ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

ナマケモノの弁明

2023-11-02 | 雑(youtube/パソコン/将棋。ほか)
 ここ3、4年の当ブログは更新頻度がめっきり落ちているけれど、それと結んで、「こんな企画をやりたいと思います。」といって新カテゴリまで設けておきながら、そのまま放りっぱなしになっている事柄がまことに多い。「あらためて文学と向き合う。」がまさしくそうだ。いや、ここ3、4年のことだけではない。9年前(もうそんなになるのか!)に今は亡きocnブログからこちらに越してきた際に、「純文学って何?」と並ぶ二本柱として建てた「戦後短篇小説再発見」のシリーズも、宮本輝「暑い道」の手前でずっと足踏みしたままである。どうにもこうにも、中途半端でいけません。こうなってくると、「宇宙よりも遠い場所」の全話解説を70回にわたってやり遂げたことが逆に立派にみえてくる。あの時は、読んでくださる方々からのコメントに背中を押してもらっていたのだろう。やはりアニメやドラマの話はアクセス数も多いし、そのぶん有益なコメントも多い。もちろん、「通りすがりの捨て台詞」みたいな変なコメントも時折つくが、そういうものは申し訳ないが淡々と削除させて頂いている。
 意気込んで始めた企画が頓挫する理由は自分ではよくわかっているが、お金をもらってやっている仕事ではないし、なにもいちいち弁解することはあるまい……と思っていた。だいたい言い訳ってのは見苦しいもんだし、だいいち、弁解を書いている暇があるなら本来の記事を更新せよという話ではないか。しかし、このたび少し思うところがあって、ひとこと弁明をしておきたくなった。よかったらお暇つぶしにお付き合いのほど。
 「戦後短篇小説再発見」が中断したのは、「ブログを始めた時と比べて、純文学に対する情熱が醒めた。」せいである。あの頃のぼくは、誇張ではなく、純文学なるものを宗教のように信奉していた。ここでの「宗教」とは、「心の支え。拠り所」くらいの意味だけども。だからあの頃のぼくにとっての文学世界の中心には大江健三郎がいた(この方も先頃ついに亡くなられてしまった)。大江さんの小説を中心ないし基準線として、ぼくは文学というもの全体を観ていた。あの方の政治的な立場(ひとことでいえば「戦後民主主義」ですね)に対してはわりと早くから疑念を抱いてはいたが、そのせいで大江文学への信頼が揺らぐことはなかった。作家としての大江健三郎は、けして戦後民主主義のイデオローグではなかった。それとこれとは別なのだ。大江さんの政治的・社会的発言はつねに戦後民主主義の埒内にあったが、あの人の小説はその枠を遥かに超えていた……というか、枠そのものを破壊しかねない強度があった。ある意味で、大江文学は中上健次よりも過激とさえもいえるのである。
 いやいや。話が本筋から逸れている。大江さんの名前が出たので、ついアツくなってしまった。とにかく、「戦後短篇小説再発見」のカテゴリが中断したのは、純文学への情熱が醒めたせいだった。その理由ってのも、改めて書けばアホらしいような話で、又吉直樹氏「火花」の芥川賞受賞である。あれで、「あー、なんだ、けっきょくはぜんぶビジネスなんだー」とわかって、ティーンエイジャーの時分から数えて数十年(!?)にわたる思いが一挙に色褪せてしまった。おそらくはそのもっと以前から、純文学業界は出版文化のなかの「斜陽気味の零細産業」となっており、「芥川賞」の権威と知名度によって年に2回ほど活気づくだけのものだったのである。そのことが、又吉さんの受賞により、ぼくのなかで露わになった。
 その失望と並行して、ぼく自身も「物語」の魅力に惹かれはじめており、言葉で作られた芸術を離れて、アニメなどもあれこれ観るようになって、果ては「プリキュア」や「まどマギ」をブログで論ずるまでにもなった。
 最近は、じつはもうアニメには飽きていて、本に回帰しているのだけれど、大江さんへの敬愛は持続してはいるものの、アタマの半ばを占めているのは皆川博子さんのことである。やはり純文学より「物語」なのだ。
 といった次第で、「純文学」の優れた短篇をじっくりと時間をかけて丁寧に読み解く「戦後短篇小説再発見」のカテゴリに手を付ける気にならないわけだ。
