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久しぶりに編集画面をひらいたら、珍しく大量のアクセスを頂戴していて……8月27日に「金曜ロードSHOW!」で『風立ちぬ』をやったからだね。あれはたしかに見終わったあとで解説が欲しくなる作品ですね。
いつも、作品分析をやる際にはビデオで何度も周回するし、大事なシーンはメモを取りつつ重点的に見返したりもするけれど、あの全7回の『風立ちぬ』論をやった時はあえてそれをしなかったんですよ。ただ記憶だけを頼りに書いた。そのせいで、いくつか思い違いもありますね。
たとえば、軽井沢の「草軽ホテル」で10年ぶりに再会したとき、飛ばされたパラソルを捕まえてもらった時点では、菜穂子はまだ二郎のことを誰だか分かっていなかった。かなり距離があったからね。そのあと食堂で見かけて初めて、「あっ。震災の時にお世話になったあの方だ」とわかって驚いた。そんな表情をしてますね。
もうひとつ、二郎が「ぼくたちには時間がない。」と口にするのは、婚礼の夜、上司であり恩人でもある黒川氏に対してのことで、正確なセリフは「私たちには時間がありません。覚悟しています。」だった。妹の加代に詰られたときに述べたのは「僕らは今、一日一日をとても大切に生きているんだよ。」でしたね。
そういった思い違いはあるけれど、些細といえば些細なもので、全体を覆すほどではなく、本筋の論旨に支障はないので、とくに手を入れることはせず、このまま公開しておきましょう。
テレビでの放映は、2015年2月、2019年4月につづいて3回め。今回、これに合わせてこんな小論もアップされました。
文春オンライン
なぜ二郎は“苦悩”しないのか 『風立ちぬ』が描いたものの行方 藤津亮太
https://bunshun.jp/articles/-/48159
いつも、作品分析をやる際にはビデオで何度も周回するし、大事なシーンはメモを取りつつ重点的に見返したりもするけれど、あの全7回の『風立ちぬ』論をやった時はあえてそれをしなかったんですよ。ただ記憶だけを頼りに書いた。そのせいで、いくつか思い違いもありますね。
たとえば、軽井沢の「草軽ホテル」で10年ぶりに再会したとき、飛ばされたパラソルを捕まえてもらった時点では、菜穂子はまだ二郎のことを誰だか分かっていなかった。かなり距離があったからね。そのあと食堂で見かけて初めて、「あっ。震災の時にお世話になったあの方だ」とわかって驚いた。そんな表情をしてますね。
もうひとつ、二郎が「ぼくたちには時間がない。」と口にするのは、婚礼の夜、上司であり恩人でもある黒川氏に対してのことで、正確なセリフは「私たちには時間がありません。覚悟しています。」だった。妹の加代に詰られたときに述べたのは「僕らは今、一日一日をとても大切に生きているんだよ。」でしたね。
そういった思い違いはあるけれど、些細といえば些細なもので、全体を覆すほどではなく、本筋の論旨に支障はないので、とくに手を入れることはせず、このまま公開しておきましょう。
テレビでの放映は、2015年2月、2019年4月につづいて3回め。今回、これに合わせてこんな小論もアップされました。
文春オンライン
なぜ二郎は“苦悩”しないのか 『風立ちぬ』が描いたものの行方 藤津亮太
https://bunshun.jp/articles/-/48159
ここでは『もののけ姫』(1997/平成9)と絡めて『風立ちぬ』(2013/平成25)を論じていますね。『もののけ姫』は、ニッポンの「中世」が「近世」へとパラダイムシフトする際の矛盾や軋轢を描いたもので、『風立ちぬ』はニッポンの「近世」が「近代」へ、さらにはそれが破産して「現代」へとパラダイムシフトする際の矛盾や軋轢を描いたもの。おおむねそういった趣旨です。
この論のなかでは、それらがいずれも「近代化」という一語で括られてますが、こうやって分けておくほうが判りやすいでしょう。
『風立ちぬ』は「近世」が「近代」さらには「現代」へとパラダイムシフトする際の矛盾軋轢を、「このうえもなく美しく」描いたものだ……という論旨は、ぼくの2年まえの記事「ひきつづき、『風立ちぬ』のこと。⑦ 近代ニッポンの象徴としての菜穂子。」とも通底します。ひょっとしたら藤津氏も、ネットでぼくの記事を見かけて、少しくらいは参考にされたんじゃないか……と想像しても、あながち邪推ではない……かもしれない(笑)。
「ひきつづき、『風立ちぬ』のこと。⑦ 近代ニッポンの象徴としての菜穂子。」
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/1a5b8fba3d3f0581200af4b39060d594
藤津氏はこのように書いています。
『風立ちぬ』において飛行機が「美しくも呪われた夢」と矛盾を孕んで表現されるのも、『もののけ姫』が象徴的に描いた「近代化」とその問題の果てにあるものだからだ。工業化を背景にした近代国家の成立、そしてその結果としての戦争。人はこの大きな枠組みの外に出ることはできない。
そして『風立ちぬ』は、その枠組の中で右往左往する人間を描いた作品なので、視点が非常に大きいところにある。視点があまりに大きいから、二郎の葛藤や良心の呵責を描いても、そこには大して意味がない、ということになるのだ。逆にいうと二郎の心理に寄れば寄るほど「日本の戦争」を描いた作品になり、「近代化(とその破産)」という大きな枠組みは見えなくなってしまう。
けれども――である。
と、藤津氏はつづけます。少し編集しつつ引用させていただきますが……。
映画監督の伊丹万作は『戦争責任者の問題』の中でアジア・太平洋戦争にまつわる責任について次のように記した。
「だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」
映画としては美しくとも、映画の中で切り取られた二郎の生き方を「時代の中で精一杯生きた」とだけシンプルにまとめてしまうのはとても危うい。
「精一杯生きたからしょうがない」と「時代に流された」の間にはどのような境界線があるのか。
『風立ちぬ』では「近代化」という枠組みと、二郎の“芸術家”としての「業」を強調したことで、その境界線が見えなくなっている。現実の「未来」は、「近代化」の枠の中にあったとしても、さまざまに変えられる部分を秘めた可塑的なものだ。
現実の中で「生きようと試みる」ということは映画の中の二郎の振る舞いとは遠く、自分の中にある「文化的無気力、無自覚、無反省、無責任」といったものに抗っていくことだと思う。映画が公開された2013年よりも現在のほうが、その意味は重くなっている。
引用ここまで。ちなみに伊丹万作(1900 明治33~1946 昭和21)とは戦前の日本を代表する映画監督で、故・伊丹十三氏の父君です。 この有名な警句は、ぼくも以前に当ブログにて引用させて頂きました。
「映画が公開された2013年よりも現在のほうが、その意味は重くなっている。」というのはまことに重要な指摘で、じっさい今、『風立ちぬ』を改めて観直すのであれば、このような視点は不可欠ですね。安倍政権の7年8ヶ月(その間の官房長官はずっと菅義偉氏)を経て、ニッポンの「文化的無気力、無自覚、無反省、無責任」は2013年よりもはるかに深刻となり、それがコロナ禍における無為無策の果ての「棄民」にまで直結しているわけだから……。
そう考えるならば、『風立ちぬ』における二郎の描き方ってぇものは、2013年の時点における宮崎さんの「気の緩み」をあらわしていた……という見方もできるかもしれない。じつは私、公開当時に劇場で観て、大いに不満を抱き、かなり糾弾めいた作品評をアップしたんですよ。それは今は亡きOCNブログの「旧ダウンワード・パラダイス」に発表して、こちらに移ったさいに削除しちゃったんですが……。
あのときは不満どころか、はっきりいって「憤懣」に近い感情を抱いたんだけど、今はそこまで怒ってはいない。幕末から近代の歴史をやればやるほど、やっぱり欧米列強なんてのは悪辣で傲慢だと思うし、どう考えてもニッポンだけが加害者ってはずはないと分かってくるからね。でも、宮崎監督の大衆レベルへの影響力を鑑みるならば、近代ニッポンを描くにしても、もう少し別のやり方があったんじゃないかとは思いますね。
だからこないだ、8月6日の記事「頭の上から爆弾が降ってくるまでは。」で、
高畑勲が『火垂るの墓』(1988)で/片渕須直が『この世界の片隅に』(2016)できちんと描き、宮崎駿が『風立ちぬ』(2013)で日和りまくって描かずに逃げたことなんだけど……たとえば食料をはじめ日々の暮らしに不可欠な物資が欠乏するとか、職場や学校がうまく回らなくなって社会の機能が損なわれるとか、そういった不便さをかるく凌駕する惨事として、「頭上から爆弾が降ってくる」ということが起こる。敗戦が目の前に迫ってくるとね……。
という書き方をしたんだけども。
だから気になるのは、「鋭意製作中」といわれて久しい『君たちはどう生きるか』ですね。「子供向けに書かれた戦後民主主義のお手本」ともいわれる、吉野源三郎のこの名作を、宮崎駿がこの時代にどう映像化するか。また体よくファンタジーに逃避するのか、きっちりと真正面からリアリズムで描き切るのか。注目しております。
参考資料
世に倦む日日 2017-11-25
『君たちはどう生きるか』のブーム - 若者にはこう読んでもらいたい
https://critic20.exblog.jp/28361487/