惑的なまでに暗い緑」という部分だけは視覚に基づく描写といえるが、あとはほぼ聴覚描写である。ただ、「浩一の内部でも荒々しく裂けるものがあり、」というのはもはや視覚や聴覚といった五感にまつわるものですらなく、すでにそれ自体が「内面」の描写としかいいようがない。「私」(ここでは浩一)の五感に響く森羅万象が「私」の内部へと干渉し、密接に働きかけることで「私」の意識を揺るがしていき、その錯綜する絡み合いによってストーリーが進んでいく。ストーリーに細部が従属するのではなく、細部の積み重なりがいつしかストーリーとなる。そのような事態を可能にする「描写の力」こそが、純文学の最大の特質のひとつであり、純文学を物語から超え出させるものだ。


あらためて「物語」について。

2014-11-02 | 純文学って何?

 このブログでは、「物語」という概念を当面の仮想敵として立てて、これに批判を加えている。ここでいう物語ってのは、まあ「人間が物事を認識するときに陥ってしまう根源的なパターン、準拠枠」といったような意味で、ふつうに用いられている「お話」という意味よりもさらに射程が広くて、深い。たとえば、神話というのは典型的な物語であって、物語の基本フォーマットはすべて神話のなかにある。これが流れ下って民話になったり伝説になったり童話になったり、中世のロマンスや説話や絵草子や戯作や読本になったり、はては今日におけるマンガやアニメやライトノベルになったり、ハリウッド映画になったりしているわけである。

 このように書くと、なんやねん、物語、ええやんけ、おもろいやんけ、めっちゃ楽しいもんやんけ、なんも文句つけることなかばってん、なんで批判やら加えないかんと? と不審を抱かれる向きもあろうかと思うが、私はべつに、伊達や酔狂で物語批判をやってるわけじゃなく、えてしてこの、物語ってぇものが、ヤバい、あぶない、危険、と、同じことを三度言いたくなるくらい、いかにも厄介な代物なので、みすみす見逃してはおけないのである。なんの因果かわたくしは、十代の頃から文学というものに関わってきたせいで、世間一般のみなさんよりも、「物語」に対する知覚がいささか過敏であるらしく、しかも、気づいたことを文章にせずにはいられないので、カネにもならんのにこういうことを書いちまう。まことに損な性分である。

 物語の危険性ってものは、そうだなあ、冒頭に述べたハリウッド映画を例にとればいちばん分かりやすいでしょうな。かつてジョン・ウェインが活躍していた頃の西部劇では、「インディアン」が見事なまでに明快な「悪役」として描かれていた。好色で残忍、徒党を組んで「白人」たちの駅馬車を襲い、殺戮や略奪を繰り返す。善良なる被害者としての白人と、悪しき加害者としての「インディアン」という図式である。むろん、歴史に即して冷静にみれば、もともとは彼らの土地であった所にむりやり押し入ってきて簒奪したのは白人の側であり、「インディアン」という呼びかた自体がすでに誤った蔑称であって、本来はとうぜん「ネイティブ・アメリカン」が正しい。

 アメリカという国はむちゃくちゃなことも平気でするけど一方では聡明かつ生真面目なところもあるから、今日では、そんな西部劇は製作されない。では、ハリウッドは「物語」と手を切って、現実をていねいに見つめたリアリスティックな文芸作品を作るようになったかというと、なかなかそういうわけでもなく、憎むべき敵としての「悪」はやっぱり形を変えて出てくるし、ヒーローたちはそういう輩を殲滅すべく死力を尽くして戦うのである。ただ、死に物狂いで戦っても、けっして「悪」が一掃されることはなく、ゆえに問題がほんとうに片付くこともなく、ヒーローたちは報われぬどころか、かえって非難を浴びたりする。ここが昔と違うところだ。そこら辺りにアメリカという国の屈折ぶりが出ているわけだが、今回は映画の話でもアメリカ論でもないからこれくらいにしておきましょう。

 「悪」と「善」とを仕分けてしまうということが、ひょっとしたら、「物語」のいちばん最初の機能かもしれない。これはもちろん人間の本質に関わってもいて、まだ人類が十分に社会化されず、小~中規模のグループに分かれて狩猟採取で暮らしていた頃には、「敵」としての「悪」と「味方」としての「善」とを見極めることが文字どおり生死に直結しただろう。「あいつら」と「おれたち」との二項対立。たぶん神話の起源もこのへんにあったのではないか。多くの民族の生んだ神話の中で、もっともその二項対立を鋭く感じさせるのはユダヤ民族による旧約聖書だ。第二次世界大戦のとき、ユダヤ人たちはヒトラーのナチス・ドイツ(ゲルマン民族)によって史上最悪というべき迫害を受けたが、しかるに今日、パレスチナにおいては他の民族を迫害する側へ回っている。民族(共同体)の二項対立がもたらす最も恐るべき事例といっていいかと思う。

 ともあれ、引っ越し後の最初の記事(2014年9月16日付)から縷々述べているとおり、共同体主義の変種としてのナショナリズムはまさに「物語」であって、これに耽溺するのはつくづく危うい。ただ、ひとは「物語」なしでは物事を認識/判断/弁別/思索できない存在であり、また、何らかの共同体に属せずしては生きられぬ存在でもある。ゆえにナショナリズムとまったく無縁に生活するわけにはいかず、かくいうぼくにもナショナリストとしての側面はある。それは「旧ダウンワード・パラダイス」(引っ越しのまえにOCNでやっていたブログ。今はほかの場所に移してある)ではけっこう濃厚に出ていたと思う。しかし昨今の日本の情況を見るにつけ、当面はナショナリズムの「物語」性をしつこく指摘し、物語批判と併せてナショナリズム批判をする側に回っておかねばならないようだ。

 「在日」の問題について、文学サイドからとりあえず申し述べておくならば、戦後この方わが国には日本語で書かれた「在日文学」というジャンルがあって、芥川賞の受賞者も少なからず出ている。たんに話題性ばかりでなく、優れた作品ももちろん多い。いっぽう、日本人作家の手によって、「在日」の人との関わりが丹念に描かれた作品は意外なくらい稀少である。されど本当は、これぞ「純文学」が真っ先にやっとかなければならないことだったはずなのだ。ここに日本の戦後(文学)の大きな歪みを見て取ることもできるだろうし、今になってそれを怠ってきたツケが回ってきたともいえる。いずれにしても、まだまだ「文学は死んだ。」などと軽々しく言えるものではない。最後は妙にマジメになったな。