 そういった自身の変化を受けて、より物語性の強い欧米の古典的名作の、それも短篇ではなく大長編をがんがん読んでいこうぜ!というのが新カテゴリ「あらためて文学と向き合う。」だったわけだけれども、これが当初から雑談ばかりで、何回か掛けて10冊分のリストを発表しただけで、肝心の作品をまったく論じないまま中断している。情けない。理由はふたつあるけれど、ひとつはたいそうばかばかしい。「読んでいるほうが面白くて、それについて書く気にならない。」ということである。これもまた「物語」の魅力なんだろうけど、もっぱら短編を精読することで自らの批評眼を養ってきた(というほどたいそうなものでもないが)わたくしは、長編を読むのがこんなに面白いとは思わなかったのである。ボルヘスという大作家が、「本を読むことは、本を書くことよりもずっと高尚だし面白いし愉しい。」といった意味の発言を残しているのだが、まあ確かにボルヘスは他人の書いた本を読むのに忙しくて自分は短篇小説しか書かなかったのだが、こういうセリフはボルヘスのような偉い偉いひとがいうからサマになるわけで、ぼくなどが言ったら「そりゃそうだろタコ」と言われるだけである。
 もう一つの理由は、これよりもいくらか神妙である。「あらためて文学と向き合う。」を始めたのは2022(令和4)年の初頭で、この年は初めから体調およびパソコンの調子がわるく、加えて前記の「読むほうが面白い。」という理由で遅々として進んでなかったんだけど、7月になって決定的な事件が起こった。すべてが急速に移ろっていくこのネット社会では、もうずいぶんと遠い出来事のような気さえするが、いうまでもなく、安倍元首相の遭難である。この事件により、ぼく個人も強烈なショックを受けて、毎日たくさん怒涛のように流れては消えるツイートのうち、とりわけ政治的・社会的なものを熱心に読み漁るようになった(ちなみにツイッターは、社を買収したイーロン・マスク氏の意向で「X」と名を変え、今は登録しなければ新しいツイートを読めなくなっている。こんなことは今は誰でも承知しているが、何年か経つと時系列が曖昧になるのでここに明記しておく)。
 当ブログは文学ブログではあるけれど、もともと「政治」のカテゴリも設けてはいた。とはいえ、以前のぼくは政治向きのことに関してはかなり疎くて、いろいろと矛盾は感じながらも、それこそ「戦後民主主義」的な枠組みの中でばくぜんと物事を考えていた(と思う)。
 しかるに、安倍元首相の事件いこう、「左」たると「右」たるとを問わず、往々にして激烈なものをも含む政治的・社会的なツイート群を浴びるように読み、「ああ。皆さんほんとに色々と考えてるんだな。いちどここらでおれも戦後日本についてじっくりと考えてみなきゃあいかんなあ。」と真剣に思った。そこで文学ならざる政治的な書籍をあれこれ読んだ。それで「政治・2022年7月8日以降」というカテゴリを設けて、もっぱら、ツイートやら、本やらを読んで考えた所をつらつらと書き連ねたのだった。ある意味で、興奮状態にあったのかもしれない。異常な事件が起こったのだから、それも仕方のないことかと思うが。
 しかし、ひとしきり興奮の時期が過ぎ去ってみると、「政治・2022年7月8日以降」に収めた記事はいかにも矯激すぎる気がしてきた。そのため、今のところぜんぶ非公開扱いにしている。さっき確認したら記事の数は45本あった。これをぜんぶ非公開にしているのだから、2022年度の記事の数が少ないのも当然だ。しかも、ついでに(といったらナンだけど)、もともとあった「政治/社会/経済/軍事」のカテゴリと、東京オリンピックへの違和感を綿々と述べた「反・東京五輪」のカテゴリまでも非公開にしてしまった。そこにあった記事はふたつ合わせて100本近いから、けっこうな数の記事が非公開扱いになっている。だから、現在の「ダウンワード・パラダイス」はかなり軟派で、すかすかなのだが、自分として不本意な記事を掲げておくわけにはいかないから、しょうがない。
 ともあれ、そういった次第で、「あらためて文学と向き合う。」は座礁した。ひとことでいうと、2022(令和4)年のあの日以降は、政治向きのことでアタマがいっぱいになって、ブンガクのことがすっ飛んでしまったわけです。
 さて。そしていま、「物語(ロマン)の愉楽」のカテゴリの中で始めた “「これは面白い。」と思った小説100and more パート2” が中座しているのだけれど、これについては、昨年からうちつづく体調不良のほかに、もうひとつ理由があります。それについて書くつもりで始めたんだけど、ここまでで長くなってしまったからまた次回。……てなこといって、これでまた長期中断したらシャレにならんな。



藤井聡太八冠・誕生に寄せて。あるいは、重なり合う祝福の8。

2023-10-13 | 雑(youtube/パソコン/将棋。ほか)

 



(画像は日本将棋連盟のホームページより)



 このところ体調不良で更新が滞っているのだが、月日が経つと紛れてしまうので、備忘のためにひとつだけ書き付けておきたい。
 いま藤井聡太さんの対局は、王将戦だけを除いてほとんどabemaTVが中継してくれる。日程の都合なのか、ウイークデーが多くて困るのだけれど、自分として可能なかぎり視聴してきた。それに昔と違ってプロ棋戦の譜面の入手も容易になったので、藤井さんの棋譜は非公式戦も含めてほぼすべて持っている。
 若い時分は、好きになった作家/ミュージシャンの本/CDを蒐集するのに夢中になったりもしたが、最近はそういう情熱も褪せてきたので、かほどの熱意を持って「作品」を追いかけている「アーティスト」は藤井さんだけだ。
(優れた棋譜は優れた文芸作品や音楽と同じく、こちらに感動をもたらしてくれる点で「アート」とみなしているということは以前に書いた。)
 デビュー直後の29連勝のときから、「遠からぬうちに、八冠すべてを戴冠してもおかしくない位の実力を備えるのだろうな……。」とは思っていたが、「さりとて、八冠というのはありえないだろう。」とも思っていた。
 「八冠を取ってもおかしくないだけの実力をもつ」ことと「実際に八冠を取る」ということとはずいぶん違う。ちょっと変な比喩になるかもしれぬが、「東大を卒業していてもおかしくないだけの知性と見識を備えているひと」は世間にけっこういらっしゃるけれど、その方々のすべてが実際に東大を卒業しているわけではない。そんな感じだ。
 単純な話、まず体力がもたないだろう、と思ったのだ。タイトルが増えれば増えるほど雑務も増える。いや雑務といっては語弊があるが、つまり対局以外の業務がふえる。なにしろ年中各地を移動して回っているわけだから、それだけでも大変だろう(今年は海外対局もあった)。加えて前夜祭、就位式……その他もろもろ、エトセトラ、エトセトラ……。とうぜん疲労も溜まるし、研究に費やす時間も確保できまい。
 いまは誰しもがソフトを使って猛烈に研究を重ねている。日進月歩どころか、分進日歩くらいの勢いだ。そんな時代なのだから、いかに天才といえども、研究不足によるハンディキャップが重くのしかかってくるはずだ。そのように、ぼくとしては考えていた。だから力はあっても現実に八冠は不可能だろうと。
 じじつ、このたびの王座戦でも、序盤の研究においては明らかに永瀬拓矢(前)王座のほうが上回っていた。もっというなら、過去のタイトル戦でも、渡辺明九段、豊島将之九段、菅井竜也八段、広瀬章人八段、羽生善治九段らのほうが序中盤から優位に立つことが少なくなかった。いやタイトル戦の本戦だけのことではない。この王座戦トーナメントでも、二回戦で当たった村田顕弘六段があと一歩のところまで追いつめていた。
 もとより藤井さんのほうが序中盤に優勢を築いてそのまま押し切ることも多いが、終盤、それも藤井玉に寄り筋が見えてきて、評価値が90-10以上に開いてからの劇的な大逆転勝ちが近頃は目立つ。げんにこの王座戦でも勝った3局ぜんぶがそうだった。互いに時間が切迫し、とくに第三局と第四局は双方が1分将棋(秒読み)の鬩ぎ合いのなか、永瀬さんの痛恨の失着によって逆転した。
 羽生さんも若い頃には逆転勝ちが多くて、「羽生マジック」という用語も生まれたほどだ。ぼくもそのころは「ああ……マジックだなあ……勝負術だなあ。」と思っていたが、しかし、自分でソフトを使うようになって、「必ずしもそういうことではない」とわかった。
 というのも、プロの終盤ってものは、ぼくらアマチュアが玉の頭に金を打たれて「参りました。」などとやってるのとはまるで違って、極めて難解、複雑なものだからだ。評価値は大差でも人間の認知力では紙一重ってことが結構ある。藤井さんたちのようなトップ・オブ・ザ・トップの将棋であれば尚更で、じっさいぼくが投了図から勝った側をもって秒読みでソフトと対局してみると、たいていこちらが負けてしまう。
 ぼくの話などどうでもよいが、それくらい難しいと言いたいわけである。藤井さんを土俵際まで追い詰めるほどの一流プロであっても、朝からずっと神経をすり減らして、ついに持ち時間を使い果たしての1分将棋となり、さらにそれが延々と続いたならば、どうしたって最善手や次善手だけを重ねられるものではない。いずれは間違う。いっぽう、藤井さんのほうはほぼ間違わない。そして相手が間違えた瞬間にすかさず仕留める。そういうことなのだ。
 将棋だと思うからややこしいので、暗算にたとえてみたらどうだろう。一局の手数はおおむね120手くらいだから、その半分の60問ずつ、暗算の問題がずらっと並んでいるとする。並のアマチュアなら二桁×二桁。ふつうのプロならば、そうだなあ、まあ五桁×五桁くらいか。トッププロなら七桁×七桁かな。それが60問。
 これを2人がそれぞれ制限時間内に暗算で解いて、正答なり近似値の多いほうが勝ち。こうモデル化してみると、ぐっと明瞭になるだろう。ただ、これだと問題は初めから固定されているけれど、将棋のばあいはお互いが回答者であると同時に出題者でもあって、一手ごとに設問が目まぐるしく変わっていく。しかも、七桁×七桁だと思っていたら、とつぜん九桁×13桁になったりもするし、ときには延長戦もある。そんな感じか。
 繰り返しになるが、この出題と回答との応酬のなかで、藤井さんはどちらの側でもほぼ間違えない。そりゃあ相手はたまらない。
 ようするにまあ、ひとことでいえば、「将棋に対して完璧なまでに最適化された異常な計算能力」ってことだ。こう書くと身も蓋もないようだけれど、文学的な修辞を一切合財とっ払ってぎりぎりまで言語化すれば、そういうことになるはずだ。
 むろんその天稟をたゆまぬ努力で日々磨いておられることは言うまでもないが、その結果として、画像のとおり、八つのタイトル戦のみならず、いわゆる「四大棋戦」のすべてでも優勝するという、もはや手の付けられぬ仕儀とはなった。
 ところで、冒頭で述べた「備忘のために書き付けてお」くとはこの話ではなかった。数に関することである。藤井さんの戦ったタイトル戦の対局数は、2020(令和2)年の棋聖戦第一局から数えてこの八冠を決めた王座戦第四局までできっかり80局であるという(未決着の今期竜王戦第一局をふくむ)。そして、その星取りが64-16で、勝率がきっかり(こちらも文字どおり、きっかり)8割(!)だそうだ。「タイトル戦で勝率8割」というのも気が遠くなる数字だけれど、それよりも、ここで「8」がこんなにも綺麗に揃っていることに驚いてしまう。しかも、勝ち数の64は8の自乗すなわち8×8で、負け数のほうは8+8という念の入りようである。こんな偶然ってあるんだろうか。ぼくは神ってものを信じないんだけど、ひょっとしたら「将棋の神サマ」だけはいるのかもしれない。そしてその神サマは、どういうわけかひとりの青年を熱愛しており、祝福のためにいろいろと悪戯をして見せているのかもしれない。



将棋の話。23.06.17 その②

2023-06-17 | 雑(youtube/パソコン/将棋。ほか)
 藤井聡太竜王(王位・叡王・棋王・王将・棋聖)が4勝1敗で渡辺明名人を下して名人位を奪取したのは、長野県高山村の老舗旅館「緑霞山宿 藤井荘」に於いてのことだった。これにより、最年少名人の記録を塗り替えると共に、羽生さん以来の「7冠制覇」を成し遂げることにもなった。
 羽生さんの時には「叡王」はなかったから、「7冠制覇」は「全冠制覇」でもあった。いま藤井さんは「王座」を保持していないため、7冠ではあっても全冠ではない。それにしてもしかし、「最年少名人」はまだしも、「最年少7冠」という語はどこかナンセンスに聞こえる。
 つまり、名人位はじめ、タイトル保持者は必ず年に一回更新されるので、「最年少」というのも意味をもつけれど、「7冠」とはそういうものではないからだ。本来ならばありえない事象なのである。
 羽生善治が25歳の時にとんでもない偉業をやり、藤井聡太が20歳の時にとんでもない偉業をやった。その5歳の差にどれほどの意味があるんだろうか……。どっちにしても、そんなのは、この二人だけのことに違いない。
 まして8冠同時制覇となると、これはもう疑いもなく「絶後」のことになるだろう。そんなことをやってのける棋士がいずれまた出るとは思えない。
 名人位は慶長年間(江戸時代の初頭)の大橋宗桂に端を発するのだけれど、長らく名誉称号であった。近代になって「実力制」として制度化されたわけだが、この時に初代名人となったのが、今もなお「角換わり」という戦型において不滅の「木村定跡」に名を留める木村義雄。1937(昭和12)のことだから、まだ「戦前」である。
 藤井聡太新名人は、ここから数えて81代めに当たる。「81」といえば将棋盤の枡目の数であり、古来、81歳のことを「盤寿」と呼び習わしている。さきの「藤井荘」といい、「81」といい、どうにもいちいち出来すぎており、練達の脚本家がかいたシナリオだって、なかなかこうは運ばないだろう。ぼくは超越的なことを一切信じない主義だが、「将棋界」という極めて限られた小世界においては、「天意」というものの存在を認めてもいいかな……という気もする。
 これは、いたずらに藤井聡太という棋士を神格化しようという話ではなくて、並外れた才幹を持って生まれたひとりの人物が、日々たゆまぬ研鑽を重ね、いかなる重圧にも屈せぬタフな精神と、頑健な体力をもって一勝ずつを積み上げた結果、「奇跡」とでも呼ぶしかないような事態をしぜんに招来している……そんな現実に対して、ぼくがシンプルに感嘆しているということである。
 じっさい、盤上での駒さばきだけでなく、インタビューや対談にみる受け答えや態度、ことばの選び方なども、端々まで行き届いており、どうすればこんな青年ができあがるのかと、不思議な感じがする。じぶんの20歳の頃なんて、生意気で、世間知らずで、なんの実績もなく、ただ口先ばかり達者で、騒々しく走り回っているだけだったが……(今でもまあ、さほど進歩したわけでもないけども)。
 もちろんぼくは、輝かしい記録の数々とか、ご本人の立ち居振る舞いの見事さだけで、かくもアツくなってるわけではない。とうぜんながら、藤井さんの生み出す棋譜が(それはもとより卓越した相手があってこそだが)美しく、華があって、面白いからだ。
 そういう意味で、優れた棋譜は「作品」と呼ぶにふさわしい。いい棋譜を並べることは、いい小説を読み、いい絵画を鑑賞し、いい音楽を聴くのとなんら変わりはない。
 むろん隈なく理解できるわけではないけれど、藤井7冠の棋譜をいささかなりとも味わえるのはありがたいことで、ぼくがこれまで多少なりとも将棋に入れあげてきたのは、このためであったろうか……と思ったりもする。
 ぼくの個人史などどうでもいいが、いちおう説明のために断っておくと、「町道場の三段」レベルである。最近は将棋ウォーズの段級位でいうのが通例になっているようだが、ネット将棋での対人戦はやったことがないので、わからない。
 PCには「bonanza」と「技巧2」をインストールしていて、もっぱら「技巧2」を使っている。
 この将棋ソフトの発達が「将棋」というゲームの成り立ちそのものを揺るがせたことはいうまでもない。2017(平成29)年に時の名人・佐藤天彦九段がソフトに敗北したことで、「もはや人間はソフトに勝てない。」ことが明らかになった。しかもその前には竜王戦という大舞台の前段階で「ソフトの不正使用疑惑」なるものが持ち上がっており、関係各位に深い傷を与えた。谷川会長以下、複数の理事たちも責任を取って退任した。
 あのときは、いくぶん大袈裟にいうならば、プロ棋界が存在意義を問われていたのではないかと思う。ぼく自身、プロの棋譜を見ることにほとんど関心を持てなくなっていた。
 藤井さんの登場はそんな空気を一変させた。たんに新たなスターの出現というだけではない。藤井聡太という棋士は、ソフト相手に勝ち負けを争うのではなく、「ソフトの助けを借りて研究を深めることにより、人間はどこまで強くなれるのか。」を、身をもって追求していたのである。いわば、このときに人間と将棋ソフトとのあいだで、より新しく、豊かな可能性に満ちた関係性がひらかれたのだった。




将棋の話。23.06.17 その①

2023-06-17 | 雑(youtube/パソコン/将棋。ほか)
 気づけば1ヶ月あまり更新していない。OCN時代も含めれば20年ちかくブログをやっていて、合間に1年以上ほったらかしにしていたこともあるので、これくらいはぜんぜん序の口なのだが、今回のばあい、理由ははっきりしている。
 5月中は、皆川博子さんの小説を読んでいた。インプットにかまけて、アウトプットをサボってたわけだ。そして6月いこうは、将棋のことばかり考えている。将棋でアタマがいっぱいになってる。ブンガクのことも、政治の話も、今はなかなか入ってこない。
 6月1日。この日の晩に藤井聡太竜王(王位・叡王・棋王・王将・棋聖)が渡辺明名人を破り、谷川浩司九段のもつ史上最年少名人の記録を40年ぶりに塗り替えたのだった。あれにはほんとにコーフンした。その余韻がなお醒めやらぬわけだ。
 いま書いたとおり、藤井さんはすでに6つのタイトルを持っており、最初に「棋聖」位を獲得したときには屋敷伸之九段のもつ「史上最年少タイトル」の記録を塗り替えている。四段デビュー直後からの衝撃的な29連勝で、社会現象にもなったのは周知のとおりだけど、あの際には神谷広志八段のもつ「連勝」記録を塗り替えてもいた。とにかくむやみに塗り替えているのである。故・井上ひさし先生ならば、「まるで熟練のペンキ屋さんのように」とか何とか、軽妙な形容を付けそうなところだ。
 タイトル戦は賞金額によって格付けされるので、最高位は「竜王」である。すでに藤井さんはそれを取っている。あのときももちろんぼくは熱中したが、今回ほどではなかった。ぼくだけでなく、専門集団たる将棋界ぜんたいの雰囲気としても、「ついに来るべき時が来たか。」といった趣と共に、これまでの6タイトルの時とは異なる、なにかしら粛然たるものを感じる。ことほどさように、「名人」というタイトルは別格なのだ。
 むろん江戸時代より連綿とつづく伝統と格式というものがある。しかしそれだけではない。
 タイトル戦はそれぞれ挑戦者を選ぶ方式が違う。竜王位のばあい、賞金額は最高なのだが形式はいちばんオープンだ。基本的にはトーナメント方式で、きのう四段になったばかりの新鋭も参加できるし、女流棋士にも、アマチュアにも参加枠が設けられている。
 だから、並みいる強豪を薙ぎ倒してがんがん勝ち進んでいけば、少なくとも可能性としては、新四段でも、女流棋士でも、それどころかアマチュアでさえ、その年の竜王に挑戦する資格を得ることができるし、本番の七番勝負で勝ち越せば、竜王位を得ることもできる理屈だ(駱駝が針の穴を通り抜けるより難しい確率だとは思うが)。
 しかしいっぽう名人位は、挑戦権を得るまでに、まずプロの四段になって、「順位戦」というリーグを、1年かけて一つずつ昇級していかねばならない。これがC2からC1、B2、B1、Aと、5つのクラスに分かれている。下に行くほど人数が増すピラミッド構造で、よほどの実力者であっても容易には抜けられない。
 そしてAクラス精鋭10名の総当たりで、もっとも勝ち数の多い1人が挑戦権を得る。つまり最速で駆け抜けたとしても、どうしたって5年はかかる。
 だから1983(昭和58)年に谷川浩司さんが名人になった際は大きな話題になった。あれで棋界の歴史はかわった。経験の多寡にかかわらず、才能と研究量によって頂点に(当時まだ竜王位はない)登りつめることができる……という認識が全国の将棋少年たちのあいだにいきわたった。ほぼ10歳下の羽生善治さんをはじめ、森内俊之、佐藤康光、村山聖といった「羽生世代」がのちに棋界を席巻する種はあのときに蒔かれたといっていいのではないか。だから谷川さんの功績は大きいのだ。
 そのとき谷川八段(当時)は21歳だったので、この記録を塗り替えるには、少なくとも中学生でプロ棋士になっていなければならぬ道理である。将棋の長い歴史において、中学生でプロになったのは五人しかいない。「神武以来の天才」と謳われた加藤一二三、次が谷川で、そのあとは羽生、そして渡辺明、藤井聡太。これだけだ。
 総タイトル獲得数99期を誇る羽生善治さんは、19歳で初タイトルの竜王を取ったが、初めて名人になったのは23歳のこと。渡辺明さんも、20歳で初タイトルの竜王位をとってから9連覇を果たし、いちど明け渡したのち復位して初代の「永世竜王」を獲得した大才だが、なぜか名人には縁遠く、3年前の2020(令和2)年が初めてだった。年齢でいえば36歳のことになる。そこから3連覇を果たしたところで、このたび藤井六冠に奪取されてしまったわけだ。
 藤井新名人はいま20歳と10ヶ月とのことなので、この先、もしこの記録を塗り替える棋士が現れるとしたら、史上初の「小学生プロ」の登場を俟(ま)つか、もしくは順位戦のシステムが大きく変わるか……それくらいしか考えにくい。
 名人位の就任年齢にこだわるのは、たんに記録うんぬんのせいだけではない。在位期間の問題である。在位期間の最長記録保持者は、昭和を代表する大棋士で、今もなおその偉大さが語り継がれる大山康晴15世の18期。次いで、戦後の高度成長期を代表する大棋士・中原誠16世の15期。
 このお二人の存在感はあまりに大きく、ぼくなどが小学生の頃には「将棋指し」といえばこの二人の顔がすぐに浮かんだ。ほかには、蓬髪に無精ヒゲで胸元のちょっとはだけた和服姿の升田幸三・実力制第4代名人くらいか(ちょっと昭和の「文士」の典型的なイメージに通じるものがある。五味康祐とか)。そんな按配だったから、上でも述べた谷川浩司さんの台頭がいかにも清新だったわけである。
 名人位の獲得数で中原さんの15期に次ぐのは羽生さんの9期。タイトル獲得の総数においては上述のとおり99期と、2位の大山康晴80期、3位の中原誠64期の両大家をしのぐ羽生さんだけれど、こと名人位にかんしては、「あれほどの大棋士にしては、やや物足りない。」といわれたりもする。ちなみに谷川さんは5期どまり(これは上では中原さんに阻まれ、下からは羽生世代に追い立てられたことが大きい)。
 むろん、ふつうの棋士にとっては、名人・竜王はおろか、生涯においてタイトルをひとつでも取ること……いやそれどころか、タイトルに挑戦することですら大変なわけで、これはもうほんとうに、「雲の上のそのまた遥かな上の上」の話をしているわけだが……。
 ともあれ、この歳にして「空前絶後の壮挙」といわれた羽生さんの「七冠」を達成してしまった(結果として「絶後」ではなかったわけだが)藤井さんとしては、「前人未到の八冠同時制覇」や「タイトル総獲得数100期(羽生超え)」と並んで、「名人在位18期以上(大山超え)」もまた期待されているわけだ。そのためには初戴冠が早いほど良い。だから、このたびの名人就位は意義が大きいわけである。
 当ブログ、しばらくは将棋の話が続きそうだ。関心のない方にとっては「なんのこっちゃ」という感じやもしれぬが、「好きなことを好きな時に好きなように書く。」というのが当ブログの身上なので、しょうがない。よろしければお付き合いください。




Spectrum Rim  GOMA&JUNGLE RHYTHM SECTION

2023-03-03 | 雑(youtube/パソコン/将棋。ほか)



 どんなEDMよりEDM。どんなトランスよりトランス。だと思いますね私は。
 否が応でも体が揺れる。聴き終わる頃には酩酊状態。そんな感じ。
 GOMA氏はオーストラリア先住民族の伝統楽器「ディジュリドゥ」の奏者で、画家でもある(このイラストはご本人の手になるものではない。もっと抽象的な作風)。




N.E.W.  上原ひろみ,馬場智章,石若駿

2023-02-18 | 雑(youtube/パソコン/将棋。ほか)

なんかバトルシーンのようなビジュアルだけど、よく見ればわかるとおり、ジャズのセッションです。劇場公開中のアニメ『BLUE GIANT』のサントラより











 公式音源ですよ。太っ腹だなあ。映画の宣伝を兼ねてるのかもしれないが、これはありがたい。グラス片手に聴きたいところ。





広瀬章人 八段 vs. 藤井聡太 竜王 第35期竜王戦 七番勝負第5局

2022-11-27 | 雑(youtube/パソコン/将棋。ほか)
 この記事は、自分のための覚え書きなので、将棋に興味のない方は、かまわず素通りしてください。
 11月25・26日の両日にわたり、福岡県福津市の宮地嶽(みやじだけ)神社にて開催された第35期竜王戦(読売新聞社主催、特別協賛・野村ホールディングス)七番勝負の第5局は、挑戦者の広瀬章人八段(先手番)が133手で勝ち、シリーズ対戦成績を2勝3敗とした。
 藤井竜王(ほか王位・叡王・王将・棋聖と併せて現在は五冠)が、タイトル戦の七番勝負で二敗を喫するのはこれが初めて(つまりこれまでは、4―0のストレートか、悪くとも4―1で勝ってきたということ)。


 2日目が土曜だったので、ぼくは作業をしながらアベマTVの将棋チャンネルで観戦していた。
 この対局、藤井竜王は例によってほぼアベマAIの示す最善手を指し続け、形勢判断は、午後の時点で72%くらい後手有利。いわゆる「藤井曲線」というやつで、いつもなら、ここから優位を保ったまま押し切って勝つ。相撲でいうところの「寄り切り」だ。こちらとしては、その強さに痺れたい一心で、ついつい藤井将棋を観てしまうわけだが……。

   
第1図

 ところが90手目、竜王はこの局面から、AIの表示する△4八角成を指さず、△3五角と飛車のほうを取った。そこでAIの評価値が大きく揺れて、(正確な数値は覚えてないが)後手の藤井側が50%をいくらか切った。一気に逆転したわけである。
 逆転とはいえ微差なので、まだまだ勝負はこれからだったが、1日目でかなり時間を消費していて余裕がなく、かつ、このあとの攻撃に対する広瀬八段の受けが正確無比であったため、見る見る敗勢になっていき、いいところなく負けてしまった。
 ぼくはてっきり図の局面から△4八角成▲同玉に△4七金と上から押さえて勝つものだとばかり思っていたので、△3五角には思わず「えーっ。」と声が出た。いちおう投了までは見届けたものの、正直面白くなかったので、感想戦も見ずに中継を切ってしまった。
 今朝になってから、いわゆる「将棋系youtuber」諸氏の解説を聞くと、たしかに△4八角成で後手勝ちだし、いうまでもなく藤井竜王もその手順を読んではいたのだけれど、この先の寄せがあまりにも難解を極めるために、さしもの竜王も読み切れなかったらしいとのことだ。
 △4七金のあと、先手玉が左に逃げればわかりやすいが、すっと右側に躱されてみると、いかにも手駒が少なく、切れ筋にみえる。しかも▲3四角の王手から▲2五桂と角道を遮断する筋もあり(ぼくはそれをまったく思いつかなかったので、かんたんに後手勝ちと判断していた)、なるほどたしかに、攻めが続くとは思えない。双方が最善手を指し続けると、下の局面になるらしい。先手がうまく受け切っていて、一見すると、後手の攻めは完全に切れている。




第2図

 しかし、信頼すべき複数の将棋系youtuber氏らの意見によれば、ここで△1六歩と突き出す鬼手があり、それで後手の攻めが繋がって、どうやっても先手は振りほどくことができず、詰みを免れないという。
 その手順はたいへん複雑なので、ここには書ききれないが、「一歩千金」という格言どおりの順だった。
 ともあれ、重要なのは、第1図における藤井サイド72%の優位というのは、この「△1六歩」までをも含めて……ということなのだ。
 もし仮に、第2図の局面を目の前にすれば、藤井竜王ならばあるいは、さほど時間を要さず1六歩を発見するかもしれない。しかし十数手も前から枝葉を含むすべての変化を読み切って、ここに踏み込むのはやはり人間業では無理かと思われる。△4八角成を決行できなかったのもやむなし……という話だ。
 今回は、事前研究によって一日目から藤井竜王の持ち時間をごっそり削り、かつ、優位に立ってからは一手も緩むことのなかった広瀬八段を褒めるべきだろう。
 そのように考えて、昨日から波立っていた心持ちがようやく治まったのだった。
 


 
 
 




Låpsley   youtube でアーティスト紹介02

2022-09-12 | 雑(youtube/パソコン/将棋。ほか)
Låpsley - Dial Two Seven (Official Music Video)






https://www.youtube.com/watch?v=ksP2_dvtiMQ


 
 この人ももっと注目されていいと思うんだけどね……。イギリスはサウスポート出身のシンガーソングライター/プロデューサー。2016(平成28)年にデビューした際には「次世代のアデル」と称されたらしいけど、そのあといったん活動を中断したりして、知名度はそんなに高くはない。でも紛うことなき実力派だし、この最新ナンバーはほんとに素晴らしいです。