ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

第7回・中沢けい「入江を越えて」その③

2016-03-28 | 戦後短篇小説再発見
 NHKのEテレで宮沢章夫がサブカル講義をするシリーズがあって、その主題に、「テレビ」だの「ロック」だの「SF」だのと並んで「女子高生」が取り上げられたことがある。このイチゼロ年代のニッポンにおいて、「女子高生」とは文化的事象として一考に値するテーマなのである。ぼくもいちど、女性作家が女子高生を主人公にして書いた小説をランダムに選んでまとめて読んだことがあるけれど、どの作品に出てくる女の子もみな当然のように(いまどきの用語だと「デフォで」とか言うのか)性体験をもってるもんだから、思わず「ケシカラヌッ」と叫んで東海林さだお風に机を「ドンッ」と叩いてしまったのだった。こういう問題にかんしてワタシはたいそう保守的である。さすがに「貞操観念」なんて古色蒼然たる単語を持ち出すつもりはないが、男女を問わず、学生の本分は勉強です!
 冗談はさておき、近ごろの女性作家が描く「当世女子高生事情」がどのていど現状を反映してるのかはわからないけれど、今の10代はぼくなどの及びもつかぬくらいに性的な意識が「ひらけてる」ことは間違いあるまい。「蛇にピアス」はいわばその極値であろう。あそこまで開けちゃあさすがにやばいと思いますがね。ともあれ、そう考えると、けして10代の性を主題にしていたわけではないが山田詠美の存在はやっぱり大きくて、バブル直前の1985年、「ベッドタイムアイズ」をひっさげての「山田詠美登場 以前/以後」でニッポンの女性の表現史を区切る、という見方もアリかもしれない。
 「入江を越えて」が発表された1983年は、「海を感じる時」の5年後にして、「ベッドタイムアイズ」の2年前でもある。


 風があるわけでもないのに、空気の中には埃が混じっている。乾いた土が、人の動き、車の動きで、細かい粒となって舞い上がっていた。上りホームで電車を待つ人々のほとんどは、都会へと帰る海水浴客だ。彼らの持つ鮮やかなビーチバッグは、昼過ぎの陽射しにしなだれた夏の花のように見えた。塚田苑枝の乗っている電車は、上り電車が到着すると同時に発車する予定の下りだった。


 冒頭の一節である。「海を感じる時」と違って、一人称の語りではなく三人称の形をとるが、物事はすべてこの「塚田苑枝」の視点から綴られ、ほかの登場人物の視界なり内面へと移ることはない。三人称形式の中でももっともシンプルな手法で、このばあい、「塚田苑枝」のことを「視点的人物」とよぶ。ただ、中沢さんの小説にかぎっては、「視点」という表現が適切かどうか。
 「風があるわけでもないのに、空気の中には埃が混じっている。」は視覚描写なんだろうけど、「埃っぽい」というのは皮膚にまつわってくる感覚だから、触覚描写でもあるわけだ。ぼくは敏感肌なもんで、そのへんがよくわかるのである。
 この「戦後短篇小説再発見」シリーズには、巻末に編者の手になる「著者紹介」が附されているが、中沢けいのところにはこう書かれている。「生の充実を求める現代女性の生態、男と女の関係を自然体の瑞々しい生理感覚で描く。」
 そう。瑞々しい。キーワードはまさしくそれだ。中沢さんの文章は、ほんとに瑞々しいのである。「自然体」とは、いわゆる文学少女、文学青年にありがちな気取った比喩や観念的な言い回し、というものが見られないという意味で、それも中沢文学の特徴にはちがいないけれど、そのことも含めて、「瑞々しさ」こそがこの作家のいちばんの麗質なのである。
 それこそ皮膚感覚でいうのだが、女性の文章ってのは概して男性のそれよりしっとりしている。濃やかでもある。小説ってのは学術論文でも社説でもないので、しっとりして濃やかな文体で書かれることが望ましい。だから♂であっても優れた小説家はみなフェミニンな資質をもっている。あの中上健次ですらそうだった。小説という極めて特殊なエクリチュールにおいて、性差の壁はしばしば溶融されるのだ。
 じつをいうと、主題の選び方、そして物語のつくり、すなわちストーリーテリングや登場人物の絡ませ方において、中沢けいはけして豊かなほうではない。それらの点でこの人をしのぐ作家はたくさんいる。だからぼくたちは、たとえば宮部みゆきを楽しむようには、中沢けいを楽しむわけにいかない(この二人はほぼ同い年である)。
 中沢けいの魅力は、そういったものとは別のところにある。お話の内容ではなく、文体そのものが魅力的なのだ。文章のひとつずつが、しっとりしていて濃やかで、官能に満ちてスリリングなのだ。
 「海を感じる時」ののち、10代のおわりから20代半ばにかけて、中沢けいは年に一作から二作くらいのペースで「群像」誌上に短篇の発表をつづけた。『海を感じる時』『野ぶどうを摘む』『ひとりでいるよ一羽の鳥が』までが文庫化された。いずれも短編集である。「入江を越えて」は『ひとりでいるよ一羽の鳥が』のラストに収録されている。
 その2冊目の作品集『野ぶどうを摘む』の解説で、川村二郎は初期の中沢文学をこう要約する。


 中心にはいつも一人の少女がいる。父を早くなくし、母と弟と三人でくらしていたが、性的に成熟するにつれて、失った父への思慕や未知の生の領分への好奇心の複合した、漠然たる衝動に促されて、高校の上級生の少年に接近する。世間の良識を代弁する母はもちろんそのような少年少女の交渉を頭から認めようとしないから、母と娘とのあいだには息苦しい緊張が生ずる。それ以前から潜在していた緊張が、この事件をきっかけにして一気にあらわにされたのだといってもよい。(…………)

 やや趣を異にするものもあるけれど、上記の3冊を見るかぎり、どの短篇もおおむねそんなところである。それは作者の実体験を反映しているのかもしれないが、ぼくはそういう伝記的な批評が好きではないので深入りはしない。ただ、中沢さんの作品が、いうところの「私小説」を思わせる構造をもっているのは事実だ。
 「中沢けいは、タイプこそ違うが倉橋由美子、金井美恵子に勝るとも劣らぬ才能の持ち主」と前々回にぼくは述べたが、この意見はおそらく評論家(文芸評論家なんて職業がいまだに成立してるんだかどうかぼくはよく知らぬが)や編集者といったプロの人たちからは受け入れられないかもしれない。「それはどうだろう」と首を傾げられるかもしれない。中沢けいの作風は、昔ながらの「私小説」の伝統を継ぐものだから、ヌーヴォーロマンの旗手であった倉橋・金井のお二人に比べて、(年齢はずっと下なのに)その作品はたしかに古風にみえる。
 いま俎上に乗せている「入江を越えて」にしても(いや……あまり俎上に乗せてないけど……)、要するに、ひとりの女子高生の夏の初体験を描いた短篇であって、題材としてはアマチュアにだって書けるだろう。しかし、その出来事を綴る文体の圧倒的な瑞々しさが、まぎれもなくこれを、ひとつの「作品」へと昇華しているのだ。
 「純文学の生命は文体なり」という文学観をもつぼくが、大方の玄人筋の評価以上に、中沢文学を高く買う理由はそれだ。


第7回・中沢けい「入江を越えて」その②

2016-03-24 | 戦後短篇小説再発見
 ティーンエイジでの受賞が強烈だったので、つい綿矢りさにばかり言及してしまうが、思えば同時受賞の金原ひとみもまだ当時は20歳で、二人して丸山健二の記録を抜いたんだった。「蹴りたい背中」は性的な要素をさっぱりと排した作品だったが、「蛇にピアス」のほうは、もう思いっきりセックス&バイオレンス&すっげえイタそうな身体改造。の世界で、「時代とともに爛熟していく性意識」てなことを言うのであれば、まっさきに事例(というか症例と呼びたい気もするが)として参照すべき作品であろう。
 ただ、映画版で吉高由里子が演じたヒロインの19歳女子はたいへん開けたセックスライフを送ってらっしゃるが、作中ではその手の行為がねちねちと描写されるわけではなく、さらりと小粋に流してあるので、彼女の壊れっぷりはよく伝わる一方、いやらしい感じはしない。文体は抑制がきいて的確、しゃれたユーモアも交えてある。余計なことは書き込まず、主要キャラをきっちり3人に絞った構成もいい。リアリズムの見地からみるならば、ぼくにとってこの小説に描かれた世界は1500万光年くらい遠い彼方のできごとであり、1ミリたりとも近づきたくないが、虚心にひとつの作品としてみたばあい、優れたものであるのは認めざるをえない。
 この「蛇にピアス」のヒロインの姓が、「海を感じる時」のヒロインおよび作者とおなじく「中沢」なのである。中沢けいが18歳で書いたあの処女作(ところでこの「処女作」って言い方、フェミニズム的にはどうなんだろう?)の語り手・兼・ヒロインの名は「中沢恵美子」で、この折衷ぐあいが作者とヒロインとの微妙な距離感をあらわしていた。「蛇にピアス」のほうは「中沢ルイ」である。
 1978年における「海を感じる時」の登場が吉行淳之介の評のとおり「文学上の事件」であったなら、2003年に「蛇にピアス」を書いた金原さんは、あとになってそのことを知り(なにしろ当時はまだ生まれてもいなかったもんね)、いくぶんかはそれを意識したのだろうか。それともたんなる偶然か。だけどもし偶然だとしても、そこには当事者の意図を超えた「文学史的必然」みたいなものが働いてるんじゃないか、とぼく個人は夢想する。文学の神サマによるちょっとした悪戯とでもいいましょうか。
 文学史の射程をできるだけ広く取るならば、「蛇にピアス」にぼくはまずボードレール、ついでジャン・ジュネの匂いを嗅ぎつけたけれど、もっと狭いスパンでいえば、「海を感じる時」と「蛇にピアス」とのあいだ(きっかり4半世紀)には山田詠美をはじめとするたくさんの女性の表現者がいる。それは必ずしも小説家とは限らぬだろうし、ぼくが名前を知らないひともいるだろう。それだけの蓄積を経て、ゼロ年代初頭、ついに「そっち系」の小説が芥川賞を得るまでになったかと思えば、このかんの文化史やら社会構造の変化やらの一端がうかがえて面白い。
 ただ、芸術ってものはwindowsと違って毎年更新されていくものではない。過去のものだから劣っている、とはいえない。「蹴りたい背中」「蛇にピアス」と、「海を感じる時」あるいはこの「入江を越えて」とを読み比べたならば、ほとんどの読者は「やっぱ古くさいネ」と感じるのかもしれないが、ぼく個人は中沢さんの作品のほうに、とりわけその文体にずっと豊かな可能性を感じるのだ。今回はいつもとは趣向をかえて、そのことを中心に述べていきたい。前回の末尾で「私的で我流のものになる」とお断りしたのはそれゆえである。
 いつにもまして前置きが長くなった。最初にざっくり明かしてしまうと、「入江を越えて」はひとりの女子高生の夏の初体験を描いた短篇である。舞台は「鴨川駅からバスで一時間ほど、房総丘陵の中央部に入ったところにあるキャンプ場」で、「入江」というのはそこに向かう際に彼女が電車で越えていく湾のことなのだけれど、このタイトルが「一線を越える」という慣用句を裏にひそめているのはどなたにもおわかりいただけるであろう。発表は1983年。「海を感じる時」から5年後だ。


第7回・中沢けい「入江を越えて」その①

2016-03-23 | 戦後短篇小説再発見
 「戦後短篇小説再発見1 青春の光と影」、7人目にしてようやく女性作家が初登場である。そしてまた、あの「新潮現代文学」全80巻に収録されておらず(つまり昭和50年代の時点で文壇の主流メンバーに入っておらず)、なおかつ芥川賞を授与されていない作家の初登場でもある。
 中沢けい。昭和34(1959)年生。1978年に「海を感じる時」で群像新人賞を取って18歳で鮮烈にデビュー。「新潮現代文学」に収録されてないのも当然で、この人はそのあとに出てきた世代、いわば「文壇」がちょうど崩壊を始めた頃の世代といえる。同じ群像新人賞出身の作家としては、1976年の村上龍と1979年の村上春樹とにぴったり挟まれているのも今日から見れば面白い。べつにご本人は面白くもなんともなかろうが。
 前回の「バス停」は母娘ものだったけど、あのときにも述べたとおり、われわれオトコには母娘関係の難しさってものはわからない。「海を感じる時」はたまたま「バス停」の翌年に発表されたものだが、その関係性のドロドロぶりは、とても「バス停」の比じゃあない。「バス停」の母親は不器用ながらも切々と娘を見守っている按配だったが、「海を感じる時」の母娘関係はもう「愛憎渦巻く」としか言いようがない。娘に対する母、母に対する娘のなかに、愛と憎しみとが、ともども渦巻いているのである。語り手(主人公)である女子高生の性体験談よりも、ぼくなんかむしろそっちのほうが印象に残っている。
 「海を感じる時」については、当時「群像」の選考委員だった大御所・吉行淳之介が「18歳の作者が、感傷に流されず、背伸びもせず、冷静に対象を眺める力をもっているのは、その年齢とおもい合わせると、大したことなのである。また、その少女の描く18歳の子宮感覚は、清潔で新鮮であり、そういう表現が作品に登場したということは文学上の事件といえる」と評した。これは今でも語り草である。「子宮感覚」という表現は、フェミニズムが浸透した今日の感覚ではやや耳ざわりに響くやも知れぬが、「女性ならではの生理的な感覚」といったほどの意味で、いかにも吉行さんが好みそうな言い回しだ。それにしても「清潔で新鮮」とはさすがに的確な評である。爛れた男女関係を描いてるはずなのに、ちっとも汚い感じがしない。
 そうはいっても、女子高生のセックスについて物おじせずに踏み込んでいった小説として、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』ほどではなかったにせよ、スキャンダラスでセンセーショナルな文学という扱いを受けた。本もけっこう売れたはずだ。どういう事情かは知らないのだが、2014年になんだか唐突な感じで映画化もされた。それはこの作品が今もなお魅力を失っていないことのあらわれではあろう。
 ところが、このたび調べてみて驚いたのだが、「海を感じる時」は芥川賞の候補になっていなかった。中沢さんが芥川賞を取ってないのは知っていたが、候補にすらなっていないとはまったく意想外だった。このデビュー作だけでなく、そのあとに発表したいくつかの秀作(「入江を越えて」をふくむ)も候補になっていない。話題性においては第一作に及ばぬとはいえ、文章も小説のつくりも一作ごとにぐんぐん巧くなってるのに……。ほんとにこれは意外だった。
 「芥川賞を取っていない大物作家」という話題は奥が深くて、それだけで記事が数本書けるほどだが、その筆頭は太宰治であろう。又吉直樹の受賞のさい、太田光が「ダザイ超えかよー」と叫んだのはその含意である。これはどうやら選考委員との確執によるものだったらしい。あと、三島由紀夫も取っていないが、これは三島のデビューが戦時中で、芥川賞が中断していたためだった。戦争に負けて改めて芥川賞が再開されたら、もう自分が選考委員を務めるくらいに天才・三島は偉くなってたのである。
 若くしてデビューした女性作家では、倉橋由美子(1935生)、金井美恵子(1947生)が取ってないのも有名だ。このお二人は少なくとも一度は候補にはなったと思うが……。これらの閨秀(けいしゅう)が取れなかったのは、「若い女の子」にとっての芥川賞のハードルがそれだけ高かったということである。中沢けいは金井さんよりさらに一回り下の世代になるが、その頃でも事情はさほど変わってなかった。1978年当時といえば、選考委員はオトコばっかり、それも50代から70代のおじさんないしおじいさんばかりであった。いちばん若い大江さんで40ちょっとだったと思う。だから、「娘くらいの(あるいは孫くらいの)齢の子の書くものなんて……」という気持がどこにもなかったとは思えないのだ。
 倉橋由美子、金井美恵子は日本の現代文学史にくっきりと名を刻む作家であり、中沢けいはタイプこそ違うがこの二人に勝るとも劣らぬ才能の持ち主だ、とぼく個人は思っている。当時のほかの候補作とじっくり読み比べたわけではないから、あまり大きなことは言えないが、「海を感じる時」を初めとする中沢けいの諸作が候補にもならなかったのは、芥川賞の歴史における欠落の一端を示すものではなかろうか。
 それにしても、「若い女性作家と芥川賞」という話になると、どうしても綿矢りさのことを思い起こさずにはいられない。彼女の受賞作「蹴りたい背中」も、現役の女子高生を主軸に据えて描いたものだが、セックスの要素は微塵も出てこなかった。もし性意識ってものが時代とともに爛熟していくものならば、「海を感じる時」と「蹴りたい背中」とはむしろ順序が逆じゃないかと思えるのだけれど、そこがブンガクの奥の深いところというか……。ひょっとすると、若くて未熟な精神にとっては、お互いの心をじっくり育てていくよりも、「カラダの関係」をもってしまうことのほうがかえって簡単なのであろうか……。このあたり、高校時代はひたすら本を読んでいて、実体験の極度に乏しいぼくには今もってよくわからないのである。だからこれから「海を感じる時」じゃなかった、「入江を越えて」を論じるについていささか不安がなしとしないのだが、まあ順番なんでやってみましょう。ただ、ほかの作品に対する解説にもまして、私的で我流のものになっていくような気がしているが……。


第6回・丸山健二「バス停」その⑧

2016-03-22 | 戦後短篇小説再発見
 前回までのところで、じつはこの短篇は9割くらい終わっている。☆をはさんで、残るは「結」のパートのみ。ページ数にして二枚半である。
 炎天下、一人ぼっちでがたがたと震えつづける娘はどうなったのか。
 かなり迷ったのだが、ここはもう、原文をそのまま書き写させていただきたい。原著者と版元には申しわけないのだけれど、どう考えても、ぼくが余計な口を差し挟むより、そのほうがずっといいからだ。


 しかし、誰も通らなかった。あたしはまだ膝のあいだに顔を埋めるようにして、小刻みに体を震わせていた。寒く感じているのに汗がポタポタと垂れ、地面に吸いこまれたり歩いている蟻の上に落ちたりした。
 ふと顔をあげると、そこには母が立っていた。あたしはまったく気づかなかった。母はいつのまにか戻っていたのだ。そのときの母は生き生きとして見えた。あたしのほうがはるかにみじめったらしく、老けこんでいるように思えてならなかった。
 母は無表情のまま、立ち上がったあたしが体についた砂を手で払ったりハンドバッグを持ち直したりするのをじっと見つめていた。
 母の右手がするすると伸びてきたかと思うと、あたしの顔が柔らかい布切れで覆われた。母はハンカチの代りにいつも持っているタオルであたしの汗を拭いてくれようとしたのだ。汗だけではなく、鼻までかんでくれようとした。
 あたしの震えはぴたりととまった。あたしは化粧が台なしになるのを心配して「もう、いい」と言った。母はタオルを大切そうにふところへしまいこんだ。



 震えがぴたりと止まったのは、もちろん、彼女がふたたび世界との繋がりを取り戻したからである。人間ってのはえらいもんで、全世界から見放されたように感じていても、たった一人の相手に承認されることで回復できる時がある(むろん、できない場合も多々あるが)。それにつけてもこのシーン、黙劇を見ているようで大好きだ。映画で観てみたい気もするが、その際は、台詞はもとより音楽さえ入れずになるべく静謐に撮りたいところだ。夏の盛りとて、蝉の声くらいはバックに入るのかもしれないが。


 もしそこへバスが来てくれなかったら、あたしはその不思議な時間をどうやって潰していいのかわからなかったろう。バスは予定より十五分も遅れて、暗い谷間から現れた。


 嬉しいんだか気まずいんだか照れくさいんだか甘酸っぱいんだかわからない。実際それは不思議な時間と呼ぶよりほかにないのかもしれない。母は懸命に手を振って運転手に合図を送る。ふたりの居るのが、バス停から少し離れた場所だからだ。エンジンの熱気が押し寄せ、タイヤが地面をこする。娘が荷物を持って乗り込むさい、母は運転手に何度も頭を下げる。それは「この子を頼む」という意味の、昔からの癖なのだった。娘がまだ子どもで、バスで町の歯医者に通っていたころ、母はそうやって彼女をバスに乗せていたのだ。
 ぼくが連載の「その⑤」で述べた、「十何年も前」の「まだ若かった頃の母の姿」とは、そのことだったのである。あの記述はこの伏線として敷かれていた。言い換えれば、「バス停」という特別な場所を契機として、娘はあのとき、いつも自分をそこまで送ってくれ、そうやってバスに乗せてくれていた母の姿を思い起こしていたわけだ。もちろん、それに伴って彼女のなかには、母にまつわる子ども時分からの思い出が一斉にどっと湧き上がっていたに違いない。そこまで想像を巡らせねば、小説を読んだことにはなりません。
 ほかに乗客はなく、バスは彼女が腰を下ろすとすぐ発車する。たぶんこれ、お袋さんが合図しなかったら徐行もせずに行き過ぎてたんだろうねえ。母はこちらに向かって大きく手を振る。むかしのままだ。娘もまた、ちょっとだけ手を振る。これもむかしのままである。違っていたのはそのあとだ。彼女はバッグから大急ぎで財布を取り出し、札を一枚抜き取って、窓の外へと放る。それは土埃といっしょに母のほうへと流れていく。
 しかし、彼女はそのあとのことを見届けない。前を向き、二度と後ろを振り返らない。だから気づいた母が慌てふためいてそれを拾ったのか、気づかぬままにまだこちらに向かって手を振り続けているのか、それは彼女にも、そしてまたわれわれ読者にもわからない。
 いったん追っ払われた母親が、もういちど娘のところに戻ってきたのは、いうまでもなくおカネが欲しかったからではない。あきらかに様子のおかしかった娘のことが心配で、どうしてもそのままにしておけなかったから戻ったのである。それは文字どおり「無償の行為」であった。娘にもそのことはわかっている。感謝もしている。ただ、彼女はその気持を「おカネ」という媒体を使ってしか表すことができない。これはいかにも切なくもあるし、一面、ひどくリアルだともいえる。
 母が戻ってきてくれたとき、「ありがとう。助かったよ」と口にしていればそりゃコミュニケーションとしては上出来だけれど、それでは嘘臭くなってしまう。この小説の成り立ちとしても嘘くさくなるし、ぼくたちの生きるこの現実に当てはめてみてもやっぱり嘘くさい。そう簡単に素直になれたら、揉め事なんて起らない。
 娘が窓から投げたお札を母は慌てふためいて拾ったのか、それとも気づかずに手を振り続けたのか、まるでカードを伏せるようにして、それを読者に明らかにしないラストは作者の含羞のあらわれとも思える。絵柄としては、とうぜん、気づかずに手を振り続けてるほうがきれいだろう。慌てて札に飛びついてたら、せっかくの美談が台なしだけど、とはいえ実際にはそれだって十分ありそうである。なにも欲の皮が突っ張って浅ましく拾いに行くというのではなしに、目の前に札が飛んできたら、誰だって反射的に体が動いてしまうはずだから。ゆえにここは、こう書いておくところだろう。
 バスの中は涼しい。陽光は遮られているし、窓からの風もある。娘はさっき母がふれた自分の鼻に手をやってみる。形を変えるためにさしこんであるプラスチックのために、その先端はひんやりしている。娘はすっかり元気を取り戻し、あらためて、冷えたビールに思いを馳せる。
 すがすがしいハッピーエンド、という感じではないが、けして暗鬱な作品とはいえまい。このたびの帰郷で娘は最後にひとつ貴重なものを得たわけだし、それで何かが、ほんの少しだけれど何かが彼女の中で変わったと思う。とはいえ、だからといって都会での彼女の暮らしが楽になるわけでは勿論ない(むしろ悪い予感しかしない)。そういう点ではまことに苦い短篇で、丸山健二とは昔も今もそういう作品を書くひとである。


第6回・丸山健二「バス停」その⑦

2016-03-18 | 戦後短篇小説再発見
 この「バス停」が娘と母との関係を描いた作品であるのは間違いのないところだが、これを書いた丸山健二はご存知のとおりオトコである。そして、これを論じているぼくもまた、ご存知かどうかはわからぬが、いちおうオトコってことになっている。だから「母娘関係」というものを内在的に(おっ、難しい言葉が出たな)理解できてるわけではない。いうならば、外側からみているだけなのだ。じっさいに娘として、母として、さらにはその両方の立場で人生を送っておられる方々からすれば、「なんかちょっと違うね」と思われるところもあるかもしれない。あるいは、「いやけっこうよく描けてる」と思われるかもしれない。そこのところはわからない。まあ個人差もあるだろうし。
 精神分析学の祖であるフロイトが熱心に取り組んだのは「父と息子」の関係であって、その理論は19世紀末のウィーンにおいて練り上げられた。それから百年あまりが過ぎ、世界のどこかで、どなたか女性の俊英が「母と娘」の関係を基底に据えた精神分析学を打ち立ててもよかったように思うのだが、「これぞ」というほどのものはまだないようである。まるっきり皆無ではないのだが、ぼくのような素人でも使えるくらい汎用性の高い理論はないようだ。だから母娘関係というテーマについて掘り下げたいなら、きっちりした学問体系を求めるより、それこそ小説や詩の形式で女性の作家(ないし詩人)が取り扱っている事例を集めるほうが有益なようである。
 卑近なところでは、川上未映子の「乳と卵」(芥川賞受賞作)はそうとう面白かった。あと、こちらはベテラン作家だが、富岡多恵子の「動物の葬禮」という短編もちょいと凄かった。他にももちろん色々ある。思うに、むしろこのテーマに関しては、日本でも海外でも、これからどんどん大変な作品が出てくるのかもしれない。広大な鉱脈がまだ眠っているのかもしれない。
 さて。怒鳴り散らして母を追い返し、炎天下の田舎道、娘はたった一人になった。

 バスは来てくれなかった。時間になってもあたりはしんと静まり返っていた。動くものは何ひとつなかった。ここのバスが遅れることなど当たり前だったが、遂にあたしは癇癪を起してしまった。

 「遂にあたしは癇癪を起してしまった。」と丸山さんは書くのだが、遂にもなにも、ここまででも十分、彼女の態度は「癇癪」という表現に当てはまると思う。でもそれは些細なことで、たんなる揚げ足取りである。先に進もう。遂に癇癪を起した彼女は、ハンドバッグを頭の上で振り回す。


 ハンドバッグをぶんぶん振りまわして、あたしは二人の女に襲いかかった。髪を振り乱し、甲高い声でわめき、閉めたばかりのお店の中でふたりを追いかけまわした。誰もが面白がって、あたしをとめようとしなかった。ひとりの女は方言を真似てあたしをからかったのだ。そしてもうひとりの女はこう言った。その顔でよくこの商売がやれるもんだ、と。


 「ハンドバッグを振り回す」という動作を仲立ちとして、過去の記憶がフラッシュバックする。映画やドラマやアニメなど、映像表現でよく使われる手法である。シネフリーク、ドラマ好き、アニメファンなら三つや四つの事例はたちまち思い浮かぶのではないか。ぼくは残念ながらすぐには出てこない。……いや、似たような手法で、主役の女の子が手に持ったバスケットボールが、夜空に浮かぶ月のイメージに重なるってのがあったな。「ゴダールのマリア」だ。あの時の「月」はまた女性の象徴でもあり、それが彼女の処女懐胎を示唆している……という手の込んだイメージ操作だった。このように、いくらでも多層的に意味を重ねることができるので、とても有効な手法なのだが、小説のなかでこれほど巧みに使われている例を見るのは、じつはそんなに多くない。
 ここで召喚された記憶が、都会における彼女の生存競争の厳しさの説明になっていることはいうまでもない。それで彼女は訛りを直し、おカネをかけて顔もいじった。それでもお客の少ない日には誰もが苛立ち、仲間の女たちとの揉め事はしょっちゅうで、そのたびにあたしはハンドバッグを振りまわした、とさらに彼女の回想はつづく。
 むやみに振り回したものだから、ハンドバッグの留め金が外れ、化粧道具がこぼれ落ち、そればかりか財布の中身が宙に舞う。これは回想の中の話ではなく、いま現在の出来事である。一大事だ。さいわい風はなく、札はまわりに散らばっただけだが、それでも彼女は焦りに焦り、這いつくばって拾い集めた。何度も何度も数え直すが、どうしても一枚足りない。草むらのあちこちをかきわけ、半狂乱になって探し続ける。そしてようやく、ついさっき母にあげたことを思い出す。


 お金を財布にしまいこみ、財布をハンドバッグの底へ入れ、ハンドバッグをしっかりと抱きしめた。赤ん坊でも抱くようにして胸にぎゅっと抱きしめた。


 この「赤ん坊でも抱くようにして胸にぎゅっと抱きしめた」という表現がたんなる常套句ではなくて、それ相応の重さをもっていることは、ここまで今回の連載を読んで下さっている方には重々おわかりであろう。「母と娘」というモティーフが反復されているのである。そしてもちろん、彼女にとっておカネがこれほど大事なのは、この世界においてほかに何ひとつ、というか、だれひとり、頼れるものがいないからだ。それゆえに、ここで彼女が母のことに思いを致すのは当然ともいえる。


 家に向って歩いていく母の姿をあたしは想像した。想いたくもないのに想った。追いかけて行きたくなった。追いかけてまた小遣いをあげたくなった。近いうちにまた来るからと約束して、札を一枚ふところへねじこんでやらなければ気がすまなかった。


 母にひどい仕打ちをしたと思って、反省してるわけだけど、どうしても「おカネ」という発想から逃れられない娘さんなのである。バスは一向に来る様子がない。暗い谷間から涼しい風が押し寄せて、からだのなかを吹き過ぎていく。それでも暑さに変わりはない。しかし、やがて彼女はがたがたと震えはじめる。


 あたしは震えていた。まるで首振り人形みたいにのべつ頭を回して辺りを見た。


 だが、ここにいるのはあたしひとりだった。無視してくれる者さえいなかった。


 あたしは震えつづけた。病気でもないのに、夏の真っ盛りだというのに、ひどく寒く感じられた。体全体の力が脱(ぬ)けてしまい、苛立つ元気もなくなり、太陽に負けてぼんやりとしていた。日射病にやられたのではないかと思ったくらいだった。

 日射病(この用語はこのあと「熱射病」から「熱中症」へと変遷した)ではなく、たぶん軽いパニック障害みたいな状態だろうけど、彼女にとって、こういう感じは久しぶりだけど初めてではなかった。村を離れて都会に出て行ったとき、ちょうどこんな感じだったというのである。木造アパートの隅っこで、あるいは終電車の中で、よく震えたり泣いたりした。デパートの売り子をやってた頃は、周囲にある何もかもが恐ろしく、冷たく、空々しかった。
 しかし、それはみな以前のことだ。デパートを辞め、その手の店で働くようになり、そこで生き抜いてきた自分は、もう十分な自信を身につけたはずなのだ。それがどうして、こんなところで震えていなければならないのか……。
 語り手である20歳の娘さんにはわからないことでも、読み手であるいい齢のオヤジさんには(オレのことね)よくわかる。それは故郷に帰って懐かしい顔ぶれと再会しながらも、しかし誰とも心が繋がっていないことに気がついてしまったから、さらには両親、とりわけ母親との繋がりまでも、自らの手で断ち切ってしまったからだ。
 もしかすると、これまでは心のどこかに「最後の逃げ場所」としての故郷のおもかげがひそんでいたのかもしれない。しかし彼女は、今回の帰郷ですっかりそれを潰してしまった。いうならば自分から故郷を捨てた。だからそんなに寂しいのだ。「寂しい」というベタな単語は、さすが丸山さんは間違っても使っちゃいないけれども。
 とうとう娘は、さっきの男がもういちど現れないだろうか、とさえ思う。あのクルマがまた目の前を通ったら、あたしは手をあげてとめるだろう。そして、男が何も言わないうちに、こちらからさっさと助手席に乗り込むだろう……。
 あれほど警戒し、嫌ってもいた相手のクルマに身を委ねるというんだから、孤独もここに極まれり、というべきであろう。




第6回・丸山健二「バス停」その⑥

2016-03-17 | 戦後短篇小説再発見
 この短篇は☆をはさんでぜんぶで4つのパートに分かれており、ふつうこれは起・承・転・結ってことになるわけだけど、そうなると、例のおっさんがクルマで通りかかってしばらく居座るくだりが「承」で、「承」ってぇものは「起」で語り起された話を引き継いで次に運ぶためのパートであるから、さほど大したことはない。あの男の登場がこの作品にとって本質的な「事件」ではなかったことがここからもわかる。男が去って、彼女があらためて母親と二人きりで向き合うパート、すなわち「転」に当たるこのパートこそが肝要なのだ。
 自分でも予期しなかった衝動に駆られて札を一枚わたした娘は、それを押しいただいて地下足袋の底にしまい込む母の姿を眺めるうち、神経がどんどんささくれ立ってくる。

 母はひからびていた。同じ生活を繰り返し繰り返しているうちに、冬の草のようにぐったりとなってしまっていた。あといくらも生きられないだろう。

 母はもうとっくに死んでいるのかもしれなかった。何年も前に、本人も知らないあいだに、周囲のものも気づかないうちに、死んでいたのかもしれなかった。そして今は、あたしに小遣いをもらうときだけ生き返っているのではないのか。

 しかし彼女がまだ20歳なら、母親のじっさいの年齢なんてせいぜい50前じゃないのか。よほど晩婚だったのか、もしくはこの時代(たぶん昭和50年くらい)、この村の平均寿命が今よりずっと短かったのか。いずれにしても、いかに外見が老け込んでいたにせよ、「あといくらも生きられない」とは穏やかでない。これはつまり、生き馬の目を抜く都会で揉みくちゃにされている娘が、村人たちのスローライフぶりに勝手に腹を立てているってことだ。単調な日々の繰り返しを黙々と生きるライフスタイルが、まるで覇気のないものだと彼女の目には映っている。そのムシャクシャが、目の前にいる母に向かっているわけだ。


 暗い谷からの涼しい風がぱったりと途絶えた。あたしの体はまた汗にまみれた。蒸気のなかで二年も働いてきたのだから、汗には慣れているはずだった。だが、まともに太陽に照りつけられるのは我慢できなかった。


 暑熱が募っていよいよ娘のボルテージが上がると共に、彼女が都会でその手の店に勤めていることが示唆される。いま「ソープランド」と称されているその手の店は、作中には明記されていないが、当時は「トルコ風呂」と呼ばれていた。たしか80年代半ば、トルコ人の方からの苦情を受けて改称したと記憶している。ぼくはそのような神聖な場所に足を運んだことはないのだけれど、花村萬月の『惜春』(講談社文庫)でその実態の一端にふれた。これは近畿にある有名なソープ街を舞台にした絶品の青春小説で、残念ながら今は版元品切れのようだが、面白いこと請け合いである。
 話を戻そう。ひとりで苛立ち、立ったり座ったり県道の向こうを眺めやったりと、フライパンで煎られる豆みたいになってる娘に対し、母はのんびりと落ち着き払っている。

 母はヨモギの上に腰をおろし、手足を縮め、さかんに眼をしばたかせて、あらぬ方を見ていた。その姿は例の桶におさめられるときの格好によく似ており、また、仔を抱きしめた母猿にもそっくりだった。
 あたしは怒鳴ってしまった。


 「例の桶(おけ)におさめられる」とは埋葬のことであり(この村は土葬らしい)、いっぽう、「仔を抱きしめた母猿」とは、幼子を慈しんで育てるイメージである。この相反するふたつのイメージを、このとき娘は母親の姿にいっぺんに見る。そして怒鳴る。(まだ到着の時刻でないことを承知しながら)バスが遅いと怒鳴り、タクシーにすればよかったと当たり散らし、時間まで家でゆっくりしていればよかったのだ、と罵る。


 そうだった。三日前に二年ぶりで母の顔を見た時から、あたしはそうしたかったのだ。こんな退屈なところで三日も過したのは、母を怒鳴りつけるきっかけをつかむためだった。父も怒鳴ってやりたかった。近所の人たちもだ。それで生きているつもりなのか、と大声で言ってやりたかった。


 目の前の母親の姿に「死」と「育児」という相反するふたつのイメージを見た直後、まるで箍(たが)が外れたように情動を暴発させるここのくだりは滅茶苦茶にうまい。ここで娘の内面に起ったことをもし詳細に記述したいなら、ラカンやら何やら、現代精神分析学の最先端の知見を総動員して、この「バス停」というテキストの五倍くらいに当たる枚数のレポートができあがるのではないか。それほどの深淵を、たったこれだけの記述の奥に潜めさせることができるのが、小説というジャンルの凄みなのだ。
 しゃがんでいる母親の周りをぐるぐる回って、彼女は怒鳴り続けるが、冷静にひとつの情景として思い描くと、そのさまはむしろ絵柄としては滑稽である。ひとことでいえば、ようするに、娘はここで母親に甘えているわけだ。「三日前に二年ぶりで母の顔を見た時から」、彼女は母親に甘えたかったのである。だけどそのやりかたがわからない。それがこんなかたちで噴出しているのだ。
 母親は、べつだん心理学に精通した学者先生ではないが、そのへんのことが何となくわかっている。理由はもちろん、母親だからである。だから素知らぬふりをして、なにも聞こえぬかのように、「あたし」を相手にしない。
 しかし、そんな母の態度を「無視された」と受け取った娘は、さらに激昂し、「子どもじゃないんだから、バスくらいひとりで乗れるわよ!」と、強引に母を追い返す。母はしばらくためらったあと、引きずるような足どりで細い坂道を下っていく。途中でも、何度となく立ち止まったり、振り返ったりしてしきりにこちらを気にしている。そのたびに娘は取り乱し、わけのわからないことを叫んだり、足元の小石を蹴飛ばしたりする。そうとうなご乱心である。



 母の姿が土手の下へ隠れたときにでもバスが来てくれたら都合がよかったのだ。そうすればあたしはせいせいした気分で、冷えた缶ビールからふたたび始まる生活へと戻って行けただろう。


 実際それはそうかもしれない。このまま母と別れていたら、娘は自分がどれほど母親を求めていたか気づかぬままに、そのまま忘れてしまったかもしれない。そして、ひょっとしたらこの次に郷里に戻るのは、それこそ母親の葬儀の際であったかもしれない。ひととひととの関係ってものには、たしかにそんなところがある。ひょんな偶然に左右される。思ってる以上に儚いものだ。
 しかし、幸か不幸か、バスはまだ来ない。


第6回・丸山健二「バス停」その⑤

2016-03-11 | 戦後短篇小説再発見
 これまで紹介した作品のうち、小川国夫の「相良油田」が浩と上林先生とのお話であり、ミシマの「雨のなかの噴水」が明男と雅子とのお話である、ということは誰の目にも見やすいと思うが、太宰の「眉山」が眉山こと女給のトシちゃんと「僕」とのお話であり、大江の「後退青年研究所」がミスター・ゴルソンと「僕」とのお話である、ということは、さっと一読しただけでは気づきにくいのではないか。
 どちらの短篇も、けっこうごちゃごちゃ人物が入り乱れているし、エピソードもあれこれ書き込まれてるから、ちょっと見には群像劇みたいに思えるけれど、作品の核を成しているのはあくまでも二人の主役の関係性なのだ。「眉山」のばあいはそれが「インテリ(知識人)」と「庶民」との対比となり、「後退青年研究所」は「アメリカ」と「日本」との対比になっているところが肝である。
 短篇ってぇものは紙幅がかぎられているからして、本当の意味での群像劇はやれない(やれないことはないのだが、ほぼ確実に前衛的/実験的な作品になる)。人間どうしの関係の最小単位である「二人」を舞台の真中に据えて、その他の登場人物を彼らの周りに配置する。中心となるのは、あくまでも主役ふたりの心のもつれや、かかわり合いの深まり(ないしは、すれ違い)なのだ。
 ついでにいうと、もし「二人」の「関係性」すら描かれず、どこまでも主人公(語り手/視点的人物)の内面の劇として作品が終始するならば、たとえ小説のかたちで書かれてはいても、本来それは「散文詩」と呼ばれるべきだろう。「檸檬」をはじめとする梶井基次郎のあの幾つかの美しい短篇のように。あるいは、ヘミングウェイの「ニック・アダムスもの」の数編のように。
 そんなワケで(きっこの真似)、「バス停」は、娘たる「あたし」と、その母親とのお話である。
 男がクルマで走り去ったあと、炎天下の田舎道、ふたたび母と娘ふたりきりの時間が帰ってくる。いくらか落ち着いてふだんの様子に戻った母は、何か喋りたそうに娘のほうをちらちら見るが、結局はひとことも発しない。タバコのことで意見をしたいのだろう、あの男が行ってしまったのも、あたしがタバコなんぞをふかしたせいだと言いたいんだろう、と忖度しつつ、なおも娘は、居直ったかのようにぷかぷか紫煙を吐き続ける。

「お小遣いあげようか?」とあたしは突然訊いた。そんなことを言うつもりはまったくなかったのに、舌が勝手に動いてしまった。「父さんに内緒であげようか?」

 まさしく「突然」に挿入されるこのセンテンスはほんとに巧くて、さすが長年にわたって芥川賞の最年少記録を保持していた人だなあと思う。たしかに人間の言動ってのはこういうもので、何から何まで考えたうえで喋ったりアクションを起こしたりするものではない。たとえばこれが、

「お小遣いあげようか?」とあたしは訊いた。どうにかして、この気まずい空気を追い払いたかったのだ。「父さんに内緒であげようか?」

 だったら台無しになってしまうのである。語り手の心の動きをべたべたと描写が追っかける感じで、理に落ち過ぎている。これではキャラが死んでしまうのだ。語り手の「あたし」は、どだいインテリなどとは程遠く、自らの内面をきちんと掌握して言語化できるタイプではないし、何といってもまだ20歳だし、何よりも、いま自分が置かれている状況に少なからず混乱しているのである。慢性的な情緒不安定と言ってもいい。そんな彼女のありようを描出するうえで、丸山さんの書き方は圧倒的に正しいのである。
 そして、彼女のこの不安定さ、おおげさにいうなら「存在論的不安による実存の揺動」とでもいうべきものは、この後いよいよ高じていき、それこそがこの作品における後半部分の主旋律というか、最大の見どころになっていく。
 札を一枚もらった母親は、またいくらか元気になり、それを思案深げにしばらくじっと見つめたあとで、地下足袋の底に押し込む。原作ではここでまた☆が入って一行あき、次の段落へと移る。


 急に母を見ていられなくなった。そのときになってあたしは初めて母の老けこみに気がついた。同時に、まだ若かった頃の母の姿をはっきりと思い出した。たしかにあれから十何年も経っていた。

 次の段落に入って、最初の部分がこれだ。連載の③で述べたとおり、ここまで彼女は「カネで買える」関係性にほとほと嫌気がさしている。だからこの場面で母親に向ける目が辛辣になり、苛立ちを覚えるのは自然である。それにしても、「まだ若かった頃の母の姿をはっきりと思い出した。たしかにあれから十何年も経っていた。」とは、いったい何のことであろうか。そりゃ十何年前と比べたら誰だって相当齢をくってるわけで、これでは母親が気の毒なようだが、それにしたって彼女が都会に出て行ったのは2年前のはずだ。どうしてここで、2年前ではなしに、十何年も前の記憶が出てくるのか。
 そのことは、じつはここだけ読んでもわからない。8ページもあと、ラスト近くで、バスが(予定より15分遅れて)やってきた時にようやくわかる仕掛けになっている。つまり、ずいぶんと巧緻な仕掛けが施されてるわけだけど、この『戦後短篇小説再発見 1』を買って、「バス停」を読んだ方のうち、果たしてどれだけの人がその仕掛けに気がついているか、ぼくははなはだ懐疑的である。さらさらと粗筋を追って読み流しただけではぜったいにわからない。しかるに世の中の大多数の人は、おおむねそういう読み方しかしない(いやまあそれ以前に純文学を読もうって人がほとんどいないわけだけど)。プロの作家というものは、短篇ひとつ仕上げるにも、精密機械を組み立てるほどの神経を使ってるのだ。そのことを多くの読者はわかってない。これは非常に悲しいことで、ぼくがこの「戦後短篇小説再発見を読む」というシリーズをやっているのは、主にそのためなのである。



第6回・丸山健二「バス停」その④

2016-03-10 | 戦後短篇小説再発見
 お話が停滞したら新キャラを出す。古今東西、これはストーリーテリングの基本である。新たなキャラクターが登場すれば、そこに新たな人間関係が生まれ、否が応でも作品世界に変化を来たす。新キャラの出現はそれ自体がひとつの事件といっていい。
 それがエンタメ小説(直木賞系)で、しかもミステリや冒険ものであったなら、「事件」は文字どおりの事件であって、人の生死や、時には国家の存亡にさえ関わったりもするわけだが、純文学(芥川賞系)はもっぱら日常の生活を重んじるものだから、それほど大変なことにはならない。往々にして、登場人物の心にほんのわずかな漣(さざなみ)が走る、といったていどで収まってしまう。まず天下国家を揺るがすほどの事態に発展しないのは確かである。
 そんなだから純文学は面白くない、ってぇことで、まともな市場が形成されず、「火花」くらいの作品が持てはやされてしまう。「火花」はけっして悪い小説ではないが、そこまで騒ぐほどのものでもない。それもこれも、読者が成熟してないせいだ。ふだんから純文を読みなれている層が手薄いために、作品の文学的価値とは別のところで、話題性だけが独り歩きする。困ったことである。
 まあ、こんなことで困っているひとも、ぼくを含めて日本全体で数千人単位だろうとは思うが。
 ぼくみたいな少数派からすれば、大きな事件が起こらぬからこそ、登場人物たちの心の襞が濃やかに写し取られて、純文学は好ましい。もとよりすべては、文章(ことば)の力があればこそだ。


 バスではなく、おんぼろの乗用車が一台あたしたちの前を通って行った。一旦通り過ぎてからまもなく引き返してきた。運転している男は黄色いヘルメットをかぶって作業服を着ており、母とは顔見知りらしかった。ダム工事に来ているのだ、と母は言い、いい人だ、とつけ加えた。しかし、あたしはそうは思わなかった。あたしはひと目見てどんなタイプの男かわかった。


 じつに判りやすいかたちでの、新キャラ登場である。映画のワンシーンを見るようだ。連載の初回でも述べたが、この短篇はほんの少し手を加えるだけで寸劇に仕立てられるだろう。そういうふうに書かれている。最近の若手作家は、文学全集に名を連ねる古典的な大作家などより、むしろドラマや劇画やアニメ、時にはゲームやコントなんかに影響を受けて創作に携わるひとも多いかと思うが、初期の丸山健二の作品も、当時はサブカルとして一段低く見られていた映画というジャンルからの強い影響がうかがえる。
 弱冠20歳とはいえ、水商売の世界で揉まれて男ズレしている娘の目には、この男が「油断のならない、金をかけずに遊ぼうと考えている男」と映る。「勤め先のお店へ来る客のなかにも、彼のような男が何人もいた。」 もちろん、その観察はきっと的を射ているのであろう。はてさて。世の中の紳士諸君よ、他人事ではありませんぞ。
 男はまじまじと彼女を見つめ、愛想笑いを浮かべながら、町へ行くなら乗せていってやる、と誘う。こんな暑いところで、いつ来るともわからぬバスを待ってることはない、クルマならバスよりずっと速いよ、と言い、助手席のドアを開けたりする。町に行くには淋しい森をふたつも通り抜けねばならない。娘はもとより警戒して乗らない。誘いにも乗らぬしクルマにも乗らない。いっぽう、齢はくっているものの、世間知らずでお人よしの母親は、「乗せてもらえ、おまえ」としきりに勧める。若くして都会で辛酸を舐めている娘と、村落共同体のなかでのんびりと人生を送ってきた母親との違いだ。
 男のほうも(村の人々とは違って)、娘のことを一目で見抜いたらしい。「普通の女を見る眼つきではない目」で彼女を見ている。娘のほうは、「どんなひどいことでも平気でやってのける人相だ」と内心で推し量っている。これはいささか言い過ぎじゃないのとも思うが、ひとけのない場所で、年老いた無力な母親とたった二人、いかつい男と対峙している彼女からすれば、それくらいの不安はあって当然かもしれない。もともと彼女は、丸山作品に出てくるキャラの共通項として、「人間はお互いどうし狼である」というホッブス流の理念が肌に染みついているのである。
 男はクルマをバス停の脇に停めて降りてくると、彼女と母親とのあいだに腰を下ろす。下心まる出しといったところか。原作ではこのあと、5ページほどにわたってねちねちと粘る男のもようが描かれる。男はつれない彼女にとりあえず見切りをつけて、将を射んとすればまず馬からとばかりに、母親にしきりと取り入ろうとする。そしてまた母は、よせばいいのに妙に積極的になり、日ごろの無口を一変させて、見え透いた言葉でむやみに娘を売り込みにかかる。家柄から始めて、財布の中身までぺらぺら喋る。まるで見合いの席にでもいるかのようだ。娘のほうは気が気じゃない。あたしと財布と、両方いっぺんに狙われるんじゃないか、この男があの太い腕を振り回せば済んでしまうことだ、などと身構えながら考えている。
 一場の光景としてみるならこれは確かに緊迫したシーンで、これがもし直木賞系の小説だったらここからたとえば松本清張的な展開を見せてもおかしくないし、ことによったら石原慎太郎のあの悪名高き「完全な遊戯」の世界に転がり落ちていっても不思議ではないところだ。しかし、もちろん丸山健二は慎太郎よりも節度を弁えているゆえに、そういう話にはならない(まあ、ふつうはあんな話にはならない。シンタローが変なのである)。
 ネタを割ってしまって申し訳ないが、というか、それを言ったらこの「戦後短篇小説再発見を読む」というシリーズ自体が成り立たぬのだが、結論から言うと、男は何ら実力行使をせず去ってゆく。なべて世は事もなし。いかにも純文学らしく、真の「事件」は起らないのである。
 この短篇は母娘ものである。母と娘のお話なのである。男の登場とそれにまつわる顛末は、この娘と母親との関係に一石を投じ、その関係性の微妙さ、難しさを浮き立たせるためのエピソードにすぎないのだ。小川国夫の「相良油田」においては、あたかも象徴劇のごとく、上林先生と浩との道行きの情景や、その際の会話がひとつ残らず作品の本質に絡まっていて、本当に味読するためにはそれこそ全文引用しなければならず、どこを削るか悩まされたけれど、この「バス停」における男の挿話は、そこまで重要なものではない。
 いちばん肝心なのは、尻を落ち着けて動こうとしない男に対し、さながら張り合うかのように、娘がこういう態度を取る場面である。

 男はときどき横目でこっちを見たが、あたしは仏頂面をしていた。そして母が「真面目な娘でねえ」と言ったところで、あたしはハンドバッグからタバコを取り出した。両切りのタバコを爪の上にトントンとたたきつけてから唇の端にくわえ、村の男の一カ月分の収入よりも高いライターでもって火をつけた。煙を肺いっぱいに深々と吸いこんで、鼻からゆっくりと出した。

 この振る舞いに対し、母はあんぐりと口を開けて「あたし」を見るが、男の顔つきは少しも変わらない。すでに一目で彼女の素性を見て取っているのなら、それも当然であろう。ただ、母がそれきり黙りこくってしまったために、完全に話は途切れて、あたりには気まずい沈黙が訪れる。それでも男はなかなか腰を上げようとしない。とりつくしまのない彼女に手を焼いて、ひとりでそわそわしている。娘はさらに緊張を強める。
 しかし、すでに先にも述べたとおり、結局は男は何もしない。「それじゃあ、気いつけて」と間の抜けたことばを投げかけ、強烈なワキガの臭いを残して、夏の向うへと走り去っていく。舞い上がった土埃が草や稲の上に落ちて白っぽく染める。
 娘はまだ、仲間を呼びに行ったんじゃないか、あるいは、森のどこかで強引にバスを停めて乗り込んでくるつもりではないか、と警戒を怠らぬのだが、これはさすがに杞憂であろう。そこまでのワルとは思えない。むろん、彼女が母親並みのお人好しで、見るからにもう隙だらけで、かくも毅然たる態度を見せなかったら、どう転んだか解らないけれど。
 男はクルマで走り去り、あとにはふたたび、母と娘が二人きり。新聞沙汰になるような「事件」は起こらなかったけど、しかし、何もなかったわけではない。男の出現によって生じた波紋は、くっきりとお互いの心に刻まれているのである。


第6回・丸山健二「バス停」その③

2016-03-01 | 戦後短篇小説再発見
 「バス停」の裏のテーマはおカネです、と前回述べた。ならば表のテーマは何かといえば、それはもう「都会と田舎との対比」だろう。これは一読すんなり見て取れる構図で、丸山さんの他の作品にも頻出するメインテーマである。前者の華やかさに対する後者の野暮ったさ。しかし見方を変えれば、虚飾まみれの軽薄さと、地に足のついた質実さとの対比ともいえる。太田裕美の名曲「木綿のハンカチーフ」(元ネタはボブ・ディランの『スペイン革のブーツ』)なども思い起こされるところだ。むろん丸山健二の描く「田舎」はそんなに甘ったるいものではないが。
 「バス停」の語り手である娘はなぜ、せっかくの休みを費やして、郷里に顔を出す気になったのだろうか。見違えるくらい垢抜けた自分を皆に見せつけて、虚栄心を満足させたかったからか。それはもちろんあったろう。じっさい、ちやほやされて得意になっていたようだし、「故郷へ錦を飾る」とまではいかないものの、ややスター気取りのきらいもあるのだ。20歳やそこらの娘さんだから、無理からぬところはあるけれど。

 まあ愉しい休日だった。二年のあいだに覚えたどんな遊びよりも面白かった。三日間一滴の酒も口にしなかったし、タバコも人前では喫わなかったし、見ず知らずの男にむしゃぶりついたりもしなかったけれど、毎日ごろごろしていただけだけれど、いつになくいい気分だった。退屈には違いなかったが、気分は上々だった。

 とはいえやはり、懐かしさ、人恋しさがまるでなかったはずはない。いかに刺激に満ちてはいても、所詮はうわべだけの付き合いでしかない都会での人間関係から逃れて、馴染みの土地で、もっと深くて濃密なものに触れたい。そんな思いが皆無だったとは思えないのである(ただしその思いは、ほぼ無意識の底に紛れており、彼女自身はっきり自覚しているわけではないが)。ところが結果は、4日滞在の予定を1日繰り上げることになった。なぜか。


 いい加減なことばかり喋りまくる自分に愛想がつき、ついであたしが財布に手を触れただけで皆の顔つきが変ることに気づいたとき帰りたくなったのだ。都会へ帰って、同じ店で働いている女たちといっしょにお酒を呑んで、ばか騒ぎをしたくなった。

 この三日間特に不満は感じなかった。ただひとつ両親が大切な質問をしてくれなかったことが、不満といえば不満だった。誰もがあたしの仕事について詳しく訊こうとしなかった。二年前のデパートの売り子をまだつづけていると考えているのなら、よほどの世間知らずだった。また、およその察しがついていてわざと訊かないでいるとしたら、この上ないろくでなしだった。

 じっさいには、だれひとり自分の心に寄り添ってはくれなかった。だからとうぜん、自分のほうから胸をひらくこともなかった。ほんとうは彼女は、「カネでは買えないもの」を求めて帰ってきたはずなのに、結局のところ、自分がみんなの関心をほぼ「カネで買っていた」だけだと気づいて、索然としてしまったわけである。それならば、都会の仲間たちの元にいたほうがましだ。初めから割り切った関係なのだから。
 かろうじて、ただひとりの例外が母親だった。この人もまたカネに目がくらんではいるものの、それでもまだ、情愛めいたものを彼女に向かって発散してはいるのである。ひどく不器用で、たどたどしく、少なからず愚かしいやり方で……ではあるが。
 見送りに付いてきてくれた母親と共にカンカン照りの田舎道でバスを待ちながら、彼女は「土地や田畑ならともかく、財布の中身を比べあったとすれば、村の誰よりあたしが一番だ」などと考えて自己満足にふけり、「そんなあたしが、こんな所で所在なくバスを待ってるのはおかしい」と不満をつのらせる。これではまるで、2年前に都会に働きに出た時、まだ何も知らない小娘だったあの時と同じではないか。あの時は父も母も泣いたし弟も泣いた、同級生も学校の先生も、そしてあたしも本気で泣いたのだ……。
 この短篇に瑕疵(キズ)らしきものを探すとすれば、入院中の「弟」をはじめ、ここに見られる「同級生」など、同世代ないし年齢の近い世代が出てこないことだろう。ふつうなら幼なじみの一人くらいはいるだろうし、いかに相手が忙しくとも、3日間あれば一度くらいは会う時間が作れたはずである。彼女の顔を見に集まってきた(そして小遣いをもらった)ご近所さんたちのなかに、かつての「同級生」は含まれていなかったのだろうか。いずれにしても、前面に現れないのは確かだ。もし同世代の友達との交流が描かれていたら、作品のおもむきはかなり違ったものになったろう。
 まあ、そうやって作者は「現実」を少しずつ都合のいいように改編しながら「作品」をつくっていくわけで、そこに生じる「軋み」をこまめにチェックするのは大事なことだとぼくは思う。むろん、そればっかりやってたら、ただのアラ探しだけど。
 彼女は暑さと疲労でバテている。都会暮らしでカラダがなまっている、という以上に、さぞや不摂生な生活を送ってるんだろうな、と推し量っても邪推にはなるまい。いっぽう母親は、「顔と同じくらい日焼けした手で」娘のバッグを大事そうに抱え、この炎天下、草の上に腰を下ろして上機嫌である。たくさんカネをもってる娘が自慢でならず、村人が通りかからないかと心待ちにしている。
 その気持ちは娘の彼女もじつは同じで、こんなにも垢抜けた自分を、近所の人だけじゃなく、村中の人間に見せびらかしたかった、などと考えている。タクシーを呼ばず、わざわざバス停まで歩いてきたのもそのためだったのだ。しかし当ては外れて、まったく人影はない。

 暗い谷の方から吹いてくるひんやりとした風がなかったら、あたしはとっくにへたばっていただろう。
 その涼しい風だけが頼りだった。月見草の花がかすかに揺れて、草むらの奥深いところで鳴いていた虫が急に黙ると、谷川の水で冷やされた空気のかたまりがあたしを包みこむのだった。するといっぺんに汗がひいて、頭の中心まですっきりした。

 こういった自然描写のみずみずしさが丸山文学の魅力のひとつで、それは人間たちの薄汚れた情念やら、始末に負えない人事のもつれと鮮やかな対照をなすようだ。娘は暑さにうんざりして、もう母と口をきく元気もなく、さっさと村のことなど忘れて、冷房のきいた車内に乗り込み、タバコをふかし、冷えた缶ビールを喉の奥に流しこもう、てなことを考えている。都会で彼女が、あまり身持ちのよくない同世代の女性と同居(今でいうルームシェア)していることが、その呟き(内的独白)によって読者に知らされる。
 原文では、ここで☆をはさんで行があき、次の段落へと移る。物語の世界に変化が生じ、ちょっとした「事件」が起こるのである